第4話 魔女の真実


「先輩、あのカラスは東の魔女の使い魔です」

 部屋を出るや、低い声でそう呟いた学生時代の後輩に、ソフィーは薄く笑った。

「生徒の前で『先輩』はおやめなさいな」

「間違いないです。賭けたっていい」

「相変わらずよく利く鼻だこと」

「ファミリアでしょうか」

「まさか。ていのいい使いっ走りがいいところよ」

 ランタンに光を灯し、二人は薄暗い廊下を進む。

 堂々、魔女育成の名門と名高い──おとこ魔女の、ではあるが──、ヴェルミーナ魔女学院に侵入してみせた大烏おおがらす。まるで我々を嘲笑うかのようだ、とソフィーは自嘲した。

 漆黒の羽根に染み込んだ東の魔女の強靭な魔力の匂いと、それから──、講堂での騒ぎを聞きつけ、箒を手に向かった先で見た少女の姿を思い出す。

 夜空に向かって、星が天へと還るかのように飛翔したおんな魔女。古びた箒にまたがり、黒猫を従える姿は、幼い頃に実家の屋敷で見た先祖たちの肖像画に重なった。

 七色に輝く長い髪と、不安げに揺れていたすみれ色の無垢なひとみ。嘘偽りなく、ペネロペ・クルスが何も知らぬことは明白だった。

 何も知らず、この学院へとやってきたおんな魔女。

 結界魔法を破り、侵入を果たした東の魔女の使い魔。

 これはただの偶然なのだろうか。頭に浮かんだ不吉な考えを振り払うように、ソフィー・モーガンはゆるくかぶりを振った。長い赤毛がさらさらと揺れる。

「さっきも言ったけど。あの子の入学許可証、見たわよ」

「ああ、まあ。色々事情がありまして」

「どんな事情があったら、おまえが魔女科の書類を扱う事態になるんだよ。言ってみろ」

「ソフィー先輩、男出てます、男」

 いや、まあ、とエリオットは頬を掻いた。

「いつものやつです」

「でしょうね。今晩も呼ばれてるの?」

「はい。遅くとも夜明けには戻ると聞いていますが」

「あんたから言ってやんなさいよ、あんたの言うことしか聞きやしないんだから」

「いやあ、僕みたいな三下が口出ししていい話じゃないので。こればかりは」

 エリオットの卑屈な物言いに、ソフィーは顔をしかめる。

「スタンリー、あんたね」

「そんなことより、ペネロペ・クルスのことです。先輩はどう見ますか」

 上手くはぐらかしたつもりだろうか。

 ひとつ、ため息をついてからソフィーは口を開く。

「まずはあんたに聞きたいわ、スタンリー。入学許可証のチェックをしたとき、なんとも思わなかったわけ? ペネロペなんて、どう考えても女の名前じゃない」

「女性名のおとこ魔女なんて今時珍しくもないでしょう。ご自分のお名前をご存知ないですか、ソフィー先輩」

「確かにね。でも、モーガン家やベアトリーチェ・アンバーのアンバー家と違って、クルスなんて聞いたことがないわ。出生を調べなかったの?」

「それは、すみません。完全に僕の落ち度です」

 辿り着いた自室のドアを開け、同僚を迎え入れながらエリオットは目を伏せた。

 足を踏み入れた部屋の中をぐるりと見渡し、ソフィーは「呆れた」とため息をつく。

「相変わらず殺風景な部屋ね」

 簡素なベッドとデスク。ひとりがけのカウチ。窓辺に置かれたテーブルには花瓶が置かれているが、花はいけられていない。ソフィーの部屋と同じ間取りがふた回りは広く見えた。

