44話 星辰

「ここからが本番だぞ。今ので相手を勝負に引きずり込んだ。あとは勝つだけだ」


 ヨロヨロでも立ち上がろうとするリンから目線を外さない。外してしまえばきっと後悔する。掴んだ手に力を籠めて腕を引き寄せる。


 ここで謝ったりもしない。そんなことをすればリンの覚悟を汚すだけだ。代わりにプラスの言葉を掛けていく。元々褒めて伸ばす方針だ。


「よくやった! さっさと帰って腹いっぱい食おうな!」

「どうなんだろうな、今日はただ眠りたい。先に謝っておくけど酒には付き合えないぞ」

「そっか。でもお風呂にも入らないの? 絶対気持ちいぞー? 滲みるかもしれないけど」

「それは、まあ入る……溺れそうになったら、今みたいに引き上げてくれるか?」


 やれやれとため息をつきながらリンの装備を回収していく。背負ったバッグと担いだ銃、腰の銃と弾倉も収納する。身軽になったリンの額に冷やした手をくっつける。


「ちゃんと洗ってやるから心配すんな。じゃあ眼を閉じて、ゆっくり深呼吸してみろ」


 ひんやり身を震わせたリンが大人しく眼を閉じる。荒い呼吸を抑えていつものように深呼吸を開始する。シロはその間、額から患部に手を滑らせた。


 反対の手でタオルを取り出して、汚れと汗を拭いながら診断結果を伝えていく。


「今はわかんないだろうが、脚は筋肉が千切れて腕とアバラ骨にはヒビが入ってる。なに、大した怪我じゃない。冷たい部分に意識を集中するんだ」


 自身の大した状態を理解して、次第に知覚する激しい痛みに顔が険しくなる。我慢して続けていると痛みが薄れていく。


「これは……どうなってんだ? シロが何かしたのか?」


(こっちのセリフだっての。相変わらずワケわかんねぇー)


 ポーションを飲んだ時みたいに、とのアドバイスを受けてリンは効率を上げていく。シロは自分で言っておいて呆れ顔になっていた。


 ヒビが入っていた骨が修復されて筋繊維が自ら繋がっていく。どっからどう考えても異常だが、気にしても仕方ないので適当に誤魔化す方向に決める。


「おまじないみたいなもんだ。全治とはいかないが十分な回復だったろ? 一番はさっさと寝ることだがな! ここじゃ無理だしもう行くぞ!」

「……ああ、了解だ!」


 肉が焦げる臭いがする地獄を気にも留めずに、そうやって元気な声で走り出す。今度は横並びで、リンにペースを合わせた。


『リン。おまえ走ってるとフォームが変になるから疲れるんだよ。辛くても背筋を伸ばして足裏全体を使え。いっちに、いっちに!』


 勝利条件は複数ある。


 もう一層部を抜けて外縁部までたどり着く。そのままエリアから抜ければ相手は追ってこないだろう。もしくはここで叩きのめす。


 しかし今のリンでは勝てない相手をどうこうしても意味が無い。必要ならするが。


 最後は、ここでリンの成長に期待する。不可能ではないし、意外と一番現実的かもしれない。


 リンは力の使い方を知らないだけで、総合力と潜在能力なら突き抜けている。さっきの自己治癒だってそうだ。限界そうに見えて奥底にはまだ余裕を残している。


 だが付け焼刃で力の解放をしてしまえばどんな負荷が待っているか。リンという肉体が耐えられない可能性だって十分ある。だから使い方を教えるのは先を予定していた。


 だが弟子に期待しない師匠は存在しない。シロがいったん立ち止まって、星辰の鞘と帯刀ホルダーを取り出す。


「よし、そいつの一式を渡しておく。そのままじゃ持ち辛いだろうしな」

「なんだこういうもんかと思ってた。モンスターと打ち合えるのを、剥き出しで持ってるのはどうかと思ってたんだ。助かるよ」

「一応全部セットで造ってるんだけど、俺には必要ないからなぁ。その刀で言えば鞘は重要だけど……うん! 似合ってるぞ」


 リンのベルトに金具を取り付けてホルダーを引っかけた。夕暮れを模した鞘は、朱色と青色のコントラストが映えている。刀を鞘に納めてホルダーに通すと、両肩を叩いて嬉しそうに声を上げた。


「ありがとう。物を取り出すのは便利だろうし、優しい師匠はそういう要望に応えてくれるのか?」


 されるがままだったリンは相手の眼を見て礼を言う。その一瞬で、不気味な笑みを浮かべたシロがウザ絡みする。抱き付いて頭を撫でまくった。服や体に血の汚れが移ろうと気にしなかった。


