第15話 西の村からの手紙


 転機が訪れたのは、ペネロペが北の森へ行ってから半月が経とうという時であった。

 もちろんその頃にはソフィーから課された「一週間」の罰は解かれ、ペネロペは再び一人での食事を余儀なくされていた。しかし、少女の心に孤独や不安はもうなかった。

 少女はおのれの不安や孤独を認める勇気を知った。そして、それらを和らげる方法を学んでいた。クラスメイト達と話す手段を得ていた。

 ギャレットは一週間が過ぎるや否や、清々したと言わんばかりにペネロペから離れていったが、古典については彼女を気にかけるようになった。

「乗りかけた船だ」

 照れるでもなく、淡々とそう告げる少年の言い分にメアリー・アンは「律儀で真面目ったらしくて、みみっちい男なのよ」と笑った。

 二人の指導のおかげで、ペネロペはやっと授業中のスチュアートがどの文を説明しているのかがわかるようになった。その対価というわけではなかったが、ペネロペとメアリー・アンが散々と飛行散歩に連れ出した甲斐あって、ギャレットもなんとか低空飛行をモノにした。

 穏やかな日々が続く中、未だベアトリーチェが食堂に姿を現さないことだけがペネロペの心配のタネであった。

 相変わらずヴィルヘルムは素っ気なく、取りつく島もない。

 授業開始時間ギリギリに教室へとやってくるベアトリーチェをつかまえ、ペネロペは何度も彼に声をかけたが、それもまた結果は同じ。日に日に青白くなっていくベアトリーチェの頬は近頃、不気味に骨を浮かばせている。目はくぼみ、高貴なサファイアのようであった瞳はすっかりくすんでいた。

 そんな、十月の末のことである。

 ペネロペのもとに、西の村からの手紙が届いたのだ。

「先生! スタンリー先生!」

「ああ、いかにも私はスタンリーだが」

 手紙を手に扉を開け放ち、開口一番、そう叫んだ少女にローガンは静かに顎を引く。

 教室の机に座る三年生と思しき生徒たちが、なんだなんだと一年生魔女の姿を振り返る。その視線に気圧されることなく、ペネロペは続けた。

「母から手紙が届きました!」

「なるほど。他に言うことは?」

「補講中だったんですね! 失礼しました! 先にソフィー先生にお見せしてきます!」

「賢明だ。他には?」

「ペンとインクは常に準備しています」

「反省文五枚、本日中だ。それから、以前から言おうと思っていたが、ネタが尽きたからと後半にファンタジー小説を連載するのはやめろ。おまえの妄想になど微塵も興味はない。今度やったら井戸に沈める」

「でしたら三枚程度にして頂けませんか。五枚も反省することがないんです」

「六枚、本日中だ。わかったら今すぐに扉を閉めろ。呪縛魔法の練習台になりたいのであればそこに残りたまえ」

「サー! イエス、サー!」

 ペネロペはすぐさま扉を閉めた。ドアノブから手を離す前に、ドッ、と扉になにかが刺さった衝撃が伝わる。教卓にあった毒槍どくやり人参草にんじんそうをスタンリー先生が投げたのだろうな、とペネロペは思った。

 ローガン・F・スタンリーが、ヴェルミーナ魔女学院創設以来の天才おとこ魔女であり、彼がいくつもの授業を受け持っていることはここふた月ほどでよくわかっていた。

 魔法呪縛学の教室に背を向け、ペネロペはその足でソフィーを探し始めた。

 職員室に彼が居ないことは確認済みである。さて、どうしたものかと中庭を見下ろした先に長い赤毛を見つけ、ペネロペは廊下の窓から身を乗り出した。

「ソフィー先生!」

 少女の声にソフィーが振り向き、視線を上げる。

 今日もソフィー・モーガンの赤毛は暖炉で踊る炎のようだ。ルージュの引かれた形のいい唇が「ペネロペ」と自分の名を呼ぶのを聞いて、少女は手の中の手紙へとふうっと息を吹きかけた。

「デナ・アールズド」

 そうペネロペが唱えるや、白い封筒に二枚の翼が生える。手紙はむずがるようにペネロペの手の内で暴れた。幼い魔女はそれを宥め、両手で封筒を掴んだままに三階の窓から中庭へと飛び降りた。手紙は突然の魔女の行動に慌てて翼を広げる。

