第19話 背高猫鳴き草


 翌日、ペネロペが食堂に向かうと、アダムがテーブルに突っ伏していた。その隣に腰掛けたエリオットは「おはようペネロペ」といつも通りの笑顔で手を振る。

「おはよう、エリオさん」

「昨日は災難だったね。眠れたかい?」

「ええ。相手がベアトリーチェだったことが救いね」

「救いなもんか」

 テーブルに顔を伏せたままアダムが唸る。その声はベアトリーチェの風邪がそのまま引っ越して来たのではないかという掠れようだった。

「おはようアダム。どうしたの?」

「どうしたもこうしたもない」

 そう言ったきり、少年は沈黙した。ペネロペは隣で頬杖をつく男を見やる。

 ペネロペの視線を受け、エリオットは無言で首を振った。どうやら手の施しようがないらしい。

 幼馴染みを刺激しないよう、ペネロペは厳かに席についた。テーブルには、生徒三名のために用意されたものにしては豪勢な朝食が用意されている。食堂を取り仕切っているのが竃の精霊だということを、ペネロペは入学して数日経った頃に知った。

「絶対ェあのオカマぶん殴ってやる」

「もう、アダムったらまだ言ってるの? 彼、被害者よ」

「被害者なもんか」

 うつむいたまま、なおもアダムは呪詛を吐く。

「俺のペネロペに汚ねえモン見せやがって」

「汚いだなんてそんな。石膏の彫刻みたいに美しかったわよ。白くて、傷ひとつなくて。綺麗なひとってやっぱり身体の隅々まで全部綺麗なのね」

「身体の隅々までってどこまで!?」

「それだけ元気ならはやく朝ご飯食べちゃいなさいよ」

 ペネロペがせっせとトーストを口に運んでいると、ローガンが食堂へとやって来た。

 エリオットはペネロペが来たときと同じように手を振る。

「おはよう、ローガン。珍しいじゃないか、こんな時間に起きてくるだなんて」

 兄の言葉に弟は「これから寝るんだ」といつも以上に低い声で言った。

「まあ。スタンリー先生、ヴァンパイアみたいな生活なさってるんですね」

「女学生、薬学準備室に入ったか?」

「薬学準備室?」

 なぜ男が急にそんな話を始めたのかも分からず、ペネロペは尋ね返す。その姿に答えを得たのか、ローガンは軽く手を振った。

「いや、心当たりがないならいい」

「心当たりがないならいいじゃないんだよ、ローガン。おまえまた勝手に薬学室に入ったのか? いいかげんにしないと、そのうちほんとにシンイーに毒殺されるぞ」

「必要なものをあそこに置いておくあいつが悪い」

 それだけ言って、ローガンはくるりと踵を返した。いつもより忙しい足取りで歩く男の背を見ながら、ペネロペは残りのトーストにかぶりつく。

「なんだったんでしょう?」

「大方、自分が探してたものが思ってた場所になかったんだろ。薬学準備室はシンイーが魔法陣で鍵をかけてるからさ、一度でも開けるとわかるんだ。バレるってわかってるくせに勝手に入るの、ほんとタチが悪いよね」

「なるほど」

「なぁペネロペ、身体の隅々ってどこまで!?」

「きみはいつまでそうしているつもりだいバックランド君」

 嘆く幼馴染みを残してペネロペは席を立った。

 本当はアダムの悩み──何を悩んでいるのかはさっぱりであったが──に、とことん付き合うつもりだった。しかし、それをエリオットが跳ねのけたのである。

「男同士でしか話せないこともあるからさ」

 そう言われてしまえば、女のペネロペに出る幕はない。

 少女は食堂を出て、東棟へと向かった。今日はどの課題を片付けようかと思案しながら廊下を進む。階段の踊り場に差し掛かったところで、ペネロペは小さく声を上げた。階段の先に見慣れた銀髪が見えたからである。

