22話 消えた感覚

 クレープを食べ終えたシロは、軽く微笑みながら話しかけた。


「リン。じゃあ俺は満足できたし、またあの時みたいになるから」

「あの時? ちょ、そんなにしないでくれよ」


 リンの頭を滅茶苦茶に撫でたシロがそう言って実体化をやめた。


 姿がかき消え、常人が持つ目や受信帯では姿を認識できなくなる。世界から自身を隠ぺいするだけの力を取り戻し、初めて本当の意味でシロは消えた。その精緻な力の操作や構築は、余人が真似できるものでは無い。


「えっ、あっおい。シロ一体どういうつもりだよ」


 突然の事に怪訝な顔をするリンの呼び掛けは空を切る。


 このまま声を出して話続ければ、虚空へと言葉を掛けている異常者になってしまう。そこでテレパシーを使う事にした。シロの姿は見当たらないが、確かにそこにいる筈だと。


 その前にシロから声が掛かった。


『まあ、俺のわがままだったんだよ。一緒に依頼を受けて、一緒に稼いで、一緒に買い食いするってさ。リンも言ってただろ? 初めてってのは大事だって。俺もそう思ってる。だからよかったよリン。自分の眼で見て、おいしいもの食べて。すごくよかった」


 背中に重みは感じられない。でもリンは温かさを感じていた。


『俺だけじゃあ依頼を受けられないだろうが。どうすんだよ』

『……、安心しろリン。ちゃんと教えてやるし、なんなら俺がやってやるからさ』


 もう目の前に来ていたシロが微笑むと、リンの腕が勝手に、意志とは無関係に動き出す。


 防護服の左腕に固定している情報端末に手が伸び、素早い動きで器用に画面を操作する。勝手に動く手が、まずはパーティーメンバーのシロを欠員にした。わざわざパーティーを解散しなくても、一時的にこうしておけば十分なのだ。


 そして次に、前回受けた巡回依頼と同じものを受けた。


『まあ知ってたけど? でもこんな露骨にやる事ないだろ』

『だろうな。流石に気付かないほど、リンが鈍くなくてよかったよ。まあー、おまえは別の意味では十分鈍いけどな?』


 リンにはこの体を動かされるという感覚に覚えがあった。初めてシロと出会った時、エリアから脱出する場面でもこんな事があった筈だ。先の依頼でも、狙撃の際に関わっていた。


 リンには自分の体を他人に動かされる忌避感が無かった。


 それがシロによるもの以外だったのなら、普通に嫌な顔をしたのだろうが。しかし、シロがそれを快く思うかどうかは微妙だった。死者が生者に憑りついて勝手に体を動かすなんて笑えない冗談だ。まあそれも、危機的状況であれば仕方ない。


 前回リンに協力したのは、クレープの為に妥協したにすぎない。食いたい物が食えないなんて、十分危機的な状況だからだ。


『鈍い……? どういう意味なんだ、俺はなにか見落としてるのか』

『ああそうだ。見落としまくってるんだおまえは』


 リンは楽し気に笑うシロを見て、追及するだけ無駄だと思った。よって話題を変える事にした。


『そうか分かった。シロの姿が突然消えたのを見た奴がいたんだ。どうだそれだろ』


 顔を得意げにさせて自信満々に言い放ったリンを見て、シロはとうとう笑いを堪え切れなかった。


『アッハッハッハ……!! 俺が、そんなミスすると、思ったのかよっ。リンはおかしいなあ、まったく……』

『だよな。流石にそれはねえか。確かにおかしかったよ』


 十分な成果に満足し、少し真面目な顔になってシロに問い掛ける。


『透明になれるなんて便利そうだが、これでまた謎が増えたな。そろそろ教えてくれてもいいんじゃあないか?』


 誓約とは何のことかリンには未だ分かっていない。だがそれ自体は、別に重要では無いと考えている。貰っている力の他に大事なものなど、ある筈が無いのだから。


 シロからすれば、そんなのいつ話してもいい内容ではある。リンに嘘を吐かなくてもいい事柄は、そう多くは無いからだ。それ故に勿体ぶるという事もあるが。


 とは言っても、リンは前提知識すら持っていない状態である。


 話してみても、理解出来るとは思えない。シロにはそう思わせるだけの実体験がある。それは初めてリンにテレパシーを解説した時の事である。実は、シロはその事を根に持っているのだ。


