第2話 割れたビール瓶

「そりゃ、割れたビール瓶からやろ」


「なんで関西弁やねん」


「同じ方言の方が捗るかなー、なんてね」


「素の方が話しやすいわ。それと、ぼくのは神戸弁とのミックスやからな」


「めんどくさいな、君は」


「一緒にされたないっていうんがあるんよ」


「それは神戸弁でもあるまい」


「めざといな。徳島弁も入っとる」


「そのとるが神戸だったか」


「そうそう、話がわかるなぁ」


「君は関東も入っているな」


「せやな」


「そのうち聞かせてもらおうか。さぁ、割れたビール瓶だ」


「というても、覚えてるのはそこだけで、後付けでこうかなって推測しとるだけやけど」


「それがいいんだ」


「ほーか。おかんからは、酒ぐせが悪ぅて暴れる人やったと聞いていた。ぼくの目の前で、暴れたんやろうなぁ」


「畳の上と赤ちゃんの足については」


「イスに座ってる視線やな。畳は赤ちゃんの頃の写真に写ってる畳と同じとこ。たぶん大阪のアパートやろな」


「なぜ、大阪とわかる?」


「出生地は大阪なんやて」


「なるほど。その時の感情はどうだった」


「覚えてはいない。ただ」


 きゅっと胸が縮む。


「怖いと思うし、酒は好きやない」


「父の顔は覚えているかい?」


「まったく覚えてない」


「それはそうだな。暴れる父か。当然、お母さんは泣いていたんだろうな」


「そうだろうな」


「確認しておきたいことがある」


「なんやろ?」


「君の実父が暴れた話は、お母さん以外の誰かから聞いたか?」


 胸がとくんと打った。首を横に振った。


「無責任なやつばらの、ただの戯言として聞いてほしいのだけれど」


 黒目が伏せられたあと、ひたりと向けられた。


「お母さんが暴れていた可能性もあるだろう。いずれにしても子どもの前であってはいけない、虐待だがな」


「それは、そうだけどな」


「また実父に愛されていた可能性もある」


「ははっ、そんなまさか」


 がたりと音を立てるイス。


「実父との記憶は他にないのだろう?」


「あぁ」


「君は実父をどう思っていた」


「憎んでいた。母と妹を悲しませたやつだ。その血を引いたぼくさえも」


「過去形なのだな」


 キスティスはほほえんだ。


「子が親を想う感情の強さは言葉にできはしないのだろう。相手はおらず、名前を知った時には死んでいた。そこで仕方なしと打ち切れたところがあったやもしれぬ」


「そうかもしれないな」


「だがな、それ以前にだ。顔も知らぬ思い出もない相手など、都合よく良い思い出に変えてしまえばよいんだ。今からでもいい。君だけには良い父だったのだろう、と思っておけ」


「根拠もないのに?」


「だからこそだ。人の記憶なんて嘘っぱちだ。自分の記憶だって、都合のいいように覚えているものさ。幼き君が、命綱である母を肯定して、守るとさえ決意したのは、当然のことさ。それに是非はない」


 肩をつかまれ、鼻がつきあうほどの間近で突きつけられる。


「わからないことは良いように思えばいいんだ。君の記憶は君が決められることなんだよ」


 空がブルーモーメントに染まっている。

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