第18話 好奇心は猫を殺す
冬季休暇初日の夜、ペネロペはアダムとエリオットとともに食事をした。
いつも生徒たちでにぎわう食堂を三人で使うのは侘しいのではないかとペネロペは憂いていたが、それは杞憂に終わった。食堂には所狭しと輝くツリーが並び、天井からはリボンが垂れ下がり、テーブルでは燭台と楽器がきらめく。極めつけに部屋の隅には雪が積もっているのである。
混沌とした食堂にアダムは「おんな魔女の女子会ってこんな感じかな」と苦言をこぼす。
「魔力の匂いが混ざりに混ざってゲロ出そう」
「吐くなら部屋から出てくれよ。目の前で吐かれたらたぶん僕も吐く」
そんな食堂の状態を予知していたのか、ベアトリーチェは夕食時間になっても現れなかった。ペネロペが東寮の談話室へと誘いに赴いたところで結果は同じである。
「いいから。放っておいて」
顔すら上げずにベアトリーチェは言った。その声は日中よりも更に掠れている。こちらを向く気配のない瞳を前に、ペネロペはすごすごと撤退するほかなかったのだ。
言わずもがな、ローガン・F・スタンリーが食堂で食事をするわけもない。
不完全燃焼を抱えたまま、ペネロペはおのれの根城へと帰還した。ドアを開けたところで、シルビアが「おかえりなさい。すごい数の贈り物ね」と興奮気味に声を上げた。
「ええ、ベアトリーチェから貰ったの。私じゃサイズが合わないだろうから、詰めて余った分の布で、穂につけるカバーを作ってあげるわね」
「どうしたの? いつもの元気がないみたい」
箒の精が母親のごとき目敏さでそう問う。
ペネロペは曖昧に微笑み、暖炉へと火を入れた。
「ベアトリーチェとスタンリー先生は、パーティーには来てくれなさそう」
「無理やり連れてきた男と食事しても楽しくないわよ」
「ええ、それはそうなんだけど。でも、せっかくならみんな一緒にって、思うじゃない。もうすぐクリスマスなんだし」
「そういうものかしら」
「そういうものよ」
暖炉の中で、やんちゃな火の精がパチパチと火種を蹴っている。それを宥め、ペネロペはベッドのそばに並べ置いた箱へと手を伸ばした。
パステルピンクやブルー、色とりどりの包み紙には寸分のズレもなくリボンがかけられている。それらをペネロペは一つずつ丁寧に解いた。
上質な布で作られたドレスに、ブラウスに、スカート。裾や袖は美しく繊細なレースで装飾され、小ぶりのボタンが愛らしく並ぶ。西の村では見ることもなかった華やかな日傘、金ピカのヒールが艶やかな靴に、どうやってかぶるのかペネロペには見当もつかない帽子など、箱からは次から次へと一級品が飛び出した。
はじめのうち、ペネロペはそのすべてに心を踊らせ、はしゃいで声を上げた。しかし、最後の箱を開ける頃には重い気持ちに取り憑かれていた。
部屋の中を埋め尽くすプレゼントの数々。箱に収まった靴、ベッドやカウチに広がる布の海。そのどれもが、現在のベアトリーチェ・アンバーにはサイズが小さすぎることは明らかだった。いや、入学したばかりの頃だとしても、着られたかどうか怪しいものだ。
ベアトリーチェの家族は、使用人は、ベアトリーチェ本人を見たことがあるのだろうか。ペネロペはピンク色のドレスをぎゅっと胸に抱いた。
レースやガラスのボタンよりも、シンプルで洗練されたデザインを好むであろう少年。「もう着られないものばかりだろうから」と、アイスブルーの瞳に諦めの色を浮かべたベアトリーチェを想うと胸が張り裂けそうになる。
「……やっぱり、明日は無理やりにでも食事に誘うわ」
「来てくれるかしらね?」
「形振り構やしないわ。出てくるまでドアの前で泣いてやるんだから」
そう心に強く誓い、ペネロペは「さて」と立ち上がる。不思議そうな声を上げる箒の精へと、少女はにんまりと笑って見せた。
「それはそうと、ついに計画を実行するときが来たわ」
「本気なの?」
「ええ、もちろんよ。この機会を逃したら次はないもの」
「ほんと、魔女ってよくわからない。どうして好き好んで水を浴びたがるのかしら」
「正確にはお湯よ、シルビア。今度あなたも洗ってあげる」
