24話 さかな

 風も、音も、揺れすらも感じず、ただ言葉だけを感じ取る。


 長くは続かない。邪魔をするのは、いつだってモンスターだった。それが人間だった事もあったが、取り合えず今はモンスターだった。リンはそれを感じ取り、ナツメとの談笑が合図も無く終わった。


 空気が変わっていき、次第に混じりっけがあるものになる。血と硝煙の臭い。


 戦場の空気だ。


 辺りにはモンスターの死骸が絨毯のように広がっている。そんな戦闘跡は、この先にある光景を容易に想像させた。


『どうやらここからが本番らしいな。リン。さっさと酒代に換えてやるんだろ? クレープはさっき食ったしな』

『当たり前だ。やる事は変わらないんだから、こんなの余裕だよ。さっさと金に換えて……分かったから、でも宿代と弾薬費は残してくれよ?』


 リンが無言の圧を感じていると、そこでトラックが小高い丘を越えた。


 先程から索敵反応で真っ赤になっている戦場の様子が乗員に晒される。


 生きる為に戦うのは、なにも人間だけの特権では無い。モンスターもその生命を最大限活用して、生きる為に頑張っていた。頑張りすぎていた。飛び交う銃弾をその身で受け、後続へと意志を託して事切れる。


 その繰り返しで、破損して動けなくなっていたトラックの乗員へと攻め入っている。だが人間もそれを許す訳にはいかず、必死の抵抗活動で場を凌いでいた。


 誰だって、生きたまま食われて死ぬのは嫌なのだ。


 擲弾持ちがいるのか群れに爆炎が上がっている。衝撃が一帯を吹き飛ばし、爆音を立てて一切合切を消滅させている。ところがそれは、もう死体になっているモンスターだった。


 つまり死体が邪魔なのだ。積み上がって視界を遮り、それを防壁の代わりにして距離を詰めて来るモンスターを見て、場の指揮官役となった者が吹き飛ばすように指示したのだ。


 モンスターの大群は、壊れたトラックで動けない人間達に標的を合わせている。その動きは単調で、リン達を追いかけていた大群と同じである。一定方向から流れるように殺到していた。


 新たに現れた人間達を無視して、弱い者から狙うという自然の摂理によって行動している。言い方を変えれば、怯えきっていて脇目も振らず、何かから逃げているようにも見えた。


 考察は後だろう。この機を見逃す運転手のダミアも、荷台の探索者達でも無い。言われずとも全員が最適解を導き出して行動を開始する。リンだけは戦闘の光景を見て置いてけぼりにされているが、問題はなかった。


 敵を殺すのに、迷いなどある筈も無かったからだ。


「ド派手なショーを期待してるぜお前達ッ!! 一匹たりとも生きて返すなよ! 全部食い散らかせ!」


 ダミアがモンスターの大群、その側面に陣取って車を走らせる。荷台の者達はすぐさま片側に寄り、側面からの砲火を浴びせ掛けた。正面からでは死骸が盾となり効率的な射撃が阻害されていたが、これならば問題ない。


 銃弾が十分な効果をもってその威力を発揮する。広がっていた光景に圧倒されていたリンが、今度は冷静な状態で加勢する。しかし微妙な表情は隠せなかった。どっからどう見ても、初期装備も同然のリンは浮いていたのだ。


 火力という面でも、子供だという点でも。


『なんかよく見たらさ、俺の銃だけしょぼくない? 防護服とかの装備だってそうだ。同い年に見えるナツメの銃だって大きいし、凄いんだな』

『そこは仕方ないだろ。金が無いんだから。そんなに装備が気になるなら、ナツメに聞いてみたらどうだ』


 忙しかったシロはふたりの会話を断片的にしか聞いていなかった。聞こえてきてしまう分には仕方ないのだ。いい雰囲気だったのは間違いなく、どうせなら隣りにいる子と話して欲しい。そう思って笑い掛けた。