 あの適当に返事をされた感じは、忘れられるものではないと。


 それはその時ばかりの話で無い。シロは度々リンから適当な返事を貰っているのだ。以来シロが、わかったかと念押しするのは、単純にリンの理解を確認する為でもある。


 そもそも簡単に話せる内容では無いのだ。


『話すのは別に構わないよ? でも、俺は路地裏で何かを喋る気にはなれないなぁ。温かい風呂に、温かい食べ物に、温かいベッド。このみっつがないと、俺はなんだか安心できないんだ……。なあリン。かわいくて、しかも美人な俺に、おまえはひもじい思いをさせるのか……?』


 それを聞いたリンが確かにそうだと、目の前の依頼に集中する事にしたが、


「ああっ!」


 思わず声を出してしまった。それも当然だろう。なにせ、金が1ロッドも残っていないのだ。


『そうだ! そりゃあ当たり前だよシロ……! クレープは確かに旨かったけど、あれを買うのにだって金が要るんだ。こうしちゃいられない、そんな話を聞いてる場合じゃなかった!』


 リンがこうなのは、一体誰の影響なのか。


 シロはそんな事は考えないようにした。だが流石に自分でもここまでじゃなかった筈だと、そんな思いだけは拭う事が出来なかった。昔の自分などあまり思い出せないが。


 そんなシロは、次第にリンの考えに引きずられていった。


『そうだな。クレープうまかったもんな』

『やめてくれ。金が無いのに食いたいだなんて、俺は付き合わないからな。そう思うと腹が減ったなあ……』


 呟きに危険なものを感じ取ったリンが、一応と言っておく。


 腹が減った。生きていれば、そういう事もある。


 腹が減ったが、クレープを買うどころの騒ぎでは無いのだ。シロの酒代、食費、宿の代金、装備やその維持費。それら全てが一切無いリンは、前と同じように職員が叫んでいる列に並んだ。


 職員の人達も疲れているのか拡声器を使っている。最初から使うのでは駄目だったのだろうか。


 リンがそう思っていたところで、また声が掛かった。


『特にひとつ、大事な理由がある。俺はおまえ以外に話し掛けられるのは不愉快なんだ。わかってくれるな?』


 前回、出発前にあった出来事を思い出す。


 シロは別の探索者に話し掛けられていたが無視して酒を飲んでいた。その者がそれ以上の行いをしていたら、どうしていただろうか。

なんとなく見ていたままだったが、実は危ない状況だったのかもしれない。


 やっぱり凄い人だった。知識だけでなく勘も鋭いのだろう。


『そっか。シロはやっぱり優しいんだな、相手に気を遣うなんてさ。……それで、どうするつもりだったんだ?』

『うん。リンも分かってきたじゃないか。それと、別にどうもしなかったよ? リンほんと、ほんとだよ……?』


 シロは言い訳するように前屈みになり、人差し指を突き合わせていた。そして、とてもそんな言葉が合ってるとは思えない声色を聞いたリン。しかし、特に何も言わない事にした。腹を殴られた時の痛みが、キリキリと蘇って来たからだ。


 リンの予想は惜しかった。シロは話し掛けてきた男を蹴り飛ばす寸前だった。


 ただそれは、遥か昔の価値観を持つ亡霊からすれば挨拶のようなものである。


 挨拶程度で相手が死んだなら、その時はその時だった。それに相手はこちらのレベルを尋ねてきていたようにも思う。つまり自分の実力を知りたがっていたのだ。なら仕方ないだろう、という考えでもあった。


 流石に話し掛けてきただけの見知らぬ人間に対しては無関心で、よもや魂までは勘弁するらしい。その程度は、本人の気分によって著しく変化してしまうようだが。


 男が腹に風穴を開ける前に引いたのは偶然で、幸運によって命拾いした形となる。


 アル中の態度に問題があったのは言うまでも無いが、男の態度にも問題はあった。いちいち他の探索者に、自身の想像や妄想から来る不安を材料にして難癖を付けるなど、自殺行為に過ぎない。


