39話 訓練の成果

 リンの言葉を都合よく受け取り、シロは我が意を得たりと感極まっていた。


 今回はお姫様抱っこである。これがハマってしまうほど魅惑の体験で、なんといってもリンに触るのも楽々だ。それでも重体相手には悪いと思ったのか、頬ずりに留めている。


「なるほど、前に抱えてるってのがいいね。うんうん。かわいい寝顔も丸見えだぞぉ? はっ! これはいかん、独り占め……こんな場所にいられるか! 避難しなければ!」


 欠片も言い直せていないが、頭の中ではそういう事になっていた。


「ごほんっ! うおおおリン大丈夫か!? まったく許せんヤツらだな! あとで覚悟しておけ、モンスター共ッ!!」


 誰も見ていない寸劇を繰り広げ、イカれた化け物はイカれた戦場跡を去って行く。


 このエリア、コロニケは本来レベルの低い場所だ。


 エリアは危険度に応じて、難易度の目安となるレベルが割り振られている。ここは10段階評価の3番目である。これは北にある最前線でもなければそんなもので、多く見積っても5を超えない。


 現在シロが居るのはエリアレベル3の外縁部であり、探索者レベル10を超える、一般的な装備を整えた者からすれば危険な場所ではない。レベル1000の探索者なら言うまでもなく、余裕すぎる場所だ。


 しかしスラム街の子供がうろつけば即死の環境。


 そんな外縁部には多数の救済措置が設けられている。これは神の粋な計らいであり優しさでもある。探索者を目指す者に、そう簡単に死なれても困るのだ。


 そして運の良い者や勘の良い者、ある程度の受信帯を持つ者に対しての救済措置は、


「あったあった。しっかし、あんなにモンスターが溢れてんじゃ意味ないけどね」


 シロが見つけた通り、このセーフハウスだ。


 招かれざる客であるモンスターを弾き、助けを求める人間に扉が開かれている。どんな人間でも持つ受信帯。それがセーフハウスから微弱に発せられる信号を捉える。


 信号は危機的状況にある人間に対して、例えばモンスターに追いかけられている人間に強く送信される。逃げ惑う人間は縋るように、吸い寄せられたように足を向けるという訳だった。


 リンも一時的に命を救われた経験がある建築物。今では活性化によって見る影も無い。僅かな望みすら抱けない状況であるのは、スラムの子供にでも分かる。こんな場所に常人は近寄らない。


 シロは建物の適当な部屋に入った。ベッドにリンを寝かせる。


「そのままじゃ気持ち悪いよね? じゃあ、ぬぎぬぎしよっか」


 顔は気味の悪い笑みで歪んでいた。鼻息は荒く、興奮を抑えられない様子で上着に手を掛けた。


「え゛へっ……。さぁあ、まずは上からだよ。安心して、俺はプロだからねぇ」


 声すらも歪み切って、穏やかな寝息を返すばかりのリンの衣服をプロの手際で剥ぎ取っていく。


 そこで虚空から桶とタオルを取り出す。桶に描かれた魔法陣を起動させると、みるみるうちに清潔な水が溜まりだした。そこにタオルを浸して至極冷静に、真っ当な介抱を始める。


「やっぱり怪我してるなぁ……。腕とか痣になっちゃってるし、気絶するほど消耗してるんだもんな。最後の蹴りはリンの方で何かあったのか? 完全に地力でやってたけど、リンじゃない可能性もあるんだよなぁ。ほんと謎だ。でも毎回全部使う癖は治しておかないと。うん、まあ他に問題なさそう。すぐ起きるだろ」


 どかっとベッドに寝転んで下着姿に変更。リンに抱き着いて布団を掛けると、頭を優しく撫でながら微笑んだ。


「あ、これ好き」


 ちょっと汗ばんでいる頭に顔を埋め、くらくらする脳は呟きと共に沈んでいく。


 考察と介抱を済ませたシロだったが、肝心な部分は放棄した。考えているうちに悲しくなったからだ。


 人が人を助けるのに、そこに何の理由がいるのか。しかし悲しい事に、助けない理由はいくらでも思い浮かんでしまった。





 先程の戦闘の負荷は重かった。リンに最適な動きを入れながら、正確な魔法の行使は想像以上の激痛を脳内に走らせていた。


 原因は単純な力不足だけではない。現在の状況においては勝手が異なり、シロは自身の痕跡を残す手段を使えなかった。派手にやってしまえば、自分を殺したほどの相手とご対面する事になる。


