第25話 交流会
ペネロペとローガンの応酬から、更に二ヶ月が経った。
芽吹きの季節を迎えたヴェルミーナ魔女学院は華やいでいた。
正門と本館をつなぐ庭には花が咲き乱れ、馬のかたちをしたトピアリーは花の王冠を携える。冬の厳しい寒さを乗り越えた花々に、事務員は手をやいた。
そんな四月の淡い色の空の下で、浮き足立っているのは植物たちだけではなかった。
「ルイス魔女学校との交流会があります」
ソフィー・モーガンから告げられた言葉に、教室の至るところから「ヨシッ」という小さな声が上がる。ペネロペは初め、それをクラスメイトたちの舌打ちだと思った。ローガンを始めとした周囲の魔女たちから舌打ちされ続けてきた悲しい過去が、彼女にそう思わせたのだ。
──いやいや、ちがう。ルイスってまさか。
そう、ペネロペが思い出すよりも先に、隣に座ったベアトリーチェが小さな声で「うちの姉妹校だよ。ヴェルミーナの実弟が開いた学校」と囁いた。
「知らない子は少ないと思うけど──、」
「せんせぇ、うちにはクルスが居るんでぇ、全部説明してやってくださぁい」
「ギャレット・レイズ、あんたまたお仕置きされたいの?」
「ありがとうギャレット! ソフィー先生、お願いします!」
「ペネロペ・クルス、あなたもそれでいいわけ?」
呆れたようにそう言ってから、ソフィーは教室全体を見渡した。
「知ってる子も多いと思うけど、ルイス魔女学校はうちの姉妹校です。そして、サバト指定のおんな魔女育成機関でもあります」
教師然とした声で男は続ける。
「いい? 全員わかってると思うけど、これは交流会です。有意義な交流会です。相手校の生徒さんに妙なマネでもしたらぶっ飛ばすわよ、アンタたち」
「みょうなまね」
ペネロペはぽそりと呟く。
隣のベアトリーチェは真顔のままだ。
「妙な真似したらすぐにバレると思っておいてくれよ」「妙な真似するなって僕言ったよな!?」妙な真似。エリオットから幾度となく聞いた言い回しであった。
「ビーチェ、妙な真似ってなにかしら」
「ペネロペ、きみはぼくから離れなければいい。問題ないよ」
「ビーチェ聞いてる? 妙な真似ってなに?」
「ソフィー先生、ルイス魔女学校って女子校なんですよね?」
こそこそと言葉を交わしていた二人を、ダニエルの声が遮る。
「すいません、僕、ミドルスクールまでは人間向けの学校に通っていたものですから、あまり知らなくて」と少年は頬を掻いた。
「ええ、その通りよダニエル。他に質問のある子は居る?」
「先生、妙な真似をするなとはおっしゃいますけど、向こうから誘われた場合はどうしたら? お嬢様方のお誘いを無下に断るのも失礼だと思うんですけど」
教室のはしから揶揄を含んだ下卑た声が上がる。続いて響いた軽い笑い声は、どこかねっとりとした不快感をペネロペに感じさせた。
無言でベアトリーチェがペネロペの両耳を塞ぐ。
「ビーチェ?」
「きみの心が汚れる」
「ええ、そうね。男子たるもの女性の誘いを断ってもいいのは尿道炎のときと後々多額の金が絡んで来そうな時だけよ。払える金額の場合は乗りなさい、男は度胸よ」
真剣な瞳でソフィー・モーガンは言う。
「でもね、野郎ども。よくお聞きなさい」
ぐん、と男の声が低くなる。空気を震わせるそれは、耳を塞がれているペネロペにもわかるほどだった。
「自分の隣の席にわざわざ座ったからだとか、妙に色っぽく微笑んだとか、アルコールをたくさん飲んでいたからとか。それを誘いと感じたのなら即刻水でも飲んで帰宅して、マスでもかいてさっさとお眠りなさい。血液が下半身に下りて、代わりに脳に精子がまわってるのよ。自分がこの世で一番アホな生き物になってる自覚を持ちなさい」