 それでモンスターと戦っている最中に銃口を向けられても、文句は言えないのだ。





 列が進んでいき、リンは自身の情報端末をギルド職員が提示する機械にかざした。


 指定されたのは前回と同じ車両だった。無事に戻って来た事が評価されていたのだ。モンスターを狙撃して仕留めているデータもあり、同じ車両で問題は無いと思われたのだ。それに今はひとりでも、探索者なりたての者でも数が欲しいのだ。


 ギルドの職員は当人が希望しない限り、危険な車両に探索者を振り分けていく。今この依頼を受けるのなら全てを承知しているだろう、という事でもある。職員達は次々に死地へと赴く、頭のネジが外れた者達を見送っていく。


 リンもその中に加わった。


 あれから声もなく頭を下げて、何やら肩を揺らしているシロを背にするリンは、指定された車両を探す為に広場を見渡している。巡回依頼で使う大型トラックの車体には大きく数字がプリントされている。乗り込むべき車両はすぐに見つかった。


 リンが今は階段になっている荷台の後ろ壁を登る。そこで異常を発見して理解不能に陥った。


「なんて……」


 そこにはもう、トラックの運転席、その屋根にうつ伏せで寝転んでいるシロがいた。荷台より高い場所に居るのですぐ目に付いた。だが今更その程度でリンは驚かない。それ以上に、シロは水着を着用していたのだ。


 上下が純白の水着は、キレイな体を存分に引き立てている。ここにビーチがあればの話だが。


 あまり起伏に富んでいない体ではあるが、見る者の目を釘付けにするには十分である。にも拘わらず荷台に居る誰もシロに視線を向けない光景は、まさしく異常だった。


『やっぱりいい天気だなー。おまえは白い肌と焼けた肌どっちが好き?』

『俺が知るもんか』


 言葉を吐き出して荷台の空いている席まで着く。途端にシロが目の前に飛び降りて来て、その場で腕を広げて一回転した。さっきまではなかった装飾が追加される。


『へーんしーん。ていや!』


 絶対その掛け声いらないだろ。リンはそう思って気を紛らわせる。


 水着の上に左腰から半透明の布を花飾りで吊っている。上は白色、下が青色のグラデーションで出来た薄い布は、花飾りの部分で分かれて前脚を隠さず、後ろではなびくように長くなって脚を透けさせている。


 目にはサングラスを掛けており、頭には白い麦わら帽子を被って、そこにも花飾りが付いていた。


『えっへっへー、どお? どおどお!? やっぱり実体だとこういうこと出来ないからなー』

『ああ。よく似合ってる。いいじゃないか』


 シロがぱっと咲いたような笑顔で、肢体を惜しげもなく晒して様々なポーズを取る。リンは勝手にしろといった具合で、だが一応視線を外す前に口ではそれを言っておく。そうしてから広場を眺めていた。


『もうちょっと愛想よく言えないのか。それじゃモテないぞ?』


 シロはため息をついて元の場所に戻って行った。


 ようやく嵐が去ったと思ったリンは、情報端末でギルドのサイトに飛んで、そこで自身の情報を閲覧する。戦果という欄があり、そこには巡回依頼を達成したという旨が追加されていた。詳細を見ようとタップしてみれば、報酬の額も記載されている。


 クレープ代には十分。しかし昨日と同じ部屋を取るのは厳しい。そんなところだ。


 これが、リンが初めて上げた戦果になった。


『おおー。こういうのってなんかいいな。やっぱ実戦は一瞬だからな。その時はあんまり実感無いけど、後からこう見返すとくるものがあるよ。ていうか、もうレベルが1上がってるけど。こんなもんでいいのか?』


 初めて探索者ギルドから仕事を請け負い、それを無事成功させれば無条件でレベルが1上昇する。これは講習でもあった内容だが、リンは忘れてしまっているらしい。代わりにシロが補足している。


