第9話 VS,新生活


 ペネロペを教員寮のソフィーの部屋へと送り、荷物を受け取ったエリオットはヴェルミーナ魔女学院の東塔へと向かった。石づくりの螺旋階段を上がりながら、学生時代、己も癇癪を起こしたときはよくここに閉じ込められたものだと感慨に耽る。あの頃僕は若かった。

 塔の中は風が鳴る。寒々しいそれにエリオットは顔を歪めた。いくら本人が望んだとはいえ、やはりこんな場所に十五歳の少女を住まわせるのは気が引ける。

「なあ、ローガン。やっぱりさ──、」

 階段の終点、塔のてっぺんに位置するドアを開け、エリオットは息を飲んだ。

 部屋の中をあたたかな光が満たしている。エリオットの記憶にある、牢獄のようにしか見えなかった石造りの壁はすでになかった。柔らかな暖炉の炎に照らされた部屋は、ログハウスに近い雰囲気だ。

 ペネロペから受け取った荷物を置き、エリオットは部屋の中を見渡した。

「ペネロペにはもう一晩、ソフィー先輩の部屋を使うように言ったよ」

「ああ」

「部屋、すこし広くした?」

「ああ」

「バスルームは?」

「そっち」

 エリオットの問いに、ローガンは作業の手を止めずに答える。

 ベッドやカウチの位置を移し、首をひねっては窓の位置を変えている。そのたびに空間が歪み、エリオットは軽い吐き気を覚えた。魔法酔いだ。

 自分との違いを久々に突きつけられた気がして、エリオットはほとんど無意識に笑った。ローガンが軽くしゃくって見せたバスルームのドアを開ける。

「ローガン、きみ、意外とメルヘンチックだな」

 水色のタイルが敷き詰められたバスルームを見て、エリオットはドアの向こうへとそう声を張り上げた。

 淡い水色の世界に、貝殻で出来たバスタブがちょこんと置かれている。底には真珠の脚が付いていた。スタンリー兄弟が入るにはいささか小さいが、あの小さな魔女にはぴったりだろうとエリオットは思う。

「人魚姫と付き合ってたことでもあるのかい?」

「ノーマンの妹が、こういうのがほしいって言ってたろ」

「いやあ、弟よ。我らが従姉妹スー・スタンリーは六つになったばかりのお姫様なんだよ」

「だからなんだ」

「これを十五歳のお嬢さんが気に入るかどうか」

「……必要なら作り変える」

「あの子は不満なんて言わないだろうねえ」

 バスルームから出たエリオットは、暖炉のそばのカウチへと腰掛けた。

 ローガンは最後の仕上げだとばかりにカーテンへと星を散らしている。杖代わりにしているタクトの先端から星が流れてきらめくのを、エリオットはぼんやりと見つめた。

「なあ。兄さんはどう思う」

「ううん、そうだね。その星は要らないんじゃないかな。ソフィー先輩じゃあるまいし」

「ちがう。あれはなんだ。植物か?」

 弟の物言いに、兄は思わず吹き出した。

「あれってなんだい?」

「ペネロペ・クルス」

「ああ、可愛いよね。お花ってのは言い得て妙かもしれないな」

「エリオ、俺は真剣に話してるんだ」

「ただの女の子だよ。きみは僕らよりよっぽどおんな魔女を見慣れてるはずだろ」

「あれをおんな魔女だというのなら、俺はおんな魔女を初めて見た」

 ローガンは眉間に海溝を刻んだままに続ける。

「怒りもせず、恥じもせず、矜持を傷つけられてもヘラヘラと」

「矜持を傷つけられてもって。また何か言ったのかい? そんなだから新入生に嫌われるんだぞ」

「好かれる必要はない」

「好かれてた方がやりやすいと思うけどなあ、僕は」

「兄さん。なんだ、あれは。本当に知性のある生命体か」

「魔女に知性があると仮定するなら、そうだねぇ」

「あんな魔女、俺は一度も──、」

 その時エリオットは、弟の赤い瞳がほんの少し、ノミの爪先ほどやわらぐのを見た。何かを懐かしんでいるのだと、双子の兄にやっとわかるほどの気の緩み。

 しかし、緩んだそれはすぐに引き締められた。たゆんだぶんを取り戻すかのように、より強く。そんな弟の弱さを、兄であるエリオットは愛おしく眺め、それ以上に悲しく思う。

「ローガン、きみの周りには強い女性が溢れすぎたんだな」

「強い弱いじゃなく、あれに感情があるようには俺には見えない。植物だ、植物。ひと型の新種を見つけたと魔女植物学会に連絡しろ」

「仕方ないさ。故郷の村から出たことがなかったって言うんだもの」

 生まれたばかりの赤ん坊みたいだった。エリオットは、初めて会ったときのペネロペの笑顔を思い出す。

 無垢で、何も知らない、純粋な笑顔。喜び、笑い、己の無知を恥じず、驕らず、素直に驚いて見せる。ただひたすらに目の前のものをまっすぐに見つめようとする姿は、エリオットには少し眩しすぎた。

