第16話 拗らせるべからず


 とある日の授業終わり、ペネロペが何気なく食堂を覗くと、ソフィー・モーガンが一人でテーブルについているのが目に入った。

 ヴェルミーナ魔女学院の教師は寮に住んでこそいるが、基本的に食堂を利用しない。彼がテーブルで物思いに耽る姿は、ペネロペの好奇心を大いに刺激した。

 少女は迷いのない足取りでテーブルの間を進む。そうして、今日も今日とてスカート姿の男へと声をかけた。

「こんにちは、ソフィー先生」

「ああ、ペネロペ。ご機嫌よう。授業の具合はどう?」

「そこそこです。先生、ここ空いてますか?」

 己の向かいの席へと視線を落とした少女に、男は「もちろんよ」と微笑む。

「珍しいですね、先生が食堂におられるなんて」

「ええ、ちょっとね。野暮用で」

「やぼよう」

 都会の魔女は難しい物言いをするなあとペネロペは席につく。

 テーブルには上質なティーセットが並べられていた。なめらかな白のポットやカップには青い薔薇模様が散り、銀の縁取りが施されている。一目でソフィーの私物だとわかるデザインだった。

「お茶はいかが?」ソフィーの言葉にうなずきつつ、ペネロペはテーブルの上にぽつんと残された、使用済みのカップへと視線を向けた。

「私の前にも誰かとお茶を?」

「ええ。そのために来たんだけれどね。思うようにはいかなかった」

「思うようにって?」

 ペネロペの問いには答えず、ソフィーは揃いの皿に乗ったビスケットを少女にすすめる。

「いただきます」

「同じ言葉を介するからといって、分かり合えると思うのは傲慢──、か」

「ソフィー先生?」

「いえ、まったくその通りだと思ってね」

 どこか疲弊した様子でソフィーは呟く。

 ビスケットをかじりながら、ペネロペはそれを見つめた。

「先生、すこしお疲れのように見えます」

「ごめんなさいね。疲れた顔を見せるだなんて教師失格だわ」

「ソフィー先生はいい先生ですよ」

「あら、ありがとう。チョコレートもいかが?」

 差し出された山積みのチョコレートにペネロペは無邪気な声を上げる。それに微笑んで、ソフィーはカップを見下ろした。赤褐色の水面に映ったおのれの顔に疲労が滲んでいるのを見つけて「年かしらね」と自嘲する。

 そんな男へと、ペネロペはチョコレートで汚れた唇を小さく開いた。

「おさとう」

「え?」

「お紅茶にお砂糖はいかがですか?」

「……そうね、疲れている時にはいいかもしれない」

「しばしお待ちを」

 ペネロペはそう言い、ソフィーのカップへと手を伸ばした。

「ちょっと、シュガーポットはこっちよ」からかう教師へと神妙にうなずき、一年生魔女はカップの真上でぱちんと指を鳴らす。

「あなたに幸せがありますように」

「あら、随分と可愛らしい呪文だこと」

「我が家秘伝の呪文です」

 真剣にのたまう幼い魔女を訝しみつつ、ソフィーはカップに口をつける。

 カップを傾け、唇に紅茶のあたたかさを感じる寸前、男はちらと向かいの席へと目をやった。見たことがないほどに真剣な顔をして、ペネロペはおのれの呪文の行方を見つめている。その姿に喉の奥で小さく笑って、ソフィーは薄く唇を開く。

