40話 宝の山

「よーし、休憩は終わりだ。探索者なら探索に出るぞ! 特におまえはには訓練もある! 午後の部、開始だ!」

「分かった。午後もよろしくお願いします。師匠。ああ、その前にこれ食べるか? ちょっと食べ掛けだけど」


 妙にツヤツヤして元気いっぱいのシロに苦笑いで返すリンは、思い付きを実行してみる。ベッドから立ち上がって、薄焼菓子のあまりを差し出した。


 猛獣に餌やりでもするみたいに、指までいかれそうなのを素早く引っ込める。


「リンの甘い味がする……」

「気味の悪い事を言わないでくれ」

「でもしたもん。ぜったいしたもん」


 リンは眩暈を起こして若干ひきながらも、口では「はいはい」と答えておく。


(甘いのはチョコレートの味だろ……。そもそも包みにしか触れてねえ。いい考えだと思ったけど、逆効果だったか? 状況によるか)


 腹に何か入れてやればと思っていた、安直すぎる試みは失敗に終わったようだ。





「忘れ物ないか? エリアの建物は再精製されることがあるからなー。それに巻き込まれたら最後、俺にもどこ行くかわからん」

「……。それって、人間は巻き込まれたりしないのか? ますます心配だ。さっさと出よう、もう行こう」


 出発の身支度をしながらの会話に不穏なものが混じり、リンは眉をひそめる。


 少なくとも、下着姿のまま伸びをする少女から飛び出る言葉では無かった。さっきまでそんなとこで寛いでいたのだと思い、余計に嫌そうな顔になってしまう。


「安心しろ。人間が近くにいるのに、ましてや入ってる建物にそんなの起こらないよ。そしていいこと尽くめだ。次は金の稼ぎ方を教えてやる」


 外に通じる壁に近付き、不敵に笑ったシロが回し蹴りを放つ。


 オーバーサイズの黒い上着がふわりと舞い、黒色を腰まで伸ばされた真っ白い髪が彩る。芸術的なまでに洗練された動きは、窓辺に零れる太陽光を引き裂いて鋭い軌跡を残す。


 異常を証明する衝撃が、蹴り飛ばされた壁面から建物全体に渡って悲鳴を上げた。


「さあ行くぞ探索者! 報酬を受け取りに、楽しい時間の始まりだ!」

「それは最高だな!」


 異常者と化け物のふたり組は、心底楽しそうに笑う。


 建物の二階に位置する部屋から扉も階段も使わないで、しかも勝手に開けた大穴から飛び出していく。


「ああやっちまった! くそう! 俺はもう不死身らしい!」

「んなバカ言ってないでさっさと来い! そこ置いてくぞ!?」


 普段なら、飛び出す時点でシロが体を動かすのを感じる筈だった。


 以前トラックから飛び出した時とは違い、今のは完全に生身だと分かってしまう。無様な受け身など取らずとも、理解不能の力が湧いてこずとも、落下の衝撃を己が心身だけで殺しきってしまった。


 リンは勢いのまま投身自殺に続いてしまったが、心の奥底では無意識に思っていたのだ。


 あの時もこうすればよかったな、と。


 難なく着地したふたりは、そのままエリアの奥地へと走り去って行った。


 もはやこの外縁部に蔓延っていたモンスターなど残っていないのだから、その足を止める邪魔者は存在しえなかった。そしてあれほどの戦果は、外縁部に精製される痕跡をひっくるめても賄えない。


 見合うだけの、より高値の痕跡がある場所に行くのは必然であった。


 しかし、


 暗闇が世界を覆い隠すように、エリアには胞子が満ち始めていた。





「ふむ。おまえは持久力に難ありだ。走り込みも追加しよう。むしろ一番の基礎だったな、正直忘れてたよ。銃より先だった」


 顎に手を当てたシロから今後の方針を聞かされても、リンには返事をする余裕など無かった。


 もう十分もの間、重い装備一式を身に着けて全力疾走したのだ。大地に倒れ伏したまま、酸素を求めて荒い呼吸を繰り返すばかりだった。汗ひとつ流していないシロとはえらい違いである。


