第3話 おんな魔女


「さあて、どこから説明したものかしらね」

 目の前に置かれたカップを見つめ、それを淹れてくれた女装姿の男を見つめ──、ペネロペは小さく「すみません」と呟いた。

「敷地内なら飛んでもいいかなって、思ったんです」

 ペネロペがアダムとともにカラスからスチュアート教頭を奪還した直後、現場は騒然となった。

 彼らが何を騒いでいるのか、ペネロペには皆目見当もつかなかったが、何かまずいことをしでかしたのだろうということだけは理解出来た。ともすれば、許可なく箒で飛んだことくらいしか心当たりがない。

 その後、生徒たちは寮へと帰され、教頭は数人の教師たちによってどこかへ運ばれた。

 ペネロペとアダムはと言えばこうして、ヴェルミーナ魔女学院の教員だという赤毛の女装男の部屋へと連れて来られている。硬い表情のエリオットも同席していた。

 ──ヴェルミーナ魔女学院は、全寮制である。

 寮は西棟と東棟のふたつに分かれており、それらはそれぞれ、本館の左右に位置していた。そして、本館の最上階は教師たちが住まう独身寮扱いになっているのだと、ペネロペは先ほど聞かされたところだった。

「先にひとつ、大事なことを確認させてちょうだい。あなた、女の子ね?」

「はい。そのつもりです」

 男の問いかけにペネロペは答える。そうとしか答えようがなかった。

「どうしてうちに……、ヴェルミーナ魔女学院に?」

「入学許可証が来たので」

「他の学校からは来なかった?」

「はい。こちらのものが来なければ、村の学校に行く予定でした」

 ペネロペの返答に、男は「ふー」と細く息を吐いた。

「それで、あの。許可なく勝手に飛んだりしたら、罰則があったりするんでしょうか」

 招かれた男の部屋の中は、男の格好に見合った煌びやかさだった。

 天蓋付きのベッドに、レースのカーテン、天井からは色とりどりの輝く星が吊るされている。ペネロペたちが座る椅子とテーブルは猫足で、華やかなテーブルクロスがかけられていた。それらをちらちらと窺いながら、ペネロペは小さな声で言葉を紡ぐ。

