20話 クレープ代

 毎度のように目覚めた時に見えるこの一室は、もう自分の家なのかと錯覚してしまうほどだ。実際にはここはただの探索者向けの宿で、そうじゃない事を知っているのに。


 今日はルビナの店で弾薬を補給する予定がある。少しでも遅れれば、エリアに出向くのが遅れる事になる。その分早めに引ければいいが、不足の事態も存在するだろう。夜の闇に紛れて襲ってくるモンスターと戦うなんて、死んでもごめんだ。


 だんだんと定まってくる視界が、リンの瞳に世界を映し出していく。


「シロ。おはよう……?」


 寝室から出たリンはシロを発見できなかった。どうしたのかと思っていると、浴室からシャワーの音が聞こえた。


「なんだ風呂か」


 鼻歌を歌っているようで、機嫌が良さそうだ。それを聞いて安心する。シロもお風呂は好きなのだと。


 恐らくここでお酒を飲んでいると思っていたシロを見つけられなかった事への不安は、それで無かったことになった。


 テレビを点けて今朝のニュースを確認する。自分にはちょっと難しい。


「どーにもこの、漢字ってのはなぁ……。なんでこんなに文字の種類があるんだ?」


 リンは天気だけ確認するとすぐにチャンネルを切り替えて、朝の子供向け番組が放送されているチャンネルに目を留めた。


「そーだよ。全部ひらがなとかカタカナとかじゃだめなの? てかなにこれ……変なの」


 番組では屈強に擬人化された犬と、お茶目な感じで不細工に擬人化された犬が、各都市の名所を案内していた。簡単な文字で記された字幕にリンが目を通すと、クスっと笑った。変な掛け合いが面白かったのだ。


 リンが昨日買った情報端末の電源を入れて、充電が万全になっているかを確認する。


「よし。大丈夫そうだな」


 自分は心配性らしいが、もし実際にコンセントが入ってなかったら、シロはどうしたのだろうか。


「どうでもいい。それより酒は……。おれ、なにやってんだろ」


 シャワーのおとは、やんでいた。


 頭を振って気を取り直したリンが情報端末を置いて、冷凍庫から取り出した食品を電子レンジに入れる。どこか浮ついた顔になっていた。なんと言っても飯だと。


「よおリン。おはよう。今朝もいい天気だなー。絶好の探索者ライフが約束されてるぞ。雨の中モンスターと戦いたくは、おまえも無いだろ?」


 後ろから聞こえてくる元気な声に振り返る。


「ああ。まった……く、だ? シロ何やってんだよ! 服くらい着てから出て来いよ!」


 バスタオル姿のシロはその見た目も相まって目に悪い。


「なになに? 裸の付き合いして一緒に寝たこともあるのに。まだ意識してんの? エッチなヤツだな」

「うるさい! 全部俺からやった覚えはないし、エッチなのはお前だろ!? 俺は男なんだよ!! いい加減にしたらどうだ!」


 図星を付かれたリンは、怒鳴ることで誤魔化そうとした。


「はーいはい、悪かったよ。じゃあさっさと飯を食べて、準備しろ。もう金が無いんだろ?」


 得意げな顔で両手を広げているシロは、本当に分っているのだろうか。そんな態度を、自分には少しも感じられない。反省しているのなら、段々ずり下がってるタオルを早く元に戻してほしい。





 その後は朝の挨拶を交わしてから朝食を食べて、出かける準備をしてと、もう日常になったものをこなしていく。


 そしてリトルコメットまでやってきた。リンはカウンターにいたルビナに声を掛ける。


「おはようルビナ。今日は弾薬を補給しにきたんだ。これで前と同じ量を買えるか? 無理だったらこの分だけ頼む」


 リンは端末で口座の残高を表示したものを見せながら言った。


 その様子に、流石のルビナも驚きを隠せない。少し前まで探索者ですら無かった者が、すでに口座を持つようになっているのだ。ならば、やはり自分の勘は間違っていなかったのだと、内心得意顔になる。


「ということは、リンはもうレベル10の探索者ってことなのね? 凄いじゃない。でも肝心の内容が、これではね……。何に使ったのかは聞かないけど、お金はある分だけにしておきなさいよ? 借金地獄の探索者って、まるで見ていられないもの」


