2023/08/02 コラッタ─深海のすがた─


 あの日、妹のコラッタの指人形は海へと旅立った。


 あれが何年前のことなのか、またあの海がどこだったのか、もう覚えていない。妹が何故コラッタを連れて行ったのかも知らない。故意に流したのではなかったということだけは、覚えている。当時の妹は指人形が気に入っていて、どこに遊びにいくにも複数の指人形を連れて行っていた。

 その日も妹は、いつものように波の届かないところで人形遊びをしていたのらしい。だが突如大波に襲われ、コラッタだけが連れ去られてしまったのだった。


 夕暮れの波打ち際で、広大な水平線を前に立ち尽くす妹の後ろ姿は今でもよく覚えている。その背中は小さくとも、立派な哀愁を帯びていた。だから親も責めずに「また買ってあげるよ」と慰めたのではないかと思う。


 妹からすれば、人形遊びの好きな年頃に訪れた悲しい離別の記憶だろう。私もその景色を悲しく覚えていたのだが、後日ある時疑問が浮かんだ。


 自然の制御の利かない強大さはよく知っている。しかし何故あの時、数いる指人形の中でコラッタだけが連れ去られたのだろう。


 コラッタの方から旅立ったということはないだろうか。


 コラッタは逞しい。図鑑を見ると、その生命力の強さがこれでもかと強調されているのに驚く。


 特に凄いのは前歯だ。その前歯は硬いものをたやすく噛み砕き、さらにどこまでも伸び続けてしまうのだという。進化すれば、「ひっさつまえば」という技を身に着ける。他に、ひっさつの付く身体の部位を持つポケモンはいない。いなかったはずだ。たしか。


 奴の前歯は特別なのだ。


 もしかしたらコラッタは、コラッタ族の矜持にかけて、己の前歯を発揮できる地を求めて旅立ったのかもしれない。


 コラッタとて、きっと妹への愛着はあっただろう。しかし、彼(彼女)は前歯を磨かなければならないという種族の宿命を背負っている。ゆえに、やわな環境に身を置くことを許さなかったのかもしれない。


 私は海に行くたびに、あの日の勇敢なコラッタのことを思い出す。

 彼(彼女)の前歯は、あれからどれほど強くなっただろうか。人食いサメやクラーケンに挑むコラッタの夢想に、少し胸が弾むのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る