第26話 攻撃魔法と北の魔女



 青い空の下を、箒に跨った魔女が飛んでいる。一つにまとめた七色の髪が風に舞う。

 ふ、と振幅を増した魔力の波長に魔女は箒の穂を足で打った。それを合図に、箒がスピードを上げる。しかし、突然、目の前に突出した土の壁に彼女たちは阻まれた。

 それが壁ではなく、土で出来た巨大な人形だということに少女が気づいたのは、人形の太い腕が振り下ろされた瞬間だった。

「アントスフィオーレ!」

 パチン、と指を弾き、ペネロペは呪文を唱えた。

 途端、それまでそそり立っていた土の人形が崩れ去る。血を含んだような不気味な土のかたまりは、色とりどりの花びらへと変わった。

「ヴェントゥス」続いてペネロペがそう唱え、巻き上がった風に花びらが攫われる。

 少女は目を凝らす。そうして、今まさに土に潜らんとする小さな影を捉えるや、地面に向かって迷いなく飛んだ。地上まであとすこし。あわや衝突という位置でペネロペはシルビアから飛び降り、柄を握りしめたままそれを空へと向けた。

 ペネロペの細い身体が一瞬遠心力にぐらつき、ブーツが土を踏みしめる。

「フラム!」

 瞬間、箒の穂が真紅の炎をたたえて燃え盛る。ギャラリーから「おおっ」と歓声が上がった。

 燃える箒でペネロペは目標を打ち上げた。クロッケーでもするように。

 打ち上げられたのは蠢く魔力のかたまりであった。禍々しく渦を巻く魔力は再び土を纏わんと地面を割り、土や岩を引き寄せる。その地響きに怯むことなく、ペネロペはもう一度花の呪文を暗唱した。

 しかし、ペネロペの魔法は軽く跳ね除けられてしまう。

 やはりさっきの土人形は見せかけだったかとペネロペは瞬時に判断し、呪文で地上一面を凍らせた。再び土を纏われ、先ほどのような巨大な傀儡を作られてはキリがないのだ。

 ベアトリーチェ・アンバー仕込みの氷魔法を前に、魔力の渦は戸惑うように揺らめいた

「シルビア!」

「いいわ、やっておしまい!」

 振り上げた箒をペネロペは渦に向かって振り下ろす。

 ゴッ、と中で硬いものが潰れる感覚にペネロペは唇を緩ませた。そのまま氷のリンクにめり込んだそれを今度はブーツで蹴り上げ、空に浮いたそれをもう一度箒で叩きつける。「むごい」ギャラリーの誰かが呟いた。

 何度目になるかもわからない打撃で、ついに魔力の渦は消え去った。排水口に詰まった何かが流れるような、不快な悲鳴を上げて渦は萎み、自然の中へと溶けていく。ころん、とそこに残された木のかたまりをペネロペは拾い上げた。

 荒く削られたそれはチェスの駒であった。ポーンだ。自らが散々打ちのめしたせいでヒビの入ったそれを、ペネロペは『攻撃魔法と防御魔法』の担当教師、ニール・ナダへと手渡す。

「先生、終了しました」

「それでええんかペネロペ・クルス!」

「自覚はあります!」

 花が咲き乱れる、春。水色の空が広がるグラウンドで絶叫したニールに、ペネロペは「他に方法がなくて」と神妙にうなずいた。

 本日執り行われている『攻撃魔法と防御魔法』の実技試験、その合格方法は授業名と同じく単純明快であった。

『スタンリー教諭の用意した傀儡を、呪文を使用し戦闘不能にすること』

 実にわかりやすく、野蛮で、ヴェルミーナ魔女学院のおとこ魔女たちに御誂え向きの試験である。

 進級するために必要不可欠なその単位を取得するため、ペネロペはあの手この手で攻撃魔法の習得に奔走した。魔力トレーニングはもちろん、読書にも励み、知識も身につけた。攻撃魔法を得意とする教師たちに補習を頼み、クラスメイトたちにも相談した。

