第33話 蜂須賀・桔梗
その騒々しさとは裏腹に、蜂須賀・桔梗は極めて静かな魔力の持ち主であった。
それが証明されたのはテスト飛行初日であり、その評価は、二週間が経過しても変わらなかった。
「ペネロペ君、魔力の供給量はこれくらいでいい?」
「ええ、とてもいい! 今日も素晴らしいわね、ハチ!」
「きみに褒めて貰えるだなんて光栄だよ!」
どこか神秘的ですらある魔力。深い森の奥の、小川のせせらぎのような神聖なひかり。そんな桔梗の魔力とおのれの魔力が混じり合うのを感じ、ペネロペはほっと息をついた。
まるで眠っているときのような心地よさで少女は空を飛ぶ。
「それにしても驚いたよ! 箒が喋るだなんて!」
「箒が喋らないなんて、そんなの退屈でしょう? 坊や」
「坊やじゃなくて、桔梗だってば!」
シルビアの穂先にしがみつき、桔梗は吠える。これは比喩ではない。
白くてふわふわの毛に覆われた子犬。犬に変身した桔梗がキャンキャンと喚く姿に、ペネロペはここ二週間で何度目になるかもわからない甘いため息をついた。
「ああ。あなたってなんて可愛いの、ハチ」
「ありがとう! この姿だとよく言われる!」
なにやら地上が騒がしい。ペネロペは空中で軽く足を振って下方を眺めた。
箒にまたがったヴィルヘルムとアダムが何やら言い争っている。それでも箒の柄は少しもぶれていない。性格の相性の悪さを補うように、彼ら二人の魔力は波長が似ているらしかった。
「ペネロペ君、日が沈むよ」
「ええそうね。気を引き締めなきゃ」
ペネロペは、西の空にゆっくりと落ちてゆく夕日を眺めた。
地平線は赤く染まり、そこを桃色の靄がおおう。雲の間から見え隠れする水色の空。滲む藍色。東から迫りくる夜に、太陽は押しやられる。
ペネロペの七色の髪がきらりと最期の太陽の光を反射した。まるで今日という日を弔うように。
「少し魔力の供給量を増やすね!」
「ええ、よろしく。今日は加減を考えるわ」
「いいさ! 朝まででも付き合うよ!」
西の村を出るまで、ペネロペはバックランド家以外の使い魔を知らなかった。ヴェルミーナ魔女学院に来て初めて、少女は魔力にも相性があるのだということを知ったのだ。
ペネロペと桔梗は極めてその相性が良い部類であった。
なにより、桔梗の魔力量は使い魔科でも群を抜いていた。入学してからの一年間、飛行学や呪文学でペアにならなかったことが惜しまれる。
「ルスア!」
闇が満ち始めた空へと、ペネロペは高らかに呪文を唱えた。それに合わせ、桔梗はペネロペへの魔力供給量を増やす。ゆるやかながら、それでも揺らぐ魔力の波長にペネロペが更に合わせる。ここ二週間、何度も繰り返した作業だった。
夜空に生まれた光が、魔女たちを明るく照らし出す。
「お見事」どこか落ち着いた声で桔梗が言った。
「僕ら、もしかしたら主席合格も夢じゃないよ」
「そんなに上手く行くかしら。試験を作るのはあのスタンリー先生よ」
「大丈夫。スタンリー先生はなんだかんだ言って甘い男だって、ソフィーが言ってたもの!」
「ソフィー?」
ペネロペは箒の柄を握り締め、ちらりと後ろを振り返った。
ソフィー、と。そう、気のおけない仲間のように飛行学教師の名を呼んだ使い魔は、きょとんとした顔をしている。
気になることはもう一つあった。ローガン・F・スタンリーが『甘い男』であるということである。一年間、幾度となく叱責され、反省文を強要され、胸ぐらを掴まれてきたペネロペには信じがたい話であった。もしかしたら物理的に甘いのかもしれない。だとしたら糖尿病だ。
いや、そんなことよりも、とペネロペは箒の穂に座る子犬へと問うた。
「ソフィー先生と仲がいいの?」
教師を呼び捨てにする理由など、ペネロペにはそれくらいしか思い浮かばない。
ああ、そうだとペネロペは思い出す。冬季休暇明けの朝、桔梗はソフィーと一緒に学院に帰って来たのだ。
「冬休み明けも一緒だったわよね」
「あー、うん。そう。そうだね」
桔梗が言い淀む姿を見るのは初めてだった。
目を丸くするペネロペに、白い子犬は後ろ脚で耳のうしろを軽く掻いてから、口を開く。
「仲がいいっていうか、親戚みたいなもので」
「ソフィー先生とハチが?」
「ああ、言いたいことはわかるよ。魔女家系同士でも混血を良しとしないモーガン家が、使い魔の血なんて入れるわけがないって話なんだよね。それはまぁそうなんだけれど、ううん。なんと説明したものか」
「言いたくないのなら、聞かないけど……」
「もっと聞いてよ僕のこと!」
お世辞にも穏やかであったとは言い難い学院での一年間で、ペネロペは「ひとから無理に話を聞き出してはならない」という学びを得ていた。今回もそういうものだろうと好奇心を収めかけたペネロペに、桔梗が吠える。
「聞いていいの?」
「うん。べつに大した問題じゃないもの!」
そうして桔梗は話し出した。
「僕の故郷ね、とっても遠い場所にあるんだ。ちょっとやそっとじゃ帰れないんだよね。年中、雪がすごくてね、列車も通ってなくて。だから休暇中はソフィーのところに居候してるんだよ!」
「それは大変ね」
「うん、そうなんだよね。東の果ての地。人間どころか、魔女も近づけない暗い土地だ」
「暗い土地?」
「そう。雪なんか建前だ。みんな知ってるよ」
どこか含みのある声で、快活な少年らしからぬ軽薄な笑みすら滲ませて。桔梗は続けた。
「僕の生まれた村は、東の魔女のお膝元、って呼ばれてる。エステルの治める土地との国境線沿いなんだ」
ペネロペは呆然と桔梗の言葉を聞いていた。聞いたものの、理解がうまく追いつかない。
紅茶の中で溶け出す角砂糖を掴むような心地──、言葉を言葉として認識出来ず、すっと耳を抜けていくような思いにとらわれた。
東の果ての地。東の魔女のお膝元。
エステルの治める土地……、エステルって?
東の魔女。はじまりの魔女。エステルの存在は、伝説ではなかったのか?
「ハチ、その魔女っていったい──、」
そう、ペネロペが口を開きかけたときだ。地上から大きな爆発音が響く。
爆風に煽られ、ペネロペは小さく悲鳴を上げて身を翻した。大きく揺れた箒に咄嗟に噛み付いたらしい桔梗が、シルビアに罵倒されている。
「ちょっと、レディーになんてことするのよ!」
「ごめんよシルビアさん! 穴開いちゃったかな?」
「どう責任とってくれるって言うのかしら、この駄犬!」
「わかった! きみさえ良ければ嫁にでも玄関箒にでも来て! さあて、ペネロペ君、そろそろ下りようか! アダム君とヴィルヘルム君が限界だ、交代しよう!」
地上では桔梗の言う通り、すでに飛行をやめた魔女と巨獣化した使い魔がいがみ合っている。
「ねえ、ハチ」
「なにかな、ペネロペ君!」
「私たち、本当に主席合格出来ると思う?」
「うーん! ノーコメントで!」
すでにペネロペの頭からは、東の魔女のことなどすっかり抜け落ちていた。
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