第8話 南の魔女ヴェルミーナ


「ええ? じゃあほんとに僕とローガンを同一人物だと思ってたの? やだなあ」

「安心しろエリオ、こちらとしても願い下げだ」

 先を行く双子の兄弟の背を見つめながら、少女は夕焼けに染まった廊下を進む。

 エリオットが現れるや、ローガンは迷いなく教室の出口へと向かった。それにエリオットが「愛想のない弟でごめんね」と申し訳なさそうに言い、彼の背に続いたので、ペネロペも二人を追ったのだ。

 東の空はすでに薄暗くなり始めている。

 ペネロペの髪も、インクをこぼしたかのような闇色を滲ませた。

「うちでまともに校長と話せるのはローガンくらいでね」

「難しい方だっておっしゃってましたよね」

「わがままの間違いだろう」

 二人と話しているうちに、ペネロペはなるほどなと一人うなずいた。

 エリオットとローガンは、それぞれと個別に話しているうちは区別がつかないほどに姿も声も似通っているが、こうして並べるとその違いは歴然だった。

 どうしてこの二人を同じ魔女だと思ったのだろうかと、少女はなんだかおかしくなる。

「何を笑っている?」

「杖が転んでもおかしい年頃なのさ」

 その言葉でペネロペは思い出す。呪文学の授業で聞いたことをエリオットに話さなければいけないと思っていたのだ。

「あの、エリオさん」

 エリオットとローガンが同時に振り返る。

 ペネロペは慌てて「本物の方の」と付け足した。

「私、呪文も杖も使ったことがなくて」

「……そうか、やっぱり」

「それで、あの。母もそうだったから──、」

「ペネロペ。それ以上はここではまずいよ」

 しい、と唇に人差し指を当てたエリオットにたしなめられ、ペネロペは口をつぐむ。前を行くローガンの表情が更に険しくなった。

 三人は本館を進み、東棟へと入る。舞踏会でも開けそうな広さの階段を下り、さらに奥へと進んでいくローガンの背を追いつつ、ペネロペは窓からそっと今朝見つけたばかりの塔を見上げた。

 日の落ちかけた空にのっそりと佇む石造りの塔。

 こちらを見下ろしてくる影は、巨人族のもののようにも見えた。

 東棟の地下へと三人は下りて行く。先ほどの広さから一変、大人の男が一人、やっと通れる程度の細い階段だ。道は螺旋を描き、徐々に彼らを地下へと誘う。

 永遠に続きそうにも思われた階段が、終わる。

 辿り着いたのは、貯蔵庫にしては天井の高い地下室だった。

 窓がないにも関わらず、部屋の中は薄ぼんやりと明るい。西の村に唯一存在する洞窟にも似た、青く揺らぐ光が部屋を照らしている。

 ペネロペは、部屋の中央部に置かれた大きなガラスのオブジェに目を奪われた。

 ゴブレットのような形をしたそれには繊細な細工がなされている。脚は長く、ペネロペの腰あたりまであった。そこから続く杯の部分は異様に大きく、どっしりとしている。まるで生まれたばかりの仔犬の腹のようだ。ぐるりとまわりを見て回ったペネロペは、それが水晶玉のような形をしていることを知った。

「なんですか、これ。トロールのゴブレット?」

「ヴェルミーナ校長先生だよ」

「えっ」

 エリオットの間延びした返事にペネロペは振り返る。

 エリオットは呑気にゴブレットとも花瓶ともつかない『ヴェルミーナ校長先生』を見つめている。ローガンはそんな兄に目もくれず、どこからか取り出して来た金の水差しを手にしている。