「脳に精子が……!?」
ベアトリーチェから開放され、最後の一節だけを聞いたペネロペは震えた。
数秒ほど耳を塞がれている間に、教師が世にも恐ろしい奇病の話をしていたのである。無理もない。
「とにかく、よ。ルイス魔女学校のお嬢様方がアンタたちみたいな泥付きのニンジン相手にするわけがないの。手ェ出したら全員去勢してやっから覚悟しとけ」
「先生、さすがに脅し文句が雑過ぎますって」
「脅し文句なもんですか」
そこまで言って、ソフィーは唇を引き結ぶ。今日もルージュの引かれたそこを小さく噛んで、男は眉間にしわを寄せた。そうして男は額に滲んだ汗を軽く拭う。
「本気で、やるわよ。ドリトル先生は」
「ドリトル先生……?」
「マジで。そのうち戻して貰えるってわかってても精神的にクるから。悪いこたァ言わないから、ルイスの女だけはやめておきなさい。リスクが高すぎる」
「ソフィー先生、まさか──、」
「先生は在校中、三回去勢されました」
三年連続じゃねえか。
凛とした表情を浮かべる飛行学教師を前に、生徒たちの気持ちが一つになった瞬間であった。
「クルス」
ソフィーが出て行き、生徒たちの声で賑わう教室にて。意外な人物に名前を呼ばれ、ペネロペは思わず立ち上がった。
「今からちょっと変なこと聞くぞ」
ギャレットが刈り上げた後頭部を掻きながら、歯切れ悪く言う。
「おまえ、女とか興味あるのか」
「おんな」
質問の意図が掴めず、ペネロペは友人の言葉を復唱した。
そんなペネロペの姿にギャレットは顔をしかめる。鼻にまでしわを寄せたクラスメイトに、ペネロペは「どうしてそんなことを?」と首を傾けた。
「さっきも交流会の話に興味なさそうだったし。教室でそういう話になっても、おまえ、絶対に乗って来ないだろ」
「そういう話?」なおもペネロペの脳内には疑問符ばかりが浮かぶ。
「でさ、俺、冬休み中ずっと考えてたんだけど。おまえのこと殴ったときに、俺、なんていうか……おまえの身体が、やけにその……なんだ、こう」
「こう?」
「……ていうかさ、ずっと聞こうと思ってたけど。おまえ、風呂とかどうしてるんだよ」
「ふろ」
「そう、風呂。風呂でおまえと会ったことねえし。おまえと会ったって話も、誰からも聞いたことねえし」
まずい。ペネロペはおのれの顔が引き攣るのを感じた。脇の下から冷や汗が滲み出す。
目の前で疑念の色を浮かべる少年、ギャレット・レイズは気づきかけている。ペネロペ・クルスがおんな魔女であることに。
『サバト』『魔女名簿』真っ白になったペネロペの頭の中を、その単語だけが渦巻く。
「クルス。おまえ、まさか──、」
そう、目元を薄く赤らめたギャレットがペネロペに詰め寄ったときだ。
「ぼく、ペネロペと風呂で会ったことあるよ」
穏やかな声に、ペネロペとギャレットは同時に振り返る。
「ねえ、ペネロペ。冬季休暇中、一緒に風呂に入ったよね」
アイスブルーの瞳を弛めてベアトリーチェは言う。
何も答えられずにいる少女に、ね、ともう一度ベアトリーチェは笑いかけた。弧を描いた瞳の奥が「黙ってうなずけ」と鉛色に濁るのを見て、ペネロペは壊れたカラクリ人形のように何度もうなずく。
「そういうことだよ、レイズ。なに馬鹿なこと言ってるんだ」
「じゃあ逆に聞くけどな、アンバー。おまえにはこれが男に見えんのか」
「見えるもなにも、身体の隅から隅まで見てるからね。何を疑ってるんだか知らないけれど」
ふっ、とベアトリーチェは芝居がかった仕草で笑う。
なんだなんだと周囲に集まって来たクラスメイトたちもよそに、二人の少年は見つめ合う。先に目を逸らしたのはギャレットであった。
「見たのか、ほんとに」
「見たよ。隅々まで。ねえ、ペネロペ?」