「はぁ、はぁ……。シロは、一体どうして平気なんだ? 俺はもう一歩も動けないってのに。というか、動きたくてもうごけねぇ……」


 ようやく声を上げたリンだったが、息を整えきれておらずに掠れた声だった。


 勿論、リンの走る速度や持久力は並みを超えている。しかしシロからすれば準備運動にすらならない。シロはもっと速い上に何時間走っても疲れなど感じないからだ。


 そしてなぜかと問われれば、シロは完璧な回答を用意していた。


「そりゃあリン。俺が天才だからだよ。ほかに理由がねえよ」

「はは……。そうか、流石シロだ。それじゃあ、仕方ねえよ」


 当然納得できていないリンは掴まれた手に疑いの眼を向ける。


 まあそんな事をしても仕方が無いので、もう片方の手に、笑顔でねじ込まれたポーションを服用しておく。ついでに安物の回復薬も併用する。ペットボトルの水を頭から被り、準備は完了だ。


 どうやら、もうワンセットらしいのだ。


「あ、キツイならペース落としておく? それともリンちゃん。俺が抱っこしてあげてもいいんだよ?」

「抜かせ。……やっぱり、ちょっとだけ落としてくれ。ポーションも無駄には出来ないしさ」


 リンの弱気に、シロはいつの日にか見せたとびきりの笑顔で、


「だめー」


 無慈悲に告げたのだった。


 それから数度同じ事をして外縁部を抜け、エリアの一層部に入ったふたりは開けた大通りに出ていた。





 エリアレベル3。人類呼称コロニケの一層部。


 レベル20以上の探索者が相応の装備、数名のパーティーメンバーを集い、常に警戒を絶やさず、緊張感を持って挑まなければ危険な環境だ。だが活性化直後という事もあり、今その常識は通用しない。


 全くもって未知の領域に、しかしおおよそ、想像通りの掠れ声が響く。


「はぁーー……。もうだめだぁ、おれ、もう死ぬ。死んじゃうよ。もう動けない」


 凶悪なモンスターに攻め立てられ、今にも助けを求める人間の声。では無かったようだが、まあ似たようなものだ。


「おまえは不死身じゃなかったのか? まあいい、落ち着いて呼吸を整えろ。俺の方をしっかり見ろ。これは何本に見える」

「……。ああ……? 8本……?」

「ばか、これは2本だ。重症だな」


 ぼやけた視界ではシロが4人も立っていた。4人が一斉に見覚えのある桶を持ち、だばだばと冷たい水をぶっかけてくる。最初こそひんやり気持ちいものの、無限の水源はやがて苦痛に変わる。


 陸で溺れたように手足をジタバタさせ、リンはもがき声を出す。


「もがが……! シ、シロ死ぬ! これはマジで死ぬ! うああやめてくれ!」

「こんなとこで倒れてたらそら死ぬよ。俺に殺されなくても、モンスターはいっぱいいるんだぞ?」


 リンにはシロの声など届いていなかったが、降りやまない水に押しつぶされて理解する。


 シロはこっちの言葉を聞く気が無いらしい。このままでは本当に死んでしまうと根性を振り絞ったリンは、情けない声を出しながらも、なんとか仰向けの体勢からうつ伏せになる事に成功した。


「おおーっ。リンー? 嘘はよくなかったなぁ。ぜんぜん動けるじゃん。偉いね。あとちょっとだね」


 感心感心とでも言いたげに、恍惚の表情で人をいたぶるのは、まさしく悪魔の所業だ。


 理不尽なしごきに、リンには後悔する余裕など無い。余地も感じない。


 ただちょっと、これが金の稼ぎ方には思えなかった。


「はあ……。はぁーー。ああもうっ、次からは、事前に内容を頼む……」


 うつ伏せから膝を立て、腕を立て、ようやく水が止まる。リンは恨み言にならなかった自分を褒めてやりたい気持ちだった。


「んっ? 俺は遊んだりすっごく手加減する時の方が多いけど、真剣な時もある。特に、かわいい弟子が頑張ってたりすると応援したくなっちゃう。だから、詳しい内容は教えない。不測の事態への備えだよ。リン。こんなんでダウンしてたらこの先ずっと無理だぞ。強くなりたいなら、それが本当なら、意味わかんねえこと言ってねえでさっさと立てや。俺はもう決めてんだよ、お前を最強にするってさ」


 リンは、今度は自力で立ち上がる。


 そうして、大笑いしそうになったのを内心に留めておく。シロの言った通りで、確かにこれは楽しい時間だったのだ。散々まで走らされて、大量の水まで掛けられて、死ぬかもしれなかった。


