2話 出会い

「――おらぁぁああ!」


 転送されたリンは最初にそんな女の声を聞いた。


 おかしい。さっきまで部屋には自分とモンスターしかいなかった筈だ。リンはそんなことを考えられる体がまだ自分にあったことに驚いた。そんな驚きは、衝撃音や何かが潰れたような音が聞こえたことで中断される。


 リンがなんだと思って上半身だけ起こしてから、自分の体を確認する。どうやら体に傷らしきものは無いようだ。ひとまずは安心できた。それから周囲の様子を窺う。


「どこだここ。さっきまで、部屋の中でモンスターに……?」


 何がなにやら分からないこの状況は危険だ。危険があれば、また走らなくてはならない。リンは気を強く持つ為にも呆けた顔はやめて、表情を険しくさせる。徐々に視界が鮮明になり、リンの瞳が世界を映しだしていく。


 ――映し出された世界には、美しい青空がどこまでも広がっていた。


 だが当たり前のことに気づくのは難しい。異常の方が目に留まりやすいからだ。


 リンがまず発見したのは、近くの壁にモンスターがめり込んでいたことだった。恐らく自分を襲っていたモンスターだろう。潰れており確認が難しかったが。次にすぐ近くで誰かが立っていたこと。自分と同じくらいの少女に見える。自分を助けてくれた者だろうか。何やら口をパクパクとさせている。最後に、遠くからだか近くからだか分からない声がずっと響いていた。


 取り合えずと、耳を澄ませてみるリン。


「おーーーい、おーーーーい! 聞こえるか!? おーーーい!! なんだおまえ、耳がダメになっちゃってるのか? それだったら悪いなぁー。今の俺だと治せないんだよねぇ」


 次第に声が鮮明になっていき、何を言っているのか分るようになってきた。どうやら自分に呼びかけを行っているようだ。


 リンが当然だろうと思い反応しようとすると、自分の耳がダメになっている。そう言われたことに少しの不満を抱きながらも、敵対的な行動は控えた。


 恐らく戦っても一方的に殺されるにされるだけだろう。自分では勝てなかったモンスターを吹き飛ばし絶命させたのだ。危険な存在だ。機嫌を損ねればどうなるか、また、お礼などできない自分を知ったらどうなるのか。


「俺の耳はまだ聞こえてる。だからそんなに、耳元で怒鳴らないでくれ」


 リンが遅れて答えると、少女は満足げに頷いてみせた。


 その顔や態度から、敵対するつもりは無さそうだと警戒を一段下げる。できればこのままで終わってほしいと、そう思う。


「なんだそうだったのか。それならそうと早くいわないかー。それで、大丈夫だったか?」


 少女がリンの体を観察しはじめ、足の先から頭の先まで視線を流す。


(まずい、この袋の中身を言われる訳には……)


 リンは痕跡が入っている袋を守る為にどうすればいいのかと考えた。そうして、確認も兼ねて話を逸らすことにした。話題はモンスターのことにした。


「ああ。助けてくれたで、いいんだよな? 見たところ銃も使ってないみたいだし、一体どうやってあのモンスターを倒したんだ?」

「んっ? ああー、殴ったら吹っ飛んで行ったぞ。ていうかおまえ、あんな程度のモンスターに苦戦するのに、どうやってここまで来たんだ? ここはエリアの入口からも、それなりに離れてるはずなんだが?」


 少女が拳を掲げながら話す。そして今度はこちらの番とばかりに質問をした。


「それがさ、俺にも分からないんだ」


 リンは死の恐怖から立ち上がったばかりであり、頭がうまく働いていなかった。今はまだ危険が無いと分かって冷静さを取り戻している最中だ。そんな訳で、リンの記憶は曖昧だった。


 その言葉と態度で本当に分っていないのだと見て、少女は自分が見たままを伝えてみることにした。


「まあまあ。状況をよく思い出してみろ、なにかあったハズだぞ? だっておまえ、さっきまでここにいなかったんだから。そう、まるで魔法みたいに、目の前に突然現れたんだ。モンスター付きでな」


 まるで魔法。その言葉に引っかかりを感じたリンは、徐々に記憶を鮮明なものとした。薄暗い部屋での出来事を思い出していく。


「魔法……。そうだ、魔法陣だ! その中に倒れたんだった。そしたら、突然光が俺を包み込んで……」


 どこか呆れたような顔をする少女。


「モンスターと一緒に?」

「モンスターと一緒にだ」


 信じられない者を見るかのように、少女が目を見開いてリンを見る。リンにはその視線がくすぐったく感じられた。じろじろ見られても、なぜか嫌な感じはしなかった。


「そうかー、なるほどな。おまえに自覚は無いんだろうが、覚醒者だろう。……うん! それしか考えられないな! ハッハッハ!」


 そう言って、途中から腕を組んで前屈みになっていた少女が笑い出す。


 リンには何を言っているのか理解出来なかったが、少女が異常者であることは分かった。よくよく観察すると、少女は自分と同じ程度の服しか身に着けておらず、モンスターが蔓延るエリアに、しかも奥地だという所まで丸腰で来ていた。