「太陽みたいな子だろ、ローガン。そうは思わないか」

「馬鹿馬鹿しい」

「彼女は僕らの希望になってくれるかもしれない」

「女に対して女神だ太陽だ希望だなんて言う男はなんなんだ? 馬鹿か?」

「おまえのお兄ちゃんだよ」

「考え直せよ、エリオ。おまえがただの女の子だって言ったんだろ」

「彼女は西の魔女の末裔かもしれない」

 エリオットは弟の目をまっすぐに見つめた。自分と同じ、血の色をした瞳。それが意地の悪い弧を描く。

 はっ、とローガンは兄の言葉を鼻で嗤い飛ばした。

「西の村に住んでいたというだけで?」

「ヴェルミーナも言ってたろ、とても強い魔力だ。もしかしたら直系の一族かもしれない。出来損ないの僕にだって、それくらいはわかるよ」

「だったらなんだ? 東の魔女に匹敵するほど獰猛な血を秘めた一族が、辺鄙な村で呑気ににんじんでも作ってのんびり生きてるとでも言いたいのか?」

「うん」

「馬鹿げてる。ファンタジー小説の読みすぎだろ」

「伝承が本当なら、東の魔女を殺せるのは西の魔女の血筋だけだ」

 ローガンの顔が苛立ちに歪む。それすらエリオットは愛おしく感じた。

「僕の弟は優秀だよ」ペネロペへと向けたエリオットの言葉はイヤミでもやっかみでもなかった。優秀な魔女であることが幸せに繋がるわけではないことを、彼はよく知っていた。