『今は戦闘中だからな、無駄話は悪いよ。それに親しくない相手の懐事情を聞くなんて、俺には無理だ』

『えっ、そうなの……? あれだけ楽しそうに話してたのに。まあ機会はいくらでも……てか、この状況でよく喋るな?』


 前回より大規模な戦闘中でも今のリンには、どこか噛み合わない会話が生まれる余裕すらあった。


『そんなに楽しそうだったか……? ……あーでもほら、こっちはテレパシーだし実際に喋ってる訳じゃないだろ? それで戦闘中でも適度な会話は必要だろ? あとは………』


 言い訳じみた態度が嬉しくもあり、酷く悲しくもあった。シロは眼を逸らしそうになったのを我慢して『そうだな』とだけ答えておく。これからも最低な嘘を貫き通し、過去の選択を後悔しないように。


 リンが他者と距離を取る理由なんて決まってる。


 シロは深いため息をついてやり残した仕事に戻っていく。寝かせておいた部分が飛び起きるなんて、異常事態もいいとこだからだ。いろいろな調整が必要で、憂鬱な気分で行うにはめんどくさくもあった。


 その間にも、リンは周りと劣っている銃でも負けじと効率的な攻撃を実行する。モンスターの群れは新たな脅威に対応できず、その身から血肉を撒き散らす事しか出来なかった。


 一方的な展開となり、群れはすぐさま撃滅される。


 だがここで疑問がある。この程度ならば何も問題が無かった筈なのだ。なにしろこの程度は、リンが乗り合わせた者達だけでも対処できたからだ。


 それに探索者ギルドが出している車両が、急に動けなくなるような事があるのか。


 どんな依頼で使われる車両にしても、都市から出る前にきっちり整備されて、何重にもなった検査を問題無く通り抜けなければならない。絶対では無いが、ちょっとやそっとの事でトラブルが起こる筈も無いのだ。


 つまり何かは分からないが、不確定な要素があったのだ。


 不測の事態とは、エリアが活性化している今である。普段ならばあり得ない事が、ここでは現実となってしまうのだ。


 何が起きても不思議ではない。


 ダミアがトラックを旋回させて立ち往生している救援対象へと合流する。だがそこに居る者達の表情は未だ暗いままだ。命が助かりそうな場面である筈なのに、そこに歓喜の色は薄い。


 合流するや否や、彼らが目の色を変えて大声を上げる。そこには、助かったという安心の表情をしている者など、誰ひとりとして居なかった。


「っは、早く乗せてくれッ! ここに居たら皆死んじまうっ! 急げ!」

「おいッ!! 救援はどうなってる、まさかこれだけなのか!? 都市の防衛隊は何をやってるんだ!」

「急げお前達! もう死んでるのはほっておけ! いけッ! グズグズするな!」

「おおい頼む! 脚をやられてんだっ! 誰か肩を貸してくれ!」


 そこにあったのは阿鼻叫喚の嵐で、みな恐慌状態に陥っていた。


 ダミアが事態を把握して、急いで荷台への道を作る。駆動音を立てて荷台の後ろ壁が階段へと変わる。変形する時間でさえ、その場に居た者達の神経を削り取っていた。決して長い時間では無いが、短すぎるという事も無いからだ。


 金属が擦れ合う音を立てて、荷台への道が作られていく。不快な音に呼応するかのように、立ち往生している者達の精神がジリジリと削られていく。


 そんな慌てようを見て、リンがシロに尋ねる。


『なんか、みんな限界って感じだ。シロには何があったのか分かるか?』

『んっ? ああー、そりゃ死人が出てんだろ。無理もないんじゃね? それにきっと、怖いものでも見たんだよ。まあモンスターと戦うんだ、まともじゃねえよな』


 シロは普通に答えた。リンに尋ねられたから答えただけで、そこには死人が出ているという事態を見た深刻さが無かった。


『そうなんだろうけど。なるほどな、トラックをやられたら終わりか』


 リンにも同じように特別な反応は無かった。ナツメは少しだけ表情を崩していた。


 リンはトラックに問題が発生したのだと考えて納得した。機動力を失った状態で群れに突撃されれば、それは怖いだろうと思って。当然、リンもそんなのはごめんだった。自分達が乗った車両は幸運だったと一息ついている。


