第53話 いつかのリンゴ

 いつの間にか身体と意識が乖離していた。

 自身すら認識できない無に浸っている内に、状況は最悪な事になってしまったらしい。


「母さん、リリ…………!」


 二人がとても遠く感じる。

 たった五十メートル以内の範囲にあるのに、一日かけても辿り着けなさそうな位に遠い。


 腹部を殴られた衝撃と壁に衝突した痛み。

 神経がズタズタになりそうなくらいに鈍痛が迸っている。


「あ、っ…………」


 起きあがろうとしても力が入らない。

 正確には、自重を支えられる程の力が足りない。

 必死に歯を食いしばってみても頭に血が上るだけ。

 床を睨みつけて這い上がろとすればするほど、身体の重みが増してくる。


 それでも無理を押し通して立ちあがろうとしてると、誰かが声をかけてきた。

 母さんやリリの声ではなく、リリのお母さんの声でも無い。

 ましてやブレイズの不愉快な声なんかでは無い。


 それは何処かで聞いた事のある、しわがれた老いた声だった。


「──カウル様よ。林檎は一つ、いかがかの?」

「え?」


 見上げると、そこにはいつか出会った老人がいた。

 片手に林檎を携えて僕を見下ろしている。


「ワシの食べかけじゃが、どうか受け取って下され」

「なんで、君が……」

「無論、カウル様に恩返しをする為ですよ」


 にっこりと笑う老人。

 その笑顔に僕は感動を覚えた。

 僕は人々の笑顔を見る為に戦っているんだと。


「カウル様はもはや満身創痍。当然、林檎一つで快復する訳でも無し。……じゃが、人の想いは時に無限大となり、更なる力をくれる。それを教えてくれたのは、貴方なんですよ」


 老いた手から、僕の手に林檎が渡る。

 一口齧ってみると、味がとても薄かった。


 それは未完成な魔法だったが故に、中身をちゃんと作りきれていなかった。

 林檎に対する解像度が低く、イメージが粗雑だったからだ。

 こんな林檎じゃ栄養も価値も無い。


 なのに、どうしてか────


「だぁれ?キミ。……てか、オカシイなぁ。しばらくは起き上がってこれ無い筈なのにナァ」


 立ち上がる事が出来た。林檎からその力を貰った。


「カウル様よ。どうか我らに救いを。どうか奴らに天罰を。魔法使いのカウル様」


 もう、負ける気がしない。

 もう、倒れる気がしない。


「うん。ありがとう。僕に任せて!」


 かつて無い力が僕の中を巡る。

 全細胞が躍動して、限界すら忘れそうになる。


 世界から供給されているこの魔力は尽きる事は無い。

 この器が耐え切れるだけの魔力を込めて、ブレイズへと飛んでいく。


 蹴った床面が崩れた気がしたけど気にしない。

 僕は奴を倒して、この戦いを終わりにする。


「アハハハハ!!!きなヨ!!ワタシと力比べと行こうじゃない……!?」

「絶対に君は……僕が殺す!!!」

「ン〜〜〜。いい覚悟ネ」


 ぶつかり合う拳と拳。

 まるで鉄がぶつかり合うような激しい音を立てて、最終決戦が始まった。

 既に互いに全ての切り札を切った。

 ならば後は己の全てをぶつけるのみ。


 身体の四割を魔法武具に改造したブレイズ。

 世界から魔力を直接供給されているカウル。


 魔力でブーストされた者同士の戦いはあまりにも威力が高く、目で捉えられぬ程に疾い。


 一撃でゾウすら殺してしまう程のパンチ。

 一度蹴りが入れば全身の骨にヒビが入ってしまうだろう。


「はあああああ────!!!!!」

「オラァ!!!ちょこまかと逃げやがっテ……!!」


 繰り出される拳をいなして、カウンターを入れる。

 しかしそれは既の所で避けられ、そのまま上段蹴りで頭部を狩りに来る。

 またもやそれを腕で受け止め、今度は鳩尾に全体重と魔力を乗せた正拳突きをお見舞いする。


「ガハッ……!」


 初めてブレイズが吹っ飛んだ光景に、この場にいる誰もが希望を見出しただろう。

 カウルならば勝てると。カウルならば救ってくれるだろうと。


 だがしかし、あの老人だけは別の事に憂いを抱いていた。


 カウルが飛び出した時に抉られた床面を見つめる老人。

 それはただ勢いが余って床面を崩してしまっただけとも見れるが、この塔の製作者である老人はこの塔に耐久性が無い事も知っていた。


 あくまでこれは作ったモノであり、中に入ることは想定されていない。

 故に、こんな脆い場所で激しいぶつかり合いが生じれば、あっという間に崩れてしまうのが当たり前という事だ。


「……頼む。アルビオン。今一度耐えてくれ。ここで崩れてしまっては元も子もない。善も悪も共倒れするのが一番最悪な結末じゃ」


 老人は祈りながらその戦闘を見つめる。








 ……どう足掻いてもこの塔が持たないことは明白であるというのに。

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