 ある日に謎のふたり組が言っていたライという名前は、間違いなくその東雲雷だ。謎のふたり組から、ライが残した魔法の痕跡を確かに感じてしまったのだ。


 実際会うのは問題ないが、今更どんな顔で会えばいいのか分からない、というのが本音だった。ちょっとした意地もある。


 だから仕方なく、自身の魂から捻出する力は使えない。そこで思い付いたのが覚醒者だ。現代の人間に魔法は一般的ではない。魔法体系についても消失してしまっている。


 覚醒者を一括りにして魔法使いだと言ってしまうのも無理ない。だが転生者であるシロからすれば、覚醒者は魔法使いでは無い。


 覚醒者は魔法使いと違い、その力の拠り所を胞子としているからだ。そこらにいくらでも存在する胞子を媒介とすれば、その魔法に自身の情報が載ってしまう事は避けられる。


 人に見つかりたくはないシロが、大規模な爆発を余裕の表情で引き起こすのはその為だ。実際には隠ぺいの制御が疎かになって慌てていたが、それは置いておこう。


 そんな諸々の事情を、一切教えて貰っていないリンが眼を覚ます。


「んあっ? 俺はさっきまでなにを。ああ、そうか……。宿でもないっぽいけど、まだエリアの中か?」


 時刻は正午を少し過ぎたばかり。気だるげな声が部屋に響いた。


 まるで朝寝坊したような目覚めに調子がいいとは言えず、鉛でも抱えてしまった重い体を引きずって辺りを見回した。見えるのは少女の寝顔と知らない天井。窓の外を確認してみれば見慣れたエリアが広がっている。


「まあ危なくなったら起きるだろ。じゃあなきゃこんな場所で寝ない、よな?」


 こんな顔で寝てる相手を起こしてしまうのは悪い気がする。なんとなく。


 ベッドから立ち上がって、所持品が置かれている机に向かう。何故か裸にされていたので肌着だけでも取り戻しておきたかったのだ。乾いていたシャツを被り、上着を羽織る。腰にベルトポーチを巻き付けて武装も完了。


 やっぱり不安なので、立て掛けてあったAフロントソードも担いでおく。アイテムバッグをひっくり返して弾薬を確保。


「入れておけるのは便利なんだけどなぁ。シロは不便してないみたいだし、何かやり方があるのか?」


 リンは自主練を開始する。これからも中身を取り出すたびに、散乱させるのはごめんだったのだ。何より片付けが面倒。ならやり方を見つける、という方がよっぽどいい。


 訓練を開始して時間が経ち、仕組みを解明とはいかないまでも、ある程度のコツを掴む事に成功する。


「なるほど。自分で入れた物を覚えておかないとマズい訳か。それを取り出す時に思い出しながらっていうか、魔法使い風に言うなら受信帯を働かせるのか? それとも送信帯? 送受信帯とも言ってた気がするし、まあどっちでもいいのかな? とにかくそれを使うのかも……。いや分かんねえよ。流石にそろそろ教えて欲しいけど、見て覚えろとかそういう感じなのか?」


 頭を抱えるリンが原因をうかがっても、寝ていれば可愛い寝息を返すばかりだ。それで諦めたようにため息をついた。


「答えは簡単に見つからないか。まあいいさ、天才らしくいこう」


 こういうのには勢いと余裕が大事。多分そうで、シロもやってるから間違いない。


 バッグには現在、各種弾薬、ポーションの瓶、安物の回復薬、宿の売店で買った携帯食料、ペットボトルの水、酒が入っている。さっきまでの成果を試す時だ。


「お願いだ。ちょっとだけでもいいから言う事を聞いてくれ。ごめん……。今まで雑に扱って悪かった」


 バッグに手を突っ込み、必要な水と携帯食料を頭に思い浮かべる。ただ思い浮かべるだけでは無い。こう言ったら狂っているかもしれないが、無機物であるバッグにお願いする気持ちでいくのだ。


