第24話 後期授業開始



「プラーミァス!」

 ヴェルミーナ魔女学院のグラウンドに、呪文の提唱が響きわたる。それと同時に炎が巻き上がった。

「ちょっとちょっとちょっと!」ペネロペの手の内でシルビアが悲鳴をあげる。追りくる火柱から逃れるようにペネロペは空を飛び、息を詰めた。熱された空気で喉がちりつく。

 呼吸するだけでも肺を黒焦げにされそうだ、と少女が口を開くよりも先に、銀色の雪が舞った。

「ネーヴェ」

 その声を頼りにペネロペは灼熱の空を飛んだ。

 空を包む炎と雪は互いを押しやり、渦を作る。ペネロペがベアトリーチェの元へと戻ると同時に、炎は鎮火され、雪は溶かし尽くされた。ふたつの魔力が消え去ったグラウンドに、風が吹き抜ける。

 砂埃の向こうで杖を構えるメアリー・アンの姿が見えた。ペネロペは反射的に防御壁を張る。

 次の瞬間、立ち込めた暗雲から降り注いだ雷にペネロペは悲鳴を上げた。ペネロペに服を掴まれたベアトリーチェが「馬鹿じゃないの!」と、忘れかけていた女言葉で叫んだ。

「なんで飛び出す!? ろくに攻撃魔法も使えやしないくせに!」

「必要に迫られたら出るかもと思って!」

「練習でもできなかったことが、本番でできるわけがないだろう!」

 二人が言い争っている間も落雷は続く。

 ベアトリーチェは小さく舌を打つと、杖を地面に向けた。

「スティーリア!」

 少年がそう唱えるや、地上が凍りつく。ベアトリーチェはグラウンドの先で杖を構える親戚を見やった。霜は猛スピードで彼らへと迫り、その体温を捉えた瞬間に氷柱へと変わる。

 地響きとともに地面から突き出した無数の氷の針を見て、ペネロペは寒気に肩を震わせた。「仲間ながら、えげつないことをする」あんなものに身体を貫かれてはひとたまりもないだろう。

 しかし、彼の生み出した氷柱はメアリー・アンの肉体を貫くことなく崩れ去る。今度こそベアトリーチェが舌を打った。

「あんな性格してるくせに、防御魔法特化ってなんなんだ」

「おまえにだけは性格のことをとやかく言われたくねえよ、アンバー!」

 メアリー・アンの肩越しに、くすんだ金髪が揺れる。

 広範囲に強固な防御魔法を張り巡らせるギャレットは後方に陣取り、不敵に笑ってみせた。

「威張ることでもないでしょうに。あんたも大概よ、レイズ」

「うるせえよオカマ」

「ねぇギャレット! そのオカマってどっちのこと!?」

「田舎モン、おまえの取り柄はそんなもんか!?」

 どうやらギャレットの言う「オカマ」はメアリー・アンのことで、自分は「田舎者」らしいとペネロペはひとりごちる。

「きみのその余裕はどこから来るんだ?」なおも攻撃魔法を繰り出しながら、ベアトリーチェは呑気な仲間を非難した。

 新年を迎えて約二ヶ月。雪解けを終えたヴェルミーナ魔女学院の一年生たちは、後期授業を開始していた。

 そのひとつが『攻撃魔法と防御魔法』という、その名の通りの授業である。

 呪文学で得た知識を実践的に使うもので、個人同士で決闘に似たことをすることもあれば、ペアを組むこともある。今日の最終班はギャレットとメアリー・アンの西組対、ベアトリーチェとペネロペの東組であった。

 結局、制限時間内に勝敗はつかず、四人は引き分けのままに握手を交わした。

「どう考えてもこっちが優勢だったろ」

 不貞腐れるギャレットに、攻撃魔法・防御魔法を担当するニール・ナダは「せやな」と軽い声で言った。

 ニールは浅黒い肌と色素の薄い髪をもつおとこ魔女だ。この学院の卒業生ではない男は、生徒たちにあまり馴染みのない訛りで話す。

「でも、正直勝ち負けはそこまで重要やあらへんのんよ、ギャレット君。きみは攻撃魔法使えなさすぎやし」

「ダサ過ぎウケる」

「メアリー、笑うてへんのに「ウケる」言うんはやめ。先生の古傷が疼く。きみは攻撃一択すぎるんが問題やなあ。ベアトリーチェも同じくや」

「自覚はあります」

「そらよかった。あとは──、」

 ニールの青色の瞳が、小さな魔女の姿をとらえる。ペネロペはシルビアを抱え直し、友人に倣って「自覚はあります」と教師を見上げた。

「クルス君。攻撃魔法が一切使えへんとなると、単位あげるんはなかなか厳しいで」

「後期試験までにはなんとかします」

「さすがはペネロペ・クルスやな、頼もしいわ。留年確定言われてたところから這い上がってきた実績は伊達やない」

「留年確定って言われてたんですか私?」

「まあ、積極的に提唱しとったんは主に一人やけど」

「ええと、それってどこのスタンリー先生です?」

「あん人への信頼もすごいよなぁ、逆の意味で」

 授業終了のチャイムが鳴り、ニールの総評を聞き終えた生徒たちは校舎へと向かった。ウンウンと唸るペネロペを、クラスメイトたちが追い越していく。

「クルス、最後の防壁はなかなか良かったじゃないか」

「ええ、ありがとう。攻撃魔法もあれくらい出せればいいんだけど」

「あんま思い詰めるなよ。また髪に蝿食い花が咲くぞ」

「ああ、その節は本当にありがとう、ジキル。よかったら今度また薬学教えてくれない?」

「なにもそう焦ることはないわ、田舎魔女」

 気取った声でそう言って隣に並んだベアトリーチェに、ペネロペは笑う。

「ビーチェ、お疲れさま。また迷惑かけちゃったわね」

「いいさ。きみの面倒を見られる優秀な魔女はぼくくらいだろ」

「ベアトリーチェ、甘やかすのも如何なものかと」

 ベアトリーチェの半歩後ろには今日もヴィルヘルムが控えている。「ヴィルヘルムもお疲れさま。すごかったわね」ペネロペの声に、少年は眼鏡を押し上げた。

 それが彼の返事であると受け止めて、ペネロペは隣を歩くベアトリーチェを見上げる。

 雪解けを迎えた野原に花が咲くように、ベアトリーチェの才能も開花した。厳しい食事制限をやめたことにより、魔力が満たされるようになったのだ。逞しくなりつつある身体に見合った能力を身につけた少年を、ペネロペは羨ましく思った。