 ゆっくりと中庭に降り立った少女を受け止めてやりながら、ソフィーは「お見事!」と笑った。

「さすがね、ペネロペ・クルス。ドリトル先生が舌を巻くだけのことはあるわ」

「ありがとうございます。でも──、」

 そこまで言って、ペネロペは苦笑いする。なおも手紙はペネロペの手から逃れようともがいているのだ。

「これが、これでして。言うことを聞いてくれないんです」

「杖なしで呪文魔法を使えるだけで十分よ。こういうのはこうすればいい」

 ソフィーは手刀で手紙を打った。ちょうど、切手の貼られた辺りである。

 一瞬で動かなくなった手紙を何度か撫でて伸ばし、「ね?」と微笑んで見せるソフィーにペネロペは「西の金獅子」と呟かずにはいられなかった。

「西の村からの返信ね?」

 ソフィーの問いに、ペネロペはうなずく。

「ローガン先生にはもう知らせた?」

「はい、今しがた。補習中だったみたいで反省文書けって言われちゃいました」

「いいのよあんなものてきとうに書いておけば。誰も読んじゃいないんだから」

「前にソフィー先生がそうおっしゃったので、後半にお話を書いていたんですけど、バレちゃって」

「なに、あいつ全部読んでるの? 気持ち悪いわねほんとに」

「生徒に書かせておいて読まないわけにいかないでしょう」

 中庭に響いた低い声に、ペネロペは振り返る。ソフィーは声の主に背を向けたまま「相変わらず面白みのない男ね、ローガン・スタンリー」と吐き捨てた。

 ペネロペが飛び降りた場所と同じ、三階の窓からスタンリーが蔦の階段を使って下りてくる。蔦は中庭に茂っていたものだ。中庭に降り立った男が杖代わりの指示棒を振るや、蔦は己の仕事は終わりだと再び眠りにつく。

「手紙は開けたのか」

 スタンリーの赤い瞳に見下ろされ、ペネロペは無言で首を振った。男が小さく舌をうつ。

「その口は飾りか女学生。イエスかノーも言えんのか」

「やめなさいよ、せっかちね。早漏」

「ねちっこい事で有名だったあんたよりはマシでしょうよ。年食って悪癖が増したんじゃないですか」

「いつか絶対ェ泣かしてやっかんな、スタンリー弟」

「そうろうってなんですか?」

「ペネロペ、早く手紙をお開けなさい」

 魔法で出したペーパーナイフを鼻先に突きつけられ、ペネロペはソフィーからそれを受け取った。封筒から精霊の気配が消えたことを確認し、封を切る。

「ええと──、いかがお過ごしでしょうか、私の可愛いニンジン……、にんじん、ちゃん」

「恥ずかしいなら全部音読しなくていいわよ」

「そうします」

 ソフィーにすすめられ、ペネロペは母の能天気な挨拶文を読み流した。久々に感じる母親からの愛情は嬉しかったが、他人に見せるものではない。

 手紙には、ペネロペとアダムが出て行き村が少し静かになったこと、隣に住むおばあさんが寂しがっていること、ノアが落ち着かない様子であることが綴られ、いよいよ本題に向かうように思われた。ペネロペはそこからの文を口に出して読むことにした。

「ところで、今年も厳しい寒さになるわ。新しいセーターを持たせてよかった。必要ならまた編みます」

「あなたのママ、セーターを編むの? 素敵ね」

「ええ、すごく独特なデザインのものを。楽しみにしていてください、本当にすごく独特なので」

「冬が楽しみね。続けて」

「ええと……、村は例年より早く冬の精霊が訪れ、今年は久々にプクプクみどり風邪かぜが流行しています──。まあ、大変」

「なんですって?」

 怪訝な表情の教師二人に見下ろされ、ペネロペはもう一度「プクプク緑風邪」と繰り返した。

 ソフィーはローガンを見やり、ローガンは無言で首を振る。「その口は飾りですか」と言いたくなる衝動を、ペネロペは懸命に押し殺した。

「ええと、ごめんさいね。浅学なあたしたちに教えてくれる? その、パクパクミドリカゼっていうのはなに?」

「プクプク緑風邪です。二、三年に一度の頻度で村で大流行する風邪でして。感染力がすごくって、一度流行ると冬の間は止まらないんですよね」

「大丈夫なの?」

「ええ。死ぬようなことは滅多にありません。症状はふつうの風邪とほとんど変わりないんです。ただ、とにかく感染力が強いので、町からお医者さんに来てもらうわけにもいかなくて。母が薬を作って回るんです」