「よし。なんだか意外と簡単。もっと早く覚えて、言ったら切りないか」


 成果が出ているのに自分で気分を悪くしてどうするんだ。頭を振って味気ない食事を開始する。


 思い出されるのは都市配給のビスケット、とまではいかないが、ここ数日は食堂に入り浸ってまともな食事を取っていたのだ。比べてしまえば見劣りを感じてしまう。


「うーん、ちょっと甘すぎないか? まあこれくらいの方がいいのかも」


 チョコレートの薄焼菓子を頬張って水で流し込む。食事というより補給に近いが、リンからは自然と笑みが零れていた。


「それは最高だな」


 誰にも届かない言葉を呟いて、満足げに補給を完了した。





 それから数時間後、ダウンしていたシロが飛び起きる。


「ああ、俺寝てた……。いやそうだ、リンっ!」


 慌てた様子で首を動かすと、声にも出していたリンはすぐ見つかる。


「おはよう。そういう時間でもないけど、でも他に声の掛け方とかあるのかな。目覚めた相手にはいつでも使えたりするの?」

「おはよう……。どうだろうな。ただまあ、なんでもいんじゃないか? 言葉ってのは時代とかちょっとした流行りで変化するもんだ。いちいち気に掛ける必要ねえよ。ってのが俺の意見だけど」


 リンは笑って、


「まったく同じだよ。だけどシロなら気の利いた言葉とか知ってるんじゃあないか?」

「……。今日はなんだ? まあ弟子が勉強熱心で関心だよ。だったらそうだなぁ……」


 消耗した上に、寝ぼけた頭の回転を確かめながら雑談に入っていく。具体的な内容を考えながら、裏ではリンの様子を事細かく観察する。


 寝起き一番に思ったのは、こいつほんとに男なの? だった。


 また数段大きくなっているリンの魂に眩暈すら感じて、別に悪いことじゃないと自分に言い聞かせる。どうせまだ大きくなるし、この程度でビビっていたらリンの師匠なんて務まらない。


 考えを纏めると、表面上は真剣な面持ちで話を始めた。


「アラモードって言葉を知ってるか」

「聞いたこともないな。昔の言葉か?」

「ああそうだよ。今朝知りたがってたろ」


 リンは少し迷った振りをして、さり気なく手に持ったアイテムバックから酒を取り出す。


「そうだったか? ああそうだったかもな。悪い、昔すぎてさ。んでどんな意味なんだ」


 シロは酒を受け取りながらベッドに腰掛けた。リンも武装を解除して傍に腰掛ける。


「さっきの話そのままさ。流行とか最先端って意味。もっと細かいところで言えば、お気に入りだな」


 中身をあおって空にする。どこか遠くを見ながら微笑んで、酒瓶を放り捨てた。


 緩やかな軌道で壁に当たる寸前、音を立てて割れる筈の瓶は、蒸発でもするように溶けて塵も残さず消失してしまう。「なあ、シロって酒瓶に恨みでもあるのか。いつも仲良くやってるだろ?」との発言を無視して続ける。


「お酒は私のアラモード。気取ってそんな使い方をするやつもいた。ちなみに、今の魔法は俺のアラモードだ。現実にある物体や現象に干渉するのはそう難しくないんだよ、特に破壊の命令を構築するのはな。魔法として、意味のある効果を付与するのはまた別だけど。そんで、逆に創り出すのは凄く難しい。銃の整備と同じだよ、解体より組み立ての方が難しいだろ? それでもだ、俺の左手に何が見える」