「後期試験の対策を考えないとね、ペネロペ」

「そのことなんだけど。攻撃魔法と防御魔法の実技試験は対人じゃないって噂よね?」

「ああ。スタンリー先生が傀儡を作るって話だったはずだよ」

「だったらもういっそのこと、シルビアの穂先に火でもつけて殴り倒しちゃおうかと思って」

「その件について、きみはどう思ってるの?」

 ベアトリーチェが、ペネロペに背負われるシルビアに尋ねた。

 攻撃魔法をほとんど使えない代わり、飛行術に一切の負担がないペネロペは、常に背中に箒を背負うようになっていた。

「きみの主人、なかなかに錯乱しているとぼくは見るけど」

「主人? 私には主人なんて居やしないわよ、坊や」

「失礼。友人と言うべきだった」

「夏はご勘弁願いたいけど。まあ春先までならアリね」

「ありなのか」ペネロペとスタンリーに続き、シルビアの声を聞けるようになった少年は深刻にそう呟く。

「──本当に、私ってなんなんだろう」

 ペネロペがそう自分で嘆くほど、少女の魔力はムラが酷かった。

 出来ることはとことん出来る。出来ないことは、生まれたての赤ん坊ほどにも出来ない。その『出来ないこと』の筆頭が攻撃魔法だった。

「攻撃呪文が無効ってことは、つまり、先祖が代々攻撃魔法を使って来なかったってことだろう。誇ってもいいことだと思うけどな、ぼくは。ねえ?」

 ベアトリーチェがヴィルヘルムに同意を求める。

「そうですね」ヴィルヘルムの空っ風のような中身を伴わない声に、ペネロペは、なるほど確かにこれは心に来るなと、攻撃防御魔法の教師の言葉を思い出した。

 空っぽの同意と、笑いのない「ウケる」はきっと似ている。

「スタンリー先生が作る傀儡なんて絶対に根性が悪いわ」

 そう言ってペネロペは本館へと続くドアを開けた。そうして、そのままぴたりと動きを止める。正にそこに、噂の「根性悪」が立っていたからだ。

「私がどうかしたかね、ペネロペ・クルス」

 ローガンは冷たい声で言う。尖った赤い瞳を見れば、先ほどの会話を聞かれていたことは明白だった。

「もっぺん言ってみろ」言外にそう告げてくる男へと、ペネロペは大きく口を開く。

「私、スタンリー先生、好きじゃない」

 ベアトリーチェの背高猫鳴き草事件のあと、ペネロペはローガンが全てを知っていたことを彼の兄から聞かされた。そもそもあの日、学院に結界魔法を施していたのはローガンだったのだ。ベアトリーチェの行方を調べることなど、彼にとっては容易かったはずである。

 おのれとベアトリーチェを試すような行動を取ったこと。ベアトリーチェの苦しみを蔑ろにしたこと。それに激しい憤りを感じて以来、ペネロペはずっと思っていた。

 自分はローガン・F・スタンリーのやり方が嫌いだ、と。

「スタンリー先生、好きじゃない」入学以来、初めて明確な好悪の感情を吐露した少女に、その場に居た全員が目を丸くした。それを空気で感じながらも、ペネロペは赤い瞳から目を逸らさなかった。動物的プライドが少女の胸の中にはあった。

 ふ、と張り詰めた空気を震わせたのはローガンの硬い笑い声であった。

「笑い方、不器用すぎませんか」

「随分と攻撃的じゃないか。攻撃魔法は使えないくせに」

「そうやって子供みたいに意地悪言うのやめた方がいいですよ。十歳の子供だってそんなこと言わないわ」

 教師に食ってかかるペネロペに、ベアトリーチェとヴィルヘルムはさらに呆気に取られた。ローガン本人はと言えば、くつくつと喉を鳴らして笑っている。

「確かに笑い方が不器用過ぎる」低く呟いたヴィルヘルムに「おまえにそれを言う資格があるかどうかはあやしいところだよ」とベアトリーチェが首を振った。

「ペネロペ・クルス」

「先生に反抗したからって反省文を書かせるのなら、全編小説にしてやりますからね。書くことないもの」

「ひとの話は最後まで聞け」

 一通り笑い終えたらしいローガンが、少女を見やる。

 ペネロペのすみれ色の瞳と、男の赤色のそれがぶつかって、混じり合う。その一瞬の心地よさにペネロペが戸惑う間も無く、男は口を開いた。

「やっと知性のある生命体らしくなって来たな。魔法植物は卒業出来たようでなによりだ」

「私そんなにお花っぽいですか?」

「頭の中の話はしてない」

 そう言って男は踵を返す。その瞳が、ほんの一瞬だけ柔らかく緩んだのを見て、ペネロペは同級魔女たちを振り返った。

「……今の、もしかしてお兄さんの方だった?」

 ペネロペの言葉に、ベアトリーチェとヴィルヘルムは神妙な面持ちで首を振った。








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