26話 やりなおし

 高速で泳ぐ魚を捉えて引き金を引いたリン。


 撃つたびに強烈な反動が体を襲い、銃の持ち主が言った通りバラバラになりそうだった。その際中も腕が細かく動き、手はそれ以上に繊細さを感じるように狙いを付けた。


 三体の魚を撃ち落とす僅かな時間で感じるのは激痛だった。


(――うッ、ぐぅああぁ! クソっ……! これのどこが問題ないんだ、問題大有りだよこれは……ッ!!)


 リンは痛みに悶え苦しみ、文字通り苦悶の表情を見せる。それはリンだけの話でもなかった。


(なんだこの負荷は!? さっきまでこんな、ぐっ……! 今の状態で深く干渉するのは無理があったか!)


 既に燃料切れだったところに無茶を重ねたのだ。異常かつ莫大な魂を持つリンとの綱引きに負け、バラバラに引き裂かれる感覚を味わっていた。


 しかし、化け物にとってこの程度は日常茶飯事だ。


(クッソ……! ッ弱気になるな!! 絶対にここで間に合わせる! だがその前に!) 


『リン起きろ、まだ勝負は付いてないぞ!! 奥のでけえのが見えねえのか! まだお前はやれる、頑張れ! こんなとこで死ぬのは嫌だろ! まだ何もできてないんだろっ! 起きろリン! 俺を見ろッ!! 立ち上がれ! できる!』


 叱咤が、激励が、願いとなって送られる。


『あ、ああ。そうだ。大丈夫さ……。この程度、何でもない! まだ終わってない!』

『ああそうだ! お前は生きてる! 相手も生きてる! じゃあまだ終わってないッ!! さあ立て、立つんだリン! 俺は言ったハズだッ!! お前も言ったハズだッ!!  それを忘れたとは言わせないぞっ! ああッ! ああちきしょう!!』


 この世は地獄で、いつだって後悔しか無い。そしてこれからも続く。


 仕方のないことで、これが選択の結果だ。


『悪いな……。やっぱりさ、シロはすげえよ』

『当たり前だ。俺はリンより最強だからな!』


 リンは痛みで歪む顔に、むりやり笑顔を作って応えた。シロも続いて笑顔で手を伸ばす。


 細い腕だった。自分が力を籠めれば折れてしまいそうだ。それでも伸ばされた温かい手を掴み、力を籠めた。


 いつの間にか荷台の縁を背に座り込んでいたリンは、掴んだ小さい手から上に引っ張られていく力を感じた。ボロボロになった体が立ち上るが、全身にヒビが入っているかのようだ。


 今にも崩れ去り、フィールドを舞う砂埃に混じってもおかしく無かった。


 それはシロも同じだった。微かに薄く、ハッキリ見えなくなっている。


『よくやったリン! 次は自分のバッグまで行け!』


 立ち上がったリンの背中を後ろから押し出した。


 押し出して、完全に見えなくなった。


 シロの声を聞いて、背中に残った感覚を頼りに、リンは声もなく動き出す。言われた通り、アイテムバッグを目指して移動する。戦闘中の荷台を移動する最中、いろいろな音を聞く。


 飛び交う叫び声がうるさい。発砲音はもっとうるさい。音を追いやっても、息遣いや心臓の鼓動まで感じ取ってしまう。それら全て、耳に入ってくる雑音がうるさい。


 なぜ自分の邪魔をするのだろうか。


 それが不愉快だった。音に顔をしかめたリンが立ち止まる。


 リンは以前のように、悪意には憑りつかれていない。だから違和感を強く感じてしまった。


 何かがある。脳裏を駆け巡り、喉奥につっかえるような感覚がすぐそこまで。


(静かにしてくれ……。これじゃあシロの声が聞こえ無いだろうが……。もう黙っててくれ……。―――――! あれ、いまなに考えてたんだ? テレパシーは音とか関係ないんだから、どうでもいいだろうが)


 闇から零れ落ちた一粒の種は、燃え残ったままだ。


 芽生えの一瞬を、成長の一瞬を、開花の一瞬を、じっと息を殺して、ただ静かに待ち続けている。狂気はその一瞬を、勝負所を見誤る筈が無い。不完全な人間などでは、無いのだから。