 見せられた口座の残高は、酷く悲しいものだった。この短時間で、装備を一式買ったとはいえ、もう僅かなのだ。ルビナは、そんなリンに一応と釘を刺しておいた。


「ありがとう。でも、それをシロにも言って貰えるか? 俺は無駄遣いをした覚えが無くてだな」


 シロが嘆いているリンを横目で見ながら、小さい胸を張って答える。


「おまえは俺にいろいろプレゼントするのに、すぐ金を使っちゃうもんなー?」

「……ああ。そうだな。そうさ。じゃあもっと稼がないとな」


 なんだか遠い目をしているリンに、ルビナ声を掛ける事ができなかった。逃げるように奥に引っ込み、注文の品を取りに行った。しかし、リンは尽くすタイプなのだろうか。それも悪くは無さそうだと思った。


 前回と同じ分だけ弾薬を集めると、ルビナはそれをカウンターに置く。大した時間稼ぎは出来なかったが、大丈夫だろうか。


「さあ、これがご注文の品よ。リン。お金が無いとはいえ、無理だけはしちゃ嫌よ? 死なれちゃ商売上がったりだわ」


 常連候補だという以上に、この子供は生き急ぎ過ぎている。まるで昔の自分を見ているようだ。がむしゃらに駆けずり回った、あの時の。決して、生きてさえいればいい、とは言えないが。


「それと、知ってると思うから言わないけれど。まあ、多少サービスするわ。必要にならないといいけどね?」


 ルビナはいま都市に何が起こっているのか知っている。リンはそれを知らなかった。シロもそれを知らなかった。


 その事でサービスだと渡された弾倉を普通に、嬉しそうな表情で貰った。


「ありがとう。でも前にも言ったろ? 死ぬつもりは無いって。じゃあ、行ってくるよ」

「ええ。ちゃんと帰ってくるのよ」


 ルビナはふたりの関係を聞く為に話したかったが、引き留めるのも悪いと思って遠慮した。リンは邪魔にならないようにと、品を受け取ったらすぐ店の出口に向かった。朝方は何かと忙しいのだ。


 特に今日という日に探索業を行うのなら、相応の準備も必要だというもの。


 ルビナは次々と売れていく品々を見て、内心の高笑いが止まらなかった。いくら副業の収入で微々たるものといっても、金は金だからだ。お金が好きなルビナは内心を隠しきりながら大いに笑った。


 支払いを済ませて店を後にしたリンは意気を上げていた。気合だ気合だと心で叫び、自分を鼓舞している。だが、気の抜けた声がその邪魔をした。


「なーリンー。そっちじゃないぞー」


 確かに自分はエリアに向かって歩いている筈だ。なのにどうして、そっちではないのか。しかも、自分が真剣な気持ちでやっているのに、その声は一体なんだ。リンはそう思って不満顔が出てしまう。


「まったく、人が真剣にやってるっていうのに。それでどういうことだ?」


 リンが気合を入れていたのは、これからエリアに行くからではない。


 探索者として、初めてエリアに行くからでもない。今日の成果が風呂無しか、風呂有りかを決めるものだったからだ。なにせ金などすっからかんで、もう1ロッドも残っていないのだ。


 そんなのは耐えられない。


 一度引き上げた生活水準を戻すことなど、到底受け入れる事が出来なかった。それを受け入れてしまえば、リンは昔のように弱いままの自分を引っ提げて、路上生活に逆戻りである。


 今日収入を得る事は重要な問題だった。


 もしこれで収入と関係の無い事を言おうものなら、リンにも考えがあった。だがそこは、予想できないシロだろう。


「確かに稼ぎは大事だよなー。酒が飲めなくなっちまうからな。だがおまえには訓練も重要だ。そこで! 大天才な俺は思い付いた。そうだ、依頼があるじゃないか。とな? おまえはもうレベル10だ。ギルドから受けられるそれは、金も力も、どっちも付けてくれるってワケだ。そこで今朝、よさそうな依頼を見繕っておいた。だからそっちじゃないんだ」


 今回それがいい方向に働いたようで、大天才の言ってることは何だかまともだ。


 リンは反論の余地を思い浮かべず、頷いて納得する。


「大天才が弟子思いな師匠で感激だよ。もうちょっと、真面目にさえやってくれればな」

「ハッハッハ! もっと余裕をもてよー少年! どんな事にもな」


 そういえばそうじゃないかと、リンがにこりと笑った。


「ああ。じゃあ案内してくれるか、俺は今知ったばかりだからな」

「まっかせなさいっ! ほら行くぞー!」


 今から銃が必要な場所に行くとは思えないほどに、ふたりの足取りは軽やかだった。




 ここは都市の下位区域に存在する、公共区画だ。


 日々の生活に関連するあらゆるサービスが、下位区域の住人向けに提供されている。探索者ギルドの活動もそこにあり、今日も多くの者がこの区画に集まっていた。


 だが用事がある場所は公共区画でも端の方にある、フィールドとほぼ隣接した場所だった。この広場は探索者ギルドが所有しているもので、その理由がふたりの目の前に停まっていた。


