30話 安らかな眠り
シロに強く頭を揺さぶられ、テーブルに乗った料理が転げ落ちるのではないか、リンはほんの少しだけ心配になってしまう。
そんな事は、あり得ないと分かっているのに。だから、何も心配は要らなかったのだ。
「ああもう、まだ料理が残ってるだろうが……」
パーティーを組もうと言ってくれたナツメの気持ちは嬉しかった。だが自分達の目的にナツメを付き合わせるのは悪い。そんなのは異常者だけで十分だ。なんたって自分の相棒は、自称最強の魔法使いだ。
これ以上の適任は存在しない。
リンが再確認をしていると、一方でシロは疑問を抱いていた。
(やっぱこいつチョロすぎだろ。さっきの拒絶っぷりは何だったんだ? あー、舐めたのがよくなかったのかなあ……?)
いい加減に眼が回りそうなリンが抗議の声を上げる。
「もうやめてくれ……。俺はもう風呂に入って寝たいんだ。だから、また後でじゃダメなのか?」
「へえっ、リンは俺なんかより風呂と飯を優先するんだ。それは知らなかったな」
シロは広場でのリンの態度を思い出していた。ここではご機嫌を取らなければならなかったのだ。
リンは選択を間違え、しっぺ返しを受ける羽目になった。全てを棚に上げるのはリンだけの特権でも無い。しかもこの酔っ払いは、元祖とでも言うべき存在だったのかもしれない。
「じゃあまた後でねー?」
酔っ払いは最後に、リンの柔らかい頬に釘を刺した。
「ああもうさ、なんだってんだ……」
リンは眩暈すら感じて温かさが残る顔に手を当てる。うざすぎる酔っ払いは自分の席に戻って酒瓶を煽っていた。そのまま勢いよく飲み干して瓶の底をテーブルに叩き付ける。
「キャシーはマジで強いぞ。転生するような奴って普通に頭おかしいし。まあ個人差もあるけど……。どれくらいかってーと、あの馬鹿デカいモンスターどころか、あれを倒した兵器だって片手で壊す」
そう言って、シロが酒瓶を握り潰した。
砕け散った破片や水滴が、瞬きの間に消失する。構築する体が普通であっても力は健在で、至って普通では無いのだ。むしろ、より異常性が増したというべきか。
(もしかして酔ってるのか? シロはどんだけ飲んでもそんなイメージ……あんまり無いけどな)
何の罪も無いだろう酒瓶が砕かれたのを見てリンは悩み出した。真似して酒瓶に力を籠めている。割れない瓶を確認しては首を傾げていた。
瓶に映る瞳の色は、すっかり元に戻っていた。
リンの様子を見て、シロは真面目に話すのが億劫になっていた。
(おれにはもう、かわいいリンにどうすることも……。いや違う! だめだめっ!)
こればかりは聞かなければならないのだ。でなければ、ここから先は本当にマズいからだ。酒に浸った脳みそを振って、気を取り直したシロが話を続ける。
「リン。今の俺でだってそのくらいできる。そういう世界だ。お前は、まだまだ弱すぎる。それでも諦めないのなら、今度こそ真剣に鍛えてやる」
実は真面目な話だったと、リンはびくともしない瓶を置いて考え始める。
その答えは決まっていた。証明するのだ。自分の命を、その価値を。
「今日の仕事でモンスターと戦ったろ? あの時、凄くいい気分だった。生きる為に戦うのって、当たり前だった。だけど、今までそれを忘れてたのかもな……。だから正直、キャシーとかどうでもいいんだ。俺は、友達を守れなかった俺が許せないんだ。弱いままなんて、信じられない」
生きる為に、モンスターに抗って銃を構える探索者。生きる為に、大群で押し寄せるモンスター。救援要請を受けて突撃した場所では小さな生存競争が繰り広げられていた。それ見たリンは、恐怖よりも、美しさを見出していた。
絨毯かのように広がるモンスターの死体。お構いなしで死体の上を踏み砕きながら突撃する生き残り。負けないように抗う人間達。銃を構え、迫りくる脅威を排除するその姿。荷台の上から見えた小さな世界に、リンは心打たれたのだ。
リンはモンスターと人間、どちらにも感情移入していた。また力を求める理由が増えて、覚悟を決めた。
「敵はそのついでに殺すよ」
カチリと音が鳴った。
願いを受け取ったシロは、ばつが悪そうな顔をしながら頭を掻いて追加の酒を飲みまくる。
「そっか」
酒臭い息を吐き出しながら、ただ呟いた。何も変わらない。いつも通りだ。
「はぁー。俺としては、このままリンと一緒に生活できるだけで満足なんだが」
「そこを頼むよ師匠。俺に出来る事なら、なんでもするからさ」