 それは間違えず、いつか必ず答えを出す。未だ答えを持たないリンに、対抗する術など無かった。


(にしても腹が限界だ……。こんな長丁場になるなら、シロからもっとクレープ貰えばよかった、あの量をひとりで食べたんだよなシロは……。本当に大丈夫なのかよ。ああクソっ、痛みで吐いてないのが不思議なもんだ。いや……。流石に情けなさ過ぎるぞそれは……)


 どこかにいる何かがリンの胸中を覗き込み、思わず微笑みを浮かべた。


 いま凄く忙しい女はそんな場合では無かった。でも素っ気なく、しっしと手を振り払って応えた。


 リンはただ苦笑する。変な事を考えている場合では無かった、またつまらない意地を張っていた。





 スカイフィッシュはまず様子見に徹する事とした。


 五体生み出した分体はそれなりに強い筈だった。それを殺されたのだ。魔法も成功せず、無駄に力を使ってしまった。これ以上の消耗は望むべくも無いが、ここで焦れば目的を達成出来ない。


 そう考えて、分体を殺した人間に狙いを定めて無数の小魚を精製する。


 しかもその人間は、よく見れば大変うまそうだった。





 魔法陣が突如として割れ砕け、そこから見えていた氷の塊も消失し、スカイフィッシュが生み出した中型の魚は全滅した。


 けれど、探索者達は新たに出現した脅威に対して、歓喜の声を出せなかった。


 何故という疑問を全て仕舞い込み、もっとふざけた事態に愚痴すら仕舞い込み、その代わりに銃口を向け、一秒でも長く生き延びる為に頑張るしか無かった。口を動かす暇があったら手を動かせと、そうしなければ死んでしまうからだ。


 しかし連絡事項とあれば、話は別だった。


「朗報だ! 救援のトラック二台と合流する! 都市にも連絡済みで、俺達であんなデカブツを殺さずとも生き残れば勝ちだ! お前等気合いれろッ! 報酬を決めるのは俺じゃねえが、暫く遊んで暮らせる筈だ! だがアレを倒せばもっとだ! そんで生き残れッ!! これ以上誰ひとり欠けるんじゃねえぞっ!」


 運転席で大型トラックを巧みに操る職員の男。ダミアは手を動かしながらそう叫んだ。


 助手席にいる探索者ギルドの同僚は銃を構え、窓から身を乗り出して襲い来る魚の群れを迎撃している。どちらも必死な顔で歯を食いしばっていた。


 スピーカーから荷台に響く声は希望をもたらすのに十分だった。意気を取り戻した探索者達が銃を構え、撃ち放つ。


 ある者は回復薬の用法用量を無視して飲み込み、体を襲う銃の反動や足元を揺らす不安定な台から身を守っている脚腰を癒しながら。またある者は弾が無くなったのか銃を鈍器と見做して、必死に振り回して対抗しながら。