 ローガンが水差しを『校長』のてっぺんへと持ち上げた。手首に巻かれた包帯に赤黒い血が滲んでいることにペネロペが気づくと同時に、水差しからは勢いよく水が流れ出る。

 いつの間に水を入れていたのだろう、とペネロペは思ったが、その考えがそもそもの間違いであることをすぐに悟った。

 水差しからはとめどなく水が出てくるのである。どう見積もっても一度で杯の中身を満たすことなど不可能なサイズの水差しは、ついにそこを澄んだ液体で満たしてしまった。

「校長」

 静かな声で、ローガンは繰り返す。

「ヴェルミーナ校長。件の女学生をお連れしました。御目通りを」

「…………」

「ヴェルミーナ先生」

「……お留守でしょうか?」

 と、ペネロペがローガンを見上げるよりも先に、『校長』がガタンと激しく揺れた。

 ペネロペは、目の前の男が苛立ちもあらわにゴブレットの脚部分を蹴りつけたのを見逃さなかった。杯いっぱいに満ちていた水が揺らぎ、いくらかは溢れて杯を伝う。

「ヴェルミーナ先生、起きてください。あなたが呼び寄せた生徒でしょう」

「相変わらずの粗暴っぷりね、ローガン・F・スタンリー」

 地下室に、そんな少女の可憐な声が響く。ふあ、とあくびの音が続いた。

 幼い子供のように舌ったらずなそれがどこから響いているのかわからず、ペネロペは地下室の中を見渡した。

「エリオットも一緒ね?」

「ええ。お久しぶりです、先生」

「ツインズの魔力がわからなくなるくらい、強い力だわ。懐かしい誰かを思い出す」

 その時ペネロペは、ゴブレットとも花瓶ともつかないオブジェに満たされた水が揺れているのを見た。

 幼い少女の声が響くたびに中の水が揺れ、美しい波紋が広がる。

「私は南の魔女、ヴェルミーナ。素敵な髪ね、小さな魔女さん。あなたはだあれ?」

 ペネロペは水に浮かぶ波紋から目を逸らすことが出来なかった。

 あなたはだあれ。その問いに答えることも。

「なんだかとても懐かしい。夕日のにおい」

 ヴェルミーナの無邪気な声に、ペネロペは小さく唸った。耳のうしろの皮膚が、ケモノの爪で引き裂かれたように痛むのだ。

 昨夜の大烏を見た時や、ローガンと対面した際の「チクチク」がいっそ可愛らしく思える。脈打つような痛みを生む場所を押さえる少女に、エリオットが寄り添った。

「ペネロペ、大丈夫かい?」

「はい……、なんだか、急に痛くなって」

「この少女がペネロペ・クルスです。生まれは西の村。校長が新入生のリストに挙げたんでしょう」

 ペネロペに代わり、ローガンが答える。

 それにヴェルミーナは「そうだったかしら」と明朗な声で言った。

「リストに女子生徒が混ざっているなんて、ここ百年はなかったはずです。それも、サバトの魔女名簿に登録されていないおんな魔女なんて。どういうおつもりですか」

「知らなかったのよ」

「知らなかったって。無責任な」

「私は強い力をもつ魔女の名前を挙げているだけだもの。まさか女の子だなんて思いもしなかったわ。ねえ、ペネロペ・クルス。あなたほんとうに女の子なの?」

 ヴェルミーナの問いにペネロペは痛みを堪えて口を開こうとした。しかし、少女が声帯を震わせるよりも先に、苛立ちを隠そうともしない男の声が部屋に響く。

「女ですよ、どう見ても。どうなさるおつもりです」

「どうなさるも何も、呼んでしまったのなら迎え入れるほかないじゃない」

「サバトへの報告は?」

「連絡なんてしたらここには居られないでしょう? 本人次第よ」

「ほんとに無責任だな、あんたは。昔から」

 ローガンがぐしゃぐしゃと前髪をかき混ぜる。

「そもそも、リストを確認するのはあなたの仕事だったでしょう? ローガン・F・スタンリーともあろう魔女が、異質な新入生の存在に入学式当日まで気づかないなんてね」

「それは……、」

「すみません、校長。それ実は僕のポカです」

「そうだろうと思ったわ。また仕事中に入れ替わったのね、ツインズ」

「やむを得ず、ってやつですよ」