 しかし、ついぞペネロペが攻撃魔法をものにすることはなかった。

 火を熾すことは出来る。雷を落とすことも、風を吹かせることも、今のペネロペにとっては朝飯前であった。

 しかし、どうしてもそれらを攻撃魔法として使用することが出来ない。標的へ向けて呪文の詠唱をすると、その瞬間、先ほどまで従順であった精霊たちが四散してしまうのだ。

 そうしてペネロペは、ひとつの結論に行き着いた。

「私、どうにも攻撃魔法が使えないみたいなので、今後も攻撃は物理で行おうと思います」

「あー、最初のダミーにやったあれは? 花に変えるっちゅうんは、なかなかおもろい発想やと思うけど」

「ええ。花や動物や石に変えること可能です。ただ、所詮は子供だましという感じでして。おおもとの強力な魔力には弾かれてしまって」

「で、行き着いたんが」

「物理で殴り倒そうかと」

「成績どうやってつけたらいいん、撲殺て。なんなん、きみ?」

 萎んだポーンを見下ろし、ニールは唸る。

「ペネロペ・クルスです」

 清々しい気持ちでペネロペは額の汗を拭った。

「ちょっと、そろそろいいんじゃないかしら?」不満げにボヤくシルビアの穂の火を消してやり、ペネロペはクラスメイトたちの元へと戻る。

 どん、と後ろからやってきたクラスメイトに背中を叩かれ、小さな魔女はよろめいた。

「相変わらずヒョロヒョロしてやがんな、クルス。見てたよ」

「やったなペネロペ! 文句なしで攻撃魔法だったぜ!」

「半泣きのおまえに相談された時はどうなる事かと思ったけど、さすが追い込まれたときの食らいつき方が違うな。崖っぷち野郎め」

 口々に祝いの言葉をかけてくるクラスメイトにペネロペは肩をすくめて笑う。

「どうかな。良い評価は望めなさそう」

「進級しちゃえばS評価もD評価も同じだよ」

 お疲れさま。そう言ってダニエル・グリーンはタオルを差し出す。

「ありがとう、ダニエル」ペネロペは礼を言い、受け取ったそれで汗を拭った。

「ダニエルももう終わったの?」

「うん、なんとかね。今はヴィルヘルムが第二グラウンドを火の海にしてる」

「なにか嫌なことでもあったのかしらね。ビーチェは?」

「二秒で終わったわよ」

 通りすがりのメアリー・アンが奥歯を噛み締めながら言う。

「氷の針でめった刺し。スタンリー先生の傀儡も、まさか春先につららで蜂の巣にされるだなんて思ってなかったでしょうに」

 うっすらと微笑みすら浮かべる少年は、こめかみに血管を浮かせている。その形相にペネロペとダニエルは愛想笑いを返すことしか出来なかった。

 その後、ギャレットは防壁魔法の応用で傀儡を挟み割り、メアリー・アンは鬱憤を晴らすかのように落雷で駒を跡形もなく焦がし尽くした。