「任せとけって! そんなに難しくないから簡単簡単!」

「そっか。それはよかった。ところでさっきの事だけどさ、もしかして余計なお世話だったりしたか……?」

「結果オーライってヤツだよ。よくやったって言ったろ? てか俺がミスった、ちょっと焦っちゃってたかもな!」


 シロの指示を無視したのはよくなかった。威勢良く飛び出した割りには被害を拡大しただけではないのか。


 そう思っていたリンだが、少し気が楽になった。気を遣われているだけだろうが、わざわざ気分を悪くする必要は無い。ここは素直に受け取っておく。


 軽く言ったシロだが本体の奇襲には気付いていた。分かっていて、自分に来るのなら無視した。あれだけの数に跳びかかられては、リンに被害が無いとは言えなかったからだ。


 最良とは言い難いが、悪くないと言えば悪くない。結果リンも無事だったし、下手な消耗を抑えられたという意味でも問題はなかった。


「じゃあ行くか―。そろそろ一層は抜けておかないと」

「よし。って言いたいが、相手はどう仕掛けて来ると思うんだ? 何か考えがあるなら教えてくれないか」

「お、リンってばそういうの興味あるー? まあ走りながらね。暫くは来ないと思うけど絶対じゃないし」


 これだけやられてれば嫌でも確認しなければならない。リン自身いろいろ考えていたが、やはり無理があった。なにしろ、相手は逃げるようなモンスターだ。そんなのは初めてだしそもそもが格上。


 そんな奴が明確な意志を持って攻撃を仕掛けて来る。作戦らしきものまで立ててだ。シロに頼るのは当然と言えた。


『まずはそうだな、なんで暫くは来ないと思うんだ?』

『最初の群れにはゴーレムが混じってたろ。そいつら、もういなくない? 理由は俺らを追ってないから、大体壊されてるから』

『そっちの対処で忙しいって訳か……。後片付けまでしてくれるなんて、結構な事だな』

『片付けついでに、残骸を分体の材料にしてるんだよ、だからあんなにうようよいたんだ』


 分体を創れるほどのモンスターでも、数を無尽蔵に増やす事は出来ない。自身より強い個体は勿論だし強く創れば創るだけ負担もある。それを回避する為に質を落として量を増やす。


 そこで最初から弱く創った分体を成長させる。成長に必要な餌は、自分達でいくらでも作ってしまった。


『じゃあ最初から目を付けられてたって事か!? なんか衝撃だな、モンスターってそんなに賢いのか』

『ぷぷっ。おまえより賢かったか? 情報収集もせず最初から突っ込むなんて、あたま悪すぎだもんな?』


 かつての無謀をからかわれて微妙な顔をするリン。本当にその通りでぐうの音も出なかった。しかしその愚行がシロとの出会いに繋がったと考えれば、悪い話ばかりではなかった。


 エリアに突っ込んだ理由と目的から目をそらして軽く笑って答える。


『ああそうみたいだ。やっぱり俺は馬鹿だよ、だからもうひとつ教えてくれ。最初に言ってた本番って?』

『そりゃもちろん、相手が全力で来るってことだよ。あのデカい魚だってそうだったろ? 最後に頼れるのは、自分だけって意味さ。っま! 俺がいるからリンはそうじゃないけどなっ!』


 リンには十分激戦に見えたが、深くは追及しなかった。焦ったと言ったシロだが、それまで余裕の表情で群れに突っ込んでいた。本体の一撃も受けの算段があったのだろう。


 自分にはどうにもならなそうな事が分かって、後はシロに任せておく。


『取り合えず分かった! 俺はもう帰って寝る事だけ考えておくよ』


 リンの自己肯定感は非常に低い。それはあの日から無力感に苛まれ続けている為だ。何でも自分のせいにしたり、否定的な意見ばかり浮かんでしまったり。かなり重度の鬱病で、時折には躁が混じる。


 しかも最悪な事に、リンは自分に関心が薄い。だから自分自身の力を認識出来ない。


 人の機微を敏感に感じ取るシロには、本来なら非常に善良な気質を持つシロには、同じような経験を持つシロには、リンの気持ちは痛いほどに分かった。


(……まだまだ時間が必要だろうな。できれば、もっと平和的な活動をオススメしたいけど……)


 脳裏におでん屋が浮かんで表情を崩してしまう。リンがあそこに混じっていればどれだけ幸せだろうか。


 最近はマシになってきているが、リンは出会った時みたいに死人のような顔を見せる事もあった。それまで普通の子供が異常なトラウマを抱えれば当然で、こんな短時間で治る訳が無い。


