第23話 風邪と思春期



「ありのままの自分を愛されたい、なんて青春だよね」

「随分と遅かったな」

「遅かったな、じゃないんだよ」

 雪の降り積もった食堂で楽しげに声を上げる生徒たちを見つめながら、ローガンとエリオットは言葉を交わす。

「シンイーの所までどれだけ距離があると思ってるんだ。トンボ帰りでもこの時間だよ」

「シンイーはなんて?」

「わかってるんだろ。この性悪魔女め」

 兄の言葉に弟は笑った。その不器用な笑顔を見て、エリオットは溜め息をつく。

「背高猫鳴き草の解毒薬なら彼の十八番のはずですよ、って言われた瞬間キレるかと思ったよ。殺意ってやつが取り出して見せられるものなら、おまえにも見せてやりたかった」

「怒りの持続時間が帰路より短くて命拾いした」

「ローガン、きみはわかっていたんだな。ベアトリーチェ・アンバーが自分でかけた呪いのこと」

「ああ」

「魔力が強いと厄介だね、自己暗示であそこまでの魔法を作り出すなんて。それにしてもひとが悪いよ、ローガン。どうして何も言ってくれなかったんだ」

「心外だな」ローガンは口元を押さえて言う。

「なにが心外だよ。ペネロペから真実の愛を引き出すために、下手な芝居を打ったくせに」

「心外っていうのは、そんなことも分からないような三下だと思われていたことだ」

「いつか絶対誰かに刺されるぞ、おまえ」

「魂の片割れを失うのは悲しいなぁ、兄さん」

 ローガンが杖代わりにしているタクトを振る。ひとりでに音楽を奏でていた楽器たちが音を落としていく。会話するのに心地いい、穏やかな音だ。

 エリオットが目をやった先では魔女二人と使い魔がフロアに座って話し込んでいた。

 見てないようで、ちゃんと生徒を見てるんだよなあ、とエリオットは弟を見やる。

「なんだ」

「なんでもないさ。ペネロペのことがベアトリーチェにバレた時はどうなることかと思ったけど、結果オーライってことでいいのかな。いいクリスマスじゃないか」

「馬鹿言うな、と言いたいところだが、兄さんの言う通りかもしれない」

 弟の珍しい物言いに、兄は目をまたたく。

「このまま三年間隠し通すなんて冷静に考えて不可能だろ。優秀な協力者でも居ない限り」

「確かに。協力者としてベアトリーチェ・アンバーは申し分ないね」

「それに──、」

「それに?」

「彼らを、教室で浮いたままにしておくわけにもいかなかった」

「お互い、いい友人が出来たってわけか。ほんと、見てないようでよく見てるよ、スタンリー先生」

「俺は自分に課された仕事を遂行するまでだ」

「照れるなよ。思春期から何も成長しちゃいない」

 自分の言葉にエリオットは少し笑って、「なあ、ローガン」と弟の肩に触れた。

「きっと、次の休みに残るのは僕らふたりだけだね」

「ああ。静かでいい」

「僕らもいつか帰れるよね。ふたりで」

 いつまで経っても返事を返さない弟の肩を、兄は二度叩く。そうして、フロアで雪合戦を始めた生徒たちの元へと足を進めた。

 そんな兄の姿を、ローガンは何も言えぬまま、ただ、じっと見つめていた。



 白い門を越え、雪の積もった庭をヴェルミーナ魔女学院の生徒たちは進む。

 冬期休暇の明けた一月上旬。冬季休暇初日の朝と真逆の光景を、ペネロペとアダムは本館の門のそばに立って見つめていた。

 朝日に照らされた中庭を進む一団。ヴェルミーナ魔女学院行きの始発で学院に到着したらしい群衆の中には、ソフィーとシンイーの姿もあった。ソフィーの傍にはいつかの白髪の使い魔がおり、アダムの姿を捉えるや満面の笑みを浮かべて走り寄ってくる。

「アダム君! お出迎えかい?」

「おまえのじゃねえよ」

「いやー、そんな予感はちょっとしてたんだよねえ! アダム君、一人で寂しいじゃないかっていう気はね!」

「ひとの話を聞く機能ぶっ壊れてんのか?」

 使い魔の少年にペネロペはハッピーニューイヤーを告げる。それに少年は答えるや、アダムの手を引いてどこかへ行ってしまった。駆け抜ける風のようなそれにペネロペは笑い、彼らを見送る。

 シンイーは何やら珍しい剣幕で守衛部屋に居たエリオットを問い詰め、本館の階段を上がって行った。それと入れ違いで階段を下りてきたベアトリーチェは、クリスマス・イヴから変わらぬ男装姿だ。

