第29話 ひかりあれ
「お願い、校舎やお庭に残っているみんなを集めて! スタンリー先生からの指示を伝えるの!」
ペネロペは、普段ならば絶対に選択しない乱暴な方法で精霊たちを叩き起こし、そう命令した。魔力を消費した少女の髪が闇色に染まっていく。アダムと行動を共にしていたことは幸運だった、とペネロペは思った。
優秀な使い魔の魔力補助がなければ、実技試験を終えたばかりの夜に呪文魔法以外を使うことなど出来なかっただろう。
「どうして、ドラゴンが」そう、ディアナが震える声で呟く。
「ええ。さっき、アダムが絶滅したって」
「絶滅したわけじゃない。エルフがみんな連れて行ってしまったの」
「随分と昔の話ですね」
エルフは魔女がこの世界で繁栄を始めた頃、入れ替わるようにして立ち去ったと言われる種族だ。首を傾げるペネロペに、ディアナは「ええそうよ」とうなずく。
「ドラゴンは、何千年も前にこの世界から姿を消したはず。それがなぜ、今になって二匹も……」
ディアナは青い顔で爪を噛んだ。その震える肩へとペネロペは自分の上着をかけてやった。
「ありがとう」素直に礼を言うおんな魔女にペネロペは微笑む。
「おい、クルス! さっきのなんだ! 俺にでもわかるぜ、薔薇の木の精ブチギレてただろ!」
「ギャレット!」
両腕にウサギやネコを抱えたギャレットが、講堂へと繋がる廊下に走り込んで来る。くすんだ金髪は汗で湿り気を帯びていた。
「情けねえなお前ら!」抱えられた動物たちは使い魔科の生徒らしく、アダムが怒号を上げる。
「ギャレット、学院の上空にドラゴンが出た!」
「ああ、見たぜ! とんでもねぇな!」
「そっちはスタンリー先生が対処してくれてる! でも、校舎に鱗でも当たられちゃたまんないわ! 全員を講堂に集めたら、先輩たちにも手を借りて防御壁を張りましょう!」
「寮は東西とも俺が張って来た! 北棟は諦めろ!」
「すごいわギャレット、さすが防御魔法術主席ね!」
「そこまでするなら北寮にも結界張って来いよ役立たず!」
「うるせえ野良猫! 北棟はこいつら探すので手一杯だったんだよ!」
「おまえら自力で逃げるとかなんとかなかったのか!?」
再度響いたアダムの糾弾に、ギャレットに抱えられた使い魔たちが首をすくめる。「だって、なんか、すごかったんだもん」
どうやら動物的第六感はドラゴン相手にも働くらしい、とペネロペはひとりうなずく。
講堂内はすでに多くの生徒たちで満たされていた。
未だ膝が震えて立てずにいるディアナに、ペネロペは手を貸してやる。大きな黒猫から降り立ったおんな魔女へと、彼女の友人らしき魔女たちが駆け寄った。
「ディアナ、大丈夫?」
「ちょっとあんたたち! どういうつもりでっ」
「やめて」
おとこ魔女へと詰め寄る友人たちをディアナが制する。
「やめて。彼らは私を助けてくれたのよ。恥ずかしいことしないで」
「……ふん。ここの警戒態勢が稚拙だったからこんなことになってるのよ」
「ごめんなさいね。助けてくれたのに、こんな」
そう、申し訳なさそうにディアナは眉を下げる。
そんな少女にペネロペは慌てて手を振り、アダムは大きなあくびを浮かべた。ギャレットは小さく肩をすくめて見せる。
気さくなおとこ魔女たちの態度に、ディアナは可笑しそうに笑った。
「ほんと、おとこ魔女って変なひとばかり」
ディアナの言葉に同じように笑い、ペネロペは「さて」と振り返る。耳をすませるも、外界の音は聞こえなかった。
ドラゴンはどうなったのか。スタンリー先生は。本館にも結界魔法を施さなければ。やるべきことはたくさんある、と息巻く少女の前を、燃え盛る赤毛が遮った。
「お手柄よ、王子様たち。でもここまで。あとはあたしたちに任せて」
「ソフィー先生」
いつもの馬鞭を片手に、ソフィー・モーガンが歩み出る。珍しく薬匙ではない杖を手にしたシンイーや、箒を携えたニールがそれに続いた。
「先生、生徒たちをお願いします」ソフィーの言葉に、いつもより更に長いローブを引きずるドリトルが静かに頷く。
「待て、モーガン」
広間に響いた幼い声。少しばかり舌ったらずなそれに、おとこ魔女たちは振り返った。