『いんだよ、それサービスみたいなもんだから。ありがたく受け取っておけばいいし、そもそも拒否とかできるもんじゃないから』


 シロは講習では酒を飲んでテーブルに突っ伏していただけだが、ちゃんと全てを覚えている。


 というより、知っているのだ。





 そろそろ出発するかという時、リンは声を掛けられた。


「ねえ、隣りいい?」

『特等席、が……?』


 違和感を感じたリンが座ったまま顔を上げると、そこには同年代かと思われる少女が立っていた。


 リンは自分の年など知らないが、多分そうだと思った。しかしまだ席は十分空いているように見えたし、なんでこの少女が自分の隣に座ろうというのか分からなかった。


「別にいいけどなんで? まだ席は空いているみたいだけど」

「じゃあいいじゃない」


 リンからしても問題は無い。しかし、少女はただリンの隣に座った訳では無い。少しだけ話しをしてみたかったのだ。


「私はナツメ。貴方もうひとりはどうしたの? 広場で見たけど、一緒にクレープを食べてた子いたでしょ」

「俺はリン。あー、もうひとりか。なんだか体調が悪いとかなんとかで、帰ったよ。たぶん、食い過ぎたんだ」


 お互いに拙い自己紹介が終わる。


 シロがどうして姿を隠したのか、その理由を思い付けなかったリンは適当に誤魔化すしか無かった。まさか、本当に姿形を自由に振る舞う為に消えたのではないだろうと。


「そう。その口振りだと、やっぱりパーティーとか組んでたの? なんだか戦えそうには見えなかったけど、銃を背負っていたからね」


 ナツメは何か冗談のように大きいクレープを抱えていた少女の事を思い出す。食べ過ぎで気分が悪いというのは、納得ができる理由だった。


「ああ、パーティーは組んでるよ。まあ、組んでるだけになるかもな……」


 言いながら様子を窺うと、シロは興味が無いと言わんばかりに仰向けになって脚を組んでいた。しかもどこにあったのか、柔らかそうなシートとパラソルまで完備されている。そのパラソルの影も、自分にしか見えていないのだろうか。


 確かにシロは、一見すると戦えるようには見えない。シロはいつも相手から弱く見られるが、それは何故なのか。その見た目故か。それとも。リンがいろいろ考えていると、運転席にある小窓が開く。


 トラックを運転するギルド職員の男は、荷台に乗っている者達の少なさを見て舌打ちをしそうになった。


 しかし、そんな気持ちを義務感で抑えた。


 気にし過ぎかもしれないがここで雰囲気を最悪にするなど、少しでもある勝ちの目を自分から投げ捨てるようなものだからだ。代わりに、こんな時でも依頼を受けて乗員となった者に叱咤激励していく。


 信用でき、信頼できる心強い味方はすぐには作れない。それは日常生活を行う上での話であって、ここは戦場なのだ。


「お前達! まだ席は空いているが、定刻で最低乗員を満たしてる! 知っているとは思うが、一応言っておく。コロニケより沸き出したモンスターが、一部都市に進撃しているという情報が入っている。それにより、先に出発していた車両の何台かは、モンスターの襲撃を受けて逃げ帰ったらしい。これより巡回依頼を開始するが、五体満足で都市に戻りたかったら頑張れよ! 俺の名前はダミアだ! もしこの車両がやられたら、俺だけ避難する事になる。それは俺も心苦しいからな。幸運を祈る、出番だぞイカれ野郎共ッ!!」


 ダミアから話を聞いた者達は様々な声を上げた。


 ここで弱音を吐く者はそもそもこんな所に来ていない。みな死地に赴き、莫大な金を稼ぐ為にいるのだ。生み出される筈の成果を前に恐怖を押し殺して声を上げる者、目を閉じてその時を待っている者、パーティーメンバーと拳を当ててから雑談している者。


 前回のように、見知らぬ他人を当てにする者はここに居なかった。


 トラックのエンジンが掛かり、フィールドを目指して進みだす。そんな荷台の上で、リンに二度目は無かった。しっかり荷台に足を付けて、体を固定して発進の揺れに耐える。


 出発したトラックの荷台でリンは辺りを見回す。前回受けた時より明らかに人数が少ない。前は全ての席が埋まっていた筈である。だが今は半分程度しか埋まっていないのだ。それがなんでだか、リンには分からない。


 だから気にしない事にした。


「大変ねー。そうだ、リンも一回目から居たの? 巻き込まれなくて良かったね。ここで会う事も無かったかもしれないしね」

「全くだ。もしそうなってたら俺は間違いなく死んでたからな。運が良かった同士、また生きて帰れるといいな」


 リンとナツメは少しだけ笑った。恐らくもうこの依頼で犠牲者は出ているだろうが、今の自分達には関係無いからだ。そしてそう言いながら死地に飛び込むふたりは、探索者らしく普通では無かった。