「シンイー先生、どうしたの」

「スタンリー先生のところへ行ったんじゃないかしら」

 首を傾げるベアトリーチェにペネロペは答える。「薬学準備室に入ったことがバレたみたいだから」

「最初に入ったのはぼくなんだけどな」

「言わなきゃバレやしないわ」

 そう、笑い合う二人の元へと近づく男。ゴブラン織りの上質なコートを纏うソフィーが、スラックスにジャケット姿の少年を見下ろす。緑色の瞳が、激しい動揺に揺らいでいた。

 飛行学教師の稀有な姿に、ベアトリーチェは唇を持ち上げて笑う。

「ソフィー先生、ぼくの顔に何か付いてますか?」

「……いいえ。こんな素敵な王子様、うちの学院に居たかしらって、驚いてるの」

「その節はご迷惑をおかけしました、先生」

「迷惑をかけられた覚えはない。心配はたくさんしたけれど、それはあなたが可愛い生徒だからよ。迷惑だなんて思ったことは一度もない。南の魔女、ヴェルミーナに誓うわ」

 ソフィーの絞り出すような声に、少年ははにかむ。一足先に雪解けを迎えた春のような笑顔を浮かべ、ベアトリーチェは続けた。

「良かったらまたお茶に誘ってください。あの日食べ損ねたビスケット、本当はとても食べたかったんです」

「ビスケットでもチョコレートでも、いくらでも持っていく」

 そう言ってソフィーは額に手を当ててうつむいた。「だめね、年かしら」続けて鼻声でそう言うと、気遣う二人に断って守衛室へと入っていく。

「先輩? なに、泣いっ……先輩!?」中からエリオットの慌てる声が響いた。それに幼い魔女二人は笑い合う。

「ベアトリーチェ」

 守衛室を見つめていたペネロペは、背後から聞こえた掠れた声に振り返った。

 そこには、冬季休み初日と同じコートを着たヴィルヘルム・スコットが立っていた。少年は、眼鏡の奥のダークグレーの瞳を見開いている。

 そんな従者へと、ベアトリーチェは穏やかに微笑んで見せた。

「苦労をかけたね、ヴィルヘルム」

「……いいえ」

「もう、ぼくは大丈夫だから」

 ヴィルヘルムは何も言わなかった。大きなトランクを持つ右の手が、震えるほどに強くそこを握りしめている。

 少年は悲しみとも怒りともつかない顔で、変わってしまった主人を見つめていた。溢れ出した全ての感情が互いを打ち消しているようでもあった。

「少し庭を歩こうか、ヴィルヘルム。家からの言付けもあるだろう?」

「はい」

 ヴィルヘルムがコートを脱いで寄越そうとするのを遮り、ベアトリーチェは庭へと向かって歩き出す。

 二人の少年が何を話しているのか、ペネロペには聞こえなかった。その姿をじっと目で追っていたペネロペは、隣に並んだメアリー・アンがおのれに声をかけるまで、彼の存在に気がつかなかった。

「ハッピーニューイヤー、クルスさん」

「ああ、新年おめでとう、メアリー」

「浮かない顔ね。何かあったの、なんて聞くのも無粋かしら」

 庭を進む少年たちを見やり、メアリー・アンは続ける。

「あなたも、やめたければやめればいいのよ」

「何を?」

「女装。ここに居るうちは家にだってバレないんだし。ベアトリーチェはやめて正解ね、ちっとも似合ってなかったもの」

「そうかしら?」

 メアリー・アンの言い草にペネロペは首をかしげた。ペネロペの目には、ベアトリーチェ・アンバーの女装姿は非常に美しいものとして映っていたからである。

 そんな同級生へと、メアリー・アンは「似合ってなかったわ」ともう一度言った。

「魂に見合っていなかった。今時、あれほど猛ったおとこ魔女もそうそう居ないでしょうに。男装の麗人ならぬ、女装の益荒男よ」

 ふふん、とメアリー・アンは鼻を鳴らして笑う。満足げなその横顔に、ペネロペは「メアリーは、女の子の服を着るのは嫌じゃないの?」と問いかけた。

 少年は「ええ」と軽い声で答える。

「私はべつに。似合っているなら、何を着てもいいと思っているし」

「メアリーはとっても似合ってるものね」

「ああ、この姿ならまがい物よ」

 メアリー・アンはけろりと言った。金色の髪をたゆませ、緑の瞳が弧を描く。何も言えずにいるペネロペへと、少年はなんでもないことのように続けた。

「十歳の時にね、サバトの魔女からまじないを買ったの。外見だけは女の姿でいられるまじないよ」

「十歳まではその姿じゃなかったってこと?」

「ええ。もっと無骨な姿だった。手が大きかったから、今頃身長も伸びてたでしょうね」

「もとの姿はどうなったの? 消えてしまうの?」

「さあ。クルスさん、捨てたものの行方が気になるタイプ?」

 ペネロペは絶句した。同じ年の少年が、そんな大きな選択をし、更には悔やんでも悩んでもいないという事実に理解が追いつかない。

 あんぐりと口を開ける少女を少年は嗤った。「大袈裟ね」

「あ、あの、つかぬことをお聞きするんですけど」

「なによいきなり。気持ちの悪い」

「女の子の姿でいられるって、ど、どこまで?」

「生殖器はさすがにね。生殖機能まで魔術で作れるのなら、サバトだって苦労してないわ」

「せいしょくき」

 想像しようとして、共同バスルームでの事件を思い出し、ペネロペは自分の頬が熱くなるのを感じた。

 そんなペネロペの姿を見て、メアリー・アンは「そんなナリしてあなたも案外男だったのねクルスさん」と意外そうに呟く。それは誤解だとペネロペは言いたかったが、言えるわけもない。