 でも楽しかった。


 寸分の狂いもなく、それが事実だった。


「すっげえ。人の師匠になるような奴はやっぱ違うんだな。んな訳の分かんねえ話でも、雰囲気だけで誤魔化されちまったよ」

「俺に付いてくるなら倒れてる暇なんてねえぞ。まあそれはさて置き、よくやった。これで本題に入れる」


 ぱん、と手を叩いたシロが歩き出す。リンもその後ろを、これが最後のポーションだと渡されたのを飲みながら続く。


「この大通りはエリアの二層まで続いてる。てことは、ここは一層になる。俺達が寝てたのは外縁部」

「なんだか、そういうの初めて聞いた」

「当たり前だよ。話してねえんだから」


 だだっ広い通りは、先が地平線まで続いている。通りの端には外縁部よりしっかりした、都市の下位商業区画でも見かけるような建物が所狭しと整然している。さらに上空から見れば、格子状に広がっている様子が確認できるだろう。


 高さ制限が掛かっているのか、8階以上の高さの建物は確認出来ない。並んでいるのは飲食店、服屋、日用品店、食料品店、アパートなどの生活に必要不可欠な要素が列挙されていた。そしてその全てが完璧な状態で精製されている。


 それだけ見れば、ここは金銀財宝の山だ。


「まあ言ってしまえば、どっか地方ってとこだな。現代みたいに都市とか言わないで、その手前、街とかって規模だ。ここが都市でいう商業区画だったとしたら、外縁部は居住区画ってとこ。つまりスラム。ああそうだ、勝手に建物に触れたりするなよ。モンスターが湧くから」


 外縁部のモンスターはイカれたふたり組によって全滅。活性化が確認されたエリアの、しかも一層部にわざわざ自殺しに行くイカれ野郎も数少ない。環境音すらなく、ほとんど無音の空間にふたりの足音だけが響く。


「やけに静かだなって思ってたら、なるほど。建物がキレイな状態なら、モンスターも居ない訳か」

「その筈なんだが……。おかしい。なんでかモンスターが来るぞ?」


 リンの平和そうな理解が示された途端、異常事態にシロの警戒が一段上がる。


 ここはエリアで、あり得ないがあり得ない危険地帯。まあ別に珍しくは無い。他所から侵入した探索者がいるのかもしれないし、そいつ等が暴れまくっているからかもしれない。なにせ完品の建物ひとつ襲撃するだけでも相当の利益が見込めるのだ。


 その警備を突破出来ればの話ではあるが。


「もう殺したけどな。しかしなんだ? 随分と楽勝だな。確かにこれはおかしい。その一層なんだから、モンスターってのは外縁部より強い筈だろ? スラムより、まともな環境で暮らしてる住人の方が強いもんだ」


 あまりに余裕の勝利は、リンにも強い警戒をもたらした。シロ同様、異常を感じ取ったのだ。


「ああリン。ご苦労。しかもその通りだ。これからもその調子で頼むぞ。じゃあさて、これはスレイブウルフにも見えるが……」


 リンを労いながら、シロはモンスターの死骸に近付いて行く。


 いろいろと想像できることはある。だがまずは、証拠を検分してみないことに話は始まらない。


 ふたりが遭遇したスレイブウルフの群れは、最初に出会った群れより格段に弱かった。開けた空間で直線的な動きしか見せず、リンは的当てゲームの要領でカカシを仕留めていった。ケチらず強装弾を撃てば、群れは数秒の間で血だまりに変わった。


 それだけなら異常無し。処理完了と言ったところだが、問題はその見た目にあった。


 群れのモンスターは、輪郭が滅茶苦茶だったのだ。


 まるで影が実体を持って這っているかのように、太陽の下を矛盾して揺らめいていた。脚からは歪に伸びた爪を生やし、胴体からはあばら骨が突き出ている。顔に見えた特大の牙らしきもの、というか頭部は霧状で、獰猛な吐息の度に目や口らしきものを燻らせていた。


 今は死んで力が無くなったのか、輪郭がだいぶハッキリしてきている。大きさは、まるでむりやり縮めたように小さい。体高はリンの身長の半分ほど、体長はリンの身長と同じ程度。本来は四足歩行の獣型の筈だが、左右非対称に足をくっ付けていた個体も確認出来る。