「あたし、ベッド取った」

「エリオット・J・スタンリー、異議を唱えます」

「で、サバトの魔女名簿は調べたの?」

 エリオットの言葉を無視し、ソフィーは問う。

 どうやら今日は床で寝るしかないらしいと、エリオットは天に向かって突き上げた腕をすごすごと下ろした。

「まさか。僕にそんな権限ありませんよ」

「西の村の戸籍は?」

「そちらは先ほど。西の村に『ペネロペ・クルス』という人物は存在しませんでした」

「ああ。なんてこと」

 どちらともなくついたため息が重なる。

「だったらペネロペ・クルスが魔女登録されているわけがない」

「ええ。未登録の、おんな魔女です」

 二人はそれぞれ、ソフィーはベッドに、エリオットはカウチへと沈むように腰かけた。

 ああ、やっぱりかと二人の男は同時に天井を仰ぐ。なんとなく想像しつつも、そうでなければいいな、などという二人の淡い期待は打ち砕かれたのである。

「父親がおとこ魔女。人間との間に魔女の娘が生まれて、母娘だけが西の村に逃げた。この仮説、どう?」

「希望的観測ですね。そうでなければ、ペネロペ・クルスの母親が無登録のおんな魔女ということですし。それとも、サバトからの脱走者か」

「人間から隠れ続けて、今度は同族からも逃げなきゃいけないだなんて。あたしたち、どうしてこうなっちゃったのかしらね、スタンリー」

 長い腕を広げ、ソフィーはシミひとつない天井を見上げてボヤく。

 その昔、人間たちの魔の手から逃れた魔女一族。彼ら、彼女らは力を合わせて生きてきた。こそこそと、それでもなんとか魔女らしく、自然とともに生きてきたのだ。

 しかし、それを東の魔女は許さなかった。

 幼い少年少女への悪影響を恐れ、さきほどは濁したが、自ら「こどもは男児を」と願った魔女ばかりではない。

 エステルが東の地に姿をくらませてから、よりいっそう女児が生まれにくくなった。この国に住む魔女たちは、東の女王の呪いの匂いをよく知っていた。

 これはエステルの呪いだという噂が魔女界には広まり、事実、魔女は衰退の一途を辿った。当たり前だ。突然変異や奇跡を除けば、東の魔女の呪いに打ち勝つほど強い魔力をもつ血筋にしか、女児が生まれないのだから。

 そうして残された魔女たちは、ひとつの選択をした。

「おんな魔女登録制度なんて、先人たちは何を思って承諾したのかしら」

 絶滅の危機に瀕した魔女たちは、おんな魔女を管理することを決めた。そのために作られたのが『サバト』と呼ばれる魔女政府だ。

 貴重な血に保護と補助を、などといった名目で掲げられた制度が名ばかりであることなど、誰しもがわかっていた。

 おんな魔女たちには番号がふられる。そうして、保護と称してサバト管理下での生活が義務付けられるのだ。サバトの決めた土地に住み、彼女らの定めた教育を受け、用意された使い魔を従え、言われるままに魔法を使い、決められた相手と「交配」する。自由恋愛など許されるわけがない。

 あんなものはもはやただの交配だ、とソフィーは唇を噛んだ。

「先輩も。ぼちぼちでしょう、結婚」

「あたしは表向きには女相手じゃ使いモノにならないってことになってんのよ」

「えっ、それで女装してるんですか?」

 エリオットがカウチの背もたれから勢いよく身体を起こす。

「馬鹿おっしゃい。これは趣味よ」

「ですよね。びっくりした」

 ソフィー・モーガンは、おんな魔女の血筋で純血と呼ばれるモーガン家の長男である。

 母はサバトの魔女名簿に登録された魔女であり、十二人の姉たちも同じく魔女名簿に登録されている。もちろん、「女児ばかりが生まれる」魔法がかかっているわけではないので、ソフィーのような男児も生まれる。役立たずの穀潰しと罵られるかと思いきや、これがそうでもない。

 モーガン家は魔女の血が薄まることを恐れ、名門家同士での結婚を繰り返してきた。つまり、血を薄めないためにも、女系家族に生まれる男は必要不可欠なのである。彼らには、おんな魔女と同じ完全管理生活が待っている。

 そんな生活から逃れるため、ソフィー・モーガンは成人を済ませた現在も女装を続け──これはすでに趣味の域へと足を踏み入れてひさしいが──、のらりくらりと見合い話を断ってきた。