 上質なダージリンの香りが鼻を抜ける。その後に広がった甘みに、ソフィーは「ふ」と息を漏らした。

「さすが西の村の魔法ね。あたし好みのやさしい甘みだわ」

「ありがとうございます。母も喜びます」

「後学のためにお聞きできるかしら。なんていう精霊との契約なの?」

「いいえ。契約は必要ありません」

「……どういうこと?」

「魔法なんてひとつも使っていないので」

 あっけらかんと、そう言い放った少女の頭をソフィーは瞬時に掴んだ。目にも止まらぬ早業であった。

「随分とシャレた悪戯するじゃねえの、一年坊主」

「ママがよく、あの! よくしてくれたんです!」

「本当に魔法じゃないの?」

「違いますよ! だって冬にも使ってたし! 無からお砂糖は生み出せません!」

 魔女の魔法のほとんどは、精霊から力を借りるものである。精霊すら甘味に飢えるらしい西の村の厳しい冬を思い、ソフィーはなんとも言いがたい気持ちになった。

 そうして、ペネロペの頭を掴んでいた手で七色の髪をかき混ぜる。三つ編みが乱れ、くしゃくしゃと毛束が飛び出た。

「してやられたわ、ペネロペ・クルス。でも本当に甘く感じたの。思い込みって怖いわね」

「あなたに幸せがありますように。誰かの幸せを願うとき、その人もまた幸せになれるのだと、母はよく言っていました。そのもっともお手軽な方法が、大切なひととのお茶の時間だって。ささやかな幸せが一番大切だって」

「本当に……、あなたのお母様は素敵な方ね。お母様の言う通りよ。本当は、それだけで十分なはずなのに」

 首を傾げる生徒へと、ソフィーは話し出す。

「あなたと飲むお茶は、砂糖なんかなくたっていつもよりうんと甘く感じるわ。それは、あなた達がみんなあたしの大切な生徒だからよ」

「……ソフィー先生?」

「それをあの子にもわかってほしい。──わかってほしい、なんて傲慢ね」

「いつか、信じてほしい」そう言ってソフィーは、なおも首を傾げるペネロペへと笑って見せた。

 美しい顔立ちに豪快な笑みを浮かべるその笑顔が、ペネロペは好きだった。

「さあ、悪戯っ子の魔女さん。そろそろ古典学の補習が始まる時間よ」

「あっ、本当ですね! 先生、ごちそうさまでした!」

「こちらこそ、ペネロペ。それにしても、あなたが五分前行動を心がけるようになるだなんて、先生とっても感慨深いわ。涙が出そう」

「今度遅刻したら私、杉の木に変えられてスタンリー先生の部屋の本棚にされるんです」

「そこまで行くともう愛の告白にすら聴こえてくるわね。今度はあなたの愚痴を聞くことにするわ、ぜひまた女子会をしましょう」

「ええ、もちろん。よろこんで」

 そう言って笑い合う二人の魔女を見つめる、ひとりの男。偶然、食堂に居合わせたギャレット・レイズが怪奇現象でも目撃したかのような表情を浮かべる。

 そんな、とあるティータイムのことであった。



 十二月二十一日。しんしんと降りしきる雪の中を、ヴェルミーナ魔女学院の生徒たちが正門に向かって歩いていく。

 門へと続くアプローチには馬の形をしたトピアリーがずらりと並ぶ。その間を楽しげに歩く朋輩たちの姿を、ペネロペは本館二階の窓からアダムとともに見下ろしていた。

 西の村で大流行しているプクプク緑風邪のせいで帰郷の叶わぬ二人は、冬期休みが明ける一月の頭まで、ヴェルミーナ魔女学院寮で過ごすことになっている。

「なにもこの時期に流行らなくてもいいのにな。三月頃流行った年もあったのに」

 窓際に腰掛け、忌々しげに唸る幼馴染みにペネロペは笑った。

「ええ。でも、帰省中に流行るよりはマシでしょう?」

「それはそうだけどさ」

「パパに会いたい?」

「まさか」

 幼馴染みにからかわれ、唇の端を持ち上げて笑うアダムの横顔は、入学した頃より大人びている。フェイスラインがシャープになり、肩や胸は厚さが増した。父親譲りのすっと通った鼻筋は、凛々しい青年のものへと変わりつつあった。鋭い金色の双眸は時折、ペネロペの知らぬ色を浮かべる。

「アダム、やっぱりなんだか大きくなった?」

 ペネロペの問いにアダムは一瞬だけ目を瞬かせ、そうしてふっと得意げに笑った。

「ああ。身長も伸びたし、魔力も増したよ」

「本当に? ここのところ、飛行学でペアにならないから」

「うん。巨獣化きょじゅうかもかなり安定して出来るようになってきたし」

「巨獣化って?」

「大きな猫の姿になれるんだ。ペネロペくらいなら乗せられるよ。今度見せてあげる」

「楽しみにしてるわ」

 一学期の学期末テストを、ペネロペはなんとか古典学の再試験のみで乗り越えた。──とはいえ、そこにはペネロペ本人の血の滲むような努力があり、スチュアート教頭の根気があり、ギャレット・レイズの罵声と犠牲があった。

