第27話 ディアナ・スミスの恋



 曰く、ディアナ・スミスは恋をしているらしい。

「このままじゃ終われないのよ」

 本館横の植木にペネロペを連れ込んだのは、ルイス魔女学校の三年生だった。

 ディアナ・スミスと名乗ったそのおんな魔女は、無理やりにペネロペの手を握って握手のかたちを取らせた。そうして、まるでカタバミの種が弾け飛ぶような勢いで語り出したのである。

「私、一年の頃からずっと気になってるおとこ魔女が居るの。あ、もちろん生徒じゃないわよ。あんなガツガツした男たちに興味はないの」

「ガツガツ」

「ええ、私もガツガツ行っちゃってもいいとは思っていたのよね。私ったらこれでもスミス家の長女だし、この顔とプロポーションじゃない? 迫ったところで迷惑がられるわけないっていう自信はあった。でも、いくら女が強い時代だからって、古今東西、男は恥じらう女が好きなものよ。はすっぱだと思われるのは私の意図するところではないわ」

「誰のことを言って、」

「せっかちね、最後まで聞きなさいよ。これだから男ってイヤ。ここに事務員って何人くらい居るかわかる? 私が一年生の頃からずっと居る男よ。顔は地味だけど悪くないし、背もそれなりって感じね。目の色はたぶんブラウンかもう少し明るいくらいで、ボサボサの黒髪をしてる」

「エリオさん?」

 ペネロペの言葉で、やっとカタバミの種攻撃が止まった。ディアナは澄んだアメジストをくるりと光らせる。

「そう。そんな名前だった気がする」

「エリオさんに会いたいのなら、たぶん守衛室に居ると思います」

「居ないからあなたを捕まえたんじゃない。少しくらい頭を使いなさいよ。馬鹿な男は嫌われるわよ」

「はあ、あの、すみません」

 ペネロペの脳内では未だカタバミの種がクラクラと回っている。現状を理解出来ないままに、少女は恋する暴走列車と化したおんな魔女へと問うた。

「エリオさんのことがお好きなんですか?」

「気になってるだけ。おとこ魔女にしちゃ悪くないってだけよ。勘違いしないで」

「はあ、なるほど。会ってどうするの?」

 ペネロペの問いに、ディアナはグッと歯を食いしばる。

 揺れる、自分と同じ色の瞳。ペネロペが「あの」と声をかけるよりも先に魔女は口を開いた。

「私、学校を卒業したら結婚するの」

「それは、おめでとうございます」

「ありがとう」

「結婚するって、エリオさんとって話?」

「さすがの私もそこまで猪突猛進じゃないわよ」

 猪突猛進の自覚はあるらしい、と思ってからペネロペは「え?」とディアナを見つめた。

「じゃあだれと?」

「言ったでしょ、私はスミス家の長女なの。好きな相手と結婚出来るなんてハナから思ってない。だから、あの事務員と最後に会っておきたいのよ」

 腐るでもなく、諦めるでもなく、魔女は言った。

 静かな目であった。それが当然であり、最善であることを疑わない目。

 西の村では当然であったことが、ここでは当然ではない。自分にとっての当たり前が、他のひとを傷つけることもある。だから、言葉を選ばなければいけない。

 ペネロペ・クルスは恋を知らない。それでも、好いたひと以外と結婚することがとても悲しいことだということは苦しくなるほどにわかった。

「ディアナさん」

「ディアナ様とお呼び。もしくは先輩よ」

「ディアナ先輩、言いましょう。エリオさんに」

「なにをよ」

「好きだって伝えるんです」

 ペネロペの言葉に、初めてディアナが動揺を見せた。

「……だから、私はべつに」

「言いましょう。ね?」

 詰め寄るペネロペをディアナは怪訝そうに見つめる。

 そうして、姉妹校のおとこ魔女の熱気に当てられたように息を吐いた。

「あなたがそこまで言うのなら、考えてあげてもいいわ」

「よし! じゃあさっそく探して来ます! 先輩は中庭で待っていてください!」

「早くしてね。ミス・クインにバレたら殺される」

「ミス・クイン?」

「あなたのとこの先生と最初に挨拶してたうちの先生よ」

 なるほど、あの女の子は先生だったのか。そんなことを思いながらペネロペは連れ込まれていた植木から這い出し、しかしふと思い立って振り返る。

「あの、先輩」

「なに。早く行きなさいよ」

「先輩はどうして私を選んだんですか?」

 ヴェルミーナ魔女学院の生徒なら他にもたくさん居るはずである。おのれの選ばれた理由がペネロペには分からなかった。自分があまり優秀なタイプには見えないことを、少女は自覚している。

「ああ、そんなこと」

 くだらない、とでも言わんばかりの様子でディアナは言った。

「ほかの子たちよりいやらしい感じがしなかったから」

「……なるほど」

 その言葉には納得せざるをえないと、ペネロペは深く頷いた。



「それでこんなことになってるのか」

 幼馴染みから事の経緯を聞いた黒猫は、そう、呆れ果てて言った。

 空高く昇り始めた月の下、ペネロペはアダムを見つけることに成功した。

 少年は黒猫の姿で東棟のはずれを歩いていた。クラスメイトたちに引きずり回され、やっと彼らをまいたところであったと少年は幼馴染みに言い訳でもするように言い、ひとの姿へと戻る。

 衣服の変性魔法は完璧であったが、獣の耳が生えたままであった。毛皮と同じ闇色のそれが、ぴこぴこと忙しなく動いている。

「その耳、すごくかわいい」

「それはどうも。で、なんだっけ。事務員探すんだっけか」

「うん、そう。ディアナ先輩を送るついでに中庭を見に行ったんだけど、そこには居なかったの」

「守衛室……に居たらこんなとこまで探しに来ないよな。講堂は?」

「ダニエルたちが出てくるときに聞いたけど、中には居なかったって」

「どこに居るんだよ、あいつ。こんな日に」

「こんな日だからこそパトロールでもしてるんじゃないかしら」

 ヴェルミーナ魔女学院の事務員、エリオット・J・スタンリーの仕事は多岐にわたる。

 学校事務に始まり、放課後や授業中の校内パトロール、手が足りない時などは寮に赴くことも珍しくはなく、庭師の真似事までしている。

 今日もいつものパトロールだろうと、ペネロペとアダムは校内を歩き回っていた。

「エリオさんの魔力の匂いってわかる?」

「あー、あいつな。あんまり魔力の匂いがしないんだよね」

「え?」

 ペネロペは思わず足を止めた。

「入学式の日、いやなにおいがするって言ってたじゃない」

「ああ、あれね。あれは魔力っていうか──、」

 思い当たるふしがある様子でアダムは笑う。しかし、突然ぴたりと言葉を止めた。

 ペネロペは幼馴染みが目を見開いて見つめる先へと目をやった。そこには大きな靴がふたつ、ごろんと転がっていた。明るい茶色の革靴である。そして、その先には見覚えのあるチェックのベスト。さらには白いシャツが続いていた。

 それは明らかに、エリオット・J・スタンリーの抜け殻であった。

「服脱いで何やってんだあいつ……、はしゃぎすぎだろ……」

 虫けらでも見下すような幼馴染みの目つきに、ペネロペは「なるほど、軽蔑とはこういうことを言うんだな」と、ひとりごちた。







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