「おはよう、ベアトリーチェ」

「ご機嫌よう。相変わらず朝が早いのね」

 ベアトリーチェの言葉に「あなたもね」と返事をしようとして、ペネロペは「あれ」と思考を停止させた。

 昨日まで喉に血を滲ませそうなほど掠れていた少年の声が、すっかり元通りになっていたのだ。

「ベアトリーチェ、喉、治ったの?」

「……ええ。薬を作ったから」

「ああ、よかった。すごくつらそうだったもの」

 安堵の息を漏らすペネロペに、ベアトリーチェは視線を向けた。蒼い双眸は入学した頃の輝きを取り戻していた。痩せこけていた頬も、ふっくらと薔薇色に染まっている。

 その時、ペネロペは言いようのない寒気に襲われた。廊下の冷気がそうさせたのではない。違和感が首の後ろをゆっくりと撫でていく。

「ベアトリーチェ……?」

「まだわたしに何か用が?」

 はたしてベアトリーチェ・アンバーは、こんなにも小さな少年だっただろうか。

 冷めた目でおのれを見下ろしてくる同級生を見て、ペネロペはそう思った。しかし、喉がひりついてそれを言葉にすることが出来ない。芽生えたばかりの感情が、少女から声を奪う。

「なんでもない、わ」

「そう。では失礼」

 ベアトリーチェは短く言い、階段を上がって行ってしまった。そこに残された魔法の匂いに、ペネロペは心臓が強く脈打つのを感じた。ぎゅっと胸を押さえつけ、息を吐く。

 嫌な予感が、少女の心のうちを満たしていた。



 決定打となったのはその晩、ペネロペが食堂でアダムとともに課題に取り組んでいた時のことだった。

 広い部屋の中は、相変わらずごちゃごちゃとクリスマス用の飾り付けがなされている。壁際にはデコレーションされたモミの木が並び、室内雪はいよいよ雪山並みの積雪となった。

 明日は雪合戦でもしようかと二人が話し合っていたその時。ペネロペは、強力な魔力の解放を感じたのだ。

「……ペネロペ?」

 突然顔を上げた幼馴染みを、アダムが呼ぶ。

 少女の手からペンがころりとこぼれ、テーブルに転がった。ペネロペはすみれ色の瞳をゆらめかせる。

 ──どこかで、誰かが魔法を使った。それも、すぐ近くで。とても大きな魔法を。

 ペネロペはアダムの手を握り、そのまま食堂を飛び出した。

「ペネロペ!?」

「アダム、魔法! 魔法の匂いを追って!」

「はあ!?」

 本館の一階を二人は駆ける。ペネロペに引きずられ、足をもつれさせていたアダムは半信半疑で鼻を鳴らした。

 すん、と空気を吸い込んだ少年の獣の目が、ぎらりと光る。

「ペネロペ、東棟だ。上の階!」

「なんだか嫌な予感がする」

「奇遇だねペネロペ。俺もだ」

 どきどきと心臓が強く鼓動を打ち鳴らす。二人はそれ以上言葉も交わさず、冷たい風を切って廊下を駆け抜けた。ものの数歩でペネロペはアダムに追い抜かれ、今度は手を引かれる形になる。

 階段を二段飛ばしで駆け上がる少年は、幼馴染みの細い腕を引き上げる。魔法を使うでもなく、重力を無視したペネロペの髪がふわりと舞った。わずかに魔力を残した少女の髪が、月の色に輝く。

 迷いなく廊下を進むアダムに手を引かれ、ペネロペは唇を噛んだ。昨日、ローガンと進んだ道を彼が辿っていることに気がついたのだ。冬季休暇中のヴェルミーナ魔女学院で、あれだけの魔力を放出できる魔女など限られている。

 東棟の三階、ベアトリーチェ・アンバーの部屋の前に到着したペネロペは、息を飲んだ。

「アンバー、無駄な足掻きはよせ。私も手荒な真似はしたくない」

「それ、今更おっしゃるようなことですか」

 開け放たれたドアの向こう、見慣れた黒髪の男が銀髪の子供の胸ぐらを掴んでいるのが見えた。

 子供だ。ベアトリーチェ・アンバーは、子供の姿をしていた。

 入学式の頃よりもずっと小さく、華奢な身体を揺すぶられ、ベアトリーチェは顔をしかめる。

「スタンリー先生、やめてください!」

 アダムの制止も振り切り、ペネロペはベアトリーチェとローガンの間に割り込んだ。

 壁を背に、ベアトリーチェは床にへたり込む。それをかばいながら、ペネロペは目の前の男を見上げた。鮮血色の瞳が少女を睨み据える。

「どけ、女学生。用があるのはアンバーだ」

「乱暴なことしないでください。さっき魔法を使ったの、先生ですね?」

「おまえには関係ない」

「あります。ベアトリーチェは大切な友達だもの」

 そう、ペネロペはローガンを見上げて言い切る。ペネロペの背後でベアトリーチェがわずかに肩を震わせた。呆気にとられたまま立ち尽くしていたアダムが、ペネロペと同じく立ちふさがる。