 シロが握り込んでいた酒瓶を確認して、リンは被りを振る。


「なるほど。そこで言うと俺のアラモードは、膝枕にならないといいんだけど……」

「俺は美少女だぞ。もっと喜べよ。かわいいだろ、美人さんだろ、ほら態度で示せ」


 お勉強はここまで。


 不遜にしなだれかかるシロにじと目で返しつつ、リンはその頭を撫でてやる振りをした。


 すると今度は握り潰され、音を立てて砕け散った酒瓶を見て我に返る。別に意地悪でなく、どっちの頭の中にも理解不能の光景がリピートされていたのだ。


 詳しい説明を求めるのもしゃくなので、なんとなく追及するのもおかしい気がして、お互いそれは黙っておく。


 妙な沈黙が続く中、戦端を開いたのはリンだった。


「そうだ言い忘れてたんだよ。今やると頭からチョコレートの匂いをさせる事になるが、それは大丈夫だったか?」

「んなのはどうでもいい。大人の女は香水くらい付けるもんだ。もしお前が気にするのなら、そこにある桶を使うといい」


 話を合わせる為だけに、欠片も興味がなさそうに告げたシロが目線でベッド脇の台を示す。


 それは自身の頭にアリが集るのも構わない、という事なのか。リンは少し迷ったが、ここで余計な事は言わなかった。


 ファッションセンスの為に防護服を脱がせたシロにそんな事を言わせるとは、まるで罪深い手だとリンは思ってしまった。そんなシロの髪からやけにいい匂いがするのは、香水という名のチョコレートでも塗り込んでいるからなのか。


「ふっ……。いやなんだ。随分と場違いな物があると思ってたら、そういう事だったのか。最初から気付いておけばなぁー」


 馬鹿な考えを笑って誤魔化し、冷たい水が湧くなんだか凄い桶で手を洗う。


 少し冷たすぎる気もするけど。


「おい、洗えたならさっさと戻ってこんか。いいな、もう二度と同じ間違いを起こすでないぞ。そいつと同じ運命を辿りたくなかったらな。まったくもって我慢ならん。あまり大人を揶揄うと酷いぞ。……リン。わかったの? じゃあはやくきて」


 もちろん粉々にされたくはない。だが普段と違う雰囲気が異様だったので、リンは思わず二の足を踏んでしまう。


「あ、ああ。そうだな、シロはきっと疲れてんだ。さっきも凄い戦闘だったしさ、あんな事ばっかやってたら疲れもするよ。ここはまた俺のテクニックで快眠を約束しよう。ああうん。分かった今行くから」


 さっさと行かないと、その凄い戦闘より厳しい闘いが待っていそうだ。


 無言の圧を感じたリンはベッドに寝転ぶシロの傍に座り、もぞもぞと乗せられた頭に手を乗せる。


「よし。必要な事は全て頭に詰まってる。安心して眼を閉じているんだ、次の瞬間にはおねんねしてるんだぜ?」

「あのさあ、だから口調まで真似しなくていいじゃん」

「まあシロ。こういうのは何事も形から入らないと。ああ、だからってモヒカンにはしないけどさ」

「当たり前だよ。リンがそんなことになったら、俺がどうなるかわからん」


 膝枕されたシロはすぐ眠ってしまう為に、リンはその間を学習に当てていた。だからといって撫でるのをやめたりすると、必ず起きて文句を垂れるので、出来る事は限られている。


 片手でも可能な事といえば、情報端末でネットに転がっているアーカイブを閲覧する程度だ。


 モヒカンお兄さん。どうせなら最高の睡眠をという事で、リンは彼の公開していたマッサージ知識を吸収しつくした。投げ銭すら行い、会員専用コミュニティーに入る徹底ぶりである。


 ――いいか諸君。マッサージで一番大事なのは、相手に真の心、真心を伝える事にある。技術や経験なんて二の次だ。わかったぜ?


 ならばリンがそこで得たスキルは、一日にしてプロ顔負けだ。


 気持ちよさそうに眼を細めて、あぁ~、と嬌声のようなものを上げるシロとはえらい違いで、リンは真剣な表情を保ったままだ。


 それも当然で、これはプロの仕事である。誘惑に負ける凡俗とは違うのだ。邪念が入り込む余地など一切ない。


 時間にして30分。ようやくマッサージを一通り終える。


「ふぅー。まったく、俺達はエリアでなにやってんだか。シロもそれ、まさか忘れてないよな?」


 そのうち設備やオイルなどの消耗品も揃えたいものだと、リンの額には達成感が滲み出ていた。


 一度も引っ掛かった事がないサラサラに流れる真っ白い髪に指を通して、術後の柔らかい感触を確かめる。時にはマッサージの延長でもしてやるように、頭皮を揉みこんだり軽くぽんぽんしてやる。肩や首筋にもコリが無い事を確認。