「結構よ!」
そう言ったきり、精霊は口を閉ざす。それを横目に、ペネロペは村から持ってきたタオルとせっけんを抱え、東の塔の階段を下りた。目的地は寮の共同バスルームである。
入学してから約四ヶ月、ペネロペはずっと塔のバスルームを使用してきた。おのれがおんな魔女であることを隠さねばならないのだ、当然である。
しかし、ペネロペはどうしても共同のバスルームを使ってみたかった。ギャレットやメアリー・アンの話を聞く限り、共同バスルームには大きなバスタブがついているようなのである。
「大きいって、どれくらい?」
「どれくらいって、言われても、な!」
それは、ペネロペとギャレットがソフィーから罰則を言い渡されて五日目のことだった。
その日、ペネロペとギャレット、メアリー・アン、それからサポート役として使い魔科のサミュエルを加えた四名は、飛行訓練を行っていた。長時間の鍛錬で汗だくになった面々は、自然と風呂の話を始めたのである。
背の高い男が手を伸ばせば簡単に届くほどの低空飛行を続けながら、ギャレットは上空を飛行するメアリー・アンを見上げた。
「十人くらいなら余裕で入れるよな?」
魔力の乱れに箒が揺れ、少年は柄にしがみつく。肩に乗ったサミュエルが「ピイ!」と悲鳴を上げた。
「うるせえな、落としゃしねえよ!」
「もっと入れるでしょ。全校生徒何人だと思ってるの?」
声をかけられたメアリー・アンが優雅に高度を落とす。
「バスタブっていうよりあれは温泉ね。地下から湧き出てるらしいわよ」
「温泉ってなに?」
「地下で温められた水が地上に吹き出る現象」
ギャレットが淡々と答える。魔力の調整に気を使っているため、心ここにあらずといった声だ。
ペネロペは持ちうる限りの想像力でもって、頭の中で『温泉』を思い描いた。「大きなバスタブ、十人以上が入れて、地下からお湯が吹き出てる」
「あと、お湯が七色」
「七色ですって?」
「やけに食いつくわね」
それは是非とも入らねばならないと、七色の髪をもつペネロペは思ったのである。
ヴェルミーナ魔女学院のバスルームは二十四時間解放されている。しかし、全寮制の学院のバスルームが無人という機会は滅多になく、幼馴染みに相談すれば反対されることは火を見るよりも明らかだった。
ペネロペはずっと、共同バスルームを利用できる機会をうかがっていたのだ。
今日こそその時だ、と少女は本館の極東に位置するバスルームのドアを開けた。
広々とした脱衣所の壁は木で出来ている。天井では同じく木製のプロペラがゆっくりと回っていた。
優に三十人は入れる広さの部屋をペネロペは恐る恐る進む。念の為、浴室へと続く扉を薄く開けた。湯気で満ちたバスルームに人影はない。よし、と心の中で拳を握り、少女はそっと扉を閉めた。
はやる気持ちを抑えきれず、がばりとセーターを脱げば静電気が弾ける。それにすらペネロペは気分の高揚を覚えた。
タオルと脱いだ洋服を棚の下へと押し込む。一糸まとわぬ姿で再びドアを開け、ペネロペは浴室へと足を進めた。
ひたひたと足の裏に感じる石の感覚。そこは洞窟に似たつくりであった。
「わあ……!」
でこぼこした大きな石で出来た壁。シャワーブースは区切られ、簡素なシャワーヘッドが並ぶ。高さはまちまちで、ペネロペがちょうど使いやすい高さのものもあれば、誰が使うのだろうかと思うほど高い位置についているものもある。もちろん、スチュアートやドリトルにぴったりであろう高さのものも設置されていた。
ペネロペはそこでシャワーを浴び、身体を洗った。いつもよりおざなりに身体を清め終え、濡れた髪を後ろに撫で付ける。日が暮れて随分と時間が経過しているにも関わらず、少女の髪は未だ七色に輝いていた。学院で学ぶうち、魔力の最大値が上がったのだ。
探していたものはすぐに見つかった。
シャワーブースから少し離れた場所に、特に湯気が強く上がっている場所があった。辺り一面、何も見えないほどである。手を彷徨わせながら、ペネロペはそちらへと向かう。