 そんな三人の姿にローガンは奥歯を噛み締めた。眉間のシワがより一層深くなり、静まり返った部屋の中に小さく舌を打つ音が響く。

「だったらおまえらからその馬鹿に言ってくれ」

 はあ、と大きく息を吐き、ローガンはがしがしと頭をかいた。崩れた黒髪が男のひたいに影をつくる。どこか毒気の抜けた顔で顎を上げる姿はエリオットによく似ていた。

背高猫鳴せいたかねこなそうだ」

「え?」

「その馬鹿が、薬学準備室から背高猫鳴き草の鉢植えを盗んだ」

「なんのために?」

 ペネロペは後ろを振り返る。ベアトリーチェはバツが悪そうに目を伏せるばかりで、美しい唇は引き結ばれたままだ。ペネロペは再びローガンを見上げた。

「おまえが言ったんだろう、女学生。背高猫鳴き草の、珍奇な効能」

「夜に春汲みの井戸水に漬けて魔力を込めると願いが──、え?」

「背高猫鳴き草の植木と、春汲みの井戸水が薬学準備室から消えた。あの部屋は術式を組み直しても誰かが入ったらわかるんだ。おまえにシンイーの魔法陣が解けるとは思ってない。だったら犯人は一人だ」

「ああ、今朝の。じゃあなんで私にお聞きになったんです?」

「消去法だ」

 きっぱりと言い切られ、ペネロペは釈然としないままに口を噤んだ。

「何を願ったか、さっさと吐けアンバー。ろくなことにならないぞ」

 ローガンが詰め寄る。しかし、ベアトリーチェに答える素振りはない。

 男が苛立ったように杖を握り直すのを見て、ペネロペは幼馴染みの名を呼んだ。アダムがフーッと息を吐き、巨大な黒猫へと姿を変える。四つん這いの状態でも、優にローガンの背丈を超える巨獣だ。

 金色の瞳と、唾液の滴る牙を前に、ローガンは何度目かもわからない舌打ちを響かせた。

「私たちが来る前に使った魔法は自白術ですね、先生。特別許可の必要な魔法のはずです」

 ローガンの目尻がぴくりと跳ねる。

「魔法法律学の成績は悪くないみたいだな」

「恐れ入ります」

「アンバーは大切な友人だと言ったか、女学生」

「ええ、言いました」

「そのオトモダチが死ぬぞ。このままでは」

「え……?」

 ペネロペはベアトリーチェを振り返る。

 服の袖を余らせた少年が、ぐっと唇を噛みしめるのが見えた。

「背高猫鳴き草の効能は願いを叶えることじゃない。願いを叶える手段を与えるだけだ。願いが叶わなかった場合、魔法が解除されず、力に飲まれて命を落とす。シンイーはそこまで教えなかったのか」

 忌々しげにそう吐き捨て、ローガンは続けた。

「明らかにアンバーの体内で魔力が噛み合っていない。薬を飲んだのはいつだ、アンバー」

「……昨晩です」

 より一層高くなった声でベアトリーチェは答えた。

「摂取から三日後の日没までに願いを成就させるか、魔法を無効にする解毒薬を飲むか。どちらも出来ないのであれば死ぬぞ、アンバー」

 三日後の日没。つまり、十二月二十四日の夕刻までである。

 突如告げられた現実に、ペネロペは浅く震える息を吐いた。思い出したように心臓がどくどくと脈打ち、緊張で口の中が干上がっていく。

「さっさと言え、アンバー。また自白魔法を使われたいか」

 ローガンに押しのけられ、杖を突きつけられる少年を見ても、ペネロペはもう、すこしも動けなかった。へたり込んだ少女へと、部屋を圧迫するほどのサイズになった黒猫が寄り添う。

「ねえ、なんかこっちで大きな音がしたんだけど──……ってきみ達またかい!? いいかげんにしろよ!」

 事態を把握していないエリオットの能天気な声に、彼の弟は盛大なため息をついた。





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