「いやーだっ。そんなのどうでもいい。もうワンセットしてくれ。今にもあの世が見えるよ、間違いない」


 嬉しそうな反応に手応えを感じて、リンはちょっとずつ緩んでしまっていく頬を引き締めた。蘇った人間のそれは冗談にならないのではないかと。それでも要求に応じてしまうのがリンだったが、一応と声を上げる。


「あのだな。今まで言ってなかったけどさ、毎回その、凄い声だしてるけどいいのか? 俺はなんでか心配でな……」

「ふあっ……? なんだって……? いいから続けて。あぁ~そこそこぉ……。その調子だぞぉ。もうさいっこうだよ……」


 撫でるのはやめなかったようだが、言葉を強めて相応の態度を取る。


「シロ。続きは帰ってからにしよう? 先に気絶しちまった俺が言うのもなんだが、こんな場所で一晩明かすなんて考えられない。いつモンスターだって入ってくるかも分からないのに」


 ここ数日、シロは暇があれば膝枕をせがんでいた。毎回適当な理由を付けて頭を撫でるのも要求して。


 飯食って風呂入って以外の時間はほとんどこの体勢だった。ところが、どうしてだかリンの表情は優れない。


 ――おかしい。俺みたいな美少女がかわいく、しかも媚び媚びで甘えてやってるのに、一体なぜ?


 シロの疑念は尽きない。


 もしかして、リンは本当に女の子になってしまったのか。だとしても、女の子同士に何の問題があるのか。それとも、まさかではあるが、男の方が好みなのか、と。


(いや最後は無い。絶対にあり得ない。ならマジでどうなっちまってんだ? 最初の頃はかわいい反応してたのに……。それに普通なら手くらい出すだろ。マッサージなんて言って本当にマッサージだけするヤツがあるかよ! 我慢にしたって限度ってもんがあんだろうが、そこはおっぱいとか触る流れだろ!? リンのやつ何考えてんだかっ! あークソッ、大人を揶揄いやがってイライラするぅ……! それともあれか、俺に魅力がないのかっ!? 理想が高すぎんだろ! 俺以上って、そんなの居ねえよ!)


 積み重なった疑念は不審に変わる。不審は驚愕、被害妄想さえもたらした。上質なヘッドマッサージを受け、スッキリした頭で内心毒づく。


 そこで目敏くも、手に入れていたカードをさっそく切り出す。


「なあリン。アイテムバッグの使い方を覚えるのは楽しかったか?」

「んんっ? まあそれなりには」

「ふーん。そっか、よかったね」


 ――まあ俺の方が上だけどな。


 あまりに唐突で挑発としか取れない言動に、リンの理性や表情筋はよく耐えている方である。片方はひくひくと痙攣を起こしているが、もう片方では硬い無表情を保ったままだ。


(よしっ! ここで撫でてやれば完璧だ! もうコロっといくぞこれは!? くくっ、その時が楽しみだよリンちゃん)


 起き上がって勢いのままに勘違いを続行してしまうと、


「シロ。ありがとう。すごく嬉しいよ。だから続きは帰ってからね」


 温かい体に抱き締められて耳元で囁かれれば、多幸感に包まれる。


「ひあっ。うん……わかった……。うぅでも、もうちょっとだけ、ぎゅってしてくれる……?」


 もう消えかかっている寝起きの気怠さや、頭痛が取り払われて調子を戻していく。マッサージの余韻が増幅されて気すら失いかけるほどだった。ぽんぽんと背中をさすられ、頭を撫でられれば言うことなしだ。


 リンは嘘を吐いていない。


 つい素っ気ない態度を取ってしまったが、訓練の成果を褒められるのは嬉しかった。マッサージで気持ちよさそうにしているシロを見るのも満更じゃない。そしてここがエリアで、モンスターの襲撃がある場所にも違いない。


 ただ言っていない事があるだけ。


(俺は何をしてるんだ……。そうか、きっと疲れてるのかもな……)


 内心ため息をつき、リンは罪悪感に包まれていた。

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