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「遅くなってごめん!委員会決めが長引いちゃって…」
波上マリエは、俺の顔を見るや少しだけ笑って俺の左隣に座った。正解には“やや左後ろ“だ。
部室は通常の教室の4分の1サイズであり、椅子と机も教室と同じように五つずつ配置されている。通常の今日教室しか知らない人からしたら圧迫感を覚えるだろう。当然どこに座っても文句はないのだが、波上マリエは俺の隣の席の椅子を持ってきて俺のすぐ左隣の、ただ少し後ろに寄せて座った。
ただでさえ隣の席の椅子なのにさらに寄せてきたのだ。距離感はもう恋人同士のものだ。波上の長く真っ直ぐな髪が俺の腕に当たる。しかし、これは今日に限ったことではない。歩いている時も一歩後ろとはいっても服が擦れ合うくらい距離が近い。なんなら俺の影より近いんじゃないかと思うほどだ。周囲の人間からは完全にデキてると思われているだろうが、そういう話を波上としたことはない。本来なら波上にこれを指摘して直してもらうべきなんだろうが、正直女子にこの距離感で来られるのは嬉しいのである。そして俺もまた、波上の一歩前を歩き続けるに相応しい男になりたいと思っている。だからこそ最近の波上から感じる俺への不満にはこの関係性にヒビが入ったようで不安なのだ。
「久しぶりだな。波上。元気してたか?」
「うん!探偵さんは?」
“探偵さん“というのは俺のニックネームである。俺は中学時代に推理小説にハマり、それ以降自分を名探偵だと自称して日常生活を過ごした。高校に入ってもその調子で、1年の文化祭の際、クラスの出し物で主演俺、脚本俺の名探偵劇を行った。劇は大成功に終わり、俺は名探偵として名が周知した。一躍学校の人気者になり、文化祭が終わってから1週間ほどは俺のクラスに「名探偵はいるか?」と見物に来る人が止まないレベルであった。決め台詞の「報酬は要りません。善意でやっておりますので」は我が校で流行し、巷では“善意の名探偵“なんて呼ばれているとか?
「俺は勿論、元気さ。春休みも推理小説三昧さ。」
「流石探偵さん!こないだ探偵さんが読みたいって言ってた本持ってきたから感想言い合いっ子しよっ!」
そう言って波上が出してきた本は、以前俺が波上に読みたいと言っていた、毎晩1人ずつ殺される去年の冬に出たばかりのクローズドサークルのミステリーだった。俺もこの本は購入済みであったが、俺は試験勉強とバイトでこの本をまだ途中までしか読めていなかった。
俺は波上からこの本を借りて3時間かけて読みきった。波上はその間何をするでもなく俺が読んでるすぐ隣で俺が見ているページを目で追っていた。内容の満足度はとても高かったが、心なしかいつもより元気のない波上と、腕に当たる波上の髪の毛に気を取られ、とろこどころ頭に入ってこなかった。
本を閉じて俺から話を切り出した。
「うん。とても面白かった。久々にいい作品を読んだ。」
波上の返事は予想外だった。
「うーん、、あんまり納得しなかったなあ。」
「ええ!?どうしてさ?毎日1人ずつ死んでいく臨場感と、犯人は誰なのか突き止める推理の疾走感。これ以上ない神作でしょうよ!」
中学時代の波上は俺のイエスマンでしかなかったので、俺が「面白かった」の時点で「うん!」で終わりだったが、こうやって自分の意見も言うようになったのは成長を感じる。波上はそれでも俺に意見するのは少し抵抗があるようで、遠慮がちに話を続けた。
「うーん。その分トリックみたいなのがほとんどなくて寝てる間に1人刺されて死んでましたー、みたいなのばっかりで謎解き感がなかったし、犯人当ても根拠が曖昧というか思い込みが激しい人の思い込みが偶々当たっただけだろって思っちゃった。」
波上は少し言い過ぎたかな。と言わんばかりに目を逸らした。
言い過ぎである。
俺は腕組みしながら左手の人差し指のみを立てた状態で左手の人差し指を下唇にセッティングしながら話した。これが俺の探偵モードである。
「違うよ波上。トリックなんてものは警察の目を誤魔化し、逮捕されるのを回避するために行われるんだ。クローズドサークルにおいてそれは必要ない。その場にいる人間さえ誤魔化せればいいからね。つまり、全員が寝てる間に普通に殺せるにも関わらず、変に密室殺人なんかすると逆にリアリティがないだろう?する必要がないのに手間をかけるなんて。あと、犯人当ては探偵の見せ場だ。当然、途中の無数にある選択肢を省いていく作業が存在するが、小説では面白味がないからカットされてるのさ。一発で犯人を特定する凄さを読者に伝えたいからね。それ以前に、真の名探偵ってやつはそもそも相手の目を見た瞬間から犯人が分かるってもんさ。」