「おまえがサバトにいいように使われるのが、僕は我慢ならないんだ」

 兄の視線がおのれの腕に巻かれた包帯に注がれていることに気づき、ローガンはシャツの袖口を引き上げる。

「あんな棒っきれに何が出来る」

「それはきみの指導次第だな、スタンリー先生」

「希望だの何だのと祭り上げるくらいなら、小娘の方がいくらかマシだ」

「『小娘』をここに置いておくわけにはいかないだろう?」

「トラブルを起こすようなら即刻故郷へ帰す。それだけだ」

 ローガンの言葉に、エリオットは「そうだね」と悲しげに笑った。



「それで、男子生徒としてここに居ることになったって?」

「うん」

 翌日、ペネロペは日の出とともに食堂へと向かった。

 前日と同じく、幼馴染みを待ち受けていた少年は、彼女から聞いたコトの顛末に眉をひそめる。

「寮は?」

「昨日はもう一晩ソフィー先生のお部屋に泊めて貰ったけど、今日からは東の塔の住人よ」

「寒いんじゃないのか、あんなところ」

「大丈夫。スタンリー先生がなんとかしてくれるって。そんなことよりアダム、あなた一晩見ないうちになんだか大きくなってない?」

「乳児だってそんなスピードでは大きくならないよ」

 そんな言葉を交わしながら二人は食事をした。今日もテーブルには多種多様の食事が所狭しと並んでいる。

「ライスがある」湯気のたつ白い粒にペネロペは声を上げた。

 アダムが顔をしかめる。

「どうしたの?」

「同室の犬が」

「いぬ」

「それを握ったやつを食べてた」

「仲良くなれそう?」

「三回殺しても無理だな。蘇生させてもう一回殺したい」

「たった二晩でそんなに険悪になることあるかしら」

 昨日、ペネロペがテーブルに生やしたバオバブは、五インチほどを残して切られていた。残った木の幹にはジャムやバターが並べられている。

「──それにしても」これ、もしかして私への戒めかしら。ジャム置きへと姿を変えたバオバブの幹を見つつ、ペネロペは口を開く。

「エリオさんが双子だなんて思いもしなかった」

「ああ、そうらしいね。俺も使い魔科で聞いたよ」

「ねえ、ところでこのジャム置き、おしゃれの為だと思う? それとも私たちへの戒め?」

「後者に10ルーベ」

「親元を離れたからって賭け事に手を出すのはよくないわ」

 親元、という自分の言葉にペネロペは目を伏せる。

 昨夜、一晩考えてみても答えは出なかった。

「ママは、このことを知っていたのかしら」

 魔女の歴史のこと。自分たちの血のこと。サバトという組織のこと。魔女名簿のこと。

 西の村に手紙を書こうにも、荷物はほとんどエリオットが塔に運び入れたあとであった。手元に便箋がないのでは打つ手がない。

「今夜、ママに手紙を書くわ」

「アルバさんのことだ。西の村でぼんやりしてるうちに時代が変わっちゃったんだよ」

「そんな数十年単位の問題じゃないのよ、アダム」

「ママはきっと、ぜんぶ知ってた」ペネロペの言葉にアダムが食事の手を止める。

 母はすべてを知っていたのだと、ペネロペには確信に近い思いがあった。

 それでもなお、母は自分をこの魔女学院へと送った。その真意を少女は見つけられずにいる。

「とにかく、ママに手紙を書く。考えるのは返事が来てからにするわ」

「それまでは大人しく男のふりをしておくってことか」

「ええ。私はここで学びたい。自分が何も知らないってことを知ってしまったら、そのままではいられないもの」

「俺も昨日、痛感したよ」

 アダムは眉尻を下げて苦笑した。

「知らないことが多すぎる。魔女と使い魔が争ってるだなんて、初めて知った」

「私たち、とても小さな世界で生きてたのね。ずっと」

 そう、二人はひととき、食事の手を止めて頷き合う。

「でも心配だよペネロペ。きみをこんな場所に置いておくなんて。俺がずっとそばに居られるならまだしも、こんな男だらけの学校に」

「男の子ばかりだから疑われないんじゃないの。ベアトリーチェやメアリー・アンほどの美人が男の子だっていうんだから、私が疑われることはまずないわ。大丈夫よ」

「いや、心配してるのはそういうことじゃなくて──、」

「わたしがなにって?」

 朝日をよどませるような、イヤミったらしい声。

 高く響いたそれにペネロペとアダムは振り返った。そこには今まさにテーブルにつかんとしているベアトリーチェが居た。もちろん、隣にはヴィルヘルムが相変わらず青白い顔をして立っている。

 ベアトリーチェは新聞と紅茶を、ヴィルヘルムはすでに大量のパンやスコーンをテーブルに並べていた。

「おはようベアトリーチェ。ポリッジでも取りましょうか?」

「いいえ結構。朝食はとらない主義なの」

 少女の姿をした少年は、新聞に目を落としたまま答える。

「で? わたしがなんですって?」

「あー、ええと、その。男の子には、やっぱり見えないなって」

「女の格好を義務付けられていたのは、西の村ではペネロペだけだったからさ」

 盛大に目を泳がせるペネロペを、アダムが遮る。悲しきかな、ペネロペは嘘をつくのが下手だった。西の村に住む少女には必要のない技術だったのだ。

 アダムの言葉で、怪訝そうであったベアトリーチェの表情がゆるむ。

「そうでしょうね。想像はつく」

「やっと一人ぼっちじゃなくなったなって話してたんだよ」

「あらそう。同じだと思われるのは不本意だけれど、納得は出来るわ」

 白い指先でカップを持ち上げ、ベアトリーチェはそれに唇をつけた。青いネクタイに締め付けられた細い喉が動くのを見て、ペネロペは「あっ」と声を上げる。

「ベアトリーチェ、お願いがあるの!」

「お断りします」

「ネクタイの結び方を教えてくれない?」

「あなたの幼馴染み、耳は不自由じゃないわよね?」

 まともな会話を成立させることは不可能だと判断したベアトリーチェがアダムに問う。

 アダムは口いっぱいにパンを頬張り、肩をすくめた。

「昨日、スタンリー先生は魔法を使ってネクタイを結んじゃったじゃない? 結び方がわからないままなの」

「先生の話を聞いてなかったの? 呪文だけなら本にいくらでも書いてるわよ」

「毎朝のことなのに、毎回精霊たちにお願いするのは申し訳ないわ」

「……お願い、ね」

 ベアトリーチェが浅く息を吐く。ペネロペにもわかるほど、少年の肩から力が抜けたのが見てとれた。「仕方ないわね」という文字が見えるようだ。

「あなたも男なら、ネクタイの結び方のひとつやふたつ知っておきなさい」

「男の子の格好なんてする機会がなかったから」

「ああ、そうよね。サバトの幹部リストに名前がない程度の家柄だものね」

 首を傾げるペネロペに、ベアトリーチェは「ふん」と鼻を鳴らした。

「こっちへ来なさい。一度しか教えないから」

 席を立ち、ペネロペは向かいのテーブルへと足を向けた。

 そのままベアトリーチェの隣に腰掛ける。少年は新聞を置くと、ペネロペの後ろへと回り込んだ。首にかけた青いネクタイを白い手が器用に掬い上げるのを見て、ペネロペはおのれの胸が一瞬震えたのを感じた。

