8.5

 私は部室で明日に控えたマリエの誕生会の飾り付けを行っていた。念のため電気は消しておく。前回部室に一人で来た時は電気をつけてしまったがために、マリエにバレそうになった。“探偵さん“が機転をきかせて誤魔化してくれたから助かった。あまりに装飾品を買いすぎたために、部室に置いてから帰ろうとドアの上の窓から侵入した次第である。まさか先生まで巻き込んだ大事になるとは思わなかったが、自転車泥棒のおかげでその事件は風化した。


 ガチャガチャッ

ドアの方から音がした。誰か来た…?

内側から鍵をかけていたし、部室の鍵は私が持っている。入って来られる心配はないわけだが、一体誰だろうか。

私はスマートフォンを見たが、米道からも“探偵さん“からも特に連絡は来ていなかった。ということはマリエ?


マリエだった場合、どうしようか。一応マリエの誕生会はサプライズで行われる予定であり、“探偵さん“はその準備を約1ヶ月前から行ってきた。“探偵さん“の気持ちを考えると、マリエには申し訳ないがドアを開けない方向でいきたいと思う。


ドアの前の影は鍵がかかってると分かるとこちらに声をかけてくることもなく、立ち去っていった。しかし、息つく間もなくその影は戻ってきた。そしてその影は縦に伸びた。


脚立だ。


以前、私がこの部室に侵入した時と同じ方法でこの部室に侵入してくる気だ。


本当にマリエだとしたら、なんで声をかけてくれないんだ?

私は影の人物に恐怖した。マリエであっても、そうでなくても無言で部室に侵入してこようとするのは不気味すぎる。


ガッガッ


ドアの上の窓の方から音がする。

そちらも鍵はかかっている。

侵入される心配はない。でも、怖い。何がしたいんだ?私がいることを知っていてやっているのか?

こちらから話しかけるという選択肢は恐怖心から除外されていた。作業をやめて、呼吸音すらなるべく控えた。私は居ませんよ、と居留守の姿勢だ。そんなことは無意味なのは分かってるが、それくらいしか対策を思いつかなかったのだ。


影は上の窓から侵入することも諦めたようで、影は縦に縮んだ。


次に聞いた音は馴染みのある音だった。

ベートーヴェンの第五交響曲「運命」だった。

私はホッと肩を撫でおろした。

私は鍵を開けた。


「なんだ、“探偵さん“。来るなら言っての。てか、その着メロさ、告白練…。」


ドアの向こうにいたのはマリエだった。長い黒髪を靡かせながら悠然と目の前に姿を現した。


次の瞬間、私は天井を向いていた。


「ゲホッゲホッ」

腹に激痛が走り、呼吸が苦しい。腹を蹴られたのだ。呻きながらも、体内は酸素と二酸化炭素の循環を求めていた。

私が床に腹に手を当てて蹲っていると、ドアが閉まる音がした。


カチャッ


やばい予感がぷんぷんしている。

マリエは一言も発することなく、私の頭付近に立った。私はマリエの表情を確認しようと思ったが、長い黒髪がマリエの表情を隠している。それがまたテレビで見るような幽霊のようでゾッとしてしまった。

「マリエ…?」

声を出そうとすると、腹に激痛が走る。振り絞って、縋るように声を発した。


マリエからの返事は、言葉ではなく“動き“だった。私の頭のすぐ真横にあったマリエの右足が宙に浮いた。


マズイッ


見るより先に身体が動いた。私は両手で頭を覆った。マリエは構わず私の手ごと頭を踏みつけてきた。


「ねえ!どうして香織!どうして裏切ったの!?」


マリエはキンキンと不快に響く金切り声を立てながら私の頭を何度も踏みつけようとしてくる。

裏切る?私が?なんのこと?

マリエは何か勘違いしているかもしれない。誤解を解かないと。


「なんのこと?私とマリエ親友じゃなかったの?」

マリエの足が止まることはなかった。私は必死に手で頭を塞いで、頭を抱え込むように床の上に丸くなった。反撃することは不可能な体勢だが、こうでもしないと致命傷を喰らいそうな勢いだ。

「なんで着メロ聞いただけであの人だと分かった!?その着メロが告白?告白されたの?ねえ!香織、私のこと応援するって言ったじゃん!全部演技だったんでしょ?ねえ、いつから演技して私のこと影で笑ってたの?答えてよ!親友なんでしょ?って言いたいのはこっちだよ。好きなんでしょ?あの人のこと。自分に嘘つけないくせに他人には平気で嘘つくんだね。」