「なんでも……? わかった。じゃあこれからは真面目に鍛えてやる。リンも俺の話をよく聞けよ? まずは、一緒に風呂入るぞ!」
なんでそうなるんだろ。
シロは自分に何の興味があるのか。だが冗談ではなく本当に実行してくる。だとしたら何故なのか。裸を見られるより、人の体を嗅ぐところを見られた方が恥ずかしいというのは何故なのか。
テーブルを隅まで埋めていた料理はいつの間にか無くなっていた。考え尽くしたリンが結論を出す。
「分かった! シロは俺を、からかってるんだろっ!」
「おおっ……! なんだか賢いぞ? まさか風邪でも引いたんじゃ!?」
心配そうな顔で傍まで来たシロが優しく額に手を当てた。謎を解き明かしたリンが納得顔で席を立つ。
「じゃあ風呂は!?」
「もちろん一緒だ」
「なん――」
「――なんでもだ」
飲み食いの代金を払い酒場から宿に。前と同じ部屋を取った。
さっそく風呂に入る事にする。やはり一日の終わりは風呂に限ると、脱衣所に入り服を脱ぎ始めた。そんなリンの傍で、当たり前のように裸になったシロが引っ付いている。
「それは恥ずかしくないんだよな」
「んっ? そりゃそうだろ、おまえはどうなん」
「それが……。特になんとも思わないんだ」
最初の頃は随分恥ずかしかったが、今はそうでもない。自分は慣れてしまったのだろうか。
口を開いたり横柄な態度を取らずに大人しくしていれば、シロはただの美少女である。その見た目だけに、普通の男の子が一緒にお風呂となれば一生忘れられない思い出になる。にもかかわらずリンの反応は鈍い。
それも当然の話で、そんな事をされても、リンには反応を示す器官が存在しないのだ。
浴室に入ったシロがリンの髪にシャワーを流して、シャンプーを手に塗り広げて洗いだした。シロの行動に生返事で「そうなんだ」とだけ答えたリン。別に断る必要性を感じなかったからだ。
シロは普段の様子からは考えられないほど丁寧に、優しく、そして念入りに指を通す。頭を指の腹で柔らかく揉むように、手の平全体を使って撫でるように心地よく髪を洗う。
自分以外に頭を洗われるのは初めての筈なのに、リンは懐かしい気持ちになっていた。
「痒いところはございませんかー?」
「……? ああ、ありませんよ?」
たまにある変な口調のシロと、定形だが謎の問答を終えたリン。
「シャワシャワァー。うんいいね、もうほとんど治ってる。髪もツヤツヤだ」
シャワーによって泡が流されると、美しいまでに煌めくキューティクルが現れる。出会った当初のくすんだ色合いや枝毛などのダメージを感じさせない髪に、治療の進捗を見て満足そうに頷いた。
水を弾くキメ細かい肌、色鮮やかに滑らかな爪、キレイに生えそろった歯。健康状態はこういった細部に現れるものだ。リンは元々の自己治癒力だって相当に高い。もう数日も続ければ完璧だろう。
魂は勿論、肉体が正常なら次のレベルの訓練も行える。流石に欠損は治せないが。
(浄化なんて先の話だと思ってたけど、本当にいい出会いだったな……リンにその気がないのが残念だ……。その原因も俺のくせにさ……)
シロには、リンにあれこれ言うつもりが無かった。迷った末どちらに転んだとしても、それがリンの選択なら受け入れる。だが実際に見てしまえば、嫉妬してしまったのかもしれない。あんな子供に抱く感情では無いというのは分かっていながら。
いつまでもシャワーを流し続けるシロに、どうしたのかと思ったリンが声を掛ける。
「なんて言うか、洗うの上手いんだな。自分でやるのとは大違いだ。顔に流さないコツとかがあるのか?」
「……ああ、そりゃ当たり前だ。よし、次は体だぞ」
何の気なしにといった感じを装っているが、実際には違った。その眼は爛々と輝いていた。
「本気で言ってるのか?」
「本気だけど。なんで?」
どう考えてもおかしい。そう思ったリンが、今度は断固として拒否する。
「こっちも本気だ。それは、ない」
「まったく寂しいねー。いったいなにが不満で問題なワケさ」
全部だよ、とはリンの率直な思いだった。今更だが、一緒に風呂に入ってるだけでも異常事態だ。
「言ってろ。とにかく、こっちは自分で洗う」
言うが早いかリンは体を洗い出す。シロは何も言わずに、ただじっと見ていた。
沈黙が支配する浴室。かえってそこに不気味さを感じるリンだった。辛うじて聞こえてくるのは、荒い息遣いとタオルが擦れる音だけだ。
(一体なんなんだよ……どういう事なんだよ……。まさか、俺が男って忘れてるのか……!?)