 危険で、瓦礫しかない、荒れ果てた悪路。


 人類が管理していない、フィールドを走行する為に用意された大型のトラックだ。それはタイヤだけでも、リンとシロの身長を超えていた。乗り込む為に、荷台が解放されているトラックの後ろ壁に細工が必要な程だ。運転席のスイッチひとつで、その壁が階段に変わるのだ。


 まぶしい物でも見るかのように、リンが目を細めながら整列しているトラックを眺めている。


「でっかいなー。都市の外に出るってのは、本当はあんなのが必要なんだろうなぁ」

「まあ。その身ひとつで飛び出したおまえが言うとさ、なんか説得力あるよな」

「一応、俺は銃を持ってた。それはさ、シロの事だろ?」

「どーにも弾切れのご様子だったけどな。あれ、ちゃんとモンスターに効果あったの?」

「……、あったさ。元相棒を悪く言いたくない。そろそろ行こう」


 リンが少しだけ、悲しそうな顔をした。命を救ってくれたのには、間違いが無いのだ。そんなに愛着があったのかと、シロは微妙な顔になっていた。投げ捨てた張本人だからだ。いつの間にか消えていたリンの元相棒は、エリアで朽ち果てている頃だろう。


「何事にも別れがある。そういうもんだ」

「そうだな。仕方ないもんだ」


 元相棒は、本来の使用方法とは異なった使われ方でモンスターを貫いていた。


 シロは転生酔いとも言える状態で、力の加減が上手くできない状態だった。しかも誓約によって完全に崩壊したバランス感覚。その上でリンの体を使ったのだ。そんな状態で物を投げ飛ばせば、直線上の物体は崩壊を免れなかった。


 もちろん、弾と化した元相棒も同様である。


 リンにはエリア脱出時の記憶が無い。元相棒がどこに消えたのか、その雄姿が分かる日は訪れないだろう。


 少し歩いたふたりは広場の端に着いた。そこにはリンと同じ依頼を受けた探索者達が、時間までの暇つぶしに雑談していた。


「ここらで待てばいいのかな? なにか皆集まってるし」

「そうみたいだなー。ちょっと早く着きすぎたか」


 金色の瞳と黄金の肩を持つシロが受けた依頼とは、都市が実施しているモンスターの間引きだった。


 都市が探索者ギルドに依頼しているそれは、都市近辺のフィールドと指定エリアの外周を回って、都市に進撃して来るモンスターを排除してもらいたい。というものだった。


 大体どの都市でも実施されているもので、なんら変わった依頼では無い。だが相当に人気が高い依頼である。わざわざ危険なエリアに出向いて派手な命懸けをするより、圧倒的に楽だからだ。


 ひとりで受けていても、この依頼はグループで行われる。現れたモンスターに対応するのは、自分ひとりでは無いのだ。この依頼で、そう死ぬ事は無い。生き残って帰るだけで基本給が発生し、モンスターを討伐すればボーナスが。


 この厳しい世界で、なかなかに美味しい仕事である。


 探索者レベル10から受けられるこの依頼は、駆け出しの探索者が実績を積み、己を追い込む修練に励む場である。ギルドからすれば後進の育成を。都市からすれば防衛隊などのお抱え軍隊を、この程度の雑事に派遣するよりは圧倒的少額で安全と秩序を。


 要はこんな依頼を受ける、うだつの上がらない熟練や新人に仕事を提供する場なのだ。


 それに他の決まり事や、いろいろと都合の良い事情が山ほどある。実施している都市には、国からの補助金も出ると言ってしまえばそれまでだが。ここはあり余る善意が、全面に押し出されている依頼だと捉えるべきだろう。


 リンは駆け出し探索者。今回は例に漏れず、新人としてこの場を訪れる事になった。


 広場に集まった探索者達を見て、声を張り上げる者達が現れた。探索者ギルドの制服を着用しており、業務を全うする為だと分かる。


「オンラインで依頼を受けている者はここに並べ! 列を乱したり、他の者に迷惑を掛ける行為は一切禁止する! 見かけたら即刻排除に移る! これは脅しではない! 分かったら並べ!」