ベアトリーチェに視線を向けられ、ペネロペは頬に熱が集まって来るのを感じた。俯いたままに、微かにうなずいて見せる。
「なんだったらぼくよりよっぽど立派だったよ」
「それは言い過ぎじゃないかしら、ビー、」
「嘘だろ、クルス……!」
ビーチェ、とペネロペが言い切るよりも先に響いた、かすれた声。語尾をわずかに震わせたそれに、少女は目をやった。
ペネロペの背後で、クラスメイトたちが口元に手を寄せて震えていた。まるで狼を前にした仔ウサギのようである。
「うっそだろクルス!? おまえそんな、可愛い顔して」
「……ありがとう?」
「馬鹿な」
教科書をまとめていたヴィルヘルムが眼鏡を押し上げて言う。
「ベアトリーチェが負けるわけがない」
「なんでお前が威張ってんだよスコット」
「そういうとこあるよな。女系ってそういうとこあるよ」
「まぁ割礼あるからね、私たち。皮は被らな──、」
「うっせえキメラ!」
「今キメラつったの誰よ出てきなさいよ!」
メアリー・アンが群衆に向かって吠える。皆の興味が自分から逸れたことにペネロペはホッと息をついた。そうして視線を上げる。
ベアトリーチェにウインクされ、ありがとう、と少女は唇をぱくつかせた。
「あはは! いいねえ、そういうの。懐かしいなあ!」
その晩、ペネロペからその話を聞いたエリオットは大いに笑った。
「そういう話が出来るくらい、クラスに馴染めたようでよかったよ」
薄暗い中庭にランタンを並べ、男は月下でしか咲かない魔法植物の世話をしていたところであった。それを手伝いながら、ペネロペは頬を膨らませる。
「笑いごとじゃなかったんですよ、もう!」
「ああ、そうだろうね。でもいい機会だったじゃないか。ベアトリーチェの言葉ならみんな信じただろうし、今後、着替えや風呂のことでケチをつけられることもないよ」
でも、そうだな。そう言って園芸用の手袋を外し、男は顎に手を当てる。
「怪しまれないよう、ポーズだけでも見せておいた方がいいかもしれないね」
「ポーズって?」
「女性に興味があるっていうふうに」
エリオットの言葉に少女は目をまたたく。長いまつげが揺れた。
そんな少女を見つめ、男は「なあに、変なことじゃないさ」と笑った。
「自然現象だよ。ベアトリーチェやメアリー・アンを除けば、みんなおんな魔女に縁がないからね。交流会でお近付きになろうと必死になるのは当然だ」
「エリオさんも必死になった?」
「あのローガンですら、二年目からはやけにソワソワしてたんだもの。致し方ないってもんだよ」
ペネロペの問いをさらりと流し、エリオットは躊躇いなく弟を売った。
「あのスタンリー先生でも?」まんまと男の術中にはまったペネロペは震えた。あの仏頂面でどんなふうに女の子に声をかけるのだろうかと、少女は畏怖と好奇心を抱く。
「とにかくだ、交流会当日は出来るだけ一人にならない方がいいね。みんなと一緒に、向こうのお嬢さん方とお話しでもしておいで。それでレイズ君は文句ないだろう」
「うん。エリオさんは交流会で何してたの?」
「ローガンたらさ、一年のときは勝手にやってろみたいな冷めた態度だったくせに、二年からは向こうの生徒一人一人を鏡魔法で確認しちゃったりしてさぁ」
「エリオさん」
「いやあ、参るよね」
「エリオさんってば。ねえ」
「いやあ、あはは。参ったな。錆ってほんとに身から出るんだ」
あ、この人わりとろくでもない人なのかもしれない。
入学してから約半年。遠くを見つめたまま空っぽの笑い声を上げる事務員を前に、ペネロペは初めてそう思った。
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