「それは大変ね。それで、ママはなんて?」

「今年のクリスマス休暇は帰って来るなって。学校に菌を持ち帰ったら大変でしょう、とのことです」

「風邪程度なら構わん。入学してから初めての長期休暇だ、帰りたまえ」

 それまで黙っていたローガンが口を開く。ペネロペはそれに反論すべきか思案し、あとで叱られることを危惧して小さく手を挙げた。

「ええと、スタンリー先生。風邪の症状自体は軽いものなんですけど、あの」

「なんだ」

「プクプク緑風邪という名前の通り、全身に緑色のデキモノが出来るんです。マッシュルームくらいのサイズの。潰れるとピンク色の液体が出ます。それが問題でして、長いと半年ほど胞子を飛ばし続けて、全身くまなく──、」

「今年のクリスマス休暇は諦めろ女学生。同郷のアダム・バックランドにもそう言っておけ」

 一瞬で手のひらを返した男にペネロペは神妙にうなずいた。

「ペネロペ、西の村は本当に大丈夫なの? シンイーに言えば、喜んで応援と称した研究に行くと思うわよ」

「行かせるなら辞表を書かせてからにしろ。俺はそんなとんちきな疫病に罹患するのは御免だ」

「大丈夫です。村の住人は慣れてますから」

「タフね」

 それで、続きは? ソフィーに促されて、ペネロペは再び手紙へと視線を落とす。そうして、口を開いたまま目を瞬かせた。何も言わずに口を閉じた少女に、教師二人は更に強く先を促す。

「どうした、女学生」

「ペネロペ、やっぱり何か村で困ったことでも?」

「……困りました」

 ペネロペは便箋をつまみ、文字の書いてある面をぺらりと返して見せた。

「終わりです」

「は?」

「プクプク緑風邪が流行っているから今年の休暇は帰ってくるな、としか書かれていません」

「サバトや、あなたの血筋のことは?」

 ソフィーに問われ、ペネロペはもう一度頭から手紙を読み返した。サバトどころか、魔女という単語の一つも見当たらない手紙に、ペネロペは首を振る。

 一年生魔女と魔女教師二人。三人の間に沈黙が蔓延る。

 均衡を破ったのはローガンであった。男は痛む眉間を揉みながら、掠れた声で問う。

「ペネロペ・クルス、きみの親、文字は読めるな?」

「ひとの親を馬鹿にするなんて最低よ、ローガン・スタンリー。ペネロペ、あなたのお母様、手紙がポストに届くってことは知っているわよね?」

 アルバはペネロペからの手紙を読んでいない。

 それを誇示するかのような手紙の内容に、アルバ・フィン・クルスの娘は「いやあ、どうも。うちの母がすみません」と七色に輝く髪をかき混ぜるのだった。



「さっき、俺、とおっしゃいましたね」

 反省文はいいから今すぐに手紙を書け。ローガンにそう命じられ、魔女歴史学の準備室でペネロペは二通目になる母への手紙を書いていた。

 教師二人の指導通り、今度は立派な封筒と便箋を使い、文はいたってシンプルにすることを心がけた。こちらの疑問が伝わりやすいようにだ。

「ママはたぶん手紙の存在に気づいてないだけなんだけどな」おそらく暖炉の火起こしに一役買ってしまったであろう一通目の手紙を偲びながらも、ペネロペは彼らの言うままに文字を綴る。

 連日の勉強と反省文のせいで、ペネロペの右手の中指には、ペンがすっぽりと収まるくぼみが出来てしまった。掻痒感を生むそこを撫でながら冒頭の台詞を呟いたペネロペに、書類にペンを走らせていたローガンの手が止まる。