「今から巡回依頼を受ける者はこっちだ! 同様に、他の者に迷惑を掛ける行為は一切禁止する! 対処の方法も同じだ! 分かったら並べ!」


 集まっていた探索者達は、やっと時間だといった具合に列を作りだした。リンも依頼を受けて。というか、勝手に受けさせられた依頼を遂行する為に、他の者を真似して列に並んだ。


「なーなー。あそこにクレープ屋台があるんだけどさ、うまそうじゃない?」


 人が集まる所に需要あり。この広場にも集まった欲求に向けられて、供給が成されていた。


「なあシロ。知ってるだろ? もう金が無いんだよ」

「ああ知ってる。だから俺に、初給料で買ってくれよ」


 シロが顔を向けている方に視線を向けると、確かに何らかの店があった。そこにはクレープと、確かにそう書いてあった。


 リンは看板に記載されている文字に、それを見つけた。


「分かったよ。俺も、甘いってのを知りたいしな……」


 そうこうしていると列が進んでいって、リンの番がやってきた。取り出した情報端末を職員が示した機械にかざす。他の探索者もこうしていたので、多分問題は無い筈だ。その時職員に声を掛けられる。


 何か不味かったのだろうか。そう思って少し硬くなる。


「なんだパーティーを組んでいるのか。仕方ない、7号車に行け。それと、並ぶのはリーダーだけでいいぞ」


 巡回依頼は人気の仕事で、探索者ギルドも車両を多数用意している。


 それでも席が足りない場合も少なくない。特に、一席だけ空いているという時だ。パーティーを組んでいる者達をわざわざ引き離す理由は無く、なら別の場所に配置すればいいだけだ。


 だが探索者レベル10のふたりとなると、先の選択肢は限られる。


 全部の車両が同じ場所に行く訳ではないからだ。エリアに相当近くなる担当場所や都市からさほど離れていない場所まで、その難易度は様々である。つまり、今は低難度の車両が埋まっているという訳だ。


 今はエリア付近に向かう車両を多くせねばならない事情もあった。限られた低難度の席はすぐに埋まってしまう。


 職員の男はレベル10の探索者には荷が重い場所に配属する事となって、気が重くなっていた。しかも子供に見えるふたりだ。何事も無ければいいが。オンラインで受けたなら、せめて予約くらい取っておいてくれ。


 それら考えを抱くも一瞬の事で、職員は業務に忙殺されていく。


 なんだったんだろう、とだけ感じたリンは、指定された車両を見つけてすぐさま乗り込んだ。この荷台は相応に広く、屋根も解放されており、問題は無かった。


 まだ誰もいない荷台は静かで、また早めに着き過ぎてしまったようだ。でも外を見て回るのもと思ったリンは、備え付けられている座席の一番奥に座っておくことにする。席の下にはスペースが空いており、隣りとの区切りがあった。


 恐らく収納だろうと考え、背負っていたアイテムバッグを、今更だが隠すように入れておいた。


 荷台の奥に腰掛けるとき、謎の指定が入る。


「俺が奥側ねー」

「ああ。別にどこでもいいぞ。誰も居ないんだし」


 座席に着いたリンが初仕事の緊張を紛らわせる為、シロに声を掛ける。


「そういえば、シロまで並ぶ事無かったってさ。次は適当にどっか遊んでろよ」


 パーティーのリーダーはリンに指定されている。シロはただのメンバーに過ぎなかったのだ。当然の事ながらシロの仕業である。昨日のうちに端末を操作して、パーティー登録を終わらせていたのだ。


「まあそう言うなって。お前と一緒が楽しいんだから、いいじゃん。もしかして、リンはヤなの……?」

「嫌じゃないけど? んで、協力はしてくれるのか」


 すでに片手を頭の後ろにやり、足を組んで目を瞑っているシロはお酒をちびちび飲んでいる。さっきの言葉も、途中で声色を変化させていただけだ。相変わらず器用で、しかもその態度には僅かに関心してしまう。


「もうしてやっただろー。あとはリンがやればいい話だ。なに、これも協力ってヤツだな? ああ、なんてスバラシイらしい言葉だ。俺は依頼の準備を、おまえは依頼の遂行を。その調子で稼いで、クレープ代も確保するんだ。いいな」


 自分だけでも受けた依頼を真面目にこなそうと、リンは活を入れる。


「了解だ」

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