複雑な顔をしているリンが体を洗い終える。シロは凄く残念そうな顔をした。
なみなみと湯が張られた浴槽に浸かると、リンは魂を湯に溶かし始める。シロはどこからか取り出したタオルで髪を纏めていた。
あまり広い浴槽とは言えないが、子供ふたりを入れるのには問題ない広さを持っている。お互いの体が接触するという事は無かった。というのもシロは頬杖を付いて、組んだ脚を浴槽の外に投げ出しているのだ。
浴槽の脇には、突如出現した台の上に徳利とお猪口が置いてある。リンはそんな異常事態には目もくれなかった。
「なあシロ。1000万ロッドってさ、何に使えばいいのかな。俺には想像もできないよ」
「おいおいリン。そりゃあ酒だろうよ。それっぽっちの金じゃあ買えない酒も沢山あるんだ」
「なるほど。聞いた俺が間違いだったよ」
シロが事前に温めておいた酒を、お猪口に入れながら答えた。呆気からんと言い放ったシロを見て、リンは過ちを悟った。
「くぅー……っ! やっぱこれうめぇー!! もうさいっこう! もっと熱くしちゃおー。うへへっ……」
楽しそうにしている酒カスに苦笑いで返し、リンは大人しく自分で考える事にした。
考えられるのは装備だろう。スカイフィッシュにはAフロントソードでは通用しないようだった。シロは寸分も違わず同じ箇所に命中させられるのだろうが自分には厳しい。ルビナの店に行った時には、新しい銃を検討しなくてはならない。
リンは思い出したかのように声を上げる。
「そうだっ、普段使いのバッグも買わないとな。また絡まれるのはごめんだ」
「それは問題無いぞー。あのバッグには俺が偽装を付け加えておいたかんねー。なあに、普通の人間には普通のバッグにしか見えねえよ。俺がそれなりに時間を掛けて施したんだからさぁー」
全然知らなかったリンが苦言を呈す為に、湯で緩み切った顔をなんとか真面目なものに変える。
「いつの間に。あのなぁシロ。そういう事は、もっと先に言って貰わないとだな? 俺はさ、またバッグが問題を起こすのかと思って、気が気じゃなかったんだぞ?」
「ハッハッハ……!! 物が勝手に問題起こすワケないじゃんリン! ばっかだなぁまったく! ものだぞ!? もの! よぉーーし、あしたはぁ……お勉強だなっ!」
リンの棚に上げる大作戦は失敗に終わった。しかも大失敗だ。
アル中も余計な面倒事などごめんだった。少しばかり力を取り戻した後、アイテムバッグには認識を誤らせる機能を備え付けていた。それは探索者ギルドに登録しに行った前夜に行われた事で、リンは誰からも突っ込まれずに済んでいたという訳だ。
リンは以前の事件を思い出す。
あれから少しずつ考えていたが、自分が殺したのは人間だった。今回の仕事を完了させて答えが出た。それをシロに打ち明けるべきか悩んだが、言った方がいい気がした。
リンが眼を伏せながら話しをする。
「前から考えてたんだ。少しずつだったけど。あの時、俺は命乞いをした奴を殺した。相手が死ぬって、分かってて引き金を引いた。その時は、なんでって思ってた。それなら最初から大人しくしててくれって……。だから俺は、相手がモンスターと同じなんじゃないかって思おうとしてた。でもやっぱり違ったよ。モンスターは命乞いなんかしなかった。他が死んでるのに、びびって逃げ出そうともしなかった。…………」
シロは最初から黙って、酒を飲みながら話を聞いていた。そして、最後に逃げたひとりの事になったところで声を上げる。
「リン。お前も見えないとこで成長しているようだな。俺は嬉しいぞ。それでなんだ、最近は考えるのが楽しいのか?」
「……、どうかな。考えるのは正直苦手なんだ。でも、そのままじゃマズいだろ? 俺はもっと、いろいろ知りたいんだ」
満面の笑みで抱き着いたシロが、リンの耳元で囁くように甘い声を掛ける。
「俺が教えてやるよ」
湯で体を濡らして上気した肌に雫となった水滴が流れている。湯面から露出した背中の先が立ち上る湯気で包み隠されていた。密着した体には小さいながらも柔らかい胸が押し当てられている。頭を撫でられる度に、柔らかい感触が変形してしまっていた。
