第32話 チームアップ!



 皺だらけのシャツを纏い、ブルーのネクタイをペネロペが大慌てでセミウィンザーノットに結んでいると、教室後方のドアが大きく開いた。

「出欠をとる。ここに居ない者は?」

 今日も隙ひとつない姿でローガン・F・スタンリーはやって来た。

 欠席する生徒は友人に伝言を頼むか、伝言用の魔法を飛ばすので、返事がないということは欠席者が居ないということである。教室に響くのはローガンの規則的な靴音と叱責だけだ。

「ギャレット・レイズ、ネクタイが曲がっている」

「はい」

「ジキル。やる気がないなら帰りたまえ」

「すみません、朝は眠くて」

「体調管理を怠るな。魔力の巡りにも影響するぞ」

「気をつけます」

「ペネロペ・クルス」

「はいっ!」

「きみは……空き巣にでもあったのかね?」

 至極不快そうに見下され、ペネロペは「いえ」とシャツの裾を引っ張った。そんな生徒に、男は舌打ちでもせんばかりにため息をつく。

「あとひと月も経たずに諸君の一年が終わる。気を引き締めたまえ」

「気を引き締めてもシャツの皺は伸びませんよ先生」

「ペネロペ・クルス、ペンとインクの準備をしておけ」

 また反省文か。慣れたものだとペネロペは「はい」と素直にうなずいた。

「ほかの授業でも後期試験が始まっている頃だろう。各教員から結果についてはそれぞれ聞いている。成績が奮わない者に、ヴェルミーナ魔女学院の二年次はないと肝に銘じておきたまえ」

 息を飲む生徒たちを見据え、ローガンは続ける。

「その総括として、学年末試験を設ける。これに合格しなければ進級はないが、各授業の成績が不振でもここで挽回出来るという考え方もある。心して取り組むように」

 珍しく救済措置をちらつかせた教師に生徒たちはどよめいた。ついにスタンリー先生の心臓にも血が通ったというのか。

「静粛に」平坦な声でそう言い、ローガンはシラバスに目を落とす。

「今年度の試験方法を発表する」

「今年度?」

「毎年合格基準が違うんだよ」

 小さな声で疑問を口にしたペネロペにベアトリーチェが囁いた。

「試験内容も毎年様変わりするって話だ。スチュアート先生の座学みたいに、過去問には頼れないね」

「ベアトリーチェ・アンバー。質問があるのならば立って発言したまえ」

 赤い瞳に睨め上げられてペネロペは息を飲んだが、ベアトリーチェはどこ吹く風である。

「いいえ、先生。今年の試験内容をお聞かせください」

 真っ直ぐに背を伸ばし、ベアトリーチェは凛と言い放つ。教室中が固唾を呑んで見守る中、アイスブルーの瞳とガーネットのそれがぶつかった。

 先に目を逸らしたのはローガンであった。

「アンバー、席につけ」男は低く言うと、再び手元の書類へと目を落とす。

「今年は私が試験制作を受け持つ。一年間の総合的な力を試す実技試験だ。魔女科と使い魔科で五人一組、必ず各科の生徒を一人は入れること」

 つまり、最低でも魔女一人と使い魔四人、もしくは魔女四人と使い魔一人でチームを組まなければいけないということである。

 試験内容にもよるが、三対二くらいがいいだろうな、とペネロペは思案する。

「合格条件は全員が試験を終えること」

「一人でも脱落者が出た時点で失格ということですか?」

「その通りだメアリー・アン。チームメイトの選別を誤らないことだ」

 その時、ペネロペはローガンの赤い瞳がおのれをとらえたのを感じた。ゆるく目尻を震わせた男は何事もなかったかのように、試験内容の説明へと戻る。

「今、スタンリー先生ったら私のこと見て笑ったわよね」

「笑いましたね」

 ほとんど唇を動かさずにヴィルヘルムが呟いた。

「どうしてああも感じが悪いのかしら」

「クルス、持病の発作が出るようならおまえが教室から出て行け」

「試験はいつ実施されるんですか?」

 めげずに手を挙げて発言するペネロペに、教室中から尊敬の念が集まる。

 それに眉間を揉みながら、ローガンは口を開いた。

「今月末の夜十二時丁度の開始だ。それまでにチームを組んで、私かソフィー・モーガン先生に申請すること。半月かけてチームでの連携や自己の体調を整えたまえ。夜間の魔法は勝手が違うぞ」