 近くで見ると、ベアトリーチェの手はやはり少年のものであった。白く長い指や滑らかな甲は美しいが、ペネロペのものより節や血管が目立つ。

「集中する気がないならやめるわよ」

「しっかり見てるわ。ねえ、サバトのリストって調べられるの?」

 ペネロペは首をひねって、後ろに立つ少年を見上げた。鼻先がぶつかりそうな距離で、蒼色の瞳が見開かれる。

「ベアトリーチェ?」

「確認もせず急に振り向かないでちょうだい。マナーがなってないわね」

「ごめんなさい。振り向いてもいい?」

「振り向かなくていい」

 前を向くペネロペの顎をベアトリーチェの手が掴む

「アンバー家は代々サバトの幹部を務めてる。一定の身分の者にはリストの閲覧が許されているの」

「ベアトリーチェ、やっぱりすごい人なのね」

「すごいのはわたしじゃなくて家よ。それも、ただ血を薄めなかっただけのこと」

「すごいわ。そんなお家で立派に勉強しているんだもの」

「……あなたの能天気さが羨ましい」

「ありがとう」

「褒めてない」

 見てなさい。そう言ってベアトリーチェはペネロペのネクタイを結び始めた。

 重ねて、結び、輪に通す。白い手が器用にネクタイをかたちづくって行く手順を、ペネロペは懸命に頭の中に刻み込んだ。

「結び方にも色々あるのよ。とりあえず、初めはプレーンノットを覚えなさい」

「ベアトリーチェのとは違うの?」

「これはセミウィンザーノット」

「私、ベアトリーチェとおなじがいいわ」

「身の程を知りなさい田舎魔女」

 低い声で言い切られ、ペネロペは口をつぐむ。そうしているうちに、ペネロペの襟元で青い結び目が出来上がった。

 シンプルなノットのかたちをベアトリーチェは入念に整えている。

「ディンブルを作りたいときは、ここを、」

「でぃんぶる?」

「なんでもない。とりあえずこれをマスターしなさい。もう二度と聞かないで」

 それから、と少年はペネロペの耳元で続けた。

「あなた、部屋は誰と同室なの?」

「え?」

「わたしとヴィルヘルムは二人で部屋を使ってる。本来なら魔女科の寮は三人部屋のはずよ。初日にソフィー先生が持っていった流行遅れのトランク、あなたのものじゃないの?」

「あのトランク流行遅れなの?」

「古代遺跡から発掘したのかと思ったわ」

 ママが若い頃使ってたやつだって言ってたけどなぁ、とペネロペは思う。

「どうして部屋を移ったの? それくらい答えてくれてもいいんじゃない?」

「東棟のはずれにある塔に移ることになったの」

「どうしてあんな小汚い場所に」

「ええと、やんごとなき家の、あれ、というやつで」

 しどろもどろになりながらもペネロペは答える。少女は恐る恐る振り返った。ベアトリーチェの顔は不快感に歪んでいる。

 エリオさんの嘘つき。ペネロペは初めて他人を恨む気持ちを覚えた。

「……そう。あの塔に」

「ええと、その」

「お互い、苦労するわね」

 席をたつ瞬間、ベアトリーチェがそう小さくこぼすのをペネロペは聞き逃さなかった。

 すっかりテーブルの上の食糧を片付けたヴィルヘルムとともに、スカート姿の少年は食堂の出口へと向かう。

 その背中に向かって、ペネロペは声を張り上げた。

「ありがとう、ベアトリーチェ!」

 少年は振り返ることもなく、そのまま食堂をあとにした。一部始終を見ていたアダムが「ほんとカンジ悪いよな、あいつ」と詰る。それにペネロペは笑って首を振った。

「はじめて笑ってくれたみたい。ベアトリーチェ」

 首元を締め上げることなく、ゆるく結ばれたネクタイ。それこそが不器用な彼の優しさなのだと、ペネロペは思った。




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