 各自が出来る事を見極めて心血を注いでいる。


「誰か弾をくれぇ! ただの汎用弾だッ、何でもいい! クソ……っ! 高かった銃がお釈迦になっちまうッ!!」

「落ち着け! 弾を無駄に撃ちまくるな! 攻撃してくる奴だけ狙え! あんなのまともに相手できるかよッ!!」

「本体が見えねえぜ! これじゃあ何をしてくるか分かんねえぞ! また魔法がきたらどうしようもねえぜッ!!」


 空を黒く染める、冒涜的に蠢く小魚の大群。


 零れ落ちて一筋の影が差すように、分離した一部が突撃してくる。こんな状況で冷静を保つのは難しい。


 焦りから優先対象の判断を間違え、迎撃が間に合わなかった探索者が小魚につっつかれた。


「うぅあああぁぁあああ!! たすけてくれえ!」

「落ち着け、いま払ってやる! 撃つんじゃねえぞ! どうだ取ってやったぞ、もう大丈夫だっ!」


 男は限界だったのか、その言葉が耳に入っていなかった。代わりに、自身の全身に噛り付く小魚を幻視していた。次第に動悸が激しくなり目に血が走っていく。


 そのまま、常人では決して叶わない旅路を歩みだす。


 正気の状態で歩めたのはたったの一歩だった。自身の奥底、魂の先にある存在を認識してしまう。


 同時に、


「ひッ!! なんだお前は……ッ!! 俺を見るなぁああ! こっちを見ないでくれぇええ!!」


 男はあまりの恐怖に錯乱を飛び越え、発狂した。


 死への恐怖から異変が起こる。備わった受信帯が生命の危機に際して異常をきたすと、才能に依存した性能を超越して、持ち主に世界を見せる。


 それが走馬燈で終わってしまうか、絶望的な状況を打開する一助となるか、そこは人それぞれだ。


 しかしただの人間が正しく受け取る事など、到底出来はしない。


「なんだお前、何を言って……? お、おいやめろっ!! そっちに行くんじゃあない! 死にてぇのか!」


 いま自分が、どこに居るのかも忘れてしまったのだろう。仲間の制止を振り切って、最期の一歩を踏み出してしまった。伸ばされた手に気付く事も無く、狂ったまま走行中の荷台から転げ落ちる。


 男はフィールドの滲みとなって死んだ。これ幸いと殺到する小魚が、骨すら残さず喰らい付く。


 冷静を欠き、正気すら失って狂気に呑まれる。その実例が目の前で展開された。


 異常すぎる死の光景を見た者達にどうしようもない恐怖が纏わりつき、自身も同じ運命を辿ると幻視してしまう。思わず喉を鳴らしてしまい、死に打ち勝つために叫んだ。


「くそおぉぉ! あいつは死ぬような奴じゃねえと思ってたのによお!」

「今は手を止めるなあ! 救援はまだかよっ! あんなの最前線にいるような個体だろ!? どうしてこんなとこにッ!! 運が悪すぎるだろ!」

「覚悟して来たんだろうがっ!! 今更泣き言かよ! 知ってた筈だろっ! お前は死にに来たとでも言うのかッ!?」


 荷台の者達が阿鼻叫喚の渦に包まれている中、リンは鉛のような体を動かして、ようやく自分の席まで戻って来た。


 その様子を横目で確認したナツメが驚きの声を出す。しかし呆けているのか、すぐには反応を示さない。


「――リ……ン。……。リン! ちょっと! 今まで何してたの!? それにそんなに! 立ってるのがやっとじゃないの!? キツかったら寝てなって!」


 ナツメの声は、しっかりとリンに届いた。


「ああ……。ナツメか。なんだどうした、何かあったのか……? そうか。この後は、どうするんだっけ……」

「しっかりしてリン! そうだ、これを飲んでっ! いいから!」


 遠慮するように抵抗するリンの口をむりやり開いて、回復薬を飲み込ませた。


 安物で効果があるのかも分からないが、とにかくそうするのが最善だと感じたのだ。暫くしてリンの眼に光が戻って来た。さっきまでの様子からは考えられないほど、力強い眼をしていた。


 ナツメが安心して胸をなで下ろしていると、今度は訳の分からない事を叫び出す。


「シロ。……? シロッ!! えっ、――なっ! なんで、こえに……? どうして! シロ聞こえないのかッ!!」

「なにいってるのリンっ! 落ち着いて! ここにはひとりで来たんじゃないの!?」


 錯乱するかのようなリンに、ナツメは声を浴びせ掛け続けた。


 いったい後部座席で何があったのだろうか。負傷者と話をしていたようだが、背負っている銃とバッグはそこで貰って来たのだろうか。リンは最初からボロボロだったが、一応は回復している筈だ。


 ナツメが考えを巡らせていると、リンが落ち着きを取り戻していた。


「ああごめん……ちょっと考え事をしてたんだ……。回復薬か……ありがとう、だいぶ楽になったよ。それと、俺は寝言が激しいんだ」

「それは知らなかった……。大丈夫なんだね?」

「大丈夫だ。じゃないと、また笑われちまうよ」


 よく分からなかったが、リンなりの冗談なのだろう。ナツメはそう思って苦笑いして頭を掻くリンを見ていた。


 本当に不思議な子だ。こうして見ていると、普通の子供に見える。クレープを食べていた時もそうだった。なぜ、リンは探索者になどなったのか。そういえば、まだそれを聞いていなかった。


(にしてもシロって、まああの少女の事だよね……。凄く美人だったし、一体どう……。いけない! 今そんな事はどうでもいいのっ! しゅうちゅうっ! 集中するの!)