 ギャレット自身は飛行学の実技試験を再々々試験でパスし、先程学院をあとにしたところであった。もちろん、田舎者な上、帰郷すら叶わないアダムとペネロペを小馬鹿にすることも忘れなかった。

「学院に残るのって俺たちだけなのかな」

 窓下の生徒を見下ろしながら、アダムが言う。

「どうかしら。使い魔科の寮はどんな感じだった?」

「使い魔科は俺以外全員帰ったと思うよ」

「じゃあ魔女科も私だけかもしれないわね」

 だったら今こそあの計画を遂行するときだ、と少女は一人ほくそ笑む。

 そんなペネロペをよそに、アダムは「あー」と気まずげな声を上げた。そうして、窓枠に触れていたペネロペの手をきゅっと握る。少女は突然の幼馴染みの行動に戸惑うこともなく、無邪気な笑い声を上げた。

「アダム、手も大きくなったわね」

「もうすぐクリスマスだよ、ペネロペ」

「ええそうね。くつ下を持ってくるのを忘れたわ」

「俺の部屋に来ない?」

 ペネロペはじっと、幼馴染みの金色の瞳を見つめた。

 ペネロペの住む東の塔への生徒の立ち入りは、原則禁止されている。しかし、ペネロペ自身が東寮や西寮へと赴くことは禁止されていなかった。もちろん、北棟にある使い魔科の寮も同じ条件である。

「行ってもいいの?」

「ああ、もちろん」

「突然どういう風の吹き回し?」

「だって、普段は犬っころが居るから──、」

「不純異性交遊禁止だよ」

 背後から突然聞こえたそんな声に、アダムとペネロペは振り返った。

「きみたちは、親御さんからお預かりしている大切なお子さんなんだから」二人の背後に立つエリオットが、そう言って笑う。

 両手に大量の箱を抱えた男。その黒髪は今日も無造作に跳ねていた。屋外に出ていたのか、冷気で頬がほんのりと染まっている。

「ここにいる間は男同士だろ、俺とペネロペは」

「不純同性交遊も禁止。僕とローガンも残るからね、妙なまねしたらすぐにバレると思っておいてくれよ、アダム・バックランド君」

「妙なまねって?」

 ペネロペの問いにエリオットはにっこりと笑い、それ以上何も言わなかった。

「その箱はなに?」エリオットの抱える箱に視線を移し、ペネロペは問いなおす。

「ああ、クリスマス用の飾りさ。毎年せめてもの慰めに食堂を飾るんだ」

「毎年生徒が残るの?」

「生徒はその年によるかな。そんなことよりお二人さん、随分と攻めたセーターを着ているね。噂の母君のかい?」

 ペネロペとアダムの胸元を見つめ、エリオットは薄ら笑いを浮かべて言う。

 笑っていいものか、むしろ笑わなければいけないのか。それを決めあぐねている様子の男の言葉を受け、西の村人二人は互いの身体を包む毛糸へと目を向けた。

 からし色の下地に、真正面から見たイワシの姿──こちらは目の覚めるようなブルーである──、が編み込まれたセーターはアルバ渾身の手編みで、二人お揃いのデザインだ。

 ペネロペの胸にはイワシの顔が、背にはイワシの断面が描かれており、アダムの胸に描かれた断面と繋がる仕様である。もちろん、アダムの背では、イワシの背びれがこれでもかという異彩を放っている。アダムが後ろからペネロペに抱きつくと、一匹のイワシが錬成される仕組みだ。

