第30話 闇の足音
「今年は随分と変わった毛色のがおるの」
ルイス魔女学校から派遣されたおんな魔女の言葉に、ソフィーは唇をつぐんだ。
明け方、白んでいく窓の外の空をクイン・ビー・カーライルはソフィーの部屋から見上げていた。昨晩、ドラゴン討伐へと赴いた部屋の主はすでに落ち着きを取り戻している。
「変わった毛色──と、おっしゃいますと?」
「よせ、ソフィー。誰も見とらんじゃろう。尻が落ち着かんわ」
「その言葉をカーライルおば様が聞いたら、それこそ尻を叩かれるわよ」
ふ、とソフィーは鼻で笑う。長い足を組み直し、カップを傾ける姿にクインも笑った。
年下の幼馴染みが襟を緩めるのを見て、クインはヴェールへと手をかける。黒い幕を取り払った先で白い肌が輝いた。二十年近く姿の変わらぬ幼馴染みへと、ソフィーは口を開く。
「で、なんだったかしら?」
「七色の髪とは珍奇なものじゃ」
「ああ、あの子。今年の一年生よ」
「ほう?」
「さして特筆すべき点もないような子よ。前期の成績は中の下ってとこかしらね」
平静を装いつつソフィーは答える。しかし、己が無意識にカップに手を伸ばそうとしていることに気づき、その手で髪を撫で付けた。
向かいの椅子に腰掛けるおんな魔女は、目を細めてそれを見つめる。
すべてを見透かすような金色の瞳。その居心地が悪さに、ソフィーはもう一度足を組み直す。
ああ、嫌だ。出来れば隠しておきたかったのに。
七色の髪をもつ西の村の魔女を思い、男は気合いを入れ直す。ここでこの女に気取られるのが一番まずいのである。
「あの子の何が気になるの?」
「はて、そうじゃのう」
「なによ」
「言うなれば、女の勘じゃな」
「あんたの『女の』がアテになるのかって話よ」
「それをおまえに言われるのも癪じゃのう」
戯けた様子で顎を撫でる女に、ソフィーは心の内でガッツポーズを決めた。
よし、いい感じに興味を失ってきているぞ──。
「随分と、良い魔力をしておったのでな」
そう、クインは小さな声で言った。金色の瞳が、窓の外を見下ろす。
「大ばあ様にそっくりじゃ」
「それは、あの子にもコレットおばあ様にも失礼じゃないかしら」
「そうじゃの。わしもどうかしておるな」
よもや、そんなはずは。独り言のように言ったきり、クインは口を閉ざす。
その美しい横顔をソフィーは見つめた。まだ同じ屋敷で学ぶことを許されていた頃から変わらない、柔らかな薔薇色の頬。丸みを帯びた顎先。幼い少女の瞳が戸惑いに揺れているのを見て、ソフィーは己の心配事が頭から抜け落ちるのを感じた。
「あんた、若い男に目ェ付けてないでいい加減見合いでもなんでもしなさいよ」
ソフィーの言いざまにクインは一瞬驚いたように目を見張り、吹き出す。
「そうじゃの。そろそろ考えんとな」
「なァにがそろそろよ。あんた、サバトの後ろ盾がなきゃ今の自分は無いってこと分かってるの?」
「今頃、七人くらいは娘がおったじゃろうなぁ」
「ほんとよ。親不孝者」
「それをおまえに言われるのは癪じゃのう」
「あたしはいいのよ。女相手じゃ使いモノにならないんだから」
「わしの耳にも入っておるぞ、ソフィー。随分と女たちから恨まれておるみたいじゃの」
「……誰が、そんなことを?」
「嫉妬は女を狂わせる。遊ぶなら遊ぶで、もうちと利口にやらんとのう。ソフィー?」
「……ご忠告痛み入りますわ、カーライル様」
「情報はわしで止めた。頭を使えよ、モーガン家の
「ありがとうクイン姉さん! 大好き!」
王にでもするように、深々とこうべを垂れる男にクインは笑った。「それにしても」ひとしきり笑い終え、声色を変えたおんな魔女にソフィーは顔を上げる。
「ドラゴンが、二匹とは」
「ええ」
「一匹は、件のか」
「ええ。しかし、二匹ともなると」
「やっかいじゃのう……、どうしたものか」
幼い顔を歪め、クインは唸る。
「怪我人が出なかったことだけが救いじゃな」
「ええ。幸い、あたしたちが出た時にはすでにうちの教師の一人が始末を」
「噂のおとこ魔女。スタンリー、といったか。さすがじゃな」
「東に向かって、逃げたそうよ」
ソフィーの声が部屋に響く。空気を切り取るような凛としたそれに、クインは「なに?」と目を向けた。
「東に逃げたとな?」
「ええ。間違いないと」
「入学式典の報告も聞いたぞ」
「ええ。不甲斐ないことで」
「ソフィー、まさか、おまえ」
息を呑む幼馴染みへと、ソフィーは「ええ」ともう一度うなずいた。
「東の魔女の力が増してる。真の目覚めが近いと考えて、よろしいかと」
昇りかけた朝日が濁る。クインはそんな錯覚にとらわれ、椅子の背もたれへと身体を預けた。魂が抜け落ちたように呆然とするおんな魔女を見据え、ソフィーは細く息を吐く。
「さて、日の出ね。馬車の準備は出来てるわ。生徒を待たせないで、カーライル先生」
「……のう、ソフィー」
「なによ」
「やはり、わしらは滅びる定めの種族なのか」
クインが顔を上げる。縋るようなその視線に、ソフィー・モーガンは何も言えなかった。
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