「無駄口を叩いている暇があるなら手を動かせ」

「もう書けました」

 ペネロペが言うや、便箋がひとりでに宙を舞う。それはまっすぐにローガンの元へと飛んで行った。

 男は文字を書く手を止めることもなく、宙に浮いたままの手紙を上から下まで黙読する。

 そうして、手にしていたペンを振った。お辞儀でもするように二つ折りになった便箋はうやうやしく封筒に収まり、封蝋される。

 ローガンが男にしては白い手を伸ばす。そこにぽとりと落ちてきた西の村への手紙を、男はペネロペに見せた。

「問題がないなら出すが、いいかね。ああ、アダム・バックランドにも尋ねた方がよかったな」

「大丈夫だと思います。彼、筆不精なので。ノアおじさんに伝えることなんて……あっ、でも──、」

「今ならまだ間に合うぞ」

「アダムが父親に伝えたいことなんて、背が伸びたとかそれくらいだと思うんですけど。どうにも私の勘違いらしくって、今日も「伸びてない」って」

「ああ。伸びたな、バックランドは」

「やっぱりそうですよね!」

ローガンの言葉を聞いて、ペネロペは思わずテーブルに身を乗り出した。

「本人は、そんなに急に大きくならないって言うんです。でも明らかに、こう」

「バックランドだけの話じゃない。成長期だからな。全員が一律に伸びるものだから、本人たちは気づかないんだろう。無論、きみ以外の全員だが」

 何も言えないでいるペネロペに、男は「手紙を出そう」と静かに言った。

「先生、明日にならないと郵便屋さんは来ませんよ」

「ポストはアテにならないと分かっただろう」

 はあ、とペネロペは息をこぼす。そんな生徒の姿にローガンはぴくりと目尻を震わせ、封筒の宛名へとひたいを寄せた。その横顔は穏やかで、ペネロペはこの男とエリオットが双子の兄弟であることを久方ぶりに思い出した。

 ローガン・F・スタンリーの魔法がかけられた手紙はゆらゆらと部屋の中を漂う。そうしてしばらく旋回すると、男が開けた窓から優雅に飛び出していった。

「あれ、村に到着したら大人しくなります?」

「どうだろうな。母君の魔力次第だ。暴れるようなら封をちぎってしまえばいい」

「さすが東の黒龍。金獅子と価値観が同じ」

 ペネロペの嘆きにも似た声に、今度こそローガンの目尻が震えた。男は不快感を隠しもせずに顔を歪め、赤い瞳で西の村の魔女を睨みつけた。

「きみに任せればよかったな。古典と違って、呪文学は随分と優秀だそうじゃないか」

「いえ、そんな。それに夜はぜんぜんダメです」

 少女はおのれの肩に垂れた三つ編みを指先でつまむ。昼間は七色に輝き、日が沈む頃には夕日の色に染まる髪は、今やローガンと同じ闇色だ。

「きみのその髪はどういう仕組みなんだ」

 ローガンは書類に目を落としたまま、平坦な声で問うた。

「ええと、太陽がのぼっている時だけ明るい色で。魔力が残っているうちは夕闇色だったり月の色だったりするんですけど、今はすっからかんみたいです」

「入学式典の時は七色だったとソフィーから聞いたが。あれも夜だったろう」

「ああ、あの日は朝、母が魔法をかけてくれたんです。最初が肝心だから、絶対にナメられちゃダメだって言って」

「あー、なんだ。きみの母君は、若い頃は過激派だったりしたのか」

「過激派って?」

「いや、なんでもない。少し喋りすぎた」

 己の行動を悔いているらしいローガンが呻く。

「反省文は結構だ。塔に戻りたまえ」

「昨日の反省文の続きが気になりませんか? 実は背高せいたか猫鳴ねこなそうには秘密の効能がありまして、シンイー先生いわく、薬草オタクでもなければそうそう知り得ない──、」

「夜に春汲みの井戸水に漬けると願いが叶う。展開がバレバレで少しも興味を惹かれん」

「スタンリー先生、小説とか読んでも面白くないでしょう?」

「お気遣いどうも。君の脚はどうにも塔に向かいそうにないな。全身バラして転送してやろう」

「失礼します!」

 ローガンがペネロペへとペンを向ける。慌てて少女は椅子から立ち上がり、魔女歴史学準備室の出口へと向かった。途中、無造作に積まれた本を倒してしまうも、ローガンはそれをペンの一振りで直す。「一秒でも早く出て行け」という気持ちが溢れそうである。

 ペネロペはドアノブへと手をかける。そうして、ああそうだ、と男を振り返った。

「スタンリー先生、質問が」

「なんだ」

「空気って、どうやって読むんですか?」

 少女の問いにローガンは一度だけ瞬きし、眉間のシワを深くした。

「女学生、覚えておけ」

「はい」

「空気は吸うものだ」

「……なるほど」

「なにか文句が?」

「いいえ、サー」

 ああ、このひとは私と同じ引き出しの魔女だ。

 絶望感に近い感情を抱きつつも、少女の足取りは軽い。ペネロペは小さく肩を震わせながら、ローガン・F・スタンリーの根城をあとにした。

 東の空にずっしりと浮かぶ金色の月が、やけに明るい夜の出来事だった。





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