19話 確かに存在した

 受付嬢に礼を言って別れたリンは感慨深くなっていた。


「これで俺も探索者だ。もうスラムのガキじゃない」

「そうだなリン。ならお勉強を、もっと頑張らん、とな!」


 探索者カードを受け取っていた時に適当な事を言っていたリンの頭に、シロは拳骨を落とした。まあこれ以上、馬鹿にはならないだろうと思って。


「うっ! ってぇー……」


 リンは痛みを和らげる為に手で頭を押さえた。実はまだシロから受けていた嫌がらせが響いており、取れない痛みのせいで違和感があったところにこれだ。自業自得だったとはいえ、これではあんまりだ。


「あ……、リン大丈夫か? ほら、これを飲め」


 よくもまあそんな態度を取れるもんだ、とはリンの率直な思いだった。


 リンから反抗の態度が無かったので、つい力を入れ過ぎてしまったのかと不安になったシロ。そこでルビナの店で買っていた回復薬を差し出した。リンが受け取った回復薬はカプセルタイプで、飲みやすいように工夫された品である。


 初めての服用が味方からの攻撃によるものだったとは、まさか回復薬にも分からなかっただろう。


「これ本当に回復薬なのか? エリアでポーションを飲んだ時みたく、痛みが引いて行かないけど」


 あの時飲んだポーションはすぐさま体から痛みを消し去り、負傷まで完璧に治してくれたのだ。そう思ってこの回復薬にも期待していたのだが、なんて事はない、楽になったかどうかも分からなかった。


 首をかしげるリンに、シロは説明していく。


「言ったろ? あれは凄くいいヤツだった。それに、エリア産のポーションは魂から治してくれるからな。効き目は尋常じゃない」


 今思えば、あれはリンを心配した娘の親心でもあったのかもしれない。


 大変結構な人間味を見せる娘に、シロは安心した。あんな全く重要ではない場所に、本体からも遠すぎる場所に、普通はあの軍用とも言えるポーションが存在している訳はなかったのだ。


 しかも急に現れてたし。


(平等だどうだ言ってたけど、流石に自分の子供は特別だろうな。ほんとに素直じゃないんだよなぁー……)


 だがリンは、自分があの場に居なければ確実に死んでいた。


 それが事実だ。


 自分の子供が死に瀕してもその友達が殺されても、娘は何もしなかった。それどころか、死の原因を作った張本人だ。なのにポーションを贈ったのは、リンの門出でも祝っていたのか。


 それが、両立してしまうのか。それとも、生き返らせればいい、とでも思っているのか。


(まあ考えても仕方ないか。家族だからって理由で、全部わかるとは言わねえよ……。しっかし、体を戻した影響か?)


 シロは度々リンを使って力の調節具合を確認している。


 その辺を歩いている人間で試す訳にもいかないからだ。これはリンに触れる理由付けにもなっており、一石二鳥の構えとなっていた。ひとつの行動に何重の意味を込めるなど、賢いと自称するだけはあるのだろう。


 別にリンを痛めつけたい訳ではない。ただ、どんな理由であれ体に触りたいだけのセクハラ大魔王である。


(クソっ……。また最初からだよ、まったくさあ)


 身に秘めた莫大な力は、自身が弱すぎるが故に制御が難しい。日々の努力が芳しくない事を分かって、悪態をつくのも無理ない話だった。なにも本当に、毎夜ただ酒を飲んでくだを巻いているのではないのだ。


 リンは改めてシロに命を救って貰った事を思い出していた。


「そうか。もう大丈夫だ。ところで、この後はどうする?」

「リン……。大丈夫なワケないだろ、さっさとこれを飲め」


 こっちもだよとシロは笑みを浮かべ、リンの口に追加の回復薬をむりやり詰め込んでいく。少しして落ち着いたのを見て、これからの予定を話しだした。


「この後は情報端末を買いにいくぞ。レベル10。もうお前は、一人前の探索者だ」

「なんだか早すぎる気もするけど、ありがたく受け取っておこうか?」


 一番欲しかった言葉だった。しかし、素直じゃないのは親譲りなのか。


「そうだな、確かにそうだ。だから探索者らしく、装備を固めよう。情報端末を持ってないなんて探索者失格で、その知識すら持っていないとなると論外だ」


 情報端末。シロの言う通り、探索者の必需品である。


 この世界には、ネットと呼ばれる電脳世界が存在する。ネットは誰もが端末を介して利用する事ができ、個人の落書き感覚で吐き出される愚痴から、企業やその道のスペシャリストが公開している事柄まで。


