28話 飛び立つ者達

 ナツメは、空を打ち鳴らす轟音によって目が覚めた。


 目を開いて飛び込んで来たのは、不思議な少年の顔だった。眠っているのか、気絶しているのか、まさか死んでいるのか、という判断はできなかった。


 働き始めた、鈍い頭で寸前の出来事を思い出す。


 それによると、どうやら自分達は死んだらしい。


 あんな事をすれば、まあ当然だろう。だがこの少年を恨む気持ちは無い。結局あの場面ではどうしようも無かったからだ。仕方なかった。残っても飛び降りても、どのみちだった。


 走馬燈とは、こういう事を言うのだろうか。


 両親が死んだと聞かされ、孤児院では暫く荒れた生活を送っていた。悲しかったし、なにより置いて行かれたのだと思って。探索者になろうと思ったのは、そんな両親に付いて行く為だったのかもしれない。


 それを必死に止めてくれた友人は、いまも元気でやっているだろうか。探索者になってまだ数か月だが、その僅かな期間でいろいろな経験した。


 死は今回が初めてだ。


 そこまで考えたナツメが、体に力を入れられる事に気付いた。


「なんか違うみたい。体も動くし、それにこんなリアルな夢はおかしい」


 もぞもぞと膝の上で体を動かしながらの呟きに、リンは何だか笑ってしまいそうだった。


「起きたか。体が痛いとかないか? ゆっくり落ち着いて、無理に動かないでいいぞ。そうだ一応言っておくけど、死んでないぞ」

「リン? でもあんな事して大丈夫な筈が……。ていうか、なんで膝枕?」

「んっ、何か間違ってたか……? やっぱりそうだよな。じゃあまあ、問題無いなら立ってみてくれないか」

「ああうんっ……! リンも、大丈夫そう」


 自分がどれだけ上ずった声を出したのか不安になったが、リンは目を瞑って考え事をしているようだった。


 ひとりで納得したような顔を浮かべているリンを見て、ナツメは慌てて起き上がる。本当に問題無く体は動いた。だがどうやって立ったのかは、今の瞬間にも忘れてしまった。


 ナツメの様子に気付く事も無く、リンは行動を開始する。


「よし。こっちも問題無い。行くか」

「えっ? 行くって、……そう! スカイフィッシュは!? 状況はどうなったの!」


 混乱する様子を見せるナツメにどう声を掛けるべきか迷った。シロは、こんな時どう声を掛けるのだろうかと。


 そう考えている間にも、ナツメはリンの両肩に手を乗せてぶんぶんと振っている。目が回りそうなリンは苦しそうな声を出した。


「それはやめてくれ。うぅっ……、吐きそうだ」


 ナツメには問題無いと言ったが、あれは嘘だったからだ。確かに着地時に付いた傷やら怪我は無いが、頭は今にも割れそうで、体はどうやって立っているのか不思議なほどだった。


「ああごめんっ! と、とにかく状況を。――うあっ」


 ナツメはリンを放して歩き出そうとする。しかし体の感覚は戻っていないままだった。足がもつれて、転びそうになったところを助けられた。肩を掴まれ、腰に手を回される。


 突然の出来事に体温が急上昇してしまう。顔が、体が、より近く接触しているからだ。いや、今更だった。そういえば自分はあの時、リンに力強く抱き付いていたのだから。


 ナツメはそれを意識してしまい、頭がまっしろになってしまった。


「落ち着くんだ。それにそっちじゃない。多分だけど、こっちがいい」


 これが落ち着ける訳が無かったが、真剣な態度は十分伝わった。そして、まだお礼を言えていない事に気付く。二の舞にならないよう冷静に、慎重に声を確かめながら話す。


「……っありがとう。リン、行こう」

「いいんだ。でも、手を貸そうか?」

「お願いしてもいい? しょうじき、限界」

「任せてくれ」


 疲れた表情を浮かべているナツメに、リンが手を差し出す。ナツメはそれを、にこりと笑いながら取った。


 ナツメは状況確認の為に動き出していた事など忘れ、移動している最中、惚けながらずっとリンの事を考えていた。


(ほんとに子供みたい。っていうか、まあ同年代だと思うし、実際子供なんだろうけどね。それに、ほんといい顔で笑うよね。羨ましいな……。うーん、男の子に可愛いって言うのはどうなのかな? リンは……) 


