33話 退屈で日常で休日で

 リンが初めて体験する休日は、ぐぅ~、と可愛らしい音で始まった。


「……ぷっくく、マジかよこの体。ああマジうそだろ」


 そうやって絶望的な顔をしている者が一名。


「なんだ、ちょっと話し込みすぎたか。悪いシロ、気づかなくてさ」


 そうやって得意げな顔をしている者が一名。


 シロにとってこんな普通の体は、人間になったのは久々以上の話だった。生理現象を遥か昔、忘却の彼方に置いていってしまうほどに。忌々しくも鳴った腹に手を当てて、まさかリンの前で、などと考えている頭が項垂れていく。


 それと、自分にこんな感情が残っている事に驚いた。昨日見てしまった夢のせいかもしれない。そうに違いない。


「………。まあいいや、いつまでそうしてるつもりだ? 腹が減ったんだろ、なら飯を食うべきだ」


 何かを言いかけて首を振ったリンに、真っ赤な顔を上げたシロが睨みつけて、


「わかってるよ、ああそうだったな! ちょっと忘れてたの!」


 それはもう怒鳴り散らしたのだった。






 ランドリールームから諸々の着替えを取ってきたリンが脱衣所で準備を済ませる。


 今度こそ防護服は置いて行く事にした。探索者向けの宿では必要ないだろうし、私服も使わないと勿体ない。少し悩んだが、シロの話では他人には普通のバッグにしか見えないと言っていた。


 なら普段使いとして活用しない手は無いだろう。昨日は誰からもバッグについての話は無かった。効果は証明されている筈だ。


 備え付けのパジャマから普段着に着替えて、偽装されたアイテムバッグを背負って部屋を後にする。


 シロはてくてくとリンの後ろを歩きながら眼を擦って、迫りくる眠気にも耐えていた。


「そういえば、食堂を利用するのなんて初めてだな」

「探索者は朝に出て行くのが基本だからな。この宿だと、休みの日だけになるな」


 リンは部屋に鍵を掛けると、初めてという言葉に想いを籠めながら言った。ぼやけた頭で返したシロが、歩き出したリンの手を後ろから掴もうとすると、


「そうだよなぁ。一日中命懸けってのも、改めて凄い職業だ」


 しかし、ふいに虚空を切るに終わった。


「……だから普通はやんねんだよな。あ~ふぅ」

「ああそうか、そりゃあそうだよな」


 盛大にあくびをするシロを見て、伝染しながら食堂まで歩き出す。


 コロニケの活性化によって昨日は探索者が大勢、それこそ戦果という甘い砂糖に列を成して群がっていた。無事とは言えないまでも、砂糖にありつけた者は多いがしかし。


 終わってみればこの有様で、扉のプレートを確認して思わず呟いてしまうほど。


「ここ、ほんとに食堂なんだよな?」


 食堂の中身はがらんとしていて、人っ子ひとり居なかった。


 リンやシロも砂糖を求めて列に並んだひとつなのだが、決定的に違うのは無事に帰れたという点にある。


 繫華街の大通りに行けば、今頃はゾンビみたいに目覚めた者達に出会えるだろう。


 下位区域の酒場はどこも乱痴気騒ぎで馬鹿騒ぎだった。暗い闇にネオンが輝いた夢のひと時で、勝利の熱から覚めた者達は芯まで冷え切っている。だからこそ、今日という日は陽光が優しく降りて暖かいのだ。


 僅かに花の香りで、爽やかに人々を撫でるそよ風も忘れない。


 人類みな等しく、神に祝福されているのだ。ただ、どんな事にも例外が存在するだけで。


 とはいえ、このふたりは現在地が屋内である。人類の科学力も高く、天候を操る程度では敬っては貰えない。


 そのつもりも無いが。


「なんか暑くねー? おいリン。これから飯ってのにそんなのはごめんだ」

「ああ、確かに暑いな。俺達しか居ないようだし、自由にさせてもらうか」


 同意したリンがエアコンの操作盤に涼風と設定して温度を下げる。すると同時に、太陽が雲に隠れた。


 暖かいも涼しいも自由。清涼とは言えないまでも、十分に心地のよい風を生み出す事も可能だ。無理に恩恵を享受する必要もなく、全てエアコンがやってくれている。太陽が隠れて暗くもならない。電気があるからだ。