 まあモンスターでも殺して解消していっても構わない。シロはそう考えてお茶を濁す。


 ただ師匠としては、ここで試さない訳にはいかない。どうせイカれてんだから、さっさと本気出してもらわないとだ。


『リン。その刀には大天才が創った仕掛けがある。遊び用ってのは、そういう意味なんだよ』


 一層から外縁部に抜けて、得意げにそんな事を言い始めた大天才に不思議な顔をするリン。刀を鞘から引き抜いて確認しても、特に変わったところは見られない。


 確かに切れ味や耐久性は普通ではなさそうだが、それ以上は分からなかった。


『なんか引っ掛かるけど……。頑丈な以外にも何かあるのか?』

『違う違う。まあ刀身の方がやべえんだけど、実は鞘が重要な要素なんだな』

『鞘って? こっちは別にだけど。……んんっ? なんか内側に変な模様があるぞ』


 鞘の中身を見ると線のようなものが走っていた。それは文字のようにも、ミミズがのたうったようにも見える。並みの者では前者、リンには後者の感想しか出てこない。


 リンは、ライが造った箸にも興味を示していた。バトルジャンキー同士、何か通じるところがあるのかもしれない。それとも別に理由があるのか。


 もう手遅れのリンを見て頭を抱えそうなシロ。気になりはするが、今は時間が無い。師匠として必要な事だけ教えていく。


『それ魔法陣みたいなもん。円と図形と文字じゃなくて、文字だけでも形にできるんだ。んで、刀には奥義がある。それが抜刀術。達人は鞘から刀身を引く抜く一瞬で相手を細切れにする。初心者には難しいが、おまえならその仕掛けを使ってゴリ押しできる。魔法陣、もう使ったことあるだろ?』


 リンは以前、転移の魔法陣を起動させていた。経年劣化とエネルギー不足で壊れた魔法陣。そんなものでもむりやり起動出来るリンに、正常な状態を保っているものの起動は簡単だ。


『これがねぇ……。でも俺にはどうすればいいか、あの時の事はよく覚えてないんだ』

『リン。自分を信じろ。答えは絶対、お前の中にある。俺が言えるのはそれだけだ』


 シロが微笑んだ瞬間、夜の闇が一際濃くなった。


 巨体が音も立てずに先制を取る。鋭い爪と歪に膨れ上がった前足で、十分な踏み込みを伴った全力の一撃を繰り出した。打ち破るには小細工か、真正面の膂力か、迷わなかったシロが拳で吠える。


「それで本当にいけると思ったのか!? 舐められたもんだなぁ――!」


 インパクトの異常な音が響き渡る。シロは地面に線を残すだけで済んだが、巨体は吹っ飛んで壁に激突。土煙を巻き上げて倒壊する建物に沈んでいく。絡め手ではない、純粋な力が場を制した。


 幼い少女に軍配が上がり、矛盾をも制して不敵に笑った。


「シロっ!? 大丈夫だったのかそれは!? いやそれより、――ッ!! お、おい、それ……」


 奇襲に反応出来なかったリンが、気付いて声を震わせる。シロの腕は折れ曲がっていた。明らかに手遅れの状態で血を吹き出し、千切れ飛んだ皮膚や筋肉の隙間から砕けた骨が見える。


「大した怪我じゃねえよ。それより、リン。答えは見つかったか?」

「い、いやそんなの! 大した怪我だろ! なに余裕かましてんだよ!」


 激痛どころの話ではない。立っているのがやっと、意識を保っているのがやっと。その筈なのに、シロはいつもと変わらない笑顔を見せる。リンは信じられない気持ちでいた。


 信じようと信じまいと、現実は動き続ける。土煙が揺らぎ、瓦礫が盛り上がる。


『次くるぞ、いいから自分に集中しろ。お前ならあいつに勝てる。俺がそう言っても無理そうか?』

『で、でもあんなっ! いや、俺には無理だった! 全然見えなかったんだよ! その腕だって……!』

『この腕が、何だって? 見間違いだろ。それとも、リンは俺も信じてくれないのか? 今まであんなに大口叩いておいて? ついさっきのも嘘だったの?』


 見間違いではない。腕はぶら下がっていた。


『おれ、……おれは! ……ただ、ガキだったんだよ……」

「リン。大丈夫だよ。お前ならできる。ちゃんと自分を信じてやれ」


 この世界に、不可能はあり得ない。それでも限界はある。だとしたら、それは自身の力不足が原因に他ならない。だがシロは、可能だと見せた。それを信じられないのであれば、リンはあの日を否定する事になる。


 それだけは、我慢ならなかった。


『――あいつは俺が殺す。重傷なら下がっててくれ』

『おう、任せたぞ!』


 リンの後ろに立って、千切れた筈の手で背中を叩く。


『任せろ!』


 強い意志で乱れた呼吸を整える。やり方はもう知っていた。鞘に手を掛けて瞳を閉じる。あの時は見えなかった、シロがやっていた剣戟。無意識に沈んでいた一瞬を再現する。


 柄を握り込んで、無意識を意識した。極限の集中が世界を停止させる。迫るのは自身よりも格段に大きい、漆黒の体毛を持つ狼。


 ――お前は……ッ!!


 気付きが手を止める事はなかった。鞘から引き抜かれ、漆黒を纏う刀身が星辰の輝きを帯びる。


 刃の軌跡に浮かぶ星々が堕ち、極彩色の星空が敵を切り裂いた。

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