「それでリンのレベルは? 私は21よ。こんな時でも依頼を受けるなんて、ちょっとしたものじゃないの?」

「レベル? ああ、俺は11になったばっかりなんだ。探索者になったのも昨日からだし、そう期待されてもな」


 ナツメのレベルは21。これは広場に集まって巡回依頼を受ける者の中では高い方だ。普段の巡回依頼は平均15レベルと言ったところである。だが平時の平均より高くなっている今、21はそこまで高いレベルでは無い。


 リンのレベルは11。これは最も最低と言える。依頼はレベル10からしか受けられないのだから、当然の話だった。


 リンからレベルを聞いて、ナツメは驚きを通り越して呆れていた。見たとこあまりに安物の装備も拍車を掛ける。


「貴方ねえ、今がどういう状況か知ってるの? ていうか、運転手のさっきの話をちゃんと聞いてたの?」

「えっ、……モンスターがどうこうで、トラックがやられたって? うん、確かそんな感じだったと思うけど」


 リンの理解はその程度だった。ちなみに、シロは完全に話を聞いていなかった。自分の子供が女の子と会話しているのを盗み聞きするほど、堕ちちゃいないのだ。それでもにやけ面は隠せなかった。だから明後日の方向に寝ている。


「よくそれで生きて帰ってこれたね。よっぽど運がいいみたい。是非とも私に分けて欲しいわ」


 ナツメが前置きすると、リンに今の都市の状況を説明する。


「いい? 今は緊急事態なの。近くにあるエリア、コロニケが活性化してるのよ。ここまでは勿論いいよね? ていうか、それが全てなんだけど」


 そう言って話を続けようとするが、リンによって中断される。


「ああ。前の時もそんな話をしてた人がいたな。なんだか強そうな人で、握手までしたんだ。そうか、運転手の人も同じこと言ってたな。そう、活性化だ。……ごめん、それってなに?」

「あなた、クランとか入ってないの……?」


 レベル11。探索者成り立てにも拘らず、リンの装備は十分駆け出しと言えるものだった。だからナツメは、リンがクランの支援を受けている者だと勝手に思ったのだ。自身がそうだった、という理由もあったが。


「クラン? 聞いたこともないや。だから入ってないんだろうな。ナツメはその、クランってのに入ってるのか」

「入ってたけど、最近抜けたの。なんだか周りが面倒になっちゃってね。それでひとりで探索者やってるの。クランについて、少し聞いていく?」


 リンが頷いたのを見て、ナツメがクランの概要を話していく。


 クランとは、探索者が集まってできる集合体の事である。その組織的活動は公式に、探索者ギルドでも、都市でも認められている。一般的に、ひとりで活動する探索者はあまりいい顔をされないからである。


 いちいちひとりで活動する探索者に合わせていたら、都市もギルドも参ってしまうからだ。


 クランは所属している探索者の意志を統一させるには丁度いい存在であり、その組織力に対して都市が探索者ギルドを通さず依頼を発行する事もできる。勿論、ギルドがクランに対して、依頼を優先的に回す事も出来る。


 先に依頼の枠をそのクランから送り込まれた人員分だけ取っておいて、必要に応じて後から他の探索者に向けて依頼を斡旋するなどである。またそのクランの規模にもよるが、クランに加入した探索者は組織からの恩恵を享受する事も出来る。


 それだけクランに入るメリットは大きく、各都市や探索者ギルドからも推奨されている。勿論、クランに入らなくても問題は無い。事実リンがそうだ。


 ナツメの話を、そこまで聞き終えたリンが思った事を言う。


「ああ、それで……? 周りが面倒になったって言ってたのに、なんで俺に声を掛けたんだ。最初のは分かる。俺だって席の隣りの奴には声くらい掛けると思うから」


 それを聞いたナツメは、危うく笑いそうになってしまった。この同年代に見える少年に、恐怖といったものは無いのかと。ナツメはすぐに気を取り直して、リンに聞いてみる事にした。


「先輩風を吹かしたい。っていう理由以上に、今私はパーティーを探してるの。流石にひとりの活動も限界でね。やっぱり、出来る事は相当限られてくるから。今回みたいにエリアが活性化してるってのに、その中にすら入っていけないなんてね。私はこの年で21レベルの探索者だけど、自惚れてる訳じゃないの。私がひとりでだなんて、流石に自殺行為だって分かる。リン。貴方はどう? エリアに行って、帰ってこれる自信がある?」