「本当にごめんなさい。飛んじゃいけないって知らなかったんです」

「いいえ、敷地内なら飛んでもいいのよ。飛べるかどうかは別として」

 ペネロペの前に置かれたカップと同じものをアダムの席へと置いて、男は言った。

 アダムは落下の恐怖で失禁してしまったことをまだ引きずっているらしく、黒猫の姿のままである。

「いつも、ふつうの箒で飛行を?」

 向かいの席に座るエリオットに尋ねられ、ペネロペはうなずく。

 そもそも「ふつうの」という意味が分からない。普通ではない箒とはなんだ。長時間の飛行にも耐えられるよう、柄の部分にソファーでも付いているのだろうか。

「名乗るのが遅くなってごめんなさいね。あたしはソフィー・モーガン。ヴェルミーナ魔女学院で飛行学を教えているわ」

「ペネロペ・クルスです。こっちの黒猫はアダム・バックランド。西の村の生まれです」

「オスとはいえ、黒猫もそうそうお目にかかれるもんじゃない」

 赤い唇の端を噛みながら、ソフィーが呟く。

 首をかしげるばかりの二人の元へと、ソフィーは部屋の隅から何かを持ってきた。背丈ほどある青みがかった白色の棒の先に、同じ色の穂が付いている。

 一瞬、ペネロペにはそれが何なのか分からなかった。が、すぐに「ああ」と手を打つ。

「箒ですね。とってもすてき」

「ええ、美しいわよね。掃除は出来ないんだもの」

「掃除ができない?」

「これは、飛行専用に作られた箒よ」

「ひこうせんよう……」

 ソフィーの言葉を、ペネロペは繰り返す。

「そう。もう、今のおとこ魔女は飛行用に作られた箒でしか飛べないの」

「おんな魔女も何割かはそうだよ。飛行用のものを使ったとしても飛べない魔女だって居るくらいだもの」

 エリオットがそう付け足す。

 ペネロペは何も言えないまま、呆然と教師と事務員を見つめた。

「悲しいけれど、魔女はもう、滅びゆく種族なんだ」

 となりの席で、アダムが「にゃあ」と弱々しく鳴いた。

 沈黙が部屋を満たす。喉がからからに乾いていた。ペネロペの背を、冷たい汗が伝う。

「え?」やっとの思いで絞り出した声は、ひどく震えていた。彼らが何を言っているのか、その言葉の意味がうまく理解できない。

「どこから説明しようかしらね。とりあえず、お茶をお飲みなさい。長い話になるわ」

「え、あの……、滅びゆくって、そんな。生徒はたくさん、あんなにたくさん、居たのに……」

「いいからお茶を飲んで。あなたもよ、子猫ちゃん」

 ソフィーに見据えられたアダムが、しぶしぶといった様子でテーブルへと飛び乗る。

 お行儀悪くカップのふちを舐める幼馴染みに倣って、ペネロペもカップを傾けた。あたたかな液体が唇を濡らし、喉を通って腹へと落ちていく。鼻を抜けた花の香りに、ほ、とペネロペは息を吐いた。

「その昔、この国には四人の偉大な魔女が居た」

 そう、静かに話し出すソフィーの低い声が、やっと頭の中に入ってくる。

「東の魔女エステル、西の魔女アリア、北の魔女ルイス。そして、南の魔女ヴェルミーナ」

「学校の名前と、おなじ?」

「ええそう。この学院を作ったのは南の魔女、ヴェルミーナよ。開校当時はおんな魔女の生徒が半分を占めてたっていうんだから驚きよね。今じゃ考えられないわ」

「どうしておんな魔女が珍しいの? だって、そんなこと──、」

「大昔、人間による魔女狩りがあったことは知っている?」

 穏やかな声でソフィーは問う。

 それをエリオットが「先輩」と硬い声で制した。

「過激な表現は控えてください。彼らの今後に関わる」

「失礼。魔女裁判、と言うべきね」

「ごめんなさい。私、あまりそういうこと詳しくなくて……」

「ペネロペ、大丈夫だよ。歴史はこれからいくらでも学べばいい」

「その昔、この国には四人の偉大な魔女が居た。彼らはそれぞれに民を治めて、人間たちともうまく共存していたの。──しているつもりだった、と言う方が正しいわね。いつしか人間たちは科学によって力を持ち、自然よりも力を求めた。そうして、均衡は崩れ去ったの」

 紅茶にミルクを入れて、掻き混ぜながらソフィーは続ける。

 カップの中で白いモヤが広がり、全体を濁らせた。

「自然災害、疫病、飢饉。そりゃあ問題は起こるわよね、それまでの均衡を壊してるんだもの。それを彼らは魔女のせいにしたがった。どこかに鬱憤をぶつけなければどうにもならない状況だったのかもしれない。それを見て見ぬふりした魔女たちにも、責任があったとは言える」

「母から少しだけ聞いたことがあります。たくさんの魔女が捕まったって」

「恐怖と不安に支配された人間たちの力は絶大だった。抵抗する魔女も居れば、諦める魔女も居たわ。立ち上がったのは東のエステルと西のアリア。彼女たちは最後まで人間たちと戦って、いつしか、消えた」

「西の魔女や東の魔女の話は聞いていました。でも、古い言い伝えだとばかり……」

「ええ。伝承という認識で間違いないわ。今や彼女たちの存在なんて、あたしたち一般の魔女にとってはその程度のものよ。概念になったと言ってもいい。少なくとも、アリアはね」

 息継ぎでもするようにソフィーはカップに口をつけ、優雅にかたむける。

「エステルは……東の魔女は、未だにあたしたちを許していない。東西の魔女ほど強い力を持たなかったルイスとヴェルミーナの姉弟は、隠れて生き延びることを選んだの。それを裏切りだと思ったんでしょうね」

「それで? 東西の魔女が消えて、南北の魔女が雲隠れした。それでどうして魔女が滅びるんだ」

 そんな少年の声にペネロペは隣へと目をやった。

 整った顔立ちにわずかな不快感を滲ませたアダムが椅子に座っていた。使い魔として未熟な少年は、ノアとは違い、人間へと戻る際の衣服のコントロールがまだ出来ない。ゆえに全裸である。