 生徒たちの工夫を凝らした攻撃方法にニールは舌を巻いた。「今年は粒ぞろいやてソフィーさんから聞いとったけど、こら今後が楽しみやわ」

 それは暗黙の「全員合格」のお達しであった。

「ほなったら、みんな、今日はご苦労さん。これで今晩の交流会も心置きなく楽しめるな」

 ニールの言葉に生徒たちは一斉に返事を返す。飛行学に勝るとも劣らない、軍隊式であった。その異様な雰囲気にペネロペはついていけず、隣に立つヴィルヘルムの背中を掴む。

「やめてもらえますか」

「ヴィル、私はあなたのことを信じているわ」

「何をおっしゃっているのかわかりかねますが」

「ヴィルヘルムは女の子なんか好きじゃないわよね?」

 そう、真剣にのたまうクラスメイトの言葉にヴィルヘルムは口を引き結ぶ。

 初めて動揺らしい動揺を見せた少年にペネロペは目を瞬かせた。「ヴィルヘルム?」首を傾げるクラスメイトの腕をやんわりと払い、少年は中指で眼鏡のブリッジを押し上げる。

「勘違いなさっているようなので、言っておきますが」

「うん」

「私は、ベアトリーチェのことをそういう風に見ているわけではありません」

「そういう風にって?」

「あなたは男が好きなんですか」

 カパ、と口を開けたままペネロペは固まった。

 ペネロペとて、ヴィルヘルムの言う「好き」がどういう意味なのかわからないほど鈍感ではない。鈍い音を立てて回る少女の記憶の湖岸に、次の記憶が打ち上げられる。

「ポーズだけでも、女性に興味があるっていうふうに見せておいた方がいい」エリオットのその声を思い出した瞬間、ペネロペは叫んでいた。

「ものすごく好きよ! あっ、あの、女の子がって意味ね! 好きよ、女の子! 女の子ならもうなんでもいいってくらいに!」

「最低です」

「へい、ペネロペ・クルス。気持ちは分からんでもないけど、あんま大きい声で言わへん方がええで。ソフィーさんマジでこの時期気ィ立っとるからな」

 攻撃魔法と防御魔法の教師に咎められ、ペネロペはうなずく。そうして、ふと感じた、刺すような視線のもとへと目をやった。

 どろりとした目でこちらを見つめるベアトリーチェ・アンバーがそこには居た。「浮気者」とでも言いたげな、氷の瞳である。

「……どないせえちゅうねん」

 いつの間にかうつってしまった訛りで、ペネロペはため息とともに呟いた。



 大きな月が東の空に浮かぶ頃、北の魔女の娘たちは空飛ぶ馬車に乗ってやって来た。

 しかし、客車を引いているのは馬ではない。

 銀色の翼を輝かせるペガサスに、禍々しい角をぬらりと光らせる一角獣。更には田舎育ちのペネロペが見たこともないような恐ろしく大きな動物──ベアトリーチェがペネロペに「ゾウ」だと教えてくれた──や、数百匹のネズミが繋がれたものもある。