 変形が完了して、救援を求めていた探索者達が荷台に乗り込んで来る。


 負傷者が数名いるようで、肩を担がれながら階段を登っている。みな疲労困憊といった具合で、顔を険しくさせて息も絶え絶えである。ほどなくして、取り合えず生きている者が全員乗り込んだ。


 それを見たダミアが、トラックを発進させる為に階段を格納する。


「よおっ、しぶといなお前も。それで? 何があったんだよ。よっぽど使えない連中に当たっちまったのか? 運が悪かったな」


 生き残っていたギルドの同僚が運転席に入り込んで来ていた。その同僚にダミアが嬉しそうに声を掛けて、状況の説明を求めた。


「ダミア……。ああいや、なに。厄介なモンスターが群れに紛れ込んでたみたいでな。そいつは小型だったんだが、魔法を使ってきたんだ。それで分からないが、トラックのどっかがイカれちまってよ。乗ってた奴等はちゃんと強かった。死んじまった奴もいたが、よくやってくれた方だ。じゃなきゃ、今頃食われてたさ……。脱出も考えたが、どこにモンスターが居てもおかしくない状況でな」


 険しい顔で報告をしている同僚を見て、お道化るように安心させるように話す。


「この辺だと都市まで距離があるしな。脱出ポッドも確実じゃあ……。あっと、まあそうか。それはよかった。ならさっさとおさらばするか。安心しろよ、俺の方は頭がおかしい連中だった。モンスターの大群と当たった後に救援を即決した連中だ。それで負傷者すら出てねえ。大丈夫、生きて帰れるよ。ちなみに、俺は一回だけ使ったことがあるんだ。実際ありゃ欠陥品だぜ? 間違いねえ、そんときはお前に譲ってやるよ。俺は死にたくねえからな」


 同僚は少しばかり神経質になっていたようだが、ダミアはそれも当然だと判断した。


 自分だってあんな中に取り残されたらどうなるか分からない。まだ決まった訳では無いが、生きて帰れそうなのだ。今はそれでいいと、走行可能になったトラックを走らせる。


 これ以上の面倒事はごめんだと、そう信じて。





 緊急依頼はつつがなく遂行された。


 緊急車両に変わったトラックの荷台は、新たに加わった救援対象によって混雑していた。


 リンが乗ったトラックは元々定員の半分で出動した車両だった。その為に余裕があった筈だが、今は8割ほどの席が埋まって、隅には数名の重傷者が応急シートに横たわっている。


 救援対象の者達も半分程度の乗員で出発したのだ。それと照らし合わせてこの荷台を見渡せば、被害状況は想像に易いだろう。モンスターとは、つくづく人類の敵だった。


 都市への帰路に着いたトラックの上で、リンがシロに声を掛けている。


『まったく大変だったなー。俺はこれが二回目の仕事だってのに……。腹が減ったし頭だって痛い、体もだ。この報酬は期待していんだよな?』

『気を抜くな。まだ生きて都市までたどり着いたワケじゃないぞ』


 シロに言われた通り、リンには気を抜くつもりなど無かった。まだ安全だという都市まで、宿まで帰ってなかったからだ。弱い自分が気を抜くなど、そんな事はあり得ないからだ。


『分かってるさ。都市に着くまで油断はできない。俺だって死にたくは無いからな』

『そうだな……。じゃあポーションを飲んでおけ。バッグに手を入れたら、俺が選んでやる』


 そこまでするほどなのだろうか。指示に疑問を感じたが、それら一切を投げ捨てアイテムバッグに手を突っ込んだ。


 手に瓶が触れて勝手にそれを掴み取る。このポーションはエリアで確保していた分で、ルビナの店で買った安物の回復薬とは雲泥の差である。リンは瓶の栓を抜き放って中身を飲み干し、空き瓶を車外へ放り投げた。