 それら様々に展開されている膨大な情報を閲覧する事や、自分で公開する事も出来る。探索者でなくとも、現代では必須の機器だ。


「なるほどな。文字通り、情報収集の道具って訳か。何もなければ時計でも買いに行こうと思ってたんだが……。その必要は無さそうだな」


 なるほど、などと言ってる割には理解の浅い様子が見えるリンに続ける。


 ネットで得られる情報は、探索者にとって非常に重要となる。情報とは、時に痕跡以上の価値を持つからだ。自分が住んでいる都市の状況、各都市にある近場のエリア情報、その内部構造がどうなっているのか。


 そのエリアに生息するモンスターの種類は、どんな弱点があるのか。過去にどんな痕跡が発見、幾らで値が付けられたのか。その他様々な、挙げれば切りがない程の情報を収集する事ができる。


 それら情報がネットに公開され、探索者達は互いを補い合う。そして数多くの痕跡を、効率的に探し出していくのだ。探し出された痕跡は探索者ギルドや企業へと流れていき、更なる人類の繁栄を約束していく。


 勿論、言ったようにそれら情報は高値で取引される物だ。だが一歩都市を出れば、自分の命を懸ける事となるのだ。その価値が低いか高いかは、人それぞれである。適切な情報を適切な値段で買う事も、探索者の実力の内なのだ。


 と、そこまで言われてようやく関心したかのような顔になり、顎に手を当ててもう一度言うのだった。


「なるほど。確かに、それは必需品って訳だ。なら早いところ買いに行こう。誰かさんが、お酒に金を使っちまう前に」

「おまえも、俺をなんだと思ってるんだ……?」


 不思議な顔をするシロを、リンは訳も分からず見つめている。だがその顔が急に赤くなったのを見て、やってしまったと思った。


 まったく、便利な頬である。


「リン、そんなに見つめないでくれよ。俺だって、恥ずかしいんだぞ……ッ?」

「そんなつもりは無かったんだが……。まあいいさ。でももう行かないと、店が閉まっちゃうんじゃないか?」


 裸を見られても何ともないシロが今更何を言うのかと思ったが、お喋りはここまでだろう。そう思ってリンは提案した。


「安心しろ。このギルドの中に全て揃ってる。付いてこい」





 外観からは想像もできない程に広いこの建物は、しかもなんと支店だというのだ。


 この世界での探索者ギルドが、どれ程の組織なのかを思い知らされる。そしてこの都市にあるノライラ本店は、それはそれは凄い建物なのだろうと、リンは想像する。


 ギルドの3階。ここは商業区画に似ている。


 だがあるのは探索者向けに用意された、情報端末を買う為の店と銀行の支店だけである。まずは端末を買う事にしたふたり。だがリンには分からないので、シロが選ぶままに端末を買った。お揃いだった。


 しかし、シロにしては意外な選択だった。


 これはなんだか、無骨と言った方がいいのか、とにかく頑丈そうだった。リンはそのことに、それもそうかと思った。探索者は嵐のように銃弾が飛び交う戦場が職場なのだ。これくらいじゃないと、まるで話にならないのだろう。


 その後は店で初期設定を済ませる。そして更に、探索者向けに機能の解放をするのだ。


 その為にさっそく探索者カードを他人に提示する機会が訪れたのだ。リンが得意げな顔でそれを見せると、事務的な態度を崩さない店員が素早く初期設定を終わらせていく。


 そんなリンの様子を見ていたシロが、何やってんだと声を掛けて揶揄った。


 次は口座の開設だ。探索者は莫大な金を稼ぎ、その金をそのまま使うのだ。新たな装備、新居、贅沢な食事、娯楽など様々な事に消えていく金はとても現金では管理できない。よって口座の開設は重要である。