マリエは泣き叫びながら、私の頭めがけて何度も何度も足を振り下ろした。最初痛かった腹は、両手の激痛で緩和された。


マリエはずっと“探偵さん“のことをあの人と呼んだ。これはマリエの二面性なのだろうか。まだ一年の付き合いもないがこんなマリエは見たことがない。


マリエは勘違いしてる。着メロは“探偵さん“がマリエへの告白練習をする際におふざけで私が設定したものだ。これを今すぐ訂正しなければならない。


私とマリエが親友であり続けるために。“探偵さん“とマリエが付き合えるように。


「違う!マリエ違う!」

「何が、違うんだよ!香織、こないだ部室に忍び込んだよね。何してた?で、今は何してた?香織が部室に1人で来ることなんて今まであった?あの人とこの部室で何する気?答えろよ!」


言いたいことは山ほどあったが、それを言うと、サプライズ誕生会も、ましてや“探偵さん“の告白も失敗してしまうかもしれない。

マリエは畳み掛けるように言葉を吐き、畳み掛けるように私を踏みつけた。もう、両手でが長くは保たない。言うしかなかった。ごめんね、“探偵さん“。

「誕生会だよ。マリエ、あなた…、」

の、と言いかけたところでノーガードの脇腹に思いっきり蹴りが入った。


「ふざけた言い訳してんじゃねえよ。」


ボクシング漫画で、ボディに打つとガードが下がるなんて話を読んだことがあったが、それは本当らしい。私は声にならない呻声で呻き、頭に固定されていた両手は腹の方へと僅かながらに移動した。


マリエの足が頭上にふりかかる。

終わった。


プルルルル。

何も設定されてない初期設定の着信音。私のスマートフォンだ。


マリエの足は一度停止し、危機を脱したが、その足はそのまま私の頭の上に着地した。


体重は乗せてなかったが、乗せてきたら無事では済まないだろう。マリエは私の制服の上着からスマートフォンを探し出し、画面に一目を通して、私に渡した。

“探偵さん“からだった。


「スピーカーモードにして、出ろ。」

痛っ

マリエが私の頭に乗せる足に力を込めた。

「お前の彼氏からだよ。もし、変なこと喋ったら殺す。」


マリエは再びグッと足に力を入れる。


マリエは私のことを初めて“お前“と呼んだ。そこで私は吹っ切れた。私は何をしていたんだろう。私は何を守ろうとしていたんだろう。馬鹿馬鹿しい。

マリエは高校で初めて出来た親友であり、唯一の親友だった。誤解されがちな私のことも理解してくれたし、沢山褒めてもらった。演劇だって見に来てもらったことがある。私たちは世間と中々馴染めず、お互いの悩みにも共感することができ、マリエの中学時代の話なんかは私は共感しすぎて泣いてしまった。そんな親友の恋愛だから応援してたのに、そんな親友の好きな人だから、私は我慢したのに……。


マリエの主張は殆どが勘違いだったが、「あの人が好きなんでしょ?」という部分は正解である。私は一生懸命演技した。一生懸命“探偵さん“には何の興味もない、ように演技して、マリエの恋は一生懸命応援する演技をした。でも…


「ごめん。バレちゃった。」

私は“探偵さん“の電話の第一声でこう言った。マリエはどう思うかな。ようやく認めたかって誤解を深めるかな。

「あー、マジか〜。」

「ごめんね。その、色々。」

ごめんね、“探偵さん“。多分もうサプライズ誕生会も、告白も何も上手くいかない。一生懸命準備して、一生懸命練習したのにごめんね。私がここでマリエに、あなたの勘違いだ、ともっと主張していれば結末は変わったかもしれない。でもさ、私こういう人間だから。もともと、“こういう人“たちの言いなりになりたくなくて、自分を通してきた人間だから。人ってそんな簡単に変われないね。自然と涙で溢れた。

「いや仕方ねえよ。めっちゃ演技美味かった。」

これが、私なりのマリエへの復讐。そして、これが私の本心。これは演技じゃないよ、“探偵さん“。すっと息を吸い込んだ。

「“探偵さん“のこと、結構好きだったよ。」


画面越しの“探偵さん“の顔を脳裏に浮かべながら、ニコッと笑った。


どんな表情してるんだろうな、“お前“。

すぐに電話切ってたけど、相当お怒りかな?


マリエの足が頭から離れ、自由が訪れたのも束の間、マリエの足が顔面に突き刺さった。

どこからか血が出た。どこからだろう。確認するより先に、蹴られたことで動いた後頭部が教卓の角にぶつかって軽くバウンドした。私は意識を失った。

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