「うん、これだよこれ。ほらリンもこっち来てみろ、最高だぞ」

「いや涼しいなー。こんな日には訓練も仕事も馬鹿らしいよな」


 リンを手招きして風が当たる場所に誘導する。否、自然な仕草で傍に。さてと、とにやけながら腕に抱き付く。 


「さてと、じゃあそろそろ飯を食うか。ん、シロ何やってんだ?」


 ――また失敗。あーなんだか寒くなっちゃった、と喉元から溢れんばかりの言葉をやっと封じて言い放つ。


「こうやって全身で受けるのが醍醐味なんだぞ、知らないのか?」


 リンはおかしな恰好で風を受けるシロに首を傾げて、「そうなんだ」とだけ言って食券機に歩き出す。


「知らない名前もあるなぁ。ここは探索者らしく危険を犯してみるか。それとも、いつも通りに安全策か……」


 安全策なんて取ったことあんのかよ。


 何を食べようか真剣な表情で品定めしているリンの後ろで、不満たらたらな様子で心中突っ込みを入れるシロだったが、目敏くも突破口を見出した。その事で嬉しそうな表情となり、しかし声色は慎重に、光り輝く光明を指差した。


「リン。このうどんってのを頼むんだ、安全策ばかりじゃ腕もなまるってもんだよ」

「えっ、まあいいけど。考えてみれば、欲しかったら追加すればいいだけだもんな」


 リンは後ろから伸びてきた手に合わせてスイッチを押す。押す。押す………が、駄目っ。鉄の塊、うんともすんとも言わず。


 こいつ――。


 どんな衣装で飾ろうとも本質は変わらない。不良少女が腕を巻くって、眉間にしわを寄せてガン付ける。


「おい、てめえ壊れてんのか? ああ? 俺が今すぐ直してやろうか!?」


 食券機の前に躍り出て訳の分からない声を上げたシロに、リンが瞬きを多くして応える。そして食堂を染め上げた大声に、これはやばいと思って腕を掴む。


 ひゃうっ、とした可愛らしい声が上がったが、こっちはそれどころの話ではない。


「ごめんごめん。ほらシロ、大丈夫だから落ち着いてくれ。多分これを最初にいれないと駄目なんだよ」


 慌てながらもそう言って、反対の手で部屋のカードキーを食券機に飲み込ませた。


 うどんなる食べ物は、シロにここまでさせるらしい。楽しみで期待に胸を膨らませる。いや、腹が減ってるだけかも。別の可能性を思い付いて苦笑しながらスイッチを押す。鉄の塊が、俺は壊れてねえよと言わんばかりに作動した。


 勢いよく吐き出された食券とカードキーをリンが受け取る。


「あの、もうだいじょぶだから。うん、ほんと」

「そうか、ならよかった。ここで宿を壊されちゃ堪んないからな」


 冗談めかして掴んでいたままの腕を放し、用は済んだとばかりに歩き出す。こちら、という案内表示に従ってカウンターに。


 シロはまた、てくてくと歩いてリンの後ろを付ける。うつむいていたのは、掴まれた箇所をじっと見つめていたから。


「あ、いえ、食券機には問題なかったです。………ああそうなんですか。へー、じゃあお願いします」


 厨房のスタッフとにさん話したリンが食券を提出する。


 その場で少し待つと、うどん、とやらが正体を現した。サービスでお揚げとえび天も付けて貰っている。食堂のおばちゃんが食べ盛りの子供に気を利かせるのか、リンが醸し出すゆるふわな雰囲気がそうさせるのか。