「このセーターに何か文句でもあるのか事務員」

「いや、素敵だと思うよ。僕も弟とそういうの着たいくらいだ」

「母に頼んでおきましょうか?」

「いいや、多忙なきみの母君の手を煩わせるのは忍びない。遠慮しておくよ」

 エリオットのその言葉で、ペネロペはおのれの顔が曇るのを感じた。

 結局、十二月に入った現在もアルバからの返信は届いていない。見るからに肩を落とした少女の姿に、エリオットは慌てて手を振った。

「ごめん、イヤミを言ったつもりはないんだ」

「悪気が無けりゃ何言ってもいいと思ってんのか?」

 アダムは今まで以上に冷たい目で事務員を睨みつけ、吐き捨てるように言う。そうして、ペネロペへと笑いかけた。

「大丈夫だよペネロペ。プクプク緑風邪のせいで、アルバさん忙しいんだ」

「ううん。わかってる」

「わかってるって?」

「やっぱり、ママは全部知ってたんだと思う」

 幼馴染みの言葉にアダムは口を引き結んだ。その後ろでエリオットもまた、うつむく少女を黙って見つめている。

 魔女の血のことも、サバトのことも、魔女名簿のことも、全て知った上で娘を学院に送り出した母親。その真意が掴めぬままに、時間ばかりが流れる。

 さぞもどかしいだろうと、エリオットはペネロペの横顔を見つめた。入学したばかりの頃よりも、憂いを帯びることの多くなったソバカスの散る頬。少女もまた、少年たちと同じように成長している。

「いいさ、ペネロペ。今度の長期休みには無理やりにでも帰ればいい。きみたちは一生家に帰れないってわけじゃないんだ。いつかはきっと話を聞けるよ」

 そう、明るい声で言うエリオットにペネロペはうなずいた。

 少女のすみれ色の瞳がやわらぐのがアダムは面白くない。気慰みに窓の外を見下ろし、そこにあった見覚えのある影に「あれ」と声を上げた。

「スコットとアンバーはまだ帰ってなかったのか」

 窓の下では、ヴィルヘルムとベアトリーチェが何やら話し込んでいた。ヴィルヘルムが品のいいコートを身に纏い、大きなトランクを持っているのに対し、ベアトリーチェはカーディガンを羽織っただけの寒々しい格好だ。

 白い雪が舞う中、真剣な面持ちで話す二人の姿は不思議と絵になった。

「今生の別れみたいだな」

「根性?」

「今生の別れみたいなものだろうね。彼らにとっては」

 見当違いな声を上げるペネロペの言葉をエリオットはさらりと流す。

「生まれてからずっと一緒だったろうし。半月足らずとは言え、離れ離れだなんてきっと初めてのことだよ」

「半月って?」

「今年の居残り組さ。きみ達と、僕とローガン、それからベアトリーチェ・アンバー」

 いやあ、楽しいクリスマスになりそうだ。エリオットのその言葉が本心なのか、虚勢なのか。それがわからないままに、ペネロペは窓の下を見下ろす。

「──帰らないって、どうしてなのかしら」

「どちらかと言えば、理由はきみ達のより僕ら兄弟の方に近いかもしれないね」

 首をかしげるペネロペに、エリオットは「ああ、ごめん。なんでもない」と首を振った。

「本人からは体調不良を理由に残寮願いが出てたはずだ」

「季節性の風邪ね」

「ああ、確かそう。本人から聞いたのかい?」

 エリオットが納得したようにうなずくのに、今度はペネロペが緩く首を振る。

「ヴィルヘルムから聞いたの。ベアトリーチェが飛行学で飛びくらみを起こした時に」

「きみとギャレットのいざこざがあった時の話だね」

 飛行学での件の騒動。多忙を極める日々のせいであっと言う間だったが、ギャレットとの一件は随分前のことのように思えた。痛みの記憶すら薄れた頬を撫でて、ペネロペはもう一度窓を見下ろす。

 ちらつく雪が、重い雲から溢れた光を反射し、時折輝く。その中で薄く微笑むベアトリーチェは雪の精霊のように美しかった。薄く白いまぶたが、生きている者のものとは思えない。

 ヴィルヘルムよりも青白くなった少年の頬を見て、ペネロペは窓に背を向けた。

「ペネロペ、どこ行くんだ?」慌てて声を上げた幼馴染みへと、少女は答える。

「ベアトリーチェ、顔色が良くないわ。やっぱり体調が悪いのよ」

「だから? 何しようってんだ」

「あんな寒いところで話し込む必要はないわ。中に入るよう言ってくる」

「あの高飛車が誰かの言うこと聞くもんかよ」

「だったら上着だけでも貸してくる」

 そう言ってペネロペはセーターを脱いだ。途端、冷たい風に背中が震えたが、構わなかった。それだけ母のセーターには防寒効果があるのだと安心したくらいである。これ一枚着るだけでもずいぶんと違うはずだ。