そうして姿を現した『バスタブ』に、少女は今度こそ嘆声をあげた。
「素敵」
丸く、岩を深く切り取るような形でバスタブはあった。
ペネロペがあと一歩大きく足を踏み出していれば、あわや転落といったところである。
丸い湯船の周りには等間隔でクラシカルなデザインの柱が立ち、屋根を支えている。あずまやみたい、とペネロペはその美しさにため息を漏らした。
湯の温度を足先で確かめ、ペネロペは湯の中へと足を踏み出した。ざぶ、と漏れた湯はシャワーブースへと流れていく。
メアリー・アンの言葉通り、バスタブの中の湯はキラキラと七色にきらめいていた。光の加減で色の変わるペネロペの髪と同じように、金色に輝き、薄桃色になったり緑色になったりする。
ふと視線をあずまやの屋根へと向けて、ペネロペは「ああ」と納得した。
屋根は一面、ステンドグラスだった。光源こそ明らかではないが、光が色鮮やかなガラスを通して湯を七色に染め上げている。バスタブの中に腰を下ろし、ペネロペは両手で湯をすくい上げた。手の中にあっても輝きを失わぬ湯はとろとろと少女の白い腕を伝う。
ペネロペはそれを何度も繰り返し、伸ばした足で湯をかいた。しかし、もともとバスタブに浸かる習慣などない──そんなもの、結婚前夜くらいのものだ──、村の生まれのペネロペである。すぐに湯にあてられ、のぼせてしまった。
少女はバスタブから出て、歩きながら髪を絞る。そうして脱衣所に戻ろうと、ドアへと手をかけたその時だった。ドアがひとりでに開いたのである。
あれ、と顔を上げてペネロペは絶句した。
そこにベアトリーチェ・アンバーが立っていたのだ。
「あら、珍しい──、」
長い髪をタオルでまとめ、アイスブルーの瞳を見開いた少年。首筋や肩にもそばかすひとつない身体は陶器で出来た作り物のように美しい。
あばらの浮きかけた胸と、かたちのいいおへそ……と徐々に視線を落としていたペネロペが固まる。そして、少女と同じく相手の身体を上から下まで眺め終えた少年は、そのまま黙ってドアを閉めた。
トポトポトポ、とバスタブから湯が溢れ出る音が響く。上がった蒸気が石の壁に集まり、水滴となって床を叩く音もだ。壁一枚隔てた脱衣所から少年が出て行く気配を感じ、ペネロペは今度こそ扉を開けた。
濡れた髪を絞る。もう水はほとんど出なかった。棚の下に隠し置いていたタオルで顔を拭き、それを身体へと巻きつける。
心臓が内側から激しく胸を叩いていた。ここから出してくれとでも言っているように。
ペネロペは、すう、と大きく肩を上下させて深呼吸する。吸って、吐いて。もう一度吸う。そうして少女は、腹に溜まった感情を、一気に外へと吐き出した。
「きゃあぁああああああ!」
北の森で、伝達事項を聞きこぼした狼が「もう一度頼む」と遠吠えを返した。
一番に共同バスルームへとやって来たのはアダムであった。
「どうしたペネロペ!? なんで風呂にいる!?」
よほど慌てていたのか、黒猫の姿でやって来たアダムは、タオル一枚の姿で脱衣所にへたり込む幼馴染みを見て絶叫した。「誰にやられた!?」
「だ、誰にって、な、なにが」
「噛み殺してやる!」
「なんて物騒なこと言うのよ!」
「さっきの悲鳴はペネロペかい? 何でこんな所から声が、わぁ!?」
続いて現れたエリオットが大きな声を上げる。
無理もない。ペネロペはタオルを巻いただけの姿であり、急いで変身術を使ったアダムは今日も今日とて衣服の変性魔法に失敗して全裸である。
「妙なマネするなって僕言ったよな!?」
チェックのベストを脱ぎ、シャツまでペネロペへと寄越したエリオットがアダムに詰め寄った。その目は吊り上り、疑心と義憤に染まっている。
ああ、こうして見るとやっぱり双子だわと、ペネロペはエリオットのシャツを纏いながら思った。
「おい、なにを大騒ぎして──、」
遅れてやってきた黒い影に、全員がそちらを見やった。
珍しくラフなシャツ一枚で立ち尽くすローガンは、驚きに目を見開いていた。