「いいんですか? ありがとうございます。ほらシロ、せっかくだし窓際の席がいいな」


 嬉しそうに、楽しそうに礼を言って、トレーをふたつ持ったリンが振り返る。


「えっ……。ああ、ありがとう。そうだな、席だって選び放題だし、好きなとこで食えよ」


 惚けていたシロが取り繕った様子でおばちゃんに礼を言って、それからいつもの様子で答えた。


「そこ開けるならエアコンを点けた意味あったのか?」


 窓際の席に座ったリンが聞くと、微笑んだシロが饒舌に語りだす。


「暑い日に熱い物を食う。冷房を効かせた寒い部屋で暖かい布団に包まる。これ全て最高の贅沢だ。それはなぜだと思う? 俺はこう思う。矛盾を制すのだ、とな。常識や普通とはよく言ったものだが、それだけで回らないのが世の中、世界というものだ。人間はモンスターに勝てない。でもだ、矛盾を制した人類は今日も銃を担いでモンスター殺しにでる。つまり、矛盾を制すということには快感があるんだよ。………」


 人類が本気のモンスターに勝てるワケねえだろ。と、今そういう話は置いておく。


 窓を開け放ったシロに尋ねたリンが自論を展開されている。一通りを話し終えたところで、シロはコップ注がれた冷たい水を飲む。すると聞き入っていたリンが深く腰掛けて、感慨深そうに天井へと視線を向けた。


「ふーん。そういうもんかね」


 そこで爽やかな空気が流れ込み、最初から抱いていた疑問を口にする。


「んでこれさあ、どうやって食うんだ?」


 温かいうどんから、だしの香りが湯気と一緒に立ち昇る。


 濃い匂いに負けない花の香が鼻孔をくすぐった。頬を撫でた風は爽やかな余韻を残し、役目を終えたように消えていく。思わず窓の外を眺めたリンが、雲に隠れていた太陽が再び現れたのを見た。


 その言葉を待ってましたとシロが立ち上がり、満面の笑みで応える。


「こいつを使うんだよ。でも、リンにこんな芸当が可能かな?」


 今度は楽しそうな声がした方を確認すると、シロは手に細長い二本の棒を持っていた。得意げに言いながら器用に棒を操って、うどんが盛られた皿から麺を引っ張り出す。棒に挟まれて長く伸びた麺を口に運び、ちゅるちゅると食べだした。


「どーだよ、こいつは箸っていう道具だ。フォークやナイフなんかより、よっぽど難しいんだぞ。まあ、天才な俺はすぐに習得しちまったが。今見た通りだろ?」


 リンは関心したかのようにシロを見ていた。今にも、ほーっ、とでも言いたげに。それでトレーに乗っていた二本の棒に理解を示す。


「確かに、この箸ってのはフォークより難しそうだ。てか、シロの箸は何かすごく高そうだな」


 気になってシロが手に持っている箸を見る。漆黒の色で僅かに艶がある箸。


 なぜだか、リンは強く惹かれた。見れば見るほどに奥深い想いを感じる。たった二本の細長い棒切れだというのにおかしな話で、だけども近い感覚が脳裏を掠める。


 ずっと身近にあったような、あるような気が、しないでもない。


「ああ、これはマイ箸だよ。どっかのバカがプレゼントしてくれたんだが……。俺はひとりしか居ないんだから、ひとつで十分なのに。ふたつも用意するバカだ。おまえと同じで壊滅的な算数の……、いや、頭をしてたんだよ。あいつはマジイカれてた。俺以上にな。ッハ、ああそうだ、間違いないよ」


 シロは昔を懐かしむように話していく。次第に頬肘を付いて足を組み、虚空から生み出された酒瓶の中身を昨日も見たお猪口に注ぐ。大事な物みたいに撫でるとまた虚空に仕舞った。


「相変わらず便利そうだな。大事な物も、それなら誰にも取られないんじゃないか?」


 リンは受け取っていたもうひとつの箸を使って、うどんを食べながら言った。


「そりゃあそうだよ、収納ってのは自分の魂に送り込むんだからさ。……はあっ? リンおまっ、なに普通に食べてんの」

「なんでって。そりゃあ、見てたから? 違うな、なんだろうな、しっくり来るんだこれが。最初は難しそうに見えたけどな。どうだ、俺は天才よりも大天才か?」


 リンは首を傾げながらも意気揚々と話す。生意気な口が留まる事を知らない様子で言葉を紡ぎ出していた。うどんを食べながらだというのに。サクっとしたえび天と甘いお揚げに満足しながらだというのに。