 勝ち目の無さそうな闘いは、ここだけの話では無さそうだ。





 リンはナツメにお礼を言った後すぐにアイテムバッグへと向かった。


 とにかく乱雑に手を突っ込んで、触れたポーションを掴み取って勢いよく飲み込んだ。これでも駄目なら、自分はここまでなのだろうと思いながら。


 だけど、これで大丈夫だ。そう知ってる。シロは消えた訳では無い。なんだか分からないが、そう感じるのだ。


 ここに居ると。


『ふーっ……。リン危なかったな。ていうか? 気付くの遅すぎじゃないか? 確かに、俺もそこまで言えなかったけどさ。そこんところどうなん? それと、ちゃんと見てた。凄く慌ててたのを。そんなに寂しかった? やっぱり声だけじゃ安心できないかー……。まったく、リンは変わらないなぁー。ああ。変ってない』


 やっぱりシロはうざい。最初の印象そのままで、変わらないままだ。


『……。おれ……、俺はそんなに慌ててたか? ああそれ、シロの見間違いだよ。それで、こっからどうすればいいと思う? なんだか小魚の群れが空を覆ってるけどさ。そう、建設的な話をしようじゃないか。大大大天才には、余裕だろ?』


 再会に喜ぶ暇もなく、リンには差し迫った脅威が存在している。感傷など、そんな事をしている余裕は無いのだ。


『リン。それは当たり前だろ? この俺に任せておけッ!! まずはとにかく、自前の銃で撃ちまくれ!』

『了解だ!!』


 王座にふんぞり返っていた筈の女がいつの間にか、ただの不良少女となっていた。


 しかも不遜な事に、王座の上にぱっと笑いながら、腕を組んで突っ立っていた。


 しかし、誰がそれを叱れるのか。その笑顔は、見る者の心にどうしようもない光を差すのだ。もしそれが狂気を持って放たれていとしても、同じ事ではあるが。


 光あるところに、影は必ず存在してしまうのだ。


 リンがスカイフィッシュの本体から生み出された小魚を撃ちまくる。特に狙う必要など無く、どこを撃っても死んだ小魚が降ってくる。それでも層になったそれらは大量で、一向に本体までたどり着かない。


 その奥に居る本体は何をしているのか。リンには分からないが、そこに不安は無かった。


 しかし疑問はある。そこで聞いてみる事にした。


『うーん……。なあシロ。相手は何やってるんだ? さっさとデカい奴で一撃入れれば勝ちなんじゃないか?』

『ああそれなー。まあモンスターってさ、いろいろ目的とか行動が設定されてるから。それ以外に対してはあんまり積極的じゃねーんだよ。だいたいさー、モンスターが暴れ回ってたら人類って一瞬じゃん? あれもやってる事はふざけた魚だけど、そうできるくらいにはちゃんと強いんだ。つまり、こっちを舐めてんだよ』


 シロからは明るい感じで、呑気な返答が返って来た。その事で攻撃の手は緩めず、納得するように呟いた。


『そうか。なるほどな』


 そりゃモンスターだって、お前みたいに強い奴には、おっかなびっくり何度も様子見かますだろ。とはリンに言わないでおいた。


(ほんとにわってんのか? てかそれで納得するのか? こういうとこ、どうも心配になるんだよなー)


 シロは大変な構築作業を終わらせ、あんな魚が居なければもう酒でも飲みたい気分だった。いろいろとどうでもよくなっていたのだ。そんなアル中の気掛かりを他所に、リンは自分なりに考えていた。


 本来なら研究に身を捧げた者が一生を費やして、運が非常に良く、更には莫大な研究費を調達できてと、幾つもの偶然が重ならなければ得られない情報である。


 人類がモンスターに対して分かっている事は、非常に少ないのだ。


 だがリンは、今のところそんな事に興味が無かった。自身を殺す脅威を敵と認識して、情報の取捨選択をする。


 シロの言う通りであればそれは非常に好都合だった。しかし、自分はその舐められた状態でもシロを頼らざるを得なかったのだ。


 リンは気を引き締めて引き金を引いた。弱い自分が油断するなど、絶対にあり得ないからだ。


 勝敗が決する時は近い。どちらも様子見が終わり、天秤により大きい重りを乗せていく。先に乗せる物が無くなったり、意味の無い重りを乗せてしまえば、たちまちに皿が割れてしまい積みである。慎重に見極め、勝負所を見定める。


 間違いなど、破滅など、あってはならないのだから。

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