第4話 兎は魔物の夢をみる(幕間1)

シーンⅢ(うつぼ公園テニスコートの傍・夕暮れ・小型の段ボールを抱えた高齢者)



 夕闇が迫る公園で腕に段ボールを抱えたごま塩頭の爺さんがつぶやきをこぼした。


「黒いロップと白ネザランの交じりもんやておかしな交配できらぁなんけ思えへん。

おまえさんみたいな混じりもんは育てられへんねやわ。ほんま悪りぃけど堪忍なぁ」


 テニスコート脇に置かれたベンチに近づき躊躇わずに腕の箱をゆっくり下ろした。


「おまえさんにも毎日ちゃんとエサ与えてくれはるご主人できらぁえぇんやけどな」

 恥じる気持ちはあるらしい爺さんがつぶやき逃げるように靭公園から走り去った。



 ほのかにうす暗い夕暮れの近づく時間帯でも月星の明りは地上を鮮明に灯さない。

飢えと渇きに襲われうずくまるしかない〝彼〟は己の死を間近にして怯えるだけだ。


 はるかな天空から高い月をはべらせた眷属である星々の瞬きに照らされる死に体。


 空腹から死の瞬間を待つ〝彼〟は白毛をまとう身体をした哀れな仔ウサギだった。

徐々に光を失う右瞳は血流より濃い深紅に染まり見上げる琥珀の左眼で月星が瞬く。


 夕闇の頭上に月明りは瞬きスポットライトが照らす〝彼〟のオッドアイが静まる。

飢えて渇いた肉体は冷めて双眸から輝きを奪い夢さえ見られない未来は真の暗闇だ。


 生後まもない〝彼〟は単なる赤んぼうで己に迫る状況を理解できない捨てられ子。

ビル街の狭間になる公園ベンチの傍ら段ボールに伏せた小さな身体は動きを止めた。



『闇夜の満月に映える模様から臼と杵で餅つきする白いウサギの姿が思い浮かんだ』

 大和民の誰かがイメージした印象から異能を秘めるウサギが伝承として残された。



『ウサギは悲しいとそれだけでも死ぬんだよ。ほんとうに脆弱すぎる生き物だから』

 その出処の怪しい都市伝説じみた一説は長く語られているが科学的な根拠はない。


 その迷信が全国津々浦々に広がる要因としてウサギは草食で胃腸を常に働かせる。

半日なにも食べないだけで胃腸が弱体化して同調するように数日で全身まで衰えた。


 ほとんどの死因が飼育を怠る行為の末路にすぎず昔は不可解な突然死が頻発した。

原因も明白すぎて飼主に気づけない疾病が要因となり結果として未発の死が訪れる。



「ウサギって寂しいだけでも死んじゃうんだよ」かなり古いTVドラマの名セリフ。

 その引用も定かでない言葉が影響したようで哀しい結末を迎えたんだと噂される。


 もちろん哀しい経験は〝彼〟の記憶に欠片も影響しないのも小動物として宿命だ。


 現状の〝彼〟は空腹の後に頓死を迎えるしかない哀れすぎるちっぽけな仔ウサギ。

危機感などもなく死の訪れを待つしかない身体に突如発生した周囲の轟音が轟いた。


『?!』……屹立した〝彼〟の右耳から轟音が脳みそに届いて身体は勝手に跳ねる。



 左の黒耳を伏せた〝彼〟は轟音に揺られながら前触れもなく地盤と共に消失した。

その瞬間に【世界は前兆もなく】周囲すべて道連れにしながら大きな変容を遂げる。


 突如公園で発生する地震が原因だったが〝彼〟が真実を理解する未来は訪れない。




 この果てしない宇宙で片隅になる銀河系の太陽系に第三惑星『地球』が存在する。

かなり大まかになるが地球が誕生して現在までに46億年あまりが経過したらしい。


 いくつもの大陸があり生命の発祥とされる海洋部分は地表のおよそ七割を占める。

天空を舞う種族まで合わせると670万以上になる多彩な動植物が地上に生息する。


 数多の生物が呼吸して活動する地球で頂点に君臨する種族がもちろん人間である。

それでも地表から下は異なる領域になり所属の異なる多様な生命体が存在していた。


 忽然として地盤ごと消えた〝彼〟が再度その姿を現したのは不思議な空間だった。



 厳密には位相の異なる地下空間になるが岩肌は周囲を照らし視界まで遮断しない。

左の黒い耳を伏せた〝彼〟は目線を上げるのと同時に不可解な感覚を覚えたようだ。


 なにもわからない状況下で身動きできずに戸惑いしかなく周囲まで判断できない。

気がつけば〝彼〟の記憶にはない洞窟にいて肉体の周囲から徐々に視線を這わせた。


 直後に見上げた天井は自身よりも相当高い位置にあり岩肌の空間に疑念を抱いた。

さほどの理由もなくあくまで子供じみた好奇心の行動であり〝彼〟は未来を案じた。


 ほのかに暗い岩肌の曲がりくねる通路の先が魅惑的に感じられ最奥まで誘われる。



 ちょっとずつ前に進もうと正面を見つめると通路を防ぐ姿に双眸は釘づけである。

〝彼〟の全身より長い胴部に短い四足が生える全身を黒毛に覆われたネズミがいた。


 どこかネズミの頭上に違和感を覚える〝彼〟には判断のつかない突起物が見えた。

先端にかけ節くれ立った棒状で鋭敏に尖った鬼の物語として伝承にも残される角だ。


 なぜか突起が気になるのか〝彼〟の視線はネズミに固定させたまま身動きしない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る