女子生徒の悲鳴が聞こえ、その現場らしき共同バスルームに駆けつけると、当の本人は半裸。女子生徒と同郷の少年は全裸であり、更に兄は上半身裸で少年へと掴みかかっているのである。
ローガンは混乱していた。そうして混乱冷めやらぬままに、双子の兄に向かって杖を突きつけた。
「エリオおまえ、俺と同じ顔で妙な事件だけは起こすなと、あれほど」
「待て待てローガン落ち着け誤解だ! おまえは僕が熟女趣味寄りなの知ってるだろう!?」
アダムから跳びのき、エリオットは両手を上げる。
「すいません、私がいけないんです! 私がっ……私が──、」
ペネロペは胸に寄せた拳をぎゅっと握りしめ、事の顛末を彼らへと話した。
好奇心で共同バスルームを使ってしまったこと。アダムの話しぶりから、普段のベアトリーチェは深夜に風呂に入っているのだろうと油断していたこと。そして、鉢合わせた彼に全身くまなく見られてしまったこと。
ペネロペは顔を火照らせたり青ざめさせたりしながら、すべてを話し終えた。
少女の話を聞き終えた面々は、それぞれが頭を抱えた。エリオットは西の金獅子にどう報告をしたものかと思考を巡らせ、アダムは「あのオカマどうしてくれようか」と息巻く。
ローガンはと言えば口元に手を当てて物思いにふけっている。そうしてしばらく考え込んだあと、「起きてしまったことは仕方がない」と極めて冷静に呟いた。
一番激しく叱責を浴びせかけてくるだろうと予想していた男の穏やかな姿に、ペネロペは拍子抜けした。もちろん、それと同時に胸をなでおろす。
「結界魔法を強化して、学院を外と完全に遮断しよう。それで手紙は飛ばせまい」
「さすがだローガン。頼んだよ」
「一番厄介なのは実家やサバトに報告されることだからな。アンバーはサバトにパイプがある」
「手紙が出せないなら休み明けまでは安心だね。その先は? 記憶でも抜く?」
「出来るだけ手荒な真似は避けたい。私から彼に話をしよう」
「あのっ」
スタンリー兄弟が頭上で話すのを聞き、ペネロペは小さく手を挙げた。
二対の赤い瞳に見下ろされ、ペネロペは「あの」ともう一度繰り返す。
「すいません、私の不注意で、こんな事に」
「仕方ないよ。あんな人魚専用のバスタブじゃ飽きるのも無理はないさ」
「人魚?」
「ドワーフ風がいいなら先にそう言っておけ女学生」
「ドワーフ?」
「うん、ごめんね。話を続けてくれ」
エリオットがそう、ペネロペに話の先をうながす。
「それで、あの。私も行きます。私、ベアトリーチェにうそを……うそをついたわけじゃないけど、隠し事をしていたことには間違いはないし。友達に隠し事なんて、私……」
「仕方ないさ。ベアトリーチェ・アンバーは聡い男だ。もうだいたいの見当はついてるんじゃないかな」
「はい。でも……、自分の口で、説明したいです」
ペネロペは顔を上げた。困惑した面持ちのエリオットとアダムと目が合う。
ローガンはいつも通りの仏頂面を崩さず、ふん、と面白くなさげに鼻を鳴らした。そうして、ペネロペを睨みつけたまま口を開く。
「だったらすぐに服を着たまえ」
「はい! ありがとうございます!」
「気の抜けた顔をするな。問題はここからだぞ」
「いえ、スタンリー先生はもっと火種みたいに怒鳴り散らすと思っていたので安心して」
「望み通りおまえを今すぐ杉に変えて火にくべてやろうか」
「反省文十枚書きます」
「おまえのくだらん小説を私に七枚も読めと?」
「今日ばかりはきちんと書けそうです。反省点がたくさんあるもの」
「普段から反省しろ」
服を身につけたペネロペは、何か言いたげな目をしたアダムを残し、ローガンと共に東寮へと向かった。すっかり暗くなった廊下に、二人分の足音が響く。
ローガンは何も言わなかった。何か考え込んでいるようでもあり、呆れているようでもあった。
東棟の三階に、彼の部屋はあった。
ベアトリーチェ・アンバー、ヴィルヘルム・スコット。ドアの横に二枚並んだ簡素なネームプレートにはそう記されていた。その下には一枚分空白のスペースがあり、それを見たペネロペは自分がこの部屋に入るはずだったことを思い出した。