「ミス・クイン」戸惑うルイス魔女学校の生徒たちもよそに、そのおんな魔女はソフィーのもとへと歩み寄る。目だけで視線を向けてくる男へと、ルイス魔女学校の女教師、クイン・ビー・カーライルは言った。
「ドラゴンとは、また。厄介じゃな」
「ええ。申し訳ありません」
「わしが行こう」
「何をおっしゃっているのか、分かりかねますわ」
ペネロペは初めてソフィーが誰かを嘲る姿を見た。唇のはしを意地悪く歪め、美しいその男は、ヴェール姿のその少女を小馬鹿にしたように嗤う。
「戦うのは我々の仕事です。そう決めたのはあなた方でしょう」
「ソフィー、わしらはそんな風におまえたちを──、」
「失礼。同僚が待っていますので」
行くわよ。そう、短く声をかけてソフィーは再び講堂の出口へと向かう。
その背に続くニールの顔からは表情が抜け落ちていた。いつも愛想良く笑っている男が殺気をはらませる姿はひどく恐ろしい。
そうして、その後ろに続く痩身。シン・シンイーが苦々しげに呟く。
「飛べもしないくせに、あの男……」
シンイーの言う「あの男」が誰なのか。ペネロペにはそれがすぐにわかった。
「この学院にも、まったく飛べないお馬鹿さんは居るのよ」飛行学の初授業、にこやかに言ったソフィー・モーガンの言葉を少女は思い出した。──あれは、スタンリー先生のことだったんだ。
どうか、どうか、みんな無事でいて。
切に願うペネロペの肩に、大きな黒猫が乾いた鼻をこすりつけた。
「あのひと、エリオット・スタンリーじゃなかったわね」
戸惑う魔女たちでざわつく講堂にて。ペネロペの隣に腰掛けたディアナが、穏やかな声で言った。
驚いて振り返るペネロペに、ディアナは片眉を上げて見せる。すっかり平静を取り戻し、確信を得ているその姿にペネロペは「すみません」と声を絞り出した。
「決してあなたを騙そうとしたわけじゃ……、ごめんなさい」
「これであなたがくだらない男だったら、カエルにでも変えてやるところだけど。いいわ、許してあげる。あなたは良い男だもの」
そう、ディアナはわざとらしいほどに胸を張って言った。その姿にペネロペは笑う。
「なによ」まんざらでもない様子でディアナは続けた。
「誰だったの、あれ。随分とよく出来た変身魔法ね、初めはちっとも気づかなかったわ」
「いえ、変身魔法ではなくて。エリオさんの双子の弟なんです」
「双子だったの、あのひと」
「はい」
「案外知らないものね。嗅ぎまわったつもりだったけど」
「恋をすると嗅ぎまわりたくなるものですか?」
「ひとを発情期の犬みたいに言うのはお止め」
でも、そうね──。窓の外を見つめるディアナは言う。
緩んだその紫の瞳を、ペネロペは美しいと思った。誰かに恋をし、ひたに想う瞳。
「相手を知りたいと思うことを、ひとは恋と呼ぶのかもしれないわね」
「知りたいと、思うこと」
分かり合えなくても、分かりたいと思う。言葉を尽くしたいと思う。知りたいと思う。その強い衝動ならば知っていると、ペネロペは思った。
「まあでも、知れば知るほど嫌になることもあるし」
「そういうものですか?」
「そういうものよ。やっぱり、エリオット・J・スタンリーはガサツ過ぎるし、その弟は奥手過ぎる。紳士なのは良いことだけど、女の気持ちをなにひとつ分かっちゃいないわ。手も握ろうとしないんだから」
「はあ、それはどうもうちの先生が、すみません」
「この学院で一番の良い男は、あなたかもしれないわね」
「あなた、名前は?」ディアナにそう尋ねられ、ペネロペは初めて自分が自己紹介すらしていなかったことに気がついた。慌てて居ずまいを正し、先輩魔女へと向き直る。
「ペネロペ。ペネロペ・クルスです、ディアナ先輩」
「ペネロペ・クルス。良い名前ね、覚えておくわ」
そんな言葉とともに、ディアナは右手をペネロペへと突き出した。
それにはて、とペネロペは首を傾げ、そうして慌てて手のひらで受ける。確かソフィー先生はこんな風にしていたはず……、記憶を頼りに手の甲に口づけようとしたペネロペの頬をディアナが打った。
ぱん、と小気味良い音が講堂のフロアに響く。
「痛い!」
「何をするのよ」
