第17話 氷馬
ペネロペ、アダム、エリオットの三人が、食堂で思い思いの飾り付けをしていると、食堂のドアがバタンと音を立てて大きく開いた。三人はそちらへと目をやる。
開け放たれたドアを背に、ローガン・F・スタンリーが立っていた。今日も眉間に深い溝を刻む男は部屋の中を見渡し、呆れたように息を吐く。
「統一感が無さすぎる」
ローガンが苦言を呈するのもうなずける。天井からは色とりどりのリボンがぶら下がり、かと思えばテーブルには敬虔な信者が用意したかのようなシックな燭台がずらりと並ぶ。
さらにはペネロペが練習台にと降らせた室内雪で、部屋の片隅には雪原が出来ている。溶けかけたスノウマンが床にダイイングメッセージを刻んでいた。
「私が子供だったら泣いてるぞ」
「そんな可愛い子供じゃなかったろ。頼んでたもの、どうにかなった?」
「ああ」
壁にオーナメントを引っ掛けていた兄の問いに弟は短く答え、腕を軽く振る。
ドアの向こうから飛んできた数十本にも及ぶモミの木に、ペネロペは声を上げた。木々は初めから配置が決められていたかのように、迷いなく壁沿いに等間隔に並ぶ。
ペネロペやアダムどころか、スタンリー兄弟よりも遥かに背の高いモミの木は根が土を抱えたままであった。首を傾げる二人の生徒に、ローガンは「クリスマスのためだけに切る必要はない」と無愛想な声で言った。クリスマスを過ぎれば再び地に帰してやるということだろう。
「では諸君、よいクリスマスを」
「えっ、スタンリー先生はパーティーしないんですか?」
「私はきみたちと違って忙しい」
「なんだい、まさか誰かに呼ばれてるの?」
悪戯っぽく微笑むエリオットに、ローガンは大袈裟に舌を打つ。
その獰猛さにペネロペとアダム──特にアダムである──、は身をすくめたが、エリオットは慣れたものだとニヤつく頬を動かさなかった。
「ついに年貢の納め時が来たのかな?」
「仕事が残ってる。部屋か準備室に居るが、のっぴきならない用事以外では声をかけるなよ」
「すでにのっぴきならない用事がある」
ローガンが片眉を上げる。エリオットは恭しい仕草で部屋に並んだモミの木を指した。「これだけのツリー全部に飾りつけをするのは骨が折れるよ」
ローガンは何度目になるかもわからないため息をつき、懐から杖を取り出した。今日はペンを杖代わりに使っているようである。
「フェルフル」
男は短く呪文を口にする。ペネロペはその声に甘さが滲んでいるのを感じた。
開いたままのドアや、窓の隙間から精霊たちが雪崩れ込んでくる。彼らは鈴のような笑い声を上げながらローガンの周りを漂い、そうして部屋の隅々へと散っていった。
モミの木に光がまとわりつき、星が弾ける。その瞬間、光は色鮮やかな木の実や宝石へと姿を変えた。
瞬く間にきらびやかに飾られたクリスマスツリーは、どこか誇らしげに輝く。ペネロペはその時、ローガンの傍らに立つモミの木がお辞儀でもするように男へとしなだれかかるのを見た。そして男が、そんなモミの木に薄く微笑み、枝を愛おしげに撫でてやるのを。
なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして、少女は急いで視線を床へと向けた。「どうかした?」今は幼馴染みの気遣いがありがたくも迷惑だった。
「これで文句ないだろ」
「うん。さすがだねローガン。またイヴに呼びに行くよ」
「ああ。行けたら行く」
「それ来ないってことだろ。来てくれなきゃドアの前で形振り構わず泣き喚いてやるからな」
「形振り構え。じゃあな」
そう言ってローガンは、ペネロペとアダムに目もくれず部屋の出口へと向かう。
と、ドアをくぐった男が「女学生」とペネロペを呼んだ。ほかの生徒の姿が見えないとき、ローガンは決まってペネロペをそう呼ぶのだ。
「はい、なんでしょう」
「きみへの荷物じゃないか」
「はい?」
スカートに降り積もっていた室内雪を払い、ペネロペはドアへと足を進めた。
そうして、驚きに目を瞬いた。ドアの外に、大きな馬が立っていたからだ。それも、氷で出来た馬である。
純度の高い魔法の匂いに少女は「すごい」と声を上げた。後ろに立つローガンが「アンバーだな。さすがだ」と迷いのない口ぶりで続ける。
「うわ、なんだいこれ」
「馬だろ」
「いや、それはわかるんだけどさ」
ペネロペに続いて顔を出したエリオットが氷の馬を見上げて声を上げ、それにアダムがうんざりした様子で答える。意外にこの二人の息が合うことをペネロペは知っていた。
馬が前足をかく。カツカツと床を鳴らし、荒い息を吐いていななく馬にスタンリー兄弟は反射的に後退った。
「なにビビってんだよ事務員。まえがきだよ」
「まえがきは本でしか見たことがない」
「全然面白くないぞ」
「都会育ちなんだよ、これでも」
なおもカリカリと地を掻く馬。その耳が外側を向いているのを確認してから、ペネロペは彼の顔をゆっくりと撫でてやった。手のひらに伝わるのは氷の冷たさだが、その奥に漂う精霊の声が喜びに満ちているのがわかる。そのあたたかさにペネロペは嬉しくなった。
何度も顔を撫で、顎の下をかいてやる。
「私に何か用事があるのね?」
氷馬はブルル、と鼻を鳴らす。
「女学生」ローガンの硬い声にペネロペは視線を上げた。男はいつも通りの仏頂面で、馬の背後を指差している。
「アンバーからきみ宛てだろう」
馬の背には鞍が付けられ、鞍には更にソリが装着されていた。もちろん、すべて氷製だ。
ソリにはたくさんの箱が積まれていた。大きなものから手のひらサイズのものまで、数にして十数個。色鮮やかな包み紙の箱を見て、ペネロペは手を打つ。
「お洋服をくれるって、さっき言われました」
「だったらさっさと受け取って精霊を帰してやれ。ここは彼らには暑すぎる」
「サー、イエス、サー!」
「今度そのふざけた返事をしたら、その珍妙なセーターを解いた毛糸で口をまつり縫いにしてやるからな。覚えておけ」
「母の手編みなんですこれ」
「悪かった。よもや手製とは」
「どうしてみんな謝るんです?」
アダムと手分けして、ペネロペはソリから全ての箱を下ろした。
「ごめんなさいね、こんな暑い場所に引き止めてしまって」
「いいこだな。あいつが作ったと思えない」
ペネロペとアダムがそう言って撫でてやると、馬はブルブルと嬉しげに鼻を鳴らす。
「さあ、行って」
少女が氷馬の尻を打つ。前足を大きく上げていなないた馬は、中庭の方向へと駆け出した。
石製の廊下を氷の蹄が軽快に叩く音はいつしか遠くなり、そうしてふっと聞こえなくなる。空を昇っていったのだろうとペネロペは思った。
「さあて、クリスマスパーティーの準備を再開しようか」
エリオットがそう言い、ローガンは何事もなかったかのように三人へと背を向けた。
「ペネロペが貰った服を見ていかないの?」兄の問いに弟は一瞬足を止め、首だけで振り返った。
「女の服なんてどれもだいたい同じだろう」
「ね、ペネロペ。こんな男にクリスマスの予定があるわけないんだよ」
エリオットの言葉にうなずくことも出来ず、少女は斜め四十五度の、曖昧な応答を返すしかなかった。
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