それに、思い込みが激しいのは波上の方だろ、と心の中で呟く。
「でもさ、リアリティが〜とかいうなら1日目の夜に人が殺されて2日目も3日目も同じように全員夜は個室で1人1人寝るの危機管理無さすぎない?同じ場所で寝るとか、交代で起きるようにするとかすれば簡単に殺されないよ。」
波上の髪が頬を掠めた。波上の方を見ていないが、波上が頭を動かしこちらに視線を向けていることが伝わる。
俺も波上の方を見て話したいのだが、距離が距離なのでこちらも波上の方を見てしまうとそれはもう、キスの間合いだ。
俺は、波上の方を見ないまま、下唇にあてていた人差し指を左右にふった。
「波上、フィクションの中にフィクションの常識を持ち込もうとしてないか?」
「どういうこと?」
「1人死んだから、明日も死ぬはず。2日連続で死んだから、明日も死ぬはず、と考えるのはフィクションの常識だからさ。現実で同じ状況に陥った時、これ推理小説だったら明日も人が死ぬよな。一緒に寝ようよ!と言われても納得出来ないでしょう。それよりも“この中に殺人犯がいる“という事実の方が当事者たちにとっては重大なんだよ。殺人犯と一緒になんか寝たくないだろ?それに今回、トリックの類がほとんど使われてない。つまり、警察の目を誤魔化したいわけじゃないんだ。全員が同じところで寝るなんてなったら犯人はより殺しやすくなる。周りの人間に見られようが知ったこっちゃないんだ。ただ、フィクションだとそれはあり得ない。なぜなら推理でもなんでもないからさ。君が言ってるのはそういうことさ。正体がバレる時、つまり3人以上一緒なら殺害されないというフィクション内の常識をフィクションに持ち込んでる。でもこの作品の登場人間はフィクションにいることを知らないんだ。犯人の目的が特定の2人を殺害すること、1日目の夜に1人殺害した後、正体バラしてでももう1人を殺してくる可能性がある。この可能性を否定できない以上、当事者はとてもじゃないが一緒に寝るなんて選択肢は取れないね。」
中学の波上なら最初から意見を言ってくることはなかった。高1の波上ならここで「なるほど」と言って終わっていた。しかし、今日の波上はそれでも引かなかった。
「探偵さんがこの本好きなのって難しいトリックが解けないからなんじゃないの?高校ではテストでもランキングに載ってるの見たことないし。教養のない探偵さんなんてこの世にいるのかな?」
口調こそいつもと変わらないが明らかに棘がある言い方である。事実だからこそ言葉が刺さる。中学時代は俺が常に学年1位、波上が常に学年2位であった。波上が俺に相談を持ちかけてきたのも、俺の一歩後ろを歩くのも、俺が波上の一歩前にいる人間だからだと、波上に言われたことがある。だからこそ、波上は俺の一歩後ろにいたいし、俺は波上の期待に応えて、波上の一歩前を歩きたかった。しかし、高校に入って周りのレベルも上がった上、勉強が難化し、20番目までが乗ることができる成績上位のランキングにも一度も載ることが出来なかった。一方で波上は俺がいなくなった1位の座を1年通して守り抜いた。波上に俺の底の浅さを見られたような気がしてこの関係性にヒビが入った気がしていたのだ。俺は波上の一歩前を歩き、波上に特別な存在として認められたい。だからこそ、波上の現実を突きつけてくるこの発言は波上の予想以上に俺には響いた。
イラッとして波上の顔を反射的に見ると、こっちを向いた顔が近くてビックリした。
「うわっ」
キス寸前の距離で慌ててガタガタっと椅子を引いて距離を取った。心臓がドキっとしたがそれどころではないことを波上の顔を見て分かった。
波上は泣いていた。もしかすると、この場合波上を心配するのが普通なのかもしれない。しかし、今日の俺はそうではなかった。なぜ、このように悪口を言われた上に泣かれなければならないのか。俺は悪口言われて泣きたいのはこちらだと、被害者かのように泣いている波上になんだか腹を立ってきた。
俺は立ち上がって声を張り上げた。
「ああそうさ、俺は何も知らない。知らないのか?俺は善意の名探偵だぜ?法律用語では“善意“ってのは知らないって意味なんだぜ?教養のない、何にも知らない名探偵。大いに結構!」
詐欺や強迫などで使われる法律用語だ。日常生活で使うものでもなければこの文脈で「知らないこと」という意味だけ切り取って使うことはおそらく間違っている。しかし、そんなことどうでも良かった。俺は出会って初めて、波上に怒ってしまったのだ。怒り慣れてないせいか、足元がふらつき、脳みそが揺れてクラクラした。
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