「──メアリー・アンは、さみしくはない?」

 ペネロペはベアトリーチェの言葉を思い出していた。

「男の自分を受け入れて貰いたいっていう感情は、無視しても無くなるわけじゃなかった」そう言って笑ったおとこ魔女。

 己の生を許されたいと思うことは、決しておかしなことではない。

「ありのままを受け入れて貰いたいとは、思わない?」

 ペネロペの問いにメアリー・アンは積もった雪を見つめ、しばらくして口を開く。

「あなたも女系の男ならわかると思うけど。私たちは、母親に心から「あなたが姉弟の中で一番大切よ」って言われない限り満たされないのよ。そんな言葉に意味なんてなくて、それを親に求めること自体間違いだってことも理解していながらね。これはそういう呪いでしょ」

「呪い?」

「呪いよ。絶対に叶うわけのない願望を抱くだなんて、呪い以外になんて呼ぶっていうの?」

 苛立ちもあらわに、少年は続ける。

「私は、生まれたままの自分を愛してもらおうだなんて思ってない。愛されるために何かを変えることだって、選択のひとつよ。ありのままの、自分のね」

「確かに、そうかもしれない」

「ええ、そうよ。私は私の選択ごと、この世界に受け入れさせる。私はこの道を選んだの。誰にも文句は言わせないわ」

 だからムカつくのよね、ベアトリーチェは。

 そう、吐き捨てるようにメアリー・アンは言った。ペネロペがその意味を尋ねる暇もなく、少年の翠眼が少女を射抜く。

「呪文学の初めの授業。ドリトル先生が言ったこと、覚えてる?」

「うん。幸運な男だって」

「そんなの毎年言ってるのよ。悪い女に騙されないよう気をつけなさい。呪文は先祖の結んだ契約で、精霊たちは魔女の血を見て従うかどうかを決めてるって話」

「ああ。覚えてる」

 九月の記憶を掘り返し、ペネロペはうなずく。

「私とベアトリーチェは親戚筋なの。元を辿れば先祖が同じなわけ。だから、同時に同じ精霊に命令を下した場合、精霊はより強い魔力をもつ魔女の言葉を聞く」

 つまりね、と少年は唇を噛んだ。

「私は絶対にあの男には勝てない」

 メアリー・アンは優秀なおとこ魔女である。しかしそれは、他の魔女と比較した場合の評価に限られた。

 彼の前には、上には、常に『ベアトリーチェ・アンバー』という魔女の存在があった。

 ふとした瞬間に不幸じみた顔を覗かせるその少年が、メアリー・アンはずっと気に食わなかったのだ。

「でもそんなの現状の話よ。卒業まであと二年ある。私は必ずこの学院で、あいつを下す」

「それは、なんというか。家同士の、確執的な、アレで?」

 恐る恐る尋ねたペネロペを、メアリー・アンは笑った。

「まさか。ただ、ムカつくからねじ伏せたいってだけよ。シンプルでしょう? それが簡単な道じゃないってこともわかってる。平和ボケした坊っちゃん達みたく、コンプレックスに構ってる暇なんてないのよ、下流の私はね。だから男の姿を捨てたの。優先順位を明確にしたの。私は私の意志で、この道を選び取ったのよ」

 少年は深く息を吐き、「ごめんなさいね」とペネロペへと笑いかけた。

「つい熱くなっちゃって」

「ううん。そんなこと私は考えたこともなかったから」

「それでいいのよ。私だって色々拗らせてるだけ」

 拗らせてるだけ。その言葉でペネロペは思い出す。

 風邪と思春期。拗らせると厄介だと、そうエリオットが言っていたと、幼馴染みから聞いたのだ。

「ねえ、メアリー・アン。私の村にはね、冬の風邪をこじらせたことのある男の子は強く育つ、っていう言い伝えがあるの」

「それが、なに?」

「きっと私たちは強い魔女になるわ」

 ペネロペは銀色の景色を見つめ、真っ直ぐに言った。

 揺るぎないすみれ色の瞳と、輝く七色の髪。入学した頃の気弱な面影を消し去った滑らかな頬を、メアリー・アンは驚きと敬意をもって見下ろした。

 この学院に来てよかったと、少年は口角を持ち上げる。

「いいわね、それ」

「どれ?」

「こじらせた男は強くなるってやつ。私の人生にも採用する」

「ぜひそうして」

 そう言ってペネロペ・クルスは微笑んだ。

 銀色の世界で、寂しい笑みを浮かべる者は、もう居ない。






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