 なんで夜なんだろう。入学前にも抱いた疑問を、ペネロペは口の中で咬み殺す。さすがにこれ以上ローガンの前で私語を続ける度胸はなかった。

「少し時間が余ったな。チーム構成について話し合いたまえ」

 それだけ言って、ローガンは教卓の椅子に腰掛ける。

 腕を組み、瞼を伏せた教師の姿におずおずと数人の生徒が席を移動し始めた。

「どうするよ、おまえ」

「俺、いまいち魔力量に自信が無くてさ。使い魔一人は確保したい」

「だったら使い魔科三人誘うかぁ」

「試験って攻撃魔法とか調合薬とか必要なのか?」

「飛行一本で通せるほど甘かねえだろ」

「一芸で押すのもありだとは思うよ」

「ニール先生の時みたいなので来られたら、魔女四人は居なきゃ厳しいだろ。戦闘を視野に入れつつ、細々とした下準備が必要って感じだな」

 教室の中で、思い思いの友人たちと語らい、協議する魔女たち。その姿を見上げながら、ペネロペは内心「あれ?」と首を傾げた。冷や汗とまでは言わないが、薄く汗ばむような焦りに襲われる。

 ペネロペは慌てて、ベアトリーチェとヴィルヘルムへと視線を向けた。

 二人は達観した様子で教室内を見据えていた。腕を組み、目線は一点を見つめたままだ。青と灰色のそれが諦めにも似た色を滲ませるのを見て、ペネロペは思わず席を立つ。

「ダニエル!」

「ああ、ペネロペ。どうしたの?」

 ペネロペの高い声に、ダニエルは振り返る。今日も人好きのする笑顔を浮かべた褐色肌の少年は、不思議そうに首を傾げて見せた。

「あのね、学年末試験なんだけど、よかったら私と組んでくれない?」

「俺のチームメイトにちょっかいかけるのはやめてもらいたいね」

 聞き慣れた、イヤミな声が響く。ペネロペが振り向いた先で、ギャレットが勝ち誇ったように笑っていた。

「チームメイト?」

「グリーンは俺たちと組むんだよ。俺と、オカマと、グリーン。残りは使い魔科から引っ張ってくる」

「まあ、力のバランスがいいのよね」

 ギャレットの隣で、メアリー・アンが彼の脇腹を肘で打って言った。

「この男は飛行技術クソだけど、防御魔法はピカイチだし。使い魔を一人つければ問題ないわ。攻撃面はダニエルにカバーしてもらって、私は全体の統率をとる。まぁ、あとは試験内容次第だけれど」

「攻撃面?」

 ペネロペはおのれの耳を疑った。メアリー・アンの話が真実ならば、ダニエルは攻撃魔法が得意ということになる。

「なんとかね」いつだかの『攻撃魔法と防御魔法』の実技試験終わりのダニエル・グリーンの言葉をペネロペは思い出していた。

「ダニエルはどうだった?」そう尋ねたペネロペに、ダニエルは「なんとかね」と困ったように微笑んだはずなのである。いやあ、参った。ギリギリだったよ、くらいの声色で。

「クルス、グリーンはそういうヤツだぜ」

 唖然とするペネロペにギャレットは続ける。

「めちゃくちゃ勉強して挑んだ試験でも「全然勉強してない」って言うし、A判定で合格した試験も「いまいちだった」って言うタイプだ。こいつにとってS判定以外は全部『イマイチ』なわけ」

「私の人生ぜんぶイマイチなんだけど!」

「そんなんじゃないったら」

 そう手を振りつつも、ダニエルは具体的な否定はしない。

「ま、そういうことだから。他当たれよ」

 ギャレットに言われてペネロペは教室をぐるりと見渡す。クラスメイトたちはそれぞれ、仲の良い者同士や、魔力の相性が良い者同士で集まっている。ペネロペの方を見る者は一人として居なかった。目を逸らしているわけではない。

 これが入学当時であったなら、生徒はみんなしてペネロペを避けただろう。そうではなく、純粋にペネロペはあぶれてしまっているのである。

 ペネロペは小さく息をつき、大人しく席に戻った。

 ベアトリーチェとヴィルヘルムは、ペネロペが席を立つ前と同じポーズと表情のままそこに居た。

「おい、そこの三馬鹿」

 ペネロペは初め、ローガンの言うそれが誰のことかわからなかった。自分が馬鹿と言われることは珍しくもなんともないが、まさか天下のベアトリーチェ・アンバーとその従者、ヴィルヘルム・スコットが、という思いがあったのである。