「……ああマジ、なにしてんのさ………」
流石にそんな事をされれば、全く恥ずかしくないという訳では無かった。今度はなんの冗談や揶揄いなのか、もしかしてこれがまた後での正体だったのか、リンがそう考えている間にも、
「今は見た目通りの女の子だ。もし襲われたら、抵抗できないぞ……?」
また耳にこそばゆい声が響いた。
思わず妄想を浮かべてしまい、リンは慌ててかき消す。そこで酒瓶を片手で粉々にしたシロや、こちらを殴り飛ばしてきたシロを思い出す。モンスターを素手で吹っ飛ばした事も忘れない。
とても見た目通りでは無い。よし。
「恥ずかしいからやめてくれ。それに勝てる気がしねえよ」
「ふぅーん……。なんとも思わないんじゃなかったの? えっちだね……」
「うるさい。それもやめろよ」
リンの抵抗も虚しく、耳元で感じる息遣いは熱を増していく。
「でもさーリン? 我慢は体に良くないよ?」
――我慢とは、いったいなにをだ。
リンはもう黙って眼を閉じて嵐が過ぎるのを待った。その頬が染まっているのは、のぼせているという理由だけでは無い。そしてシロの頬が赤く染まっているのも、まさかのぼせているからでは無い。それは酔っ払った、ただのアル中だからだ。
アル中は、理性と正気を湯に溶かしていた。
(いま気づいたけど酒臭いな……。ああもう、後でとか言わなければよかった………)
仕方ないリンは湯から上がれなかった。ゆでだこになったのは言うまでもない。
最後に浴室の中に残ったのは、えへえへとした、なんだか気持ちの悪い笑い声。それに酒臭さだけだった。
浴室から出たリンはベッドに倒れ込んだ。疲労困憊で、もう眠る以外の事などしたくはないのだ。
「っふふ。それじゃあほんとに風邪引いちまうだろうが。まったくさ……」
深い眠りへと誘われたリンを見届けたシロが、せっかくの機会だからと自分も眠る事にする。
「あーなんだか寒いからさ、仕方ないよな? おおそうかっ? じゃあ遠慮なく。でもでも、リンリンはかわいいからぎゅーってしちゃうぞ? おーいいの? え゛へっ、えへへへ。すぅーはぁー……さいこうだよ」
リンと一緒に布団を被って眼を閉じる。湯と酒で火照っている体で、ちゃんと温かい体に抱き付くのも忘れない。最後に頭を抱えて、ふんわりと柔らかい髪の中に顔を埋めた。
リンは酸素を求めて嫌がるように身を捩っているが、全くお構いなしで、風呂場でも見せた気味の悪い笑みを零すだけだった。
毎日の治療ならぬ儀式を終えて、満足したようにほんの少しだけ離れた。浴室から出た時点で酔いは完全に醒めていたのだ。
「やっぱりそうだったな。バカばっかり多くてさ、ほんとに大変だよ」
夢を見るのは嫌いだ。
見るのはいつだって後悔ばかりで、その先や前の事など見た試しが無かった。でも今なら思い出せるかもしれない。
「なあリン。おまえはいったいさ、どんな夢を見るんだ?」
眼を閉じたまま呟いて、最後に眠った時の事を思い起こす。その感覚を頼りにして深い眠りに入っていく。
「おやすみなさい」
そこには後悔など無かった。
――死にたいのか? お前さ、頭おかしんじゃねえの?
夢の内容といえば、初対面で少しだけ話をした相手を殺そうとした時の事だった。
が、今となっては良い思い出だろう。シロは転生しているであろう親友を、ライを想った。
だがそれは、しっかり現代に転生しているライからすれば堪ったものではない。殺されそうになったからではなく、ライはシロから、ある物を盗まれたままなのだ。
シロは相手を親友だと思っているが、ライは相手を泥棒だと思っている。
とても残念な事に、遥か昔の魔法使い達は頭がおかしいのだ。
その強大すぎる力を人の身で持つ為におかしくなるのか、最初から異常者でないと力を得られないのか、
――俺の名前は
そこまでは分からないが。
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