 頭の中で築かれていたプランが、音を立てて崩壊していく。


 ――ほらリン。お箸ってのはこう持つんだよ? ふふっ、リンってば仕方ないなーもうっ。俺があーんしてあげる、恥ずかしがらなくていいんだぞ? こんなのは常識なんだよ。だから、なっ? え゛へっ、うへへ………。


 現実逃避を始めた頭が、目の前の光景を否定する。


 だが何度瞬きしても変わらない。リンは見たことも使った事も無いだろう箸を操って、うどんを食べる。とても幸せそうな顔で。だからそんなのは、あり得ない。


 変わらないのなら、変えてしまえばいいだけの話。


「やだなーリン。そうじゃないんだ。そうじゃあない。ほらあーんして? ね、いいよねっ」


 リンは円形のテーブルを回って、会心の笑みを見せるシロの傍に椅子を移動させる。その最中も眼を離さない様子に真顔で返して、あーんされて食べた。味は変わらない、同じで普通のうどんだった。


「なあシロ。矛盾を制すってのは結構その通りかもしれないな。俺もそう思うよ。こんな棒切れで、つるつるしたもんを掴める、筈が無い。でも掴めちまう。そんな細腕で鉄の塊をぶっ壊せちまうのも。俺の中にはふたつの考えがあったんだ。絶対やってやんねーってのと、やってもいいかもってな。今もこうだよ」


 リンが反対に残したままのトレーを引っ張って、シロにあーんした。


「俺は最低だ」


 と言って、伸ばされた箸の先をぱくり。


「俺はそんなこと思わないよ。ただ、水を取ってくる。シロもいるか?」

「そうだな、じゃあ頼んじゃおうかな」

「だよな、ちょっと熱かった」


 リンが立ち上がって、出来立ての温かく贅沢な食事に文句を垂れて給水機に歩き出す。


 二杯目はセルフサービスだった。





 リンがコップを両手に持って帰ってくる。


「しかし、このうどんってのはどういう食べ物なんだ? パスタにも似てるけど」


 こっちは白っぽくて太長い、あっちは黄色っぽくて細長い、汁ものってのも違う。汁っぽいパスタも存在するのかは知らないが。そもそも、汁にぶち込むだけで料理名が変わるんだったら………。


 テレビで見たあの料理人に教えを請いたい気持ちで考えていたリンだったが、途中から声に出ていた。シロが苦笑しながらも雑談の方向に舵を切る。このままぶつぶつと、まるで見ていられないと思ったのだ。


「そうだったな、リンはこの世界のことなーんもしらねーんだもん。都市、のスラム育ちじゃ無理もないけど」

「最近はスラム育ちじゃないつもりだけどな、一般常識より先に教えられたのが魔法と銃だぞ? このままじゃあ、きっと俺はヤバイ奴なんじゃないか?」


 シロは鼻で笑い飛ばす。


「その魔法に関しちゃド素人なのにな、まったくおかしな話だよ。それと、ヤバイ奴ってのは間違いないから。安心していいぞ」


 リンは馬鹿出力だけで、シロが創り出した精緻な構築を破壊した事もある。そりゃヤバイ奴であるというのは決して間違いではない。おかげでシロは、ズタボロにされた構築をそれまで以上の精度で組み上げなければならなかった。


 リンの習熟速度は異常の領域に達している。魔法はともかく、銃の方はイカれた速度で伸びていた。今なんて使った事すら無い箸を少し見ただけで操っていた。まあそれはいいだろう。どんな理由があるにせよ、そういうもんだと割り切るしかない。


 それに、引き出しはまだまだ多い。


「まあ俺なら余裕だってことだ」

「なんの話だ? うどんが? 違う、常識の話……でもない。都市って?」


 何を安心すればいいのか、という話は置いておく。都市と言ったところで、一度切ったのが引っ掛かっていたのだ。


「おまえも知っての通り、この世界は崩壊してる。モンスターによってな。ギルドでふざけた映像を見ただろ、解説にこうあったんじゃないか? 最後の国と組織って。つまり、人類は一度、そこに押し込められたんだよ。今じゃシノノメ皇国って書くけど、昔は東雲皇国って書いたんだ。これらが何を意味するか、おまえに分かるかな?」