 それだけなら自分と同じ無謀を犯した者で済んでいる。


 だが先程自分を助けた時に、あろうことかモンスターに対して殴り掛かり、近くの壁にめり込ませていた。やっぱり異常者だった。リンはそう思い直すと、これからのことを考え始めた。


 少女はさっきから俯き、黙りこくってしまっている子供に、どうしたのかと思って話かけた。


「おまえさっきから黙ってどうした?」


 お前お前と呼ばれて、そういえばまだ自己紹介もしていないと思い出す。


 それならばこちらからするべきだと思い、リンは自分の名前を告げる。


「俺はお前って名前じゃあない。リンだ」

「おう! おまえリンって言うんだな!」


 それきりふたりの会話は途絶えた。


 なぜだろう、リンは自分が間違ったのかと考えるが答えは出ない。


 だが聞かねばならない。名乗ったのだから、名乗り返されるべきなのだ。


「いや名前、……そっちの名前は!?」

「おおー。なんだ俺の名前を知りたいのか? もしかして、一目惚れか? 困ったなぁ、はは」


 もしかして相手は、これを自分に言わせたいだけだったのか。


 もしそうだったのならば……、うざい。リンはそう怒鳴りたくなったが、相手が命の恩人であったこと、協力を得られないと自分は生き残れないことを思い、僅かに顔をしかめるだけにした。


 こんな状況は前にもあったが、相手が少女で、丸腰な事からリンはそう反応するだけに留めた。


「俺って、確かにかわいいよな? しかも美人だしさあ。まあ、分からんでも無いよ少年。…………。んんっ? おまえ……。おまえ結構かわいいな……ッ!!」


 少女は顔に手を当て体を揺らしながら、確かに俺は美人だろうがとか、そのくらいの年齢なら興味があるのは仕方ないとか、そういった独り言を終える。最後には何かを誤魔化したように叫んだが、リンにはよく聞こえていなかった。


 別の事で頭が一杯だったのだ。


 リンは警戒心を取り戻していて、辺りをそれとなく探っていた。だが特に異常は見受けられなかった。気のせいだったとまた警戒を緩めた。


 バレバレに首や視線を動かすリンを見て、少女がおもむろに明後日の方を向く。リンはバッチリと釣られてしまう。そこには潰れたモンスターの死体があるだけだった。


(人間不信か? まあ無理もないか。見た目スラムって感じだし、どうも鬱っぽい顔してるし、なにか嫌なことでもあったのか?)


 自身の精神状態と恰好を棚に上げながら、少女は真面目な顔になった。腰に手を当て背筋を伸ばし、ささやかな胸を張って、にこりと笑って名前を口にした。


「俺の名前はシロだ! よく覚えておけ。それが、お前を助けた俺の名だ」


 それまではなかば聞き流していたリンも、名前を告げただけの少女の雰囲気にのまれていた。


 その笑顔はまるで太陽かのようであり、一片の曇りも存在しなかった。


 リンはそんなシロに、思わず見惚れてしまっていた。先程は危機的状況から脱したばかりで余裕がなかったのだ。それを取り戻した今改めて見れば、


 言葉を失ってしまった。


 幼いながらも整った顔立ちをしており、自称美人というだけある。肌は健康的な状態でハリがあり、カサつきや荒れは一切見られない。腰まで伸ばしたその美しく長い真っ白な髪には艶があり、肌と同様に荒れが見られない。


 スラム街の住人同然の恰好も、まるでマイナス要素ではなく、逆にそういうファッションだと言わせるだけの堂々たる着こなしである。リンでなくとも一目惚れしてしまうだろう。


「どうしたー? さっきから突然黙るなおまえは」

「ああ、なんでもない。それより、ありがとう。助けてくれて。あのままだったら俺は死んでたよ」


 返答に時間を要したがなんとか取り繕い、見惚れてしまったことをバレないように祈った。そんなことは無意味だろうと思いつつも、祈らずにはいられなかった。


「なに、大したことじゃない。でも――礼は受け取っておくぞ。リン」


 礼を言うのが遅かったのか。リンはそう考えて、内心でため息をつく。


(俺はダメだな……。助けてもらっておいて、礼も一番に言えないなんて)


 これまでのやり取りによってリンの警戒は最低レベルまで落ちていた。そもそもが自分の命の恩人である。また、そんなシロにお礼すら返せない自分に心底嫌気が差す。そんな内心を読んだかのようにシロが口にした。


「リン。命の礼を返す方法なら、おまえは持っているぞ」


 どきりとリンの心臓が跳ねる。


 確かにこの袋の中には痕跡が入っており、売ればそれなりの金になるだろうと思っている。しかしこれは自分の為に使いたかった。シロへの警戒が上がり、慎重に答えを探す。そしてはぐらかしにいった。