 エリオットは悪びれるでもなく笑っている。

 首から頭へと広がっていた痛みが和らいだのを感じて、ペネロペは息を吐いた。ちぎれそうに痛んでいた耳のうしろに触れ、血が滲んでいないことを確認して胸を撫で下ろす。

「あの、先生」

 耳の横で小さく手を挙げたペネロペをローガンが振り返る。同じく、水の中からヴェルミーナが自分に意識を向けたのを感じて、ペネロペは「校長先生」と言い直した。

「校長先生、私、ずっと生まれた村から出たことがなくて」

「わかるわよ、ペネロペ・クルス。私も随分長くこの水槽から出てない」

「ええと、それは、お気の毒に」

「水槽をこすった人間の願いを三つまで叶えるサービスでも始めようかしら」

「ヴェルミーナ校長。話が進まない」ローガンが冷たく言い放つ。

 ペネロペはおずおずと話を続けた。

「私、何も知りませんでした。自分が何も知らないってことも。でも、ここに来て、自分の無知さを知りました。もう村に居た頃には戻れません」

「ええ、何事もその一歩から始まるものよ、西の村のペネロペ。門戸はあなたに開かれた。あなたには学ぶ権利があるわ」

「じゃあっ」

「待ってください。そうも行かないでしょう」

 希望に目を輝かせたペネロペを、ローガンが遮る。

 眉間に深い溝をつくった男は、じっと揺れる水紋を睨みつけている。その後ろで彼の兄が「今日は水を差すのが仕事なのかな」と、呆れたように言葉遊びを口にした。

「言ったはずです、校長。ペネロペ・クルスはサバトの魔女名簿に登録されていない」

 ローガンは硬い声で言う。ペネロペは、先ほども彼が口にした『サバト』と『魔女名簿』という単語に首を傾げた。

 その気持ちを汲み取った女児の声が「魔女名簿というのはね、」と話し出す。

「おんな魔女を管理するために作られたものよ。それを管理しているのがサバト。未だに強い魔力をもつおんな魔女たちの集まりよ」

「管理って、どういうことですか」

「魔女が滅びゆく種族だという話は知っている?」

 昨日、エリオットから聞かされたばかりだ。ペネロペは深くうなずく。

「私やルイスを慕ってくれた民たちは、ほとんどが女の子を産めなくなってしまった。日の出の魔女の子らは名誉のために戦って、そのほとんどが名誉と一緒に死んでしまった」

「日の出の魔女?」

「東の魔女、はじまりの魔女とも呼ばれるわね。日の出の魔女エステル。夕闇の魔女アリア。私たち、あんなにそばに居たのに、もう声も思い出せない」

 幼い声に似合わない、深い悲しみ。それが滲む声に、ペネロペはぎゅっと胸に手を寄せた。穏やかな村で育った魔女の胸の奥を、初めての感情が満たし、きしませる。

「すべて私たちのせいよ。でも、こんなことおかしいわ。魔女は自由でなければいけないのに」

「おんな魔女は全員、出生の瞬間から必ず魔女名簿に登録され、一定の年齢を過ぎるとサバトによる管理下での生活が義務付けられる」

 ローガンは平坦な声で言う。

「住居も、婚姻も、出産も、すべてサバトの魔女たちが決める。魔女という種の衰退を緩やかにするために」

「え……、でも、私と母は」

「ペネロペ。僕たちはきみから何も聞いていない。それでいいね?」

 エリオットの静かな赤い瞳を見て、ペネロペは喉を震わせた。

 つまり、アルバ・フィン・クルスは本来ならば魔女名簿に名を刻み、決められた土地で、決められた生活を営むことを義務付けられているのだと少女は理解した。そしてそれは、おのれも同じなのだと。

 エリオットが「聞いていない」ふりをするのは、「見逃す」ということなのだ。

「私と母は、悪いことをしているんでしょうか」

「そうだね。魔女の血にとってはそうかもしれない」

 でもね、とエリオットは悪戯っぽく笑った。

「それに賛同する魔女ばかりじゃないさ」

「ええ。こんなこと馬鹿げてる。でも、あなたをおんな魔女として学院に迎え入れることは難しいわ。魔女の口にも戸は立てられない。それどころか魔女の口は空を飛ぶからね、どうにも困ったものよ」

