第3話 逃走

 走る。走る。走る。

 獣道を掻き分け、素足で地面を蹴り、まっしぐらに走る。

 どこへ逃げようかなど思いつかない。思いつくほどこの世界に詳しくはない。

 僕が知っているのは自分の名だけ。後は、あの野犬達に捕まったらとても痛いという事。


 気が付けば僕は森の中に居た。木漏れ日が差す中、草木が生い茂る世界の真ん中に立っていた。

 周りの木々と同じように、まるで生えてきたかのようだった。

 しかし身体の構造は違う。人間の形をしていた。ならば僕は人間なのだろう。


 そこで自身の名を確かめていると、数匹の野犬に囲まれ襲われる羽目になってしまったのだ。


「はあ、はあ、は──、あ、っは……!」


 立ち止まり、肩で息をして必死に肺に空気を送る。チカチカと点滅する視界では木漏れ日がうっとしい位に眩しくて仕方が無い。


 後ろを振り返る。どうやら野犬から逃げ切ったようで、気配は感じ取れない。

 まずはその事に安堵したいが、身体が先に痛みを訴えてくる。

 手、腕、横腹、頭、太腿。野犬の噛み跡が全身に及んでいる。体内で爆竹が爆発しているみたいに全身が痛い。それにがむしゃらの逃走による、切り傷も散見される。

 満身創痍と言っても差し支えない程には、ダメージを受けてしまった。

 しかし現状ではどうにもすることは出来ない。ひとまずは人里に降りたい所だが、生憎人里がある方向が分からない。僕には無闇歩くことしかできないのだ。


「…………」


 ただ、ひたすらに歩く。もはや徘徊と言った方が正しいだろう。

 言葉を発するだけでも体力を持っていかれる。息をするだけでも気力が削がれていく。僕も木のように地面から栄養を得たいが、寝転んだ所で空腹は満たない。日光で飢えは凌げない。

 現状を変える何かを求めて歩いた。すると、広場のような、開かれた所に辿り着く。


「お、おぉ……」


 決して広くは無いが、開放的な場所。恐らく上空から見たら、森の中に円形の野原がある感じだと想像する。この形には自然に作られた形状ではなく、何かの意思を感じる。

 その広場は僅かな丘陵が見られ、あちこちには様々な色の花が咲いている。まるで誰かの庭のようだった。


 初めて見た美しい光景に、その瞬間だけ痛みを忘れてその野原に足を踏み入れる。感動とワクワクが胸に同居する中、その庭を確かめる。探検、といった言葉が近いか。


 そうして歩いていくと、誰もいない筈のそこに、異様な影が一つ。


「む?……お前、どこから入ってきた」


 長く、黒い髪と目をした、女性がそこに立っていた。

 どうやらこの庭には主人が存在していたらしい。


「お、おい。大丈夫か」


 突如ふらつく足元。吸い取られたように力が全身から抜けていく。もうとっくに身体は限界を迎えていた。そよ風が吹いただけでも倒れそうだな、なんて思った時。

 否が応でも電源を落とされたように、僕の意識はそこで途切れてしまった。

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