14話 最悪

 朝、リンは起きると、寝ぼけた頭を叩き起こして集中する。


 最近の自分には動じない心が必要だ。なんたって、起きたらシロが抱き着いているのだ。それを冷静に躱す為に、集中は絶対だ。慎重に、ゆっくり深呼吸する。寝起きの体に送られていく、爽やかな空気がリンの肺を満たした。これなら大丈夫だろう。


 意を決したリンが布団を勢いよく剥がすと、


「これが、普通なんだ」


 そこには誰もいなかった。


 リンは普通に目覚めてベットから起き上がる。少し重く感じる体を引っ張って寝室から出ると、シロが酒を飲んで馬鹿騒ぎしていた。


「おおっ! リンじゃないか!? そこにいるのは、俺の見間違いじゃないよな! じゃあおはよう!」


 少し安心。


 誤魔化すように軽く苦笑を浮かべたリンは、朝から酒を飲んでいたシロを怒鳴る。


「おはよう。っておいシロ! 昨日言っただろうが。酒は控えろって」

「ガハハ……! 俺もいった! そんなのはヤだって! ハッハッハ!」


 処置無しと、無視して脇を通り冷蔵庫の中身を確認する。そこには、前買った酒が入っていなかった。


「まさか、あれだけあったんだぞ? どこに消え、ああ」


 よくよく見れば、テーブルの上は大惨事。


 仕方ないと、朝食の冷凍食品を温めることにする。ビニールの包装を剥がし、電子レンジに入れる。そういえば、シロの周りには酒瓶しかなかった。


「シロも食うよな?」

「くうー」


 リンはため息をついて、追加のトレーを電子レンジに入れた。今日はチャーハンらしい。どういう物なのかは分からないが、パスタと違って、スプーンで食べやすいのがよさそうだ。


 リンは思い出す。昨日、飲食店でシロからテーブルマナーについての指摘は無かった。どうやら酒に酔って忘れてしまっているらしい。


 シロを背にしたその顔には少しだけ笑みを浮かべており、小言が減るだろうと思って、内心嬉しく感じているリンだった。


「ああそうだ。これも追加で温めるんだ」


 そう言われて渡された冷凍食品はふたつで、パッケージにはパスタが描かれた物と、分厚い肉が描かれた物がある。


 困惑しているリンに、シロは告げる。


「おまえー。昨日は言わなかったけど、ひどいありさまだったからな。そんなんじゃモテないよー?」


 結局駄目だった。小