第5話 長屋
「キスティスが泣く必要はないよ」
ポケットを探るも空振りに終わった。
「君だけの言い分だ。それでも10歳ぐらいまでの子どもの思い出ではなかろう」
「好き勝手にやっていただけだ。妹もろくに構ってあげなかった思い出がある」
「男の子なんてそんなものだろう。お母さんからのお兄ちゃん評を聞かせてくれないか」
「お母さんは、優しくて顔だけは一人前に産んだと。ただし、六口で宇宙人だと言われたな」
「無口?」
「六の口で、むくちだって」
「なるほど。しゃべらずにはいられなかったのだろうな。宇宙人というのはそのぐらいの子どもにはよくある己の世界であろう」
「だから自分勝手にしてただけなんだよ」
「よくしゃべっていたのは、にぎやかな家にしたくて必死だったんだろう。それが唯一できる守るとでも思っていたのではないか」
目を閉じて天井を見上げた。
「六口ってのは、キスティスのことやろ」
「よくがんばった」
何も言えずにいたら、もう一度、言われた。
「小学校の頃の思い出は他にあるかい?」
「一番、初めにできた友達は入学式だった。桜の木が立派で、それ以来、ずっと桜が好きなんだ」
「美しいな」
「その友達の家がお兄ちゃんがいて、お母さんが家で学研の先生やっててさ。ゲームもあるし、理想的な家でね」
「ボロの木造でもないし」
「一軒家だったよ。子ども部屋もあって、ピアノやお父さんの書斎もあった。羨ましいを通り越して、すげぇなって感動した」
「優れた芸術や名所に触れたような感覚かな?」
「あぁ、そうだなぁ。理想というか、素晴らしいものに初めて触れたような気はする」
思い返しながら、キスティスの顔を見ていた。少し眼差しをあげた姿は、こちらの話を想像しながらきいているのだとわかる。そして。
「初恋の人もいたなぁ。告白しないで終えたけれど」
「どうして告白しなかったんだい?」
「自信がなかった。根拠のない盲信はあったんだけどな」
「それは違うような気がする」
「どうして?」
「まだ世界が狭かったんだよ、きっと」
「せやな」
「近い年代で大きな地震があったそうだな」
「うん。小学校4年のときや。早朝にあって、ぼくの顔の横にテレビが落ちてきた。それで起きたら、タンスやら倒れそうになってて、必死で抑えたなぁ」
「お母さんは?」
「新聞配達に行ってて留守やったなぁ。しばらくして玄関が空いて、声をかけながら倒れた食器棚やらをかきわけて戻ってきたのを覚えている」
「ライフラインは?」
「全滅やったな。電気は復旧したけど、水道とガスが止まったまんまやった。配給があったなぁ。そして家は半壊認定を受けて、安いとこに引っ越しした」
「転校した?」
「いや、同じ学区内でな。長屋の一部屋やった。トイレがあって洗濯機はあったけれど、風呂はなかったから、近くの親戚んちに借りに行ったなぁ」
「風呂がある家は遠いな」
「まぁ、銭湯には慣れてたし気にならんかったけどな。その長屋はな、誰の血筋かわからんけど、ひいばあさんとひいじいがおった。いつ頃やったか、ファイブミニと和菓子をくれたなぁ」
「君はおじいさん、おばあさんによくしてもらえる愛らしさがあったのかな」
「子どもはみんなかわえぇもんやろ」
キスティスは暖かな眼差しを浮かべていた。
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