第28話 恋する魔女
ペネロペとアダムは困り果てていた。
ディアナ・スミス嬢の想いびと、エリオット・J・スタンリーを探し始めて数十分。見つかったのは彼の靴とシャツ、それからトレードマークのベストだけだったのである。
「ここまでくると逆にスラックスだけ穿いてるのが面白くなって来ちゃうわね」
「いや、スラックスは最初に脱ぎ捨ててる可能性が高い」
地面に散らばった服を見つめ、アダムは神妙に呟く。
さて困ったことになったとペネロペは頬に手を当てた。
「どうしよう。早くしないとディアナ先輩がミス・クインに殺されちゃう」
「誰だって?」
とにかくだ、とアダムは拾い上げた服を掲げる。
「これをそのディアナ先輩ってひとに見せよう」
「先輩はエリオさんの服が見たいんじゃなくて、エリオさんに会いたいのよ」
「ちょっといいなと思ってた男が、未成年の女子生徒が溢れてる校内を全裸で走り回ってるんだぞ。千年の恋だって冷めるだろ。結果オーライだ」
「まだわからないじゃないの。とりあえず、お洋服ここに引っ掛けときましょ」
ペネロペは近くの木の枝へとエリオットの服を引っ掛け、再び思案する。
「今晩中にエリオさんが戻って来てくれればいいんだけど。交流会を逃したら、先輩がエリオさんに会う機会なんてなかなか無いわ」
「何をやっている」
突然、背後から聞こえた低い声。暗闇から這い上がってくるようなそれにペネロペは勢いよく振り返る。
少女の予想通り、そこにはエリオット・J・スタンリーの弟、ローガン・F・スタンリーが立っていた。今日も眉間にしわを刻む男は、顔をしかめて西の村の二人を睨みつけている。
「学校行事もまともに出られないのか」
「そんなの俺たちの自由じゃないですか」
「女学生はまだしも、きみは顔を売っておくべきだと思うがね」
「俺は卒業したらペネロペと一緒に村に帰りますから、必要ないです」
「居た!」
「おい、その幼馴染みがまた発作を起こしてるぞ」
そう、心底不快そうな顔で唸る男。今まさに探していた男と同じ造形のそれをペネロペは指差した。
「エリオさん!」
「あれと私を同じにするな」
「年に一回しか会ってないのなら、きっとバレやしないわ! ねぇアダム、そう思わない?」
「おい、バックランド。きみの幼馴染み、耳は不自由じゃないはずだな?」
「前に誰かに同じこと聞かれたな。誰だっけ」
重いため息をつき、踵を返そうとするローガンのシャツをペネロペは掴む。
「待ってくださいスタンリー先生! ご相談が!」
「授業時間外だ」
「エリオさんが居ないんです!」
「なんだと?」
「こちらをご覧ください」
仰々しい仕草でアダムは木にぶら下がった事務員の抜け殻を指した。
抜け殻の弟は一瞬目を細め、それがなんなのか理解するや眉間の溝を深くする。
「あいつは全裸で何をやってるんだ」
「全裸とは限りませんよ先生、スラックスは見当たりませんし。それであの、そういうことなのでエリオさんに変装してディアナ先輩とデートして貰えませんか?」
「どういうことで誰が何だって?」
女生徒の話の飛躍のしように、自分は数分間立ったまま気絶していたのかもしれないとローガンは思った。静かに混乱する教師をよそに、当の本人は熱く語り出す。
「先輩、卒業したら結婚することになっているそうなんです。だから、今年が最後の交流会だから、どうしても会って話したいって」
「バックランド、通訳を」
「ルイス魔女学校のディアナ・スミスはあんたの兄貴に気があるんだよ」
「それで?」
「それで、どうにか最後に会っておきたいから探してくれってペネロペに頼んだらしい。でも、あんたの兄貴はこの通り抜け殻になっちまって見当たらない」
「なるほど。それで同じ顔の俺に影武者をやれというわけか」
おれ、とペネロペは口の中で呟いた。月光を背に赤い瞳を細める男を見上げる。