 子豚に、ガチョウに、アライグマ。

 思いのほか雑多な顔ぶれに、ペネロペはおのれの緊張の糸が少しだけ緩むのを感じた。

「そう緊張することはないよ」

 ペネロペの隣に立ち、次々と降りたつおんな魔女たちの馬車を見つめながらベアトリーチェは言った。

「サバト指定のエリート校とは言え、全員がサバトに入るわけじゃない」

「そうなのね」

「ただ、厄介な連中も居るには居る。ぼくのそばを離れないで」

 そう言ってペネロペへと視線をやり、薄くはにかむベアトリーチェはドレス姿である。

 冬季休暇中に女装をやめたアンバー家の次男。数ヶ月ぶりのドレスアップは、成長した身体にも、変声期を終えた低い声にも不釣り合いであった。

 それでも、整った顔立ちと輝く銀髪には白を基調としたドレスがよく映えた。

「そのドレス、とっても素敵よビーチェ。よく似合ってる」

 うっとりとしたまま言ってから、ペネロペは慌てて口を塞ぐ。

 男に生まれ、それをコンプレックスにしながら女装を続けてきた少年。そんな少年の心を、今の言葉は傷つけたのではなかろうかと少女はうつむく。

「ごめんなさい、私っ」

「厄介な連中対策だよ。実家に報告されても面倒だし」

「そうよね。それなのに私ったら、能天気に」

「その鷹揚さはきみの美徳だ。ぼくも救われてる」

 それに、と少年はスカートの端をつまみ、振って見せる。月光を浴びたドレスがきらきらと白く輝いた。

「似合ってしまうものは仕方がないわよね。わたし、この美貌だもの」

「…………」

「なにか言えよ。恥ずかしい」

「だってほんとにその通りだから」

「当然です」

 ベアトリーチェを挟み、ペネロペと反対隣に立つヴィルヘルムが言う。こちらも白を基調とした礼服を身につけている。無論、ドレスではない。

 絵本に出てくる王子のようなその式服は、ベアトリーチェと揃いのデザインだった。

「ヴィルヘルムも素敵ね。王子様みたいよ」

「それはどうも」

「大丈夫だよペネロペ、照れてるだけだ」

「ふ。ご冗談を、ベアトリーチェ」

「ほらね。ぼくに反抗するくらいには照れてる」

 ベアトリーチェは唇のはしを持ち上げて笑う。

「照れてません」もう一度そう言って、ヴィルヘルムは中指で眼鏡のブリッジを押し上げた。これが彼の、心をニュートラルに保ちたいときのクセだということを、ペネロペはなんとなく感じている。

「そういうあなたは、馬子にも衣装という言葉そのもので」

 心のリセットに成功したらしいヴィルヘルムが言う。

 ペネロペも彼らと同じく、交流会のための礼服へと着替えていた。もちろん、西の村の生まれであるペネロペは礼服など持っていない。ましてや男性用の礼服などもってのほかである。

 授業終わり、交流会のダンスパーティーの服装について話すクラスメイトを前にペネロペは途方に暮れた。勝負服と言えば、母親手製のイワシセーターくらいしか思い浮かばなかったのである。

「どうしよう。もう春だっていうのにセーターはちょっと」

「そういう問題じゃないと思いますけど」

 困り果てていたペネロペにヴィルヘルムはそう冷たく言い放っただけであったが、ベアトリーチェは違った。ペネロペに自分用の礼服を譲ってくれたのである。それも、魔法でサイズ調整までして。

「男が女性に服を贈る意味を知っている?」

 二人きりの部屋でいたずらっぽく微笑むベアトリーチェにペネロペは首を振った。「だろうね」更におかしそうに笑った少年に手伝ってもらい、ペネロペはやっと、出迎えのために本館前に出ることが出来たのだった。

 ヴェルミーナ魔女学院の正門にずらりと並んだ馬車。

 そのドアが開き、最初に出て来たのは小さな少女であった。

 襟の詰まった黒のドレスに、同じ色のヴェール。肌と言えば口元が軽く覗く程度である。年齢も背の高さも、ペネロペよりずいぶん下に思われた。

 生徒じゃないのかもしれない、とペネロペは少女を見つめる。ルイス魔女学校は、ヴェルミーナ魔女学院と同じく十五歳から十八歳の生徒が集う魔女育成学校のはずだ。

 小さな女の子を皮切りに、馬車のドアが一斉に開く。そこからぬっと飛び出した細い足に、ヴェルミーナ魔女学院の生徒たちは息を詰めた。

 黒い影が次々と馬車から降りてくる。

 ルイス魔女学校の生徒たちは制服姿であった。黒のワンピースタイプの制服である。

 上からケープやマントを羽織っている者も居れば、短いスカートから白い足を覗かせている者も居る。実に多種多様な様相であった。

 ルイス魔女学校は、制服を着崩すことに関しては寛大らしい──。ペネロペは、ネクタイを結んでいないだけで反省文を強いる自校の教師を思い浮かべた。エリート校と言えど、校則はルーズなのかもしれない。

 ただ、全員が全員、揃いの大きな帽子をかぶっているのが目を引いた。

 ワンピースと同じ、闇夜に溶け込むような漆黒の帽子。大きなつばは少女たちの小さな顔を隠さんばかりで、クラウン部分は天に向かって山のごとくそそり立っている。中には山の先が折れている生徒も見受けられたが、それは経年劣化によるもので、その生徒は三年生だろうとペネロペは思った。