 ポーションの味は微妙だった。余計に腹が減ったかのようだった。


『不味くはないけど、前飲んだのと比べたら旨くないな。何か違いがあるのか?』

『ふむ……。確かに味は重要だな? マズいから飲みたくない。それで死にたくはないだろうしな』


 リンが初めて飲んだのはリンゴちゃん特製ポーションだ。回復効果は勿論、味だって超一級だったのだろう。流石に同じ物は創れないが、どうせならそこらへんも考慮すべきだ。シロはそう結論を出した。


『いやそこまでは、死ぬ状況だったらなんでも飲むよ……。でも相変わらず凄いなこれは』

『おまえが先にいったんだろうが! なんだそれ!』


 梯子を外されたシロが全てを棚上げして前屈みになって叫ぶ。リンはそれを横目で見てどうして怒鳴られたのか考えていた。しかし分からなかったので、早々に中断して意識を体に集中させる。


 シロがリンの思考に引っ張られてバカな会話をしている最中にも、その体は魂を元に再構築されていた。


 まず頭痛が消え去り、対モンスター向けの銃を振り回して、発砲の衝撃に耐えて悲鳴を上げていた腕が完治。次に荷台の揺れから体を守っていた脚腰が再生して違和感なく動かせようになる。


 最後に、受信帯を酷使して戦っていたおかげで、受容体から消費されていた分が補充される。


『完璧だ。もうどこも痛くないぞ』


 二回目だというのに、全身から疲労感が抜けていく目覚めのような感覚には全く慣れず、驚きを隠せない。


『リン危ないから……。いちいち飛び跳ねるな。まったく』

『ああ、そうだな。悪い』


 リンは自身の魂を浄化するのに力を使い過ぎた。


 そんな状態で普通に立っていられたのは、シロが負担を肩代わりしていたからだ。魂から零れ落ちる力を溜める受容体。それが空になれば、一日どころか数日寝込んでもおかしくない。


 ポーションを飲ませたのはその為だ。ここが安全な都市の中で、戦闘が無いのなら寝かせておけば良かった。だが事は起こっている。さっきの救援対象は、どうやら面倒な群れと当たっていたようだ。


 そしてリンの受容体がほぼ空というのは、誓約を交わしている存在である、シロも限界だという事だ。だが切り札など使わなくても、エリアで確保しておいたポーションにはまだ数がある。そう問題は起きないだろう。


『まーそれが必要だというワケだ。運さえよければ、なんとかなるがな』

『どういう意味だ……?』


 何やら小瓶の液体を飲んで、体の調子を確かめていたようなリン。その様子を見ていたナツメが小声で問い掛ける。


「ねえ、さっきのポーション? 随分よさげに見えたけどそんなにキツかったの? それとも安物に見える装備は見た目だけとか?」

「えっ、ああうん。何でかな……? そうっ、勘だ。多分な。あとこれは見た目通りだよ」

「そう。私も回復薬を使っておこうかな」


 突然の声に慌てたが、姿が消えて見えない存在の事を話す訳にはいかないリンは、しどろもどろに答えるしか無かった。そして言いながら気付いた。シロはモンスターとの戦闘を想定しているのだと。


 ナツメが自分のバッグから回復薬を取り出して飲み込んでいる。リンは自身の情報端末を注視するが、そこに反応らしきものは存在しない。シロは水着をやめて、いつの間にか不良少女になっていた。


 集中するように眼を閉じているが、諦めたように両手を広げて見せた。


『あーだめだ見つかった。全部無駄になったよ。まあうん。あんまり期待してなかったけどさ』


 負け惜しみがリンに届くと、急に辺りが暗くなった。太陽が雲にでも隠れたのかと思って、空を見上げる事にしてみた。そこには影があった。巨大な影だった。


 雲とも違う、なにか別の、黒い塊が蠢いていた。


 それを見た全員が困惑の表情で押し黙っていたが、不意に誰かが叫んだ。


「――スカイフィッシュだあああぁぁッッ……!!」


 空に影を落としているかのように巨大な物体。それは、スカイフィッシュと呼ばれるモンスターだった。本来であればこんな場所に居る筈が無い、かなり強く、厄介なモンスターのひとつだ。

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