第7話 午睡

「あ!帰ってきた!おかえり、ママ!」


 扉が開ききっていないのに、そんな言葉が飛んできた。

 まるで以前からそうしていたように、当たり前のように私の元へ飛び込んでくる。


「おい。大人しくしておけと言っただろう。お前は怪我人なんだぞ」

「だって寂しかったんだもん」


 上目遣いで短い両の手でしがみついてくる少年。意識していなくともあの子と重ねてしまう。

 なぜこんな似たような事をしてくるのか。


「……ふん、そうか。林檎、食べるのだろう。そこに座って待っておけ。切ってやるから」


 うん、と満面の笑顔で返事をした少年を引き離した後、もう使わなくなったキッチンへと向かう。

 日差しが刺すベッドやテーブルとは違い、キッチンは影に隠れている。

 同じ家の中だと言うのに、そこだけより一層寂しさを醸し出していた。


 そのキッチンに入ると、そこから見える光景の懐かしさが込み上げてくる。

 ルンルンとした様子で待っている少年。いつか見た楽しげな日常。回帰する筈の無かった記憶が脳内を巡る。


 追想しそうになったのを振り払って、本当に久しぶりに包丁を手に取った。


 一旦、林檎と一緒に水で流して汚れをとり、皮を剥いていく。

 少し感覚を忘れていたが、包丁を滑らせるたびにその感覚は蘇ってきた。

 それが終えたら、一口サイズに切って皿に並べていく。


「よし。できたぞ。…………あ」


 皿に並べ終え、フォークを棚から取り出した所で気付く。

 余計な気遣いまで蘇ってしまったらしい。あの子にそうしていたように、サイズをもう一回り小さくしてしまった。

 私は一体何をしているのか。


「わーい!」


 そんなことはつゆ知らず、手放しで喜ぶ少年。まあいいか、と胸の内に秘めてテーブルの上に皿を置く。


「あ、おい!素手で掴むな。そこにフォークがあるだろう。それを使え」

「ん?これ?」

「そうだ。なんだ、フォークの使い方も知らないのか?」

「うん、分からない!」


 見た目でおおよそ五歳程度と思っていたが、あまり教養はないらしい。

 清々しい素直さに面食らってしまう。


「おいしい!ママ、ありがとう!」


 器具の見た目でフォークの使用用途を理解したのか、林檎に突き刺しては口へと運んでいる。

 その可憐さに思わず私の口も綻んでしまうところだった。


「そうか。ゆっくり食べろ。喉に詰まらせたら大変だ」

「んん!」

「口に物を入れたまま喋るな。品が無いぞ」

「もあっあ!」

「いや、だから……」


 言うことを聞いているようで聞いていない。子供は掴みどころの無い生物であることを失念していた。

 その奔放さは純粋であるが故のモノだが。


 もしゃもしゃと食べ進める少年。余程腹が減っていたのか、林檎三つ分をあっという間に平らげてしまう。

 どうせ余るだろうと思い、余りを私が食べようとしていたが、ついぞ私の口に林檎が運ばれることは無かった。


「ごちそうさま!」

「腹は満たされたか?」

「うん!お腹いっぱい!……ママ、なんか眠くなってきちゃった」


 大きな欠伸をし、うとうとし始める。段々と瞼の重さに耐えきれなくなって、次第に目が閉じていく。


「忙しいヤツだな。好きなだけ寝るがいい」


 負傷し体力を失って、そこで腹が満たされたら当然眠くもなるか。

 生憎とこの家には来客用のベッドなど存在しない。その為、私のベッドで深く眠ってもらうしかない。


「ママ、こっちきて」


 最後に一回だけ、眠気に蕩けた目を開いて添い寝をねだって来た。

 まるで最期のお願いのように。それだけが未練であるように。

 残念だが、私にそこまでしてやる義理はない。保護し看病しただけでも有難いと思って貰いたい。


「────少し、横にズレろ」


 長年生きてきたが、私はこの甘さを捨て切れていなかった。

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