 まるで、できそこない。


 こんな異形が全力で喰い殺そうと走ってきていたのに、リンは至って冷静に引き金を引いていた。


「もうグチャグチャで分かり辛いけど、まさか粉々になるまで撃ったから、こうなったんじゃあないよな?」


 リンは急激に萎んでいく死骸を指でつっつきながら、自分でやっておいて汚れた指に眉をひそめた。


「間違いない。元から不定形のような見た目だった。歪だ。こんなモンスターは精製されない。と、思う。俺も詳しくは知らんから何とも言えないが……。明らかに異常だな。そして異常には、必ず犯人が存在する。油断するなよ、リン。こういう時はどんな小さなサイン、物事でも見逃すな。戦場で生き残りたかったらな。あまりに無謀な戦場じゃなければ、必ず生きる為の活路が開けてるもんだ」


 シロは死骸の胸と頭、心臓と脳に手を突っ込んで、集中するように眼を閉じた。


 リンは邪魔しないように周囲の警戒に努める。恐らく必要な事なんだろうが、説明も無しでそれは冷静にヤバイ気がして、余計複雑な表情になった。


「マジでなんなんだ。分体のはず、だよな? 蘇生も不可能……。こんな見た目で、なんで普通ってことしか分からないんだ?」

「蘇生ってさ……? まあそれはいいや。分体って、強いモンスターから別れたりする奴か」


 舌打ちして愚痴を零し、突っ込んでいた両手を引き抜く。最初から手袋でもしていたかのように、真っ白い肌に血の汚れは付着していなかった。その手で頭をかきながらリンの疑問に答える。


「そうだ。前の依頼でも見ただろ、デカイ魚から出てきたあの小魚の群れ。本体の強さや賢さにも依存するが、そう無茶な分体は創り出せない。分体を精製するのに、魔法において重要な自由度が少ないんだ。本体の自分より強い分体だったり、あの魚みたいに、こんな形が変化したりはしない。じゃあこいつ等の本体は、元からこんな感じなのかって言われると、そうでもないらしい。だから、現時点ではこいつ等が何なのかわからない。目星は付けれるけどな」


 シロが話す目星に心当たりがあるリンは、すっごく嫌な顔をした。


「げえっ……。それは、なんだかヤバそうだ。さっさと帰った方がいいんじゃあないか。マジで強いんだろ?」

「っふ。そうだな、あんな奴に関わって面倒は、二度とごめんだ。もうちょっとデートを楽しみたかったが、そこにしよう」


 浮かんだ顔にいい思い出が無い故に、お互い辟易や同感などの感情が籠もった嘆息を深くつく。そうしながらも、シロが微笑みながら指差したのは、なんの変哲もない食料品店。


 それを見たリンも、気持ちを切り替えて応じる。


「相変わらずだなぁ。金に換える前に、全部無くならないといいけど?」

「金に換えるのはそっちに詰めた分だけだ。自分で飲む分は自分で確保するよ」


 店の外からでも分かる。ショーウィンドウの中には、酒瓶が展示されていた。


 こんな時でも酒とは、さっきまでのやり取りは一体何だったのか。リンは緩んだ顔で、しかし警戒は解かずに軽口を叩く。シロは心外だとでも言いたげに、リンが背負うアイテムバッグを見ながら、店の扉に手を掛ける。


「じゃあ巻きでいくぞ。ここを何の対策も無しに開けたら、モンスターが湧いちまう。だが、俺ならこうだ」


 探索者がエリアにある店を襲撃して、痕跡を集める手段は様々だ。警備の為に正体を現すモンスターを蹂躙したり、セキュリティーそのものを無効にしたり、そもそもセキュリティーの掛かっていない店を見つけたりなど。


 それら全ての手段を自由に選べるシロは、傍目には普通に扉を開けたようにしか見えない。だが実際には、掛けられていたセキュリティーを食いつぶしたのだ。手に触れただけの短時間で、まさに神業と言っても過言ではない。


「痕跡が取り放題って訳か! 凄いな!」

「いやいやリン。それほどでもないよ。まあこんなこと出来るの、俺くらいなもんだけどな?」


 実際の仕組みなど、傍で見ていても分からなかった。


 まあそんなのはどうでもよく、リンは驚いた顔で開いた扉の先を見る。偶には力を見せていい気になりたいシロも、そうやって言われればドヤ顔でうざ絡みする。


 肩を組んだふたりは、イカれた戦果に見合ったリターンを得ようと宝の山に踏み入れて行く。


 アイテムバッグいっぱいでも足りないリスクを抱える為に。

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