 恋とは、初めての体験だった。





 ふたりはトラックから飛び出したあと、坂となっている場所を滑り落ちて来た為に、周囲の状況が分からないままだったのだ。


 どうやらシロも付近には居ないようで、取り合えずリンは坂を登ることとした。限界だというナツメを支える為に、斜面となっている道でしっかりと手を握って、力を籠める。


 その時、ナツメの体が震えた気がした。


 自分は何をしているのか、相手はシロでは無いのだ。リンは心中ため息をついて確認を取る。


 ――ここは笑顔で、安心させるように。ああ、やりたくなかったらやんなくていいし、本気にしない………。


「ごめん。手はだいじょうぶ? ゆっくりでいいよ、滑り落ちたら大変だからね。ナツメがよかったら、荷物も任せて」


 その笑顔は、あまりに眩しすぎた。


「――いっ、いいの! だいじょうぶ、大丈夫だから……。でも、そう、ゆっくりとは行こう。あ、危ないからね!」

「ああ。そうだな、ここもフィールドだ。いつモンスターに襲われるか分かったもんじゃない。だから慎重に行こう」


 ――きみってほんと……。


 動機はともかくとして、ふたりの意見が一致する。


 リンはナツメの慌てたような反応に、これじゃなかったかと考えていつもの調子に戻った。ナツメはリンの様子どころの騒ぎでは無い。感情を滅茶苦茶にかき乱され、変化には気付かなかった。


(なんか最近、妙に頭痛がするんだよなぁ……。流石に疲れが出てるのか? シロも居ないっぽいし、こんなとこでマズいぞ)


 慢性的に襲ってくる頭痛の正体を掴めず、リンは謎に対しての不満をため息で表す寸前で堪える。


 ここには自分ひとりではなく、ナツメという人間がいるのだ。事態が悪化しそうな言動は慎むべきだ。


 相手がシロなら、リンは関係無くため息のひとつやふたつついていただろうが。


 暫く無言で坂を上るふたりだったが、気を取り直していたナツメが話を切り出す。


「ねえ、そういえば聞けてなかったけど、リンは何で探索者に?」

「……。言っただろ、強くなる為だ」

「それは過程の話であって、目的の話じゃないんじゃないの?」


 聞き返すナツメに、手を引っ張りながら答える。


「っとと。いや、それが目的なんだ。弱いと、何かと不便だからな。それに協力を頼まれてる事があるんだ。今の俺じゃ、到底敵わないだろうから」


 もっと尋ねたい事があったが、坂の上までたどり着いてしまった。頑張って登って来たのだしと、ナツメはそれなりの景色を期待していた。


 そこから見えたのは、この世のものとは思えない地獄絵図だった。


 フィールドは真っ赤に染まっていた。辺りには血の沼が広がり、そこには何やら正体不明の物体が浮いている。


 黒い鱗は、もしかしてスカイフィッシュの物だろうか。確かにあんな大きい魚が死ねば、この光景にも納得だ。


「まあ、こんなもんよね」


 せっかくだから、なにか美しい光景やロマンチックなものを想像していたナツメ。虚しくも現実に打ちのめされて、深いため息をついた。


「どうした? 危険は無さそうだ。とにかく、トラックまで戻ろう」


 巡回依頼で使う大型トラックの側には、更に大きい人型兵器が二機止まっていた。その奥には横転している同じトラックが一台。


 恐らく、あれが自分達を乗せていた方だろう。留まっていたら、今頃はマズかったかもしれない。


 リンはそれだけ考えて、至って普通に、血が滲みた大地を踏みしめる。足裏から伝わってくる、血を吸い込み柔らかくなった砂のどしゃりとした感覚にも、なんら関心を示さなかった。


 急にリンの歩みが止まり、未だ踏み出せず、硬直したままのナツメに振り返る。


「なるほど、確かにそうか」

「へっ……? ちょ、ちょっとリン? なにして、きゃあっ!」


 よく分からない事を呟いたリンが、ナツメの元まで戻って体をしゃがませた。


 腿裏と腰の上に腕を絡ませると、そのまま相手を持ち上げた。ナツメは突然の事に驚き、足や手をバタつかせる。しかし、まるで巨木に支えられているかのように、びくともしなかった。


「大丈夫、まずは深呼吸して落ち着くんだ。気づかなくて悪かった。ここで一休みしてもいいけど、さっさと都市に戻りたいだろ? トラックがいつまでも待っててくれるとは思わないしさ」