 シロが普通のノートと派手な装飾の羽ペンを取り出して図解する。最後には不敵に笑って課題を叩き付けた。


 この世界に残った最後の国、東雲皇国。それは大陸の最南端に位置していた。モンスターは最北端から沸いて出ていたので、正反対に位置した国が残ったのは必然でもあった。勿論それだけな理由でも無いが、かなり都合がよかったみたいだ。


 腕を組んで唸るリンを見て、シロが助け船を出す。


「ここで重要なのは、モンスターが沸いた場所との位置関係だ。あの夜、話してやった事を思い出せ」



 魔法、科学、戦争、北、南、内戦、電子レンジ、モンスター、料理、崩壊前、胞子、魂、崩壊後、世界樹。


 位置関係、文字、パスタ、うどん、えび天、人類、漢字、カタカナ、ひらがな、通貨、ロッド、国、最後。



 一部関係がなさそうな単語を思い浮かべるも、大体はこうだ、という形が出来上がりつつある。


 空白まみれのパズルを埋めるにはもう少しのピースが必要そうだが、これは完成させなくても大丈夫だろう。むしろ、このままの方が完成系に近いのだ。


 リンは閃いた様子で、


「なるほど、ごちゃ混ぜってことか」


 崩壊前、数々の国が滅ぼされていた。


 それこそ、沸いて溢れ出るモンスターのように大量の難民や棄民が大地に列を成していた。そんな彼らが目指す場所は決まっていた。モンスターが進撃してくる北から、逃げるように南を目指したのだ。


 そこにあったのが、たまたま東雲皇国だっただけ。当然の如く許容オーバーで弾け飛んだ。全てとはいかないまでも、ごちゃごちゃに混ざった時代だった。


「うん、上出来だな。偉いぞー?」

「……それ馬鹿にしてないよな?」


 言葉尻を上げられたのだ。それで頭を撫でられたら不満げな態度は隠せない。


 ヒント貰っといて生意気言うな、と一拍置いたシロが答え合わせを始める。


「そう、ごちゃ混ぜなんだ。言葉、文化、人種、まあ全てひっくるめてな。崩壊後ってのはなんでもかんでも滅茶苦茶で、とにかく凄い時代だった。今となっちゃあ、考えられないかもしれないがな。ちなみに、汁ものパスタならぬスープパスタも存在するよ」


 時代の生き証人から凄い話を聞けば、リンは頬肘を付いて悠久に想いを馳せる。


「へえー、文字に種類があるのはこういう事だったんだ。俺なんか、全部ひらがなでいいじゃんって思ってたよ」

「もしぜんぶひらがなでかいてみろ、いちいちよむのがたいへんだろうが。めんどくさがりやにはちょうどいいんじゃないか?」


 へんな風に言ったシロが、ノートに書いた文字を見せつけてくる。


「はは、かもな。……うん? 待てよ、それって名前もだよな。俺の名前はリンって言うってかそう覚えてるんだけど、なんて意味のリンなんだろうな」


 少し笑ってから、どことなく真剣な表情を浮かべてシロに聞いた。


 聞いてしまったのは、どうしてだろう。シロが、相手が何でも答えてくれるから? 自分の名前の事すら? それとも話題を共有したかっただけ? そう、かもしれない。取り合えず、そういう事にしておこう。


「さあな、俺が知るかよ」


 化け物は、眉ひとつ動かさずに言い切った。


「そりゃあそうだ」


 ――シロの名前は、とは聞かなかった。


「まあ、雑談ってのはあっちこっち飛んじまうからな。それで、都市の話だろ?」

「ああ、でもその前にやっておく事があるな。一番大事なとこだ」


 お猪口に注いでいた酒を飲んで、シロが脱線した話を戻す。リンもコップの水を飲み干して告げると、食券機の前に来ていた。


 今度はカードキーの代わりに、情報端末でタッチする。


 旨かったからうどんを大盛で。お揚げ3つにえび天も5本追加した。さらにシロの要望通りに、まいたけ天、いか天、ししとう天、とにかく全種類の天ぷらを4個ずつ。そして、絶対に忘れてはいけないのが酒で瓶ビールを5本。