「なんにせよ、ペネロペ・クルスが魔女名簿に登録されていないおんな魔女であることは間違いない」

「どうします? サバトに連絡すれば、彼女らは文字通り飛んでくると思いますよ」

「そんなことさせるもんですか。大ごとになるようなら西の村に帰す。入学許可証も、諸々の書類も、破棄して存在ごとなかったことにする。じゃなきゃ母娘でサバト送りよ」

「彼女が飛ぶところを見た者は? 記憶を抜きますか」

「必要ならね。最終手段よ。見た目じゃ男か女かなんてわからないんだから、優秀なおとこ魔女が来たってことで押し通す。あとは、あの子と校長しだい」

「ええ。そうですね」

 部屋の中を静寂が満たしていく。ヴェルミーナ魔女学院の生徒であった頃から仲の良かった二人は、それを苦とは思わなかった。

「さあ、そうと決まれば酒盛りしましょ」

 そう、ソフィーが極めて明るい声を上げ、ベッドから身体を起こしたのは、時計の秒針がぐるりと一周した時だった。

 げんなりとエリオットは肩をすくめる。

「いやですよ。今何時だと思ってるんですか」

「こんな気分のまま眠ったら夢見が悪いわよ。パッと呑んでパッと寝る! この部屋にもグラスくらいはあるんでしょう?」

「ありますけど。僕は遠慮しておきます」

「あたしの酒が飲めないっていうの?」

「うわあ、そういうのおじさんくさいなあ。あっ待ってください飲みます飲みます」

 懐から杖を取り出しかけた同僚に、エリオットは慌てて手を振った。

 そうしてしぶしぶ、戸棚からグラスをふたつ取り出す。色も形も違う、不揃いのグラスである。この部屋にはペアのものなど靴以外存在しない。

「僕が悪酔いするの知ってるでしょう?」

「やんちゃしてた頃の我が出て来ちゃうだけでしょ。お利口さんぶっちゃって」

「よくないですよ、人が酔う姿を見て嗤うのは」

「先輩がきちんと介抱してあげる」

「……先輩、僕、先輩のこと信じてますからね」

「だからあんた、あたしのこと相手を選ばないケダモノか何かだと思ってるわけ?」

「いやまさか。バケモノだとは思ってますけど……痛い!」

 静まり返った深夜のヴェルミーナ魔女学院に、頬を打つ乾いた音が響いた。



 暗闇の中で、ペネロペは目を覚ました。ちくちくと耳のうしろが痛む。入学式典のときと同じだ、とペネロペはベッドの上で身体を起こした。

 髪を一本だけ引っ張られているような──、耐えがたい苦痛ではないのに、どうしても気になって仕方のない感覚が耳の後ろを苛む。

 部屋の主が目を覚ましたことに気づいたらしく、天井から吊るされた星が淡い光を灯した。

 かち、かち、かち。空気すら息をひそめる部屋の中で、秒針が時を刻む音がやけに大きく響いていた。時計の針を見るでもなく、少女はベッドから這いずり出る。

 アルバの魔法が消え去り、闇色に染まった髪がシーツの上を滑った。

「部屋のものは好きに使っていい」というソフィーの言葉に甘え、ペネロペはポールラックにかけられていたガウンを羽織る。彼によく似合いそうな、雪色のガウンである。色とは裏腹に、柔らかく、あたたかい。

 胸の前で前合わせを握りしめて、ペネロペは裸足のまま部屋のドアを開けた。

 明かりのない廊下は飲み込まれそうなほどの暗闇だった。窓から差し込む月光が、唯一の光源である。左右に伸びた廊下の先は、怪物が大きく口を開けているような不気味さだった。

 ペネロペの肩がぶるりと震える。むろん、寒さのせいではない。

 それでもペネロペは廊下へと足を踏み出した。なおも、耳の後ろは刺すように痛む。壁に手をつき、ただ、本能が赴くままに足を進めた。

 ひたひたと、おのれの扁平足が立てる間抜けな音すら不気味に思える。

 そんなことを考えながら、しばらく歩いたその時だ。それまで薄ぼんやりとしていた視界の先に光を見つけ、ペネロペはほっと息を吐いた。

 廊下の先、西棟と思しき方向からオレンジ色の光が近づいてくる。明らかに自然光ではない光度はランタンや魔法の類いだろう。

 誰かが同じ時間、同じ空間で目を覚ましていることがこんなにも心強いなんて。ペネロペは嬉々として、光の方向へと足を踏み出した。

「あの」

 そう、声を上げかけて。ペネロペは息を飲んだ。

 血の匂いが空気を湿らせる。鉄の、生臭い香り。そこに混じる獣臭さ。それが光とともに近づいてくることを察知した本能が、叫んでいる。今すぐに逃げろと。

 しかし、本能に反して愚鈍な身体は恐怖にすくみ、冷えた足が廊下の床に張り付いてしまったように動かない。

 そうして光を携え現れた人物を見て、ペネロペは今度こそ声を上げた。

「エリオさん」

 廊下の先から現れたのはエリオットだった。

 黒い髪に赤色の目。黒い外套を羽織り、光の浮遊するランタンを掲げた男とは数時間前まで一緒に居たのだ。初対面とはいえ、さすがにこの短時間で顔を忘れるほどペネロペは薄情ではない。

 エリオットの赤い瞳が、一瞬。ほんの一瞬だけ戸惑いに揺れるのを、ペネロペは見た。

「なにをやっている」

 記憶にあるより硬い声に「あれ?」と思うも、ペネロペは答える。

「ごめんなさい。目が覚めてしまって」

「消灯時間はとっくに過ぎている」

 声を荒げるわけではない。しかし、明確なまでに糾弾の音をはらむ声に少女は身をすくめた。

 姿かたちも、穏やかな色をもつ声も、エリオットのものであるはずなのに。その男は、まるで知らない誰かのようだった。不快げに歪んだ目元を照らすランタンの光が途端に無用のものに思えてくる。そんなものなら見せてくれなくてもいいと、突っぱねてやりたくなった。

 その時、ペネロペは耳のうしろの「ちくちく」が「ズキズキ」に変わっていることに気がついた。明らかに痛みが増している。そして、血の匂いも。異臭と言っていいほどに濃くなっているのである。

「なにを突っ立っている。新入生」

 静かなくせに、手負いの獣のような獰猛さを含む声。

 気づけばペネロペは踵を返し、駆け出していた。

「俺たち、とんでもない所に来たのかもね」

 幼馴染みの言葉に、大いに同意を示しておくべきであったと、今更後悔した。




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