「すごい」無意識のうちにペネロペは呟いていた。

「魔女のトンガリ帽子、教科書以外で見たのは初めてよ」

「化石になった文化だからね」

 ベアトリーチェがそう、低く唸る。珍しくひどく渋い顔をしていた。

「伝統を重んじるのはいいことだけど、あれはさすがにな」

「あー……、おくゆかしすぎる?」

「猛烈にダサい」

「ルイス魔女学校の生徒は、卒業式であの帽子に火をつけて飛ばすらしいですよ」

「正しい判断だ」

 ペネロペとベアトリーチェ、それからヴィルヘルムが言葉を交わすのと同じように、本館前に並ぶヴェルミーナ魔女学院の生徒たちもざわめいている。

 しかしそれは、ペネロペたちの会話とは全く違うもののようであった。

「左から三番目、どう?」

「この距離じゃ顔なんて分からないって」

「俺、断然あの背の高い子だわ」

「おまえ足しか見てねぇだろ、サイテー」

 下卑た笑みを滲ませる生徒たちの声に、ペネロペは胸のうちがもやもやするのを感じた。それは苛立ちのようであり、胸焼けのような気持ちの悪さでもあった。

「こういう空気があまり好きになれない」

 吐き捨てるように言うベアトリーチェに、ヴィルヘルムが「ええ」とうなずく。

「心から軽蔑します」

「まあ、ぼくは理解はしてるつもりだけどね。こんな抑圧された環境じゃ無理もない」

「おっしゃる通りで」

「ヴィルヘルム、ぼくが言うのもなんだけど、おまえ手のひら返しすぎて手首どうにかなってないかい?」

 けいべつ。ふざけ始めた二人をよそに、ペネロペは頭のすみにその言葉をメモした。

 ヴェルミーナ魔女学院を代表し、ソフィー・モーガンがルイス魔女学校の来客たちへと歩み寄る。男が足を踏み出すたびに、長い赤毛がぴんと伸びた背で揺れた。月の光を跳ね返し、炎の糸はきらきらと輝く。ルイス魔女学校の制服に合わせたかのような闇色のドレスは一見地味なようであり、しかし同じ色の緻密な刺繍が施されている。

 学院と家の名に恥じない貫禄を滲ませる男を、ベアトリーチェは苦々しい気持ちで見つめた。同じ女系として、あれと同じものを求められでもしたらたまらない。

 そんな少年の思いなどつゆ知らず、ソフィーはヴェール姿の少女の手の甲に小さく唇を寄せた。

「ようこそ、ルイスの娘たち。ヴェルミーナの名の下に、歓迎致します」

 ペネロペの視界の端で、小さな男が杖の切っ先を空へと向けるのが見えた。ドリトル先生だ、と少女が思うよりも先に、夜空に向かって光の束が打ち上がる。

 ヒュルヒュルと奇妙な高音を響かせた光は、魔女たちの頭上で大きな音を立てて弾けた。

 闇に咲く大輪の光の花に、ペネロペは声を上げる。

「素敵……! 私、花火って初めてよ!」

「ふ。そうでしょうね。あなたのような田舎者には馴染みのないものでしょう」

「ペネロペ、きみの誕生日にあれより大きなものを打ち上げるよ」

「ベアトリーチェ、あなたが手を煩わせるまでもない。私がやります」

「おまえそれはどういう心境なの?」

 次々と弾ける花火をペネロペは夢中で見つめた。

 それゆえに、気がつかなかった。黒いワンピースを纏ったトンガリ帽子の影が、すぐそばまで近づいて来ていることに。

「久しいわね、ベアトリーチェ・アンバー」

 火花の轟音にも負けず、凛と響いた高い声。それにペネロペは視線を向ける。

 ルイス魔女学校の制服を纏った美しい少女が、そこに立っていた。

 細い首元を覆うケープと、そこから覗く腰。コルセットで締め付けられたその異様な細さにペネロペは驚いた。長いスカートは足首までをも覆い隠し、つま先が見え隠れする。

 大きなつばを白い指先でつまみ上げ、少女はベアトリーチェを見据えていた。

 黒い服に負けぬ見事なブルネットが揺れる。ベアトリーチェと同じアイスブルーの瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。