「ヴェルミーナ先生」

「西の村のおとこ魔女、ペネロペ・クルス。あなたの入学を許可します」

「……ええと、つまり? どういうことですか?」

「今日から三年間、きみは男の子として生きる必要があるってことさ」

 ペネロペは呆然とエリオットを見上げた。

 エリオットはなおも悪戯盛りの少年のような表情で笑っている。これから起こることが楽しみで仕方がないとでも言わんばかりの風貌だ。

「もちろん寮は分けるけどね。ローガン、どこか空いていたかな?」

「必要なら作る」

「まっ、待ってください! 私だけ寮が違ったら怪しまれるわ!」

「だからって野郎と三人部屋ってわけにはいかないだろう? それこそ一晩でバレちゃうよ。大丈夫、「やんごとなき家系の子」ってので大抵通用するから」

「エリオさん、私のことからかってます?」

「とんでもないよ、ミスター・クルス。数年に一度くらいあることだ。誰も気にしやしないさ」

 スタンリー兄弟はすでに部屋の割り振りについて話し込んでいる。その表情はすっかり東寮の寮監と、学院全体を管理する事務員のものになっていた。

 ヴェルミーナは早々に話に飽きてしまったらしい。「じゃあ、あとはよろしくツインズ」と言ったきり、杯の水に波紋が浮かぶことはなくなった。

 ペネロペは頭がひどく痛むのを感じた。耳のうしろではない。こめかみの辺りがズクズクと鈍く痛む。脈打つそこに血管があることを少女は初めて知り、出来れば知らずに生きていたかったと思った。

「あの」

 それまで話し込んでいた兄弟が少女を見下ろす。

 同じつくりの顔に見下ろされ、ペネロペはたじろいだ。しかし、気を取り直し、背の高い二人を見上げる。

「あの、お部屋、どこでもいいのなら、あの塔をお借り出来ませんか」

「塔って? あの東の塔かい?」

「はい」

「確かに高い塔ってお姫様みたいで素敵だけど、実際はなかなかに過酷だよ。夏は暑いし冬は寒いし、ネズミは繁殖しているし」

「よくご存知ですね?」

「これがまたやむを得ず、ってやつでね」

「はあ……? とにかく、住み心地は自分でなんとかしますので、あの塔がいいです」

「その必要はない」

 校長に手を焼く姿から一変、冷静さを取り戻したローガンがペネロペに言う。

「私が手を加える。きみはソフィー・モーガンの部屋から荷物を取って来たまえ」

「やったじゃないかペネロペ。僕の弟は優秀だよ」

「それから、ペンとインクの用意をしておけ女学生」

 そう、地下室の階段を上がろうとしていたペネロペをローガンの低い声が引き止める。「ペン?」振り返ったペネロペを、ローガンは顎を上げて見下した。

「反省文を五枚、明日中に提出しろ」

「反省文?」

「消灯後に外出するべからずと校則には明記されている。私が寮監になって以来、入学式当日に校則をやぶった輩はきみが初めてだ。確か、文字は読めるんだったな? 今夜中に校則を熟読しておけ」

「……ええと。どういうことです?」

「ペネロペ・クルス。きみは所属上、私の管轄する東寮の寮生だ。三年間、くだらんトラブルだけは起こしてくれるなよ」

 それだけ言って、ローガンは階段を上がって行ってしまう。

 呆然とする少女に、彼の兄は「ええと」と頬をかき、そうして口を開いた。

「ごめんね、根は悪いヤツじゃないんだけど。純粋に性格が悪いんだよね。ものすごく」

「ものすごく」

 やはり昨夜、廊下で会ったのはローガンの方だったのだと、ペネロペは確信を抱くに至ったのだった。



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