「は、はい。じゃあ、おねがい、します……」


 リンが尋常ならざる力でナツメをがっしりと掴み、かよわい抵抗を見せる子供を大人しくさせる。ナツメは観念したかのようにリンの首に手を回し、胸に顔を埋めた。


 赤くなってしまった顔など、見せられなかったからだ。


 そんなナツメに抱き着かれて、リンは少しだけ顔を歪めていた。


『なあシロ。ナツメは本当に限界なのかな? ヤバイくらい力強いけど』

『そりゃあ限界だろうよ。だから落としたりするなよ?』


 風に吹かれてしまいそうなテレパシーが、それはもう悲し気に消えていった。





 ナツメをお姫様抱っこしたままのリンが、人型兵器の側に停めてあったトラックまで戻る。


 依頼を共にしていた荷台の探索者達に、とびきりの笑顔で迎え入れられた。


「ヒューー。お熱いねぇ!」

「お前達! 探したぜぇ、一体どこ行ってたんだよ」

「大丈夫だったか!? キツかったらここの回復薬を使いな! なに、金は取らねえよっ!」

「おいおい吹っ飛んだのを見てたのに、生きていやがったか! 全く嬉しいぜッ!! ひとり逝っちまった奴も居たが、これで全員だぜっ!」


 探索者とは、凄い人達だ。リンは改めてそう思った。


 あんな事があった後だというのに、みんな笑顔で、見知らぬ他人同士が称え合っている。リンはそんな光景を見て、どうしようもなく嬉しくなってしまった。


「あのリン。流石に、降ろしてくれると、うれしい……」

「ああ。ナツメが無事でよかった。あんなのもあるし、まあ大丈夫だろ」

「そうだよねっ! 私もリンが無事で、本当によかった」


 抗議するかのような声で我に返ったリンがナツメを優しく降ろした。その後、停まっている人型兵器を指差して安心しようとした時だった。


 未だ声だけで姿が無いシロから、冗談のような言葉が届いたのだ。


『リン。あんな程度の兵器に手こずるようなモンスターだった、という事だ。運がよかったな』

『マジで? あんなに強かったのにか』

『どうだろうなー。中の中とか、そんくらいじゃね? なんか一体しか居なかったし、脅威度はもっと下がるハズさ。とにかく、でかい一体より数の方が厄介だからな。俺も、数には苦労させられた経験があるよ』


 空を覆いつくした小魚が全て本体並みに大きいところを想像してしまい、リンは気分が悪くなってしまった。


 ダミアが全員揃ったのを見て声を響かせる。これ以上の捜索をするべきか悩んでいたところだった為、自然と嬉しげな声になっていた。


「よし! これより都市に生還する! お前達、本当にご苦労だったな! 報酬は期待できる筈だぞ? 俺も特別手当が出る働きだったからな。じゃあ乗り込め!」


 探索者達から勝利の雄叫びが上がり、場は一気に膨れ上がった。


 だが、リンはこれをうるさいとは思わなかった。


「やっほーう!! ナツメ行くぞ!? 俺はこれ以上のめんどうなんてごめんだ!」

「私も! さっさと帰ろう!」 


 自身でも盛大に声を上げて全身で伸びをしているからだ。リンは側に居たナツメの手を取り声を掛けてから、都市に帰還する予定のトラックへと駆けて行く。ナツメもそれに続き、笑顔で応えた。


 都市へと帰還するトラックの後ろでは、人型兵器が駆動音を響かせて、更なる窮地を救う為に飛び立っていった。全てを置き去りにするかのように飛び立つ二機は、もう見えない。


(リン。いや、俺はどうするべきなんだろうな……。まいっか! この世界は自由だからさ! じゃないと、とっくに壊してたっつーの! ガハハ……!)