「スタンリー先生、お願いします」
「断る」
ローガンは短く言い放ち、今度こそ踵を返した。
「どうして!?」
「なぜ私が「どうして」と言われなければいけない」
「女の子が困ってるんですよ! 先生にしか出来ないんです!」
「変身魔法でも使いたまえ。お得意だろう」
「相手はルイス魔女学校のおんな魔女です。絶対すぐバレるわ!」
「そもそもだ、替え玉などしてその生徒に失礼だとは思わないのか。おまえは本当に他人を馬鹿にして、」
「馬鹿になんかしていませんっ!」
ペネロペは思わずそう叫んでいた。ぴたりと男の動きが止まる。
「馬鹿になんか、してないと、思います」今度は弱々しく言った少女に、ローガンはため息をついた。
「だって、ディアナ先輩、卒業したら結婚するんですよ。好きなひと以外と、結婚するんです」
「おんな魔女ならその覚悟はあるはずだ。西の村で生まれたきみとは感覚が違う」
「でも。女の子なら、好きなひととって、思わないわけがないわ……」
そう、少女はうつむいたままに言う。
何度目になるかも知れないため息をついて、ローガンは口を開いた。
「それで、エリオのふりをして会って? 何かが変わるか? そのまま駆け落ちでもしろと?」
「いえ、それはさすがに。スタンリー先生にそこまで取り繕う能力はないと思いますし」
「…………」
「何も変わらないけど。何も残らないわけではないわ」
思い出は、記憶は、きっと残る。ペネロペはおのれを見下ろす赤い双眸を見据えた。
「小さな幸せでも、その記憶ひとつで、強くなれることだってきっとあります」
ペネロペの言葉にローガンは何も言わなかった。
ただ黙って、今日一番の大きなため息をつき、前髪を掻きむしる。苛立ちが最高潮を迎えたのだろう、顔を伏せて何やら呻く男の姿を見て、アダムは幼馴染みの腕を引いた。
「ペネロペ、行こう」
「でも」
「スタンリー先生の言う通りだ。会うともっとつらくなるかも。会わない方がいいってのも一理あるよ」
「でも」
『会えない』のと『会わない』のは全然違うのに。恨めしく思いながら、それでもペネロペは諦めの念を抱く。ディアナ先輩には、正直に「エリオさんは居なかった」と言おう。その上で、彼女の望みをもう一度聞こう。
そう、ペネロペがアダムについて足を踏み出した時だ。
「女学生、その服を寄越せ」
「はい?」
「僕の能力がどの程度かは見て確かめるといいさ、ペネロペ」
額に青筋を浮かばせ、それでも爽やかに微笑んでネクタイを地面に投げ捨てた男に、ペネロペとアダムは声にならない悲鳴を上げた。
「無理無理無理無理!」
「怖い怖い怖い怖い!」
「おまえらがやれと言ったんだろう!」
茶色のベストを纏い、黒い髪をくしゃくしゃにさせた男と連れ立って歩きながら、ペネロペとアダムは鳥肌の浮かんだ腕を擦る。そんな三人へと向け、ヴェルミーナ魔女学院の生徒たちは次々に軽い声をかけた。
「なにやってるんだおまえら」
「相変わらず楽しそうっすね」
「エリオット! また中庭に鳩出てる!」
それはまさに、誰もがその男をエリオット・J・スタンリーだと思っていることの証明であった。最恐の教師と名高いローガン・F・スタンリーに気軽に声をかける生徒など、この学院には居ないのである。
ペネロペは隣を歩く男をひっそりと見上げた。
くしゃくしゃの黒髪に、赤い瞳。エリオットより少しだけ華奢なその男は、ノーネクタイの首元をしきりに気にしているようだった。風通しのいい首筋に違和感があるらしい。
「あの筋肉バカめ」
オーバーサイズゆえに浮いてしまうベストを整えながら、ローガンは吐き捨てた。
「女学生」
「はいっ」
「相手の情報を」
「え、はい。ええと、お名前はディアナ・スミスさん。ルイス魔女学校の三年生で、卒業後の結婚が決まっておられます」