 ズキリと、ペネロペの耳のうしろが強く痛む。久々の感覚にペネロペは思わず顔をしかめ、痛むそこへと手をやった。痛みはすでに引きかけている。

「ご無沙汰しております、ジゼル」

 ベアトリーチェが軽くスカートをつまんで会釈をする。

 一歩後ろに下がったヴィルヘルムが跪いて頭を下げるのを見て、ペネロペはギョッとした。それに動揺するでもなく、ジゼルと呼ばれた少女は「ヴィルヘルムも変わりはない?」と抑揚のない声で問う。

「勿体ないお言葉です、ジゼル様」

「相変わらず面白みに欠けるわね、スコット家の男は。それに比べてあなたは……、随分と、変わったみたい」

「ええ。見苦しい姿を晒すこと、どうかお許しを」

「あなたともあろう魔女がらしくないわね」

 ジゼルの言葉に、ベアトリーチェは眉尻を下げて笑った。

 太さの増した首や腕、厚みのある肩。ドレスを纏うには不自然極まりない姿とはいえ、それがベアトリーチェ・アンバー自身が望んだ姿であることを知るペネロペは、カッと鼻の奥が熱くなるのを感じた。

「そんな言い方っ」

 食ってかかろうと足を踏み出したペネロペを、ベアトリーチェが後ろ手で押し戻す。

 そのままヴィルヘルムに腕を掴まれ、もう一方の手で後頭部を押さえつけられたペネロペは、無理やりに視線を地面へと向けさせられた。

「ヴィルっ」声を上げようと口を開いた瞬間、腕を捻り上げられる。

 ペネロペの手首をいとも容易く握り込む少年が「申し訳ありません」と低い声で言った。

「礼儀も知らぬ田舎者でして」

「ほんと、らしくないわね。友人の趣味も変わったの?」

「まさか。友人などでは」

 久々に聞いたベアトリーチェの嘲るような声にペネロペは泣きたくなった。

「いいじゃない、何事も経験よ。あなた、名前は?」

「私はっ、西の村の──、」

「あなたに聞かせるほどの名前ではありません」

 名乗ることすら許されないのか。歩み出たベアトリーチェに遮られ、ペネロペは諦めて口をつぐんだ。そんな魔女を見下ろし、美しい少女は「そう」と短く答える。すでにペネロペから興味を失った様子であった。