 普通の者では強固な枠に阻まれ、その先にある更なる自由に飛び出す事など出来ない。対して力ある者は、自由を力の限りに拡大する事が出来る。


 だがここに蘇ってしまった過去の亡霊は、枠を作り出す側だった。


 なにせ、その先に駆け抜けた存在だ。


 自分ルールで世界の半分を焦土に変貌させた化け物は、微笑みを浮かべて、荷台の上に眠っている子供を愛おしそうに見つめている。


 狂気の一端が、その笑顔にはあった。


 まるで正反対に、真っ黒に染まった魂が浄化されていく。輝くように真っ白となり、本来の色付きを取り戻す。


 迷いを断ち切り、普段通りの状態へと戻ったからだ。


 化け物は自身の魂ですら昔にぶっ壊してしまっている為に、まるで意味の無い機能となっているが。


 激戦を乗り越えた莫大な魂が、次の枷へと手を伸ばそうとしていた。だが流石に、そんな力は残っていない。


 今も、リンに姿を見せる事すら出来ていないのだから。





 ここはノライラ都市の下位区域、公共区画の隅っこに存在する広場である。


 それが遥か昔に感じられるほど、濃い体験をしたリンがようやく戻って来た。


 リンが出発した時と違い、車両はまばらである。


 都市へと帰還できたのは、運が良かったからだ。五体満足で帰還できたのは、もっと運が良かったからだ。


 運が凄く悪かった者達は、今頃フィールドの滲みとなっている。運が悪かった者達は、重傷者として病院へと担ぎ込まれている。


 幸運なリンは極度の疲労に眠ってしまっていた。だがトラックが止まったと同時に、シロが爆音で声を響かせる。


『リン! 起きないと、いたずらするよっ! ハッハッハ!』


 なんだか上機嫌な姿と声を聞いて、リンが目を覚ます。


「おはよう。んんっ……? なんだ、そうだったな」


 寝ぼけているリンのすぐ側では、ナツメがリンの肩を借りて眠っていた。まずはこっちだろうと考え、ナツメを揺すり起こす。


「ナツメ、ナツメっ。うーん……。――ナツメ、そろそろ起きないと」

「……えっ、リン? そっか、わたし眠ちゃってたのか。起こしてくれて、ありがとう」

「気にしないでくれ。それに、礼を言いたいのは俺の方だ。今日は、本当にありがとう。じゃあ」


 ナツメは言われた事を、すぐには理解出来なかった。


「――ええッ!!」


 理解したと同時に慌てて飛び起き、もうトラックから降りているリンを追いかけた。


「ちょ、ちょっと待ってリン! 私とパーティーを組まない!? それにほらっ、クレープだって食べてないでしょ?」

「あー。でもいや、今は流石に……。こんな忙しくなる仕事とは思わなかったしさ、甘いものって気分でも無いんだ。どっかで食べて行く事にするよ」

「パーティーは!? リンはもう組んでるんでしょ? そこに入れて貰えない?」


 リンはそれを聞いて、逃げるように飛び出した。


「ナツメも同じ探索者だ、またどこかで会う日もあるさ! じゃあまたなー!! ハッハッハ……!! ああ、いい一日だった! もうっ最高だったよ!」


 ナツメは笑いながら走り去って行くリンの背中を見て、ただ茫然とするしかなかった。


 そんな中で思い返すのはリンの言葉だった。


 弱いとは、何かと不便なのだ。恐らく、自分を足手纏いだと認識していたのだろう。確かに命を助けられ、しかもあんな醜態を晒せば当然の事だった。そんな者をパーティーに入れる訳が無かった。


 そんなのはあり得ない。探索業とは、冗談の類いではないのだ。


 ならば強くなるのだ。リンに認められるぐらい、強く。


「やってやろうじゃないのっ!! 私だって最前線を目指す探索者の端くれよ! それに欲しいものは、力尽くなんだから!!」


 ある少女は不思議な少年と出会う事によって、更なる躍進を遂げようとしていた。


 すでに才能の片鱗を輝かせていた少女は、その先にある魂をも光らせた。見事に輝く魂が、真っ赤に燃えだしている。


 燃え盛る魂が、所々に真っ白い光をも生み出している。


 初めから迷いは無いのだ。


 それは知らず知らずのうちに、送信帯と受信帯が数段上に解放される事を意味した。


 受信帯によって以前よりも勘が働き、送信帯によって以前よりも強く体を動かせる。


 それらが本来持つ力を、崩壊前に存在した魔法使いのようには引き出せないが、それらは現代の人間からすれば十分すぎ、まるで進化とも呼べるものだった。


 元々自身を狙ったスリを察知して、生身だというのにも拘らず、相手を遠くに投げ飛ばすような少女だ。


 今や彼女は抜き身の刀身である。この世界で生きるのに不足は無いだろう。今回の事件で生き残り、金も盛大に手に入れているのだから。


 ナツメはリンと正反対の方向を向いて、勢い良く飛び出した。


 失恋した訳では無いのだと言い聞かせて。また会えると、言葉通りに信じて。


(でも私って、そんなに魅力ないかな……。確かに! あのシロって女の子には負けると思うけど!! ああもう! これって何ッ!?)

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