「それは聞いた。エリオットとの接点は?」
「さあ?」
「話したことはあるのか」
「聞いてないです」
「……さすがに面識はあるんだろうな?」
「それも聞いてないです」
瞬間、ローガンはペネロペの胸ぐらを掴んだ。
「てめえ!」慌ててアダムが男に食ってかかる。
「おい、女学生。おまえは、おまえは本当にっ……、」
「はい」
「本当に……、悲しくなるほど、頭が弱い……」
「そんなに悲しまないでください。私も悲しくなっちゃう……」
「テメエ! ペネロペを離せ暴力教師!」
ペネロペを下ろし、ローガンは乱れたベストを伸ばす。
そうして、まあいい、と低く呟いて中庭へと足を踏み出した。
「やると言った以上、やれるだけのことはやる。だが期待はするなよ」
「いいえ。期待しています」
ペネロペは言い切る。振り向いたローガンは薄く息を吐き、中庭で佇む小さな影へと向かって歩き出した。
「善処しよう」短いながら、柔らかな音を響かせた男の声にペネロペは思わず腹を押さえる。
「ペネロペ、俺たちはこの辺りから見て……、ペネロペ?」
「……おなかが」
「腹? 痛いの?」
「なんか、今、ギュって」
「まだ何も食べてないんだろ? あとで講堂へ行こう。チーズの噴水があったよ」
「ソフィー先生が、男の人は女の子を全員チーズ好きだと思い込んでるって言ってたわ」
息を殺しつつ、ペネロペとアダムは背の低い木々の影へと身を潜めた。ちょうど、二人が膝立ちになると目線が葉から出る。
はらはらと心臓を跳ねさせる生徒をよそに、ローガンはゆったりとした足取りでベンチに腰掛けるディアナへと近づいた。ぼんやりとどこかを見つめていたディアナが、ぱっと顔を上げる。その表情を見てペネロペは、無理やりにでもローガンを連れてきてよかったと心から思った。
ディアナはひどく幸せそうに微笑んだのである。
ペネロペに向けていたものとはまるで違う、チーズがとろけるようなそれにペネロペは胸が震えるのを感じるとともに、感心すらしたのだった。恋は、気高きおんな魔女をも、ただの女の子にしてしまう。
「どうする、ペネロペ。なに話してるか聞こうか?」
未だ頭の上を陣取る大きな獣の耳を揺らしながら、アダムが言う。ペネロペは薄く微笑んで首を振った。
「いいわ。スタンリー先生を信じましょう」
「了解。俺もそれでいいと思う」
ペネロペとアダムはそっと、ベンチに並ぶふたつの影を眺めた。
二人は時折唇を開き、言葉を交わす。しかし、その視線が交わることはなかった。
ローガン扮するエリオットは庭を眺め、ディアナは握りしめた己の拳を見つめている。白い手の中で、スカートがくしゃくしゃに寄れていた。
恋とはどういうものかしら。ふいに、ペネロペはその答えがわかった気がした。
焦がれていたはずなのに、視線一つ向けられない。それでも隣に居るだけで満たされる。きっと、恋とはそういうものなのだろう。
うつむくおんな魔女の色づいた頬を、ペネロペはただぼんやりと見つめた。
「ペネロペ」
無意識に草むらの葉を握りしめていたペネロペの手に、あたたかな手が重なる。
熱を持ったそれはいっそ熱いくらいで、少女は驚いて顔を上げた。
「ペネロペ」もう一度、アダムは幼馴染みの名を呼ぶ。掠れたその声に、ペネロペは胸の奥が小さく音を立てるのを聞いた。
「ここを卒業したら、どうするの」
「ここを卒業したあと?」
ペネロペは首をかしげる。そんな少女にアダムは詰め寄った。
切なげに輝く金色の瞳が熱に潤んでいる。互いの鼻先がぶつかりそうな距離で見つめたそれを、ペネロペはどんな宝石よりも美しいと思った。
「俺たち、西の村に帰るんだよね」
「もちろんそのつもりよ」
「約束が欲しいんだ」
「約束?」
ペネロペの手を握りしめた手に、アダムは唇を寄せる。