「見ての通りだ。俺に金があるように見えるか?」


 惚けたようにそう言い、金など無いとアピールする。最低な行いであり、リンは自己嫌悪に再び苛まれる。だが嘘は言っていない。金など本当にない。換金できそうな物だというだけだ。


「ああ。見ての通りだ。おまえは覚醒者だからな、その価値は計り知れないぞ?」


 不敵に笑ったシロから予想外の言葉を聞く。さっきから覚醒者とは一体何のことか分からずに、リンは聞き返す。


「覚醒者……ってなんだ? さっきから言ってるけど。まさか俺に魔法でも使えるって?」

「そのまさかだよリン。覚醒者というのは、現代でも魔法が使えるヤツのことを言うのさ」


 シロはなんてことはないように言うが、現代でも魔法が使える者とはそう居るものではない。


 と知っていたリンは、まさか自分がそうだと少し言われた程度では信じる気にもなれずにいた。本当にそうなのかと聞き返しても、まともな返答がくるとは思いもせず、怪しみながら聞き返す。少なくとも、リンは魔法など見たことは無かった。


「さっきの魔法陣の話なら、まだ生きてたってだけで俺が何かした訳じゃ……、本当にそうなのか?」


 偶然生きていた魔法陣で転送されただけ。考えていたことがシロの言葉で覆る。


「ああそうだ。微かだが、おまえから魔法の残滓が漏れている。間違いないぞ」


 シロが言うには、どうやら自分は魔法を使うことができるようだ。


 さっき、シロはモンスターを素手で吹っ飛ばしていた。自分にも魔法が使えると言うならば、同じことができる筈だ。そう考えると、リンは魔法に詳しそうなシロから是非とも学びたかった。ならば駄目で元々とリンは口にする。


「俺が魔法を使えたとして、何をすれば命の借りを返せるんだ?」


 それは、リンからすればただの軽口だった。しかし、シロには重要な言葉となった。


「おおっ! 話が早いな! そうだなーー。だがまだ覚醒したばかりで自覚がないだろうし、当然魔法の腕も未熟だ。そんな状態では俺に借りを返すことは出来ないだろうし……。そうだな。リン、おまえの師匠になってやろう!!」


 シロは驚いた顔をした後に目を閉じて考えをまとめると、再び目を開き、リンを弟子にすると言った。


「マジで?」

「マジだよ」


 その言葉にリンは驚きを隠せなかった。自分なんか、という気で言ったのだ。まさか実現するとは。その成果に、とりあえず言ってみるものだと思い顔を綻ばせた。


 だからシロが何を考えていたのか、そんなことはリンには分らなかった。あれだけ見事な笑顔を浮かべた者が、一瞬だけ悲しげな表情をしていた事にも、気が付くことは無かった。


 これが、イカれた少年と頭のおかしな女の出会いだった。





 現代の科学でも説明できない、はるか昔にあった魔法という技術。


 その用法は多岐に渡り、現存している物もある。魔法の使い手が失われた現代でも、痕跡と称されたそれらには高い価値を持つ物も存在する。


 曰く、手から炎を生み出し敵を丸焦げにする腕輪。曰く、無限の水源を生み出す壺。曰く、振りかけると一瞬で木々が成長する粉。挙げれば切りがなく、どれ一つ取っても値千金というマジックアイテムの数々。


 そんなアイテムすら生み出すことができる、魔法使いという存在。


 それが一体どんな価値を持つのか、リンには想像もできなかった。


「俺に魔法が使えるってことは分った。それで、どんなことを教えてくれるんだ。師匠」

「おおー、やはりいいな! その響きは。うん! いいぞ、我が弟子よ!」


 シロは上機嫌にそう言うと腰に手を当て、リンを弟子として歓迎した。その様子にリンもようやく警戒を解いて、シロへと向き直る。


「それなら。これからよろし……、あれ? おかしいな……」

「今は眠れ。制御されてない未熟な魔法は、それだけ負担だからな。安心しろ。必ず目覚める」


 リンは握手をしようとしたが、腕が上がらずに視界も霞んできた。脚も限界でよろめく。倒れ込むようにして意識が途絶えるその前に、シロの声を聞いて身を預けた。必ず目覚める。その言葉を、今は信じて。


 だって自分は弱いから。この手では何も掴めないから。


 リンは力を求めていた。成り上がり、あの路地から抜け出すのだ。そして自らの底に眠っている復讐を望む心を解き放ち、自分を軽く見た奴らに思い知らせてやるのだ。俺はこんなにも強いんだと、あのときのことを後悔してももう遅いと。必ず奴等を殺す。それが成せるならば、どんな力に頼ろうと構わなかった。


 それだけは、間違っていない筈だと。


 たとえそれが自分には理解できない、魔法という力に頼ってでも、


 ――命の価値を証明するのだ。

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