 それを気にするでもなくカップを傾ける間抜けな姿と、部屋の緊張感の差に、ペネロペは軽いめまいを覚えた。

「子猫ちゃん、知ってる? 人間たちは『魔女』を女の魔法使いだと思ってるのよ」

「聞いたことはある」

「人間たちはおんな魔女を捕え続けた。中には、魔女と交わったとされる男たちも居たみたいだけどね。魔女の使い魔だと言われた黒猫たちも軒並み捕まって、ネズミを捕る猫が減ったせいでペストが流行った。人間は更に魔女裁判を厳しくしたわ。結果、どうなると思う?」

「それでおんな魔女が減ったってのか。子供ならそれから何世代も産まれてるだろ」

「……女は危ないって、思った?」

 ペネロペの言葉に、ソフィーが「お利口さんね」と指を鳴らした。

「魔女たちは娘を産むことをためらった。みんなして、被害に遭いにくい男児を産む魔術を求めたのよ。その結果、いつしか力の弱いおんな魔女たちは、男児しか産めない身体になってしまったの。当然、魔女の数は減少の一途を辿る」

「不思議だよね、生き物って。進化と呼ぶべきか、退化と呼ぶべきか」

 どこか自嘲するようにエリオットが呟く。

「黒猫も同じ原理よ、アダム・バックランド。黒猫を使い魔にする魔女たちは、大切なファミリアにも魔術を施した。黒い毛皮で生まれて来ないようにってね。残念ながら、あなたが同じ毛色のかわいこちゃんに出会うのはとても難しいのが現状よ」

 もう一度カップに口をつけ、ソフィーはそこについた口紅を指先で拭う。

「もちろん、すぐにおんな魔女が居なくなったわけじゃない。うちは腐っても名門と呼ばれる学院だから、おんな魔女を母親にもつ子も多いわ。それ以外は、おとこ魔女の父親と、他の種族の母親との間に生まれた子どもたちよ」

「他の種族って?」

「一番多いのは人間ね。次が使い魔。そうやって血が混ざったり、薄まったり、それに抗ったりしながら魔女たちは生き延びてきた。でももう、時間の問題」

 時間の問題。ペネロペはソフィーの言葉を口の中で反芻する。入学式典に集まった同じ年の少年少女たち。彼らの背中を思い出し、ぎゅっと手を握った。

 私にも、彼らにも、明るい未来はないのか。

「今年入学したおんな魔女は、何人くらい居るんですか」

「今年どころか、あたしが入学した十二年前からここは実質男子校みたいなものよ」

「えっ」

 ということは、ソフィーさんは二十七歳か、などと考えていたペネロペは思わず声を上げた。

 なぜならば、式典には少なくとも数人のおんな魔女が居たからである。

 確かに数は多くはなかったが、隣に座ったベアトリーチェとは言葉も交わした。もしや彼女たちは全員使い魔科だったのか。

「使い魔科にもとんと女子生徒は来てないわね。年頃の男だらけの学校に、大事な娘をやる親なんてそうそう居ないわよ。手違いでもない限り」

「じゃあ、ベアトリーチェは……、ねぇアダム、彼女、喋ってたわよね?」

「喋ってたな、いけすかないおんな魔女」

「そうよね。じゃあ、おばけを見たわけでは──、」

「ああ、ベアトリーチェ・アンバーかい? 彼は正真正銘、男子生徒だよ」

「ええ!? でも彼女、女の子の格好をしていたわ!」

「ペニー。あなた、あたしを見てもう一度言ってごらんなさいな」

 そう言ってソフィーは腰に手を当てた。

 真っ赤な長い巻き髪に、瞼を彩るアイシャドウに、艶やかな唇。

 がっしりとした身体を包む黒いドレス。わざとらしくしなを作って見せる男に「なぜ」とペネロペの口から悲鳴じみた声が漏れた。

「名家のしきたりみたいなものだよ。そもそも、魔女っていうのは女性の方が力が強いとされて来た。成人するまで女として育てることで魔力が培われるっていうね、迷信みたいなものさ」エリオットがそう説明してくれる。