「約束して」祈るように少年は言い、再び視線を上げる。金色の瞳に真っ直ぐに見つめられ、ペネロペはくらりとめまいにも似た感覚を覚えた。
「俺と一緒に村に帰るって、約束して」
「どうしちゃったの、アダム。今更ホームシック?」
「村じゃなくてもいい。きみと居られるならどこでもいんだ。だから、俺とずっと一緒に居るって約束してくれ」
「もちろんよ。私たち、ずっと一緒だったでしょう?」
そう言って瞳を緩ませる少女に、少年は首を振った。
「アダム?」明らかに様子のおかしい幼馴染みへと、ペネロペが触れたその時だ。ペネロペの視界がぐるりと反転する。
背中には冷たい草の感触。爽やかな青臭さが鼻腔をくすぐる。
輝く星を背に覆いかぶさってくる幼馴染みがあまりにつらそうな顔をするものだから、ペネロペまで悲しくなった。熱を持った頬に触れれば、そのまま握りしめられる。
「アダム?」
「ペネロペ、俺は」
「うん」
「俺は、きみのことを、ずっと」
血でも吐くように顔をしかめる少年。その耳元でキラリと何かが光ったのを見て、ペネロペは初め、幼馴染みが涙をこぼしたのだと思った。
しかし、続いて弾けた青い光に、ちがう、と首を振る。
ぱちぱち、何度も弾ける光。青く、赤く、輝いて。時折、終わりがけの花火のように散らばる何か。
「……アダム、見て」
「俺はずっときみしか見て来なかったよ」
「アダム。なに、あれ。あれは、なに?」
おのれに覆いかぶさる幼馴染みの肩を押し、ペネロペは身体を起こした。その視線の先へと目を向けたアダムが「嘘だろ」と呟く。魔女より優れた視力をもつ、使い魔の少年が目を見開くのを見て、ペネロペは確信を抱く。
「私、ドラゴンなんて初めて見た」
月に照らされた空を飛んでいたのはドラゴンであった。それも、一匹ではない。
二匹の龍は絡み合い、激しくぶつかり合う。剥がれた鱗が月光を反射して、キラキラと輝いていた。
「ドラゴンは、大昔に絶滅したはずじゃ……」
視線を空に向けたまま、アダムは呆然と言う。
そうして、「まずい」と顔をしかめた。
「ペネロペ、逃げろ! 落ちるぞ!」
「えっ」
二人が草むらから逃げ出す暇もなかった。
絡み合うドラゴンはヴェルミーナ魔女学院の上空ギリギリまで落下する。白く美しい龍が鱗を撒き散らしながら飛び、それをもう一匹が追う。黒く禍々しい二本の角をもつその龍は損傷が激しく、えぐれた肉から血を滴らせていた。吹き抜けた突風とともに、校舎の白い壁に鮮血が飛び散る。
顔に付着した生臭い血をぬぐい、ペネロペは再び上空へ飛び去った二匹の龍を見上げた。
「あの子たち、怪我してる」
「ペネロペ、いいから! 講堂にっ」
「ペネロペ・クルス!」
聞き慣れた怒号にペネロペは振り返る。
ディアナを抱えたローガンが、二人へと向かってくるところであった。男は腰を抜かしたルイス魔女学校の女子生徒をアダムへと押し付ける。
「バックランド、ディアナ嬢を講堂へ。ペネロペ・クルス、きみは学院全体に避難勧告を出せ。方法は問わない、全生徒を講堂に集めろ」
「はい! 先生は!?」
「俺はもう一度結界魔法を張り直す。講堂は二重に、」
「講堂の結界は私とギャレットでやります! だから、どうかあの子たちを助けて! 二匹ともひどい怪我をしてる!」
「……頼もしいな、落第コンビ」
ふ、と薄くローガンは笑う。そうして、厳しく光る赤い瞳でアダムとペネロペを見据えた。
「心意気は買うが、己を過信するな。三年生に手を借りるんだ。いいな」
「はい」
「総員に伝えたまえ。いいか、ルイス魔女学校の生徒には傷ひとつ負わせるな、おまえたちの命にかえてもだ。ヴェルミーナ魔女学院の底意地を見せろよ、野郎ども」
「はい!」
震えるばかりのおんな魔女を抱え、二人は駆け出した。
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