ペネロペに何かを言うでもなく、ローガンはドアを軽く三回ノックした。
「夜分にすまない、アンバー。話がある」
意外にもベアトリーチェはすぐにドアを開けた。美しい顔をつんとさせた、いつも通りの表情で少年は来訪者へと「なにか?」と目をやる。その声はやはり酷く掠れていた。
「分かっていると思うが、この愚か者のことだ」
「ええ。その愚か者がなんですの? スタンリー先生」
赤と青の冷たい瞳に見下ろされると、ペネロペは何も言えなくなってしまう。
「百聞は一見にしかず。信じられないだろうが、見たんだろう。これはおんな魔女だ」
「……ふ」
「なんだね」
「いえ。存外素直に認めるんだなと思って。魔法を使っていたとか、夜だけ性別の変わる種族だとか、魔法薬調合に失敗したとか。いくらでもつける嘘はあるでしょうに」
「きみ相手にバレるような嘘をついてどうなる」
ベアトリーチェの顔から軽薄な笑みが消える。嘲笑すら浮かべなくなった少年へと、ローガンは続けた。
「ペネロペ・クルスについて、我々もまだ把握しきれていないというのが正直なところだ。本人ですらそうなんだからな。ただひとつ、この娘の存在をサバトが認知していないということだけは確かだ」
「魔女名簿に登録されていないということですね」
「ああ。それで、虫のいい話だということは承知の上で頼みがある。全てが落ち着くまで、どうかこの事はきみの胸の内にとどめておいてほしい」
ベアトリーチェはその言葉に何も答えず、ただ、じっと男を見上げている。
そうして、再び口の端に薄い笑みを浮かべた。
「心外ですわ、先生。わたしが喜び勇んで口外するとでも?」
「いや、そうは思っていない。確認をしたまでだ。きみが聡明な男で助かった」
「ええ。要件はそれだけですか」
そう、ドアノブに手をかけたベアトリーチェが冷たい声で問う。
ペネロペは慌ててローガンの前へと進み出た。ローガンがおのれを制する声など、今のペネロペには聞こえなかった。
「ごめんなさい、ベアトリーチェ。私ずっと、あなたに隠し事をしてた」
「隠してたわけじゃないでしょう」
ペネロペから視線を逸らしたまま、少年は掠れた声で言う。
「ヴェルミーナ魔女学院におんな魔女が居るだなんて誰も思わなかったし、確認しなかった。それだけよ」
力のない声でベアトリーチェは言い、「じゃあ」とドアノブを押す。ペネロペはそれを押し返しながら、更に続けた。
「本当にごめんなさい。でも、性別がどうであろうと私の気持ちは変わらないわ。ベアトリーチェは大切なお友達よ」
「光栄ね。おんな魔女にそこまで言ってもらえるなんて」
「男だとか、女だとか、そんなのどうでもいいことじゃない。些末な問題よ。そんなことで私たちの関係は変わらないでしょう?」
「……ごめんなさい、もういいかしら。疲れてるの」
深くうつむいたまま、くぐもった声で少年は言う。長い銀髪でその表情は窺えない。
「ベアトリーチェ」口を開きかけたペネロペの肩をローガンが掴む。そのまま廊下に押しやられ、ペネロペはよろめいた。
「すまなかったアンバー。手を煩わせたな」
「いえ。おやすみなさい」
「ああ、ゆっくり休め」
パタン、と軽い音を立ててドアが閉まる。ローガンはペネロペを一瞥もせずに本館に向かって歩き出した。眉間には普段よりも深いシワが刻まれていた。ついて来るな、とその背にはまざまざと書かれている。
ペネロペは呆然とそれを見つめ、男と反対方向に向かって足を踏み出す──も、すぐに振り返って耳をすませた。
ベアトリーチェの部屋から、にゃーん、と獣の鳴く声が響いた気がしたのだ。
「……ねこ?」
使い魔科の生徒は、アダム以外帰郷したはずだ。「野良猫でも拾ったのだろうか」と、いつかの中庭で、白い猫をあやしていたヴィルヘルムの姿をペネロペは思い出した。
ドアの向こうはしんと静まり返っている。
「気のせいかしら」
そう、小さく呟いて。ペネロペはとぼとぼと、塔に向かって歩き出した。
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