 リンがすぐさま結論を出した。


「俺も同じだ。でも、それはまだの話だ。俺は強くならないといけないから。いつかは、まだ分からないけどさ」


 ナツメが所属していたクランの同年代、パーティーを組んでいた者達を思い出す。そして、彼らとリンは違うようだと。


「そう。じゃあ今その強さってのを、私に見せて貰える?」


 ナツメがそう言って自身の情報端末を見た。


 リンも動きに釣られて左腕に固定していた端末を確認する。そこにはトラックの高性能な情報集積機から受け取った索敵結果が表示されており、モンスターの反応があった。大きく、群れで現れていると分かる。


「お互い、運がいい方ってのはもう知ってるだろ?」

「ええ稼ぎ時ね。まさか、もう分けて貰ったなんて」


 これだけの反応を見て笑っているリンを見て、ナツメも負けじと顔を上げ笑う。


「帰ったらまたクレープが食べたいな。次はチョコ味にしてもらうんだ」

「いいね。私はまだ食べてないの。この後はきっとお腹が空から、何でも美味しくなるよ」


 お互いこれを最後の会話にする気は無かった。生きて帰るのを前提とし、しかも強欲に金まで受け取ろうと言うのだ。更にふたりで笑って、索敵機が反応を示した方へと体を向ける。


 実は、リンにはまだ索敵反応の見方がよく分かっていないだけである。しかし流石に、なんだかたくさんだ。という事くらいは分ったようだが。


 そこで、珍しく黙っていたシロから声が掛かる。


『なんだリン。いーかんじだったんじゃないの? それを邪魔するなんて、ヤなヤツもいたもんだよな』

『いい? まあこれは仕事だからな、仕方ないさ。さっさと殺して、宿代にしてやろう!』


 リンの頼もしい言葉に、シロは上機嫌に笑った。


 だが意気を上げれば生き残れるのか。この世界は、そうではない。結局力が及ばない場面はいくらでも存在してしまう。だからもしその時が来てしまえば、リンなど簡単に死ぬのだ。見えずとも、確かにここに居る存在も例外では無かった。


 流石に簡単とはいかなかった。それでも女は死んだのだから。


『よく言った! でも敵はそれなりだぞ? この荷台の乗員で対処できるかどうかは運任せになる。まあ、その時が来たら俺がリンを担いで逃げてやるから。あんまり心配しなくてもいいよ?』

『それは、シロの考えすぎだよ。相手にはきっちり消えて貰うからだ』


 このトラックは車体に見合うだけの大型エンジンを積んでいる。


 そこから響く騒音とも言えるものは、まるで体を芯から揺らしているかのようだ。トラックのサイズに合わせた相応に大きいタイヤは、たまにフィールドに転がっている瓦礫を踏み砕いて、またそこから乗員に大きい振動と嫌な音を響かせる。


 だが耳や体が慣れて、次第にエンジンの騒音は気にならなくなっていく。フィールドを高速で走っている音も、いつしか風切り音と共に無くなってしまう。そして最後には荷台を揺らす振動すらも消えていく。


 だがこの巡回依頼中、乗員となった者が最も聞きたくない音はそこからやってくる。


 大量の何かが質量をもって地面を踏みしめている音がする。新たな音に釣られるように、荷台に乗っていた者達はそれらの感覚を恐怖心と一緒に取り戻す。それも一瞬の事だった。


 冷や汗をかいて眼前に広がる光景を、現実を受け止める事が出来ない者が大半である。


 そこにはモンスターの波が広がっていた。辺り一帯を覆いつくす、巨大な津波だった。


『なあシロ。それなりって、言ってなかったっけ?』


 リンが自分の耳を疑ってみる。返答は正しく送られた。


『ああ悪い。それなりってのは、俺にとっての話だったよ。でもまあ、なんとか頑張ってみろよ。分かってるだろうけどあれに飲み込まれたら、お前じゃ死んじまうぞ』


 人間とモンスター。双方が生存というたった二文字に込められた意味を求めた結果、


『了解だ!』


 命掛けの死闘が開始する。

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