「なんか凄い量になったな。確かによく食べるイメージもあるけど、ほんとに大丈夫なのか?」


 続々と吐き出される食券を前に、ただただ立ち尽くすしかなかった。


 手に重ねた食券は一般的な昼食から逸脱したかのような物量だった。値段も相応だが、これでもリンはお金持ちだ。山のようになっているとはいっても所詮は低価格帯の食事にすぎない。こんな程度の少額で、口座の中身を気にする必要も無い。


 本当に、数日前が遥か昔のように感じ取られてしまう。その事で自虐的に零す。


「贅沢になったもんだ」


 食堂のおばちゃんに心配されながらも、無事に任務を果たして席に戻る。


 テーブルには特大の皿が載せられた。その上には多種類の天ぷらが所狭しと並べられて山盛りになっている。今日は食堂の利用者が子供ふたりだけというのもあり、おばちゃんはため息をついていた。


 しかし渡された食券を見て気合が入ったようだ。どれも揚げたてで湯気を放っている。食べきれないようなら包むから、と言ってくれたが、それも失礼な感じがしてしまうほどだった。


 そしてリンは――。


「うおーー! 酒って実は旨いのな! シロ追加だ! そうだ、こうしてやる!」

「おいリン。どういう風の吹き回しだよ、この前は一口でむせてたのにさ」

「ぷはぁーっ! そうなんだよ、でも俺にも分からん! だってこうも世界が回ってるんだぞ!」

「なるほど。……おおそうか! じゃあもっと飲め飲めー! あれもこれも出してやる!」


 ふたりで大量の天ぷらとうどんを食べ終えて、シロがコップに注いでいた、ビールとやらが気になったのがよくなかった。


 ――なあシロ、俺にもちょっと飲ませてくれないか?


 つい、そうやって言ってしまったのが発端だった。


 直後にはビール瓶を両手で持ってがぶ飲みしていた。流石のシロも驚いた顔をしたが、リンの楽し気な様子にどうでもよくなって酒を追加しまくった。


 シロの手持ちには安物の酒など一切無い。


 現代の痕跡オークションで億、最低でも千が付いた酒が下限だ。それでも、言葉通りに出しまくった。テーブルには古ぼけた酒瓶や白銀のスキットル、謎の陶器、お猪口、光り輝くグラスなど、必要以上に何でもかんでも並んだ。


 どうせ飲み干しても、あれこれ理由を付けて取ってくればいいだけの話ではあるが。


 わざわざ他所のテーブルまでくっ付けての、ふたりだけの大宴会だ。


 一日遅れのバカ騒ぎは真昼間に行われた。しかし、ここは現在貸し切りだ。文句を言ってくる者など存在しない。もし居ても、相手を黙らせればいいだけの話。だが幸いにも、未だに大通りで横たわっている者は多い。


 この温かい陽気がそうさせるのか、それとも、夢は夢のまま、終わらせないでいたいのか。


「最初はさ、頭がふわふわする、なんてのは馬鹿げてると思ったよ……でも違ったんだ。最初から馬鹿なら、これ以上馬鹿にはならないだろ? なら、頭がどうかしたって、もう関係ないんだなぁ……。ああ俺って、マジ天才か?」

「リン! そうかもなぁ! もうバカなんだから、えんりょせずバカやれよ! ハッハッハ……!」


 探索者は死の恐怖と闘う運命にある。


 都市を出て行くうちに狂っていくのか、もともと狂っているから都市を出て行くのか、そんなのはどっちでもいい。


 ただこんな日には、現実と向き合う必要など無い。ただ夢見心地のまま、酒でも飲んで頭を空っぽにして、ふわふわな頭でふわふわなベッドに潜れば、すべて世は事も無し。


 いくらイカれた者でも、そう考える。


 大量の料理を片付ける為に、話は一切進まなかった。大量の酒を飲み干す為に、話は一切進まなかった。


 回ってぼやけた世界で、ふわふわな頭で、話は一切進まなかった。

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