 銀行で口座を開設する時もなんら問題はなく、職員に要件を伝えて、探索者カードを提出しただけで終わらせた。


 情報端末の購入、口座の開設。どちらも探索者カードを見せるだけで、スムーズに事が運んだ。待ち時間も少なく、それで今までの苦労が報われたのだとリンは感じた。


 レベル10の探索者。その肩書は、この世界でそれなりの意味を持つ。


 探索者レベルは0からスタートする。講習を受けて、その時の結果が最低だった者である。


 恐らく見込みは無いが、誰にでも探索者になる権利は存在する訳で、一応といった具合で登録される。1万ロッドを支払って、真面目に講習を受ける。たったこれだけである。それで探索者を名乗れるのだ。


 だがそこからレベル10に上がるのは、簡単ではない。


 まずレベル10以上でないと、探索者は依頼を受ける事が出来ない。


 それはその者の価値を、探索者ギルドが認めていない事に他ならない。この世界で一番の実績を持つ組織だ。幾重にも積み重ねた信用と信頼は大切で、それがどんな依頼でも、実力が不足している者にやらせる訳にはいかないのだ。


 実力不足を補うには、基本的にエリアに行って痕跡を探し出すしかない。


 ギルドは、それが例えハンカチ一枚だろうと、エリアから取ってきた痕跡と判断したのなら金を出す。金を出すついでに、評価も出す。そうすると、どんどんレベルが上がり、レベル10に到達する者も現れる。


 だがその過程で、一体何人が死ぬのか。そんな地獄のような死の淵を這い上がってきた者が、探索者レベル10という存在なのだ。


 リンやシロのように、何事も例外が存在するのだが。


 よってリンは今、初めて認められている。


 今まではスラムの住人だった。だからそこらの石ころと同じ扱いだったのだ。だが、今はもう違う。


 リンという存在は、信用に足る人物として保障されている。情報端末を買うのだって勿論、自分の口座を作るのだって簡単だ。例え家を借りるのだって同様である。


 初めて、リンはこの世界に生まれたのだ。


 そんな感動も束の間。買ったばかりの情報端末をぎこちなく操作して、自身の口座を調べる為に努力する。金を預けた銀行のホームページに飛び、そこから新たな名前とも言える探索者コードを入力する。


「なんてこった」


 画面に表示された口座の中身は、誰が見ても目を覆い隠したくなるものだった。


「なあシロ。金が、大分減ったな」

「そうか? ああー。そうだなー。こりゃあ、大変だなリン? どうしよっか」


 シロが端末に表示された画面を覗き込み、どうしようもないと両手を広げた。


 口座をわざわざ分けたような真似はしていない。ならばこれが、自分達の全財産なのだ。


「……、まあいいさ。シロ。エリアに行こう。って、これじゃあ弾代すら怪しいか?」


 深い深いため息を付いて気を取り直そうとしたが、不安は募るばかりだ。こんな残高では、弾薬の補給すらままならないかもしれない。


「弾は問題ないさ。明日一番で買いに行こう。弾がなければそれを叩き付けてやれと言いたいが、リンにはまだ無理だからな」


 相変わらず滅茶苦茶だ。


「分かった。弾はちゃんと買うぞ? あしたには無くなってるとか、言わないでくれよな」


 それを聞いたシロが笑って応えた。


「だいじょぶだいじょぶ! 金なんか稼げばいいだけの話だからな! がんばれよーリン!」

「そう背中を叩かないでくれ。大丈夫、ちゃんとできる。筈だ……」


 探索者ギルドを後にしたふたりは、もう夜の闇に包まれていた世界を歩いて宿へと向かった。


 明日も早い。今日はご飯を食べて、お風呂に入って寝よう。


 面倒な事は、明日やればいいさ。そう考えるリンだった。

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