「ペネロペ・クルス。ベアトリーチェ・アンバー。ヴィルヘルム・スコット」

 ご丁寧にフルネームまで呼ばれてしまえば逃れる道はない。ペネロペは声の主へと目をやった。同じく、驚いたように二人のおとこ魔女も教卓へと目を向ける。

 ローガン・F・スタンリーが、すごむような、憐れむような、形容しがたい表情を浮かべて三人の魔女たちを見つめていた。

「おまえたち。おまえたちは──、」

「はい」

「ペネロペ・クルスは実技だけだが……それでも、飛行学は文句なしの首席だ」

「ありがとうございます」

「褒めてない。アンバー、スコット」

「なんでしょう?」

「きみたちは、座学も実技もすべての教科で上位三位に入る実力者だろう」

「ありがとうございます」

「褒めてない。それが三人余るって、相当ヤバいぞ」

「ヤバい」

 珍しく砕けた物言いをするローガンの言葉をペネロペは復唱した。

 ぽかんとする少女をよそに、ひとりの教師と二人のあぶれた生徒は苦虫でも噛み潰したような顔をしている。

「裏で東寮の三馬鹿魔女って呼ばれてるのを知っているか、おまえたち」

「東寮の三馬鹿魔女……」

「上手くやりたまえ。健闘を祈る」

 スタンリー先生に「頑張れ」って言われるほどなのか──。

 東寮の三馬鹿魔女は、それぞれぎゅっと唇を噛み締めた。



「異種族間交流会しましょうよ、バックランド君」

「気色わりィんだよオカマ」

 ベアトリーチェ・アンバーの言葉にそう吐き捨て、アダム・バックランドは荒っぽく足を組み直した。

 東寮の談話室、普段は魔女科の生徒で賑わうそこで、アダムは気おくれすることなくカウチの肘掛けに身体を預けた。ペネロペはといえばベアトリーチェの隣に腰掛け、内心ハラハラしながら二人の少年を見つめている。

「誰がオカマだ」

「元オカマ」

「丁寧な罵倒をやめろ」

「なんで俺がおまえらと組まなきゃいけないわけ?」

 今年のヴェルミーナ魔女学院一年生の学年末試験は、魔女科と使い魔科の合同試験である。もちろん使い魔科のアダムも、使い魔科の教師から試験内容を聞かされていた。しかし、納得がいかない。なぜ自分と幼馴染みの愛の巣に、この二人を加えなければいけないのか。

 二つ並んだプラチナブロンドとブルネットのモップ──アダムにはペネロペ以外の魔女などモップ同然である──を、アダムは睨みつけた。

「少しはマシになったかと思っていましたが、何も変わっていませんね、野良猫」

「おまえもな。ノッポ眼鏡」

「私が大きいのではなくあなたが小さいのでは? キティ」

「ああ?」

 入学時から少しも変わらず険悪なままのアダムとヴィルヘルムに、ペネロペは頭を抱えた。こんな調子で学年末試験をクリア出来るとは到底思えない。チーム申請すらままならない可能性もある。

「落ち着けよヴィルヘルム」従者をなだめ、ベアトリーチェが口を開く。

「きみもだよ、バックランド。冷静になって考えろ。どうやったって五人一組でチームを作らなきゃいけないんだ。ぼくらと組んだ方が合理的だろ」

「どうだか。べつに魔女科はおまえらだけじゃない」

「ペネロペと組みたがる稀有な魔女が果たしてぼくら以外に居るかどうか」

「急にこっちに飛び火させないで」

 そんなペネロペの悲痛の叫びは無視された。

 アダムの肩に頬を寄せ、ベアトリーチェは低くなった声で囁くように言う。

「ペネロペはぼくらほど自由な身じゃない」

「なんの話だ」

「ぼくはもうペネロペの『アレ』を知っているし、彼は驚くほどペネロペに興味がない」そう言ってベアトリーチェはちらとヴィルヘルムを窺った。

 ベアトリーチェの言葉通り、少年はペネロペに見向きもしない。主人からの視線を受け、すべてあなたの思いのままに、と言いたげに肩をすくめるだけだ。

「魔女科のメンバーはぼくらがベストの人選だと思わないかい? 残りはきみが使い魔科から選ぶのが賢明だとぼくは思うよ。あまりカンの良いのを近くに寄せ付けるとまずいだろ。長い時間行動を共にして、魔力補助を頼むことになるんだから」