 ペネロペは本館二階の廊下を走り抜け、階段へと足を進めた。玄関ホールから吹き上がってくる外気で息が白く染まる。

 体調が悪いのに、こんなところで話し込むなんて。

 そう、ペネロペが小言の一つでも言ってやろうと息巻いた時だ。銀色の長い髪を揺らし、ベアトリーチェが玄関ホールを階段に向かって歩いてくるのが目に入った。ペネロペは残り数段を残した階段の途中で足を止める。

「ベアトリーチェ!」

「……ああ、こんにちは。今日もお元気そうね」

 律儀に挨拶を口にするベアトリーチェの声は酷く掠れていた。

「喉、ひどいのね」

 ペネロペはおのれの喉に触れながら言った。それだけガラガラの声をしているのなら、さぞ痛むだろうと思ったのである。血の味が滲むような咽頭痛には覚えがあった。

「ええ。だからあまり話したくないの」

「はちみつ入りの紅茶でも淹れましょうか?」

「いいえ、結構」

「ホットミルクにする? それとも生姜湯がいい?」

「結構よ。お気遣いなく」

「良かったらこれを着て。雪の日に外で話し込むのはおすすめしないわ。風邪をこじらせたらどうするの?」

「わたし、話したくないって言ったわよね? 聞こえなかったのかしら。──それにしてもすごいデザインね、それ。尊敬するわ」

 ペネロペが差し出したセーターを見て、ベアトリーチェは眉間にしわを寄せる。

「ありがとう。母が編んでくれたの」

「ごめんなさい。手編みとは知らずに」

「どうして謝るの?」

「うるさいわね。とにかく、そんなに大事なものをよく知りもしない他人に容易に貸してはダメよ」

「どうして? ベアトリーチェは大切な友達よ」

 ペネロペの言葉にベアトリーチェは何も言わず、階段へと足をかけた。

 その時感じたわずかな違和感に、ペネロペは「あれ」と声を上げる。ベアトリーチェが足を止めた。

 数段下に立つはずの少年のアイスブルーの瞳。それが自分の目と同じ高さにあるのを、ペネロペは何とも不思議な心持ちで見つめた。

「ベアトリーチェ、すごく背が伸びたわね」

「……ええ。そうね」

「ソフィー先生みたい。素敵よ」

「馬鹿言わないでちょうだい」

 馬鹿言わないで。もう一度そう繰り返し、ベアトリーチェは階段を上がる。

 そうして、ペネロペを追い越し数段上がったところでくるりと振り返った。銀色の髪が舞い、それが雪のように輝く。

 あまりに美しいその光景を、ペネロペは夢見心地で見つめた。

「さっさとその前衛的なセーターを着なさい。見ているだけで寒々しい」

「ええ、そうする。ベアトリーチェもあたたかくしてね」

「まさかとは思うけど、クリスマスもその服で過ごすつもり?」

「ええ。そのつもりで、」

「景観を乱すわ。わきまえて」

 そうは言っても、ペネロペはそうたくさん洋服を持っていない。西の村ではせいぜい二着あれば良い方だったのだ。何も言えずにいるペネロペへと、ベアトリーチェは口を開く。

「クリスマスに帰らないって言ったら、実家から服が届いたの」

「ベアトリーチェのママならきっと素敵なお洋服を買ってくれるんでしょうね」

「まさか。使用人が見繕ってくるのよ。もう着られないものばかりだろうから、よかったら貰ってくださらない? 不要ならそのまま捨ててくれたらいい」

「着られないって、どうして?」

「食堂に運んでおくから。じゃあ、よいクリスマスを」

 ベアトリーチェはそうまくし立て、立ち尽くしたままのペネロペを置いて階段を上がっていってしまった。

 銀色の毛先が見えなくなってからも階段の先を見つめる少女。階段柵からひょっこりと顔を出したアダムとエリオットが、そんなペネロペを見下ろす。

「相変わらずイヤな野郎だ、オカマ野郎め」

「バックランド君、きみへの教育的指導はあとでするとしてだね。ううん、まことによくないな」

「なにが」

「ちょっとこじらせ過ぎてる」

「風邪のことか? 確かにひどい声だったな」

「……きみ、なんと言ってもペネロペの幼馴染みだね」

「なんだよ! 感じ悪いな!」

 ペネロペのまぶたの裏では、未だ、ちらちらと雪色の髪が輝いていた。




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