「じゃあ、今年入学した生徒の中で、女子生徒は──、」

「きみ一人だ」

 今度こそペネロペは激しいめまいを感じた。

「だから、コトが落ち着くまでは自分がおんな魔女だってことは隠しておきなさい。いいわね?」

「大丈夫。誰もこんな所に女の子が居るだなんて思いもしないよ。それに、彼らが成人するまでは女の子が数人居るように見えるだろうし。浮きやしないさ」

「成人したら女装をやめなきゃいけないってルールがあるわけでもないのに、案外みんなやめちゃうわよね。不思議だわ」

「こちらのソフィー先生は名門モーガン家のご子息なんだ。こんなバケモノみたいな風貌だけれど」

「スタンリー、今度あたしとタンデムしましょ」

「きみたち、僕が高所から転落して死んでいたらこの男を警察に突き出してくれ」

「スタンリー?」ふざけ始めた教師と事務員を前に、ペネロペは首を傾げた。

「ああ、僕だよ。エリオット・J・スタンリー。改めてよろしく、ペネロペ」

 差し出された手を握ろうとするも、アダムによって阻まれる。さすがに寒くなって来たらしく、少年は部屋の主からガウンを借りていた。

「いやあ、すまなかったね、さっきは」

 軽い声で笑いながら、エリオットは言う。

「男の子だと思ってたもんだからさ、女の子にしか見えないなあと思ってあんなこと言っちゃって。気を悪くしていたらすまない。悪気はなかったんだ、どうか許してほしい」

「あんたこの子に何言ったの」

「かわいいねって」

「あんたそれ、相手が男だったとしても十分アウトよ」

 そう言ってソフィーが盛大に顔をしかめたところで、ポーン、と部屋の時計が音を立てた。

 金細工が見事な時計は、軽快な音で、狂騒を極めた本日が残り一時間を切ったことを知らせる。「さあて」とソフィーが席から立ち上がった。

「とりあえず、今日はおひらきにしましょう。疲れてるところをごめんなさいね、二人とも。どうして校長があなたに許可証を送ったのかも、あなたの血のルーツも、今後あなたたちがどうするのかも、明日また考えましょう。夜更かしは美容に悪いわ」

「先輩。明日になれば、校長から話が聞けます」

 どこか含みのある声で言うエリオットに、ソフィーは合点がいったように「ああ、そうね」とうなずく。

「それから、スチュアート先生を助けてくれてありがとう。お礼を言うのが後回しになってごめんなさい、教員を代表して感謝するわ。どうしようもない肥満ピクシーだけど、うちの大事な先生なの。本当にありがとう、ペネロペ、アダム」

 胸に手を当ててソフィーは二人へと感謝の意を示す。

 アダムとペネロペは一瞬顔を見合わせ、そうして二人して「慣れてますから」と声を揃えて言った。西の村では、小動物がカラスやトンビに襲われることなど日常茶飯事なのである。

「さて、そうと決まればバックランド、あなたは使い魔科の自分の部屋にお行きなさい。本館の奥、離れにある北棟が使い魔科の寮よ。荷物はもう運び込んである。ペネロペ、あなたは今日はこのままあたしの部屋を使って」

 ソフィーの言葉に「えっ」と声を上げたのは、ペネロペではなくエリオットだった。

「当たり前でしょ。餓えた狼どもの檻にこんな子兎放り込めると思って?」

「お言葉ですが先輩、本格的に錯乱し出すヤツが出るのはもっぱら二年からですよ」

「だからって女の子を同室にするわけにはいかないでしょ。部屋のことも含め、今後のことは明日校長と話してから考えましょう。今晩はあんたんとこ泊めてちょうだい、スタンリー」

「……先輩。僕、先輩のこと信じてますからね」

「だまらっしゃいな。あたしにも好みってもんがあんのよ。そんなことよりあんた、この子の入学許可証見たわよ。あんな毒ニンジン盛られたミミズが這いずり回ったような字書くのなんて、あんたくらいで──、」

「あの!」

 親しげに言葉を交わす教師と事務員へと、ペネロペは声を張り上げた。

 心配事は数え切れないほどある。この国の魔女たちことも、なぜそれを母が教えてくれなかったのかも、明日からのことも。考え始めればきりがない。

 しかし、目下、彼女を悩ませているのは別の心配事であった。

「あの、私の荷物はどこに……」

「ああ。入る予定だった東寮の部屋に行ってるでしょうね。必要なもので、この部屋にあるものなら自由に使ってくれていいわよ」

「いえ、あの」

 歯ブラシを……、と。小さな声で言ったおんな魔女に、二人は目を丸くする。

後ろで佇むアダムが「案外冷静だねペネロペ」と呆れたように笑った。



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