「……そうか。いや、でも」

「もう少し頭を使えよ。きみ、ペネロペが絡むと知能が著しく低下するのが玉に瑕だね」

「うるさい」

 フー、とアダムが細く息を吐く。猫が威嚇でもするように。それにヴィルヘルムは小さく首を傾げた。どうやら声は聞こえていなかったらしい。

「わかった」不本意そうにアダムは言う。「俺がもう一人を引っ張ってくる」

 表情は決して納得しているようには見えなかったが、メンバー登録だけはなんとか出来そうだとペネロペはほっと胸を撫で下ろした。

「ありがとう、アダム! 頑張りましょうね!」

「どんな奴がいい? エキノコックスは嫌とかある?」

「エキノコックスって?」

「すべてきみに一任するよ、バックランド君。ただ、欲を言うならテクニック型よりパワー型がいいとは思うね」

 そう言ってゆるく手を組み、ベアトリーチェは続けた。

「これでもぼくら三人、魔力の波長を合わせることに関してはトップクラスだ。技術面はこちらでカバーするから、何よりも第一条件を優先してくれ」

 暗に『ペネロペがおんな魔女であることに勘付きにくい者を選べ』と言われ、アダムは顔をしかめた。

 そんな二人のやりとりもつゆ知らず、当のペネロペは呑気に笑っている。ソファーに腰掛け、ぶらぶらと足を揺らすペネロペを、ヴィルヘルムが「足を切り落としますよ」と脅した。

「──わかった」

 もう一度、アダムが言う。

「心当たりのあるヤツが一人だけ居る」

「それは嬉しい知らせだね」

「ただし、どんなことになっても文句は言うなよ」

 そうしてアダムが連れて来たのが、犬憑き、蜂須賀はちすか桔梗ききょうだったのだ。

「こんにちは! これはどうも魔女科の皆さん、お揃いで!」

 談話室での会議の翌日、さっそくテスト飛行だけでもしてみようとグラウンドに集まった魔女たちを迎えたのは、疲れ切った様子の黒猫と、白く大きな犬だった。

「僕、蜂須賀・桔梗っていいます! あ、きみたちの風習でいえば桔梗・蜂須賀って名乗る方が正しいのかな!?」

 そう言って名乗りを上げた少年。

 白い肌、白い髪に、青い瞳。筋肉質で大きな身体。

 ペネロペはその少年に見覚えがあった。自分がギャレットと殴り合いの喧嘩をした際、加勢しようと息巻いていた幼馴染みを引き止めていてくれた使い魔だ。

冬季休暇明けにソフィーとともに歩いていた記憶も鮮明である。

 そう、確か『同じ釜の飯を食う』ということわざのある村の出身だと言っていた少年。どうやら名付け方も風習が違うらしい、と、ペネロペは弾けるカタバミのように喋り続ける大男を見上げた。

「ハチスカの方がファミリーネームなんだ! まあなんでもいいんだけどさ! キキョウでもハチスカでも、キキでもハチでも、なんとでも呼んで! 呼ばれたらすぐ行くよ!」

「帰っていいですか」

 アダムと同じく無表情になったヴィルヘルムが踵を返そうとする。

 それを太い腕で引き止め、桔梗は「ヴィルヘルム君!」と嬉しげに声を上げた。

「久しぶりだね! 一年もあったのに、結局きみとは一回しか一緒に飛ばなかったよね!」

「出来れば一回きりのままでいたかったです」

「ええと、きみはベアトリーチェ君だね!」

「よろしく」

「こちらこそ! それから、お噂はかねがねだよペネロペ君!」

「えっ」

 桔梗は無遠慮にペネロペの手を掴み、ブンブンと縦に何度も振る。

「てめえ! 犬っころ!」叫ぶアダムを無視し、心から嬉しそうに笑う少年につられてペネロペも笑った。そういう魅力が桔梗にはあった。

「僕ね、アダム君と同室なんだ! 入学からずっと!」

「ああ、噂の犬っころ君ね!」

「アダム君、僕の話してくれてたの!? 嬉しいなあ! アダム君は部屋でずっときみの話をしているよ!」

「うるさい馬鹿犬! 余計なことを言うな!」

 アダムが頬を真っ赤にして叫ぶ。

 アダムったらこんなに大きな声が出るのね。ペネロペは呑気にそんなことを思い、ベアトリーチェは遠くを見つめ、ヴィルヘルムは痛む眉間を揉んでいる。

「どうぞよしなに! 僕、頑張るよ!」

 学年末試験まであと半月。青い空に、桔梗の無邪気な声が響き渡った。








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