「ではまたあとで」

「ええ。また」

 ジゼルは地に膝をつくペネロペとヴィルヘルムを一瞥ともせずに立ち去った。

 その足音が遠く離れていくのを聞き、従者は「ふー」と息を吐く。そうして、投げ捨てるようにペネロペの身体を解放した。

「身分を弁えたらどうですか」

「身分って?」

「彼女はジゼル・マッキントッシュ。覚えておくといい」

 じくじくと痛む手首をさするペネロペにベアトリーチェは言った。視線は未だ、そこにはない細い背中を見つめているようであった。

「名門マッキントッシュ家随一の魔力を持つと言われている。おそらく今後のサバトを率いていくのは彼女だ。厄介な連中の代表さ」

「厄介な連中の、代表」

 ペネロペはベアトリーチェの言葉をたどる。厄介な連中の代表。その言葉と、自分とそう年齢も変わらぬ華奢な少女の姿が結びつかない。

 首をひねるばかりの友人を、ベアトリーチェは笑った。

「それにしてもきみ、相変わらず喧嘩っ早いな。バックランドを笑っていられないよ」

「だってあんな言い方ひどいわ」

「その件に関してだけは同意します」

 ヴィルヘルムが眼鏡のブリッジをいじりながら言う。

「よくもアンバー家の嫡子を相手にあんな物言いを」

「ヴィルヘルム、おまえもだ。あまり熱くなるな」

「ですが」

「いつかは全部清算するよ。時間はかかってもね」

 とにかく、と。一瞬だけ落とした影を振り払い、少年は微笑む。

「サバト関係の就職でも狙っていない限り、彼女には関わらないことだ。ぼくは形式上の礼儀だけ済ませて来るから、ペネロペ、きみはそれまでヴィルヘルムとどこかで──、」

「私がお叱りを受けます」

 アンバー家お抱えの従者は表情も変えずにぴしゃりと言い切った。それに一瞬だけ目を細め、ベアトリーチェは再び口を開く。

「今更だろ。四六時中一緒に居るわけじゃない」

「ジゼル様はいいとして、ほかのお嬢様方を上手くあしらう算段がおありですか」

「うまくやるさ」

「私はそこの不作法者とうまくやれる気がしません。二人きりで置いていくとおっしゃるのなら、どうか私を殺してから行ってください」

「なにもそこまで」ペネロペとベアトリーチェの声が揃う。

 ヴィルヘルムが頑なにベアトリーチェから離れようとしない理由。ペネロペにはそれがわかる気がした。

 先ほどのおんな魔女の態度や、ベアトリーチェ本人から聞いた話で、彼自身の立場があまり良くないことは知っている。そんな主人へと向けられる言葉や視線のナイフから、ヴィルヘルムは主人を守りたいと思っているのだろう。

「私は平気よビーチェ。アダムを探してご飯でも食べてるわ」

「本当に大丈夫?」

 心配そうに問う少年に、ペネロペはもう一度うなずいた。

「今日は竃の精霊が年に一度のご馳走を作るって聞いたもの。楽しみだったの」

「その方がいいでしょうね」

 自分の都合を忘れた様子でヴィルヘルムは言う。

「あなた、普段からきちんと食べていますか」

「ええ。どうして?」

「さっきは腕の細さに驚きましたよ。お節介でしょうが、もう少し鍛えた方がいい」

 まるで女みたいでしたよ、と小馬鹿にしたようにヴィルヘルムは片方の口角を上げた。その笑顔の歪さを指摘することがペネロペには出来なかった。

 あからさまなほど動揺する少女を残し、ベアトリーチェは従者を連れて講堂へと向かう。協力者のファインプレイにペネロペはホッと息をついた。

 辺りにはすでに生徒たちの姿はまばらである。ペネロペたちが話し込んでいる間に講堂に移動したらしい。

 ヴェルミーナ魔女学院とルイス魔女学校の交流会は毎年、ヴェルミーナ魔女学院の講堂で行われるのが通例だった。そこで食事をし、広いフロアでダンスを楽しむというのが毎年の流れだ。

 私も講堂へ行こう、と少女は足を踏み出す。

 アダムは授業が終わった時点で、使い魔科の生徒たちに引き摺られてどこかへ行ってしまっていた。魔女科の男たちと同じく、普段おんな魔女に会う機会がない彼らにとってもこの交流会は貴重な機会だった。上手くお近づきになれば、おんな魔女の使い魔になることも夢物語ではないのである。当然、サバトから婚姻や使い魔の指名まですべて管理されている上流階級の魔女は除いた話ではあるが。

 さて、あの中から幼馴染みを見つけられるだろうか。本館に入るまでもなく、いつも以上に人口密度の高い門前を見つめていたペネロペの視界が揺れる。

「えっ……?」

 めまいを起こしたわけではない。突然、横方向にスライドした視界は、次の瞬間深い緑に覆われた。

 木、だ。本館横の植木の中に連れ込まれた──、と少女が気づくと同時に、再び視界が揺れる。今度は息苦しさもおまけとばかりに付いてきた。

 息苦しさに顔をしかめるペネロペの胸ぐらを、白い腕がゆすぶる。

「あなた、私に協力しなさい」

 爛々と光る紫色の瞳が、ペネロペを見つめていた。






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