「先輩それ私のセリフです!」
「友人の手の甲に口付ける馬鹿がどこに居るっていうの?」
「ん」再び差し出された白い手。どこか照れ臭そうなディアナの表情を見て、ペネロペは胸の中が熱いもので満たされるのを感じた。
つんとする鼻もそのままに、ディアナの手を握る。
「女の手を握るのは初めて? 手汗がすごいわよ」
ディアナがからかうように笑う。ペネロペは鼻をすすりながらうなずいた。
「ここにはおとこ魔女しか居ませんからっ……、女の子の友達なんて、私、もう、とっくに諦めてっ、ぅ、うう」
「そりゃそうでしょうよ。あなた、穴という穴から体液が出てるわよ」
「ずみばぜん、うう」
泣きじゃくるヴェルミーナ魔女学院の魔女をディアナは哀れに思った。年頃の男にとって、女が居ない生活というのはそれほどまでにつらいものか──。
そんな二人の少女を、アダムは冷めた目をして見つめている。
「私が気楽な女だったらデートのひとつでもしてあげるところだけど、ごめんなさいね。私も未来のある身だから」
「ええ。どうか、旦那さまとお幸せに」
「ありがとう。私ね、相手のこと好きになろうと思うのよ。べつに好きな相手でもないし、私から結婚したいって思ったわけじゃないけど、でも、探せばきっと何か好きになれるところが見つかると思うのよね」
「はい」
「その方が幸せに近づけると思わない?」
「はい。そう思います」
どうか、あなたの未来に幸せな光が満ちていますように。ペネロペの言葉に、ディアナは「ありがとう」と、春風のように微笑んだ。
──ヴェルミーナ魔女学院の、夜が明ける。
狂騒を極めた夜中のことなどなかったかのように、朝日は素知らぬ顔で東の空から顔を出す。ルイス魔女学校の魔女たちはその中へと消えていった。
次々に飛び立つ馬車を、ヴェルミーナ魔女学院の生徒たちは見送った。深い夜の色に染まっていたペネロペの髪が、七色の輝きを取り戻す。
「何はともあれ、みんな無事でよかった」
疲れ切った様子でベアトリーチェは言った。生徒たちはスチュアート教頭から、ローガンを始めとした教師陣が全員無事だという知らせを受けたばかりであった。
「ええ」とペネロペはうなずく。隣でアダムが鼻から細く息を吐いて同意を示した。
「でも、なんだか嫌な空気だね」
ベアトリーチェが低く唸る。
「ぼくたちの入学式の日から、奇妙なことが続いてる」
「入学式の日から?」
「あの日も大カラスが敷地内に侵入したろ。基本的に、ヴェルミーナ魔女学院は『見るべき者』にしか見えず、『入るべき者』しか入れないはずなんだよ」
「なのに、カラスも、ドラゴンも、入って来られた……」
「招かれざる客を、こっそり入れてる奴が居るのかもしれないね」
胸騒ぎがするんだ。友人の言葉に、ペネロペはぎゅっと手を握り締めた。
ああ、そうだ。忘れてはならない。自分が何者なのか、それを知らせようとしてはくれない実の母の存在も。──いいや、とペネロペは顔を上げた。
ペネロペはこの学院に来てからずっと、魔女界はおんな魔女のためにあるのだと思っていた。おとこ魔女たちが不遇な扱いを受けるのは、おんな魔女が生きやすいように、この世界が作られているからに違いないと、そう思っていた。
しかし、それは違った。生活を制限され、結婚相手どころか、恋人の一人も自由につくることを許されないおんな魔女の存在を、少女は知った。
だったら、この世界は誰のためにあるのだろうか。だれも幸せになれないこの世界に、意味などあるのだろうか。ペネロペは唇を噛む。そうして、思った。
きっと母は、すべてを知っていて、その上で自分をこの学院に送り出したのだと。厳しい監視体制のもとで生きるおんな魔女には出来ないこと──おとこ魔女、ペネロペ・クルスにしか出来ないことが、きっとある。そのためなら、私は──。
「ビーチェ」
「なんだい」
「私、おとこ魔女として、ここを卒業してみせるわ」
突き刺すような新しい朝の光が、少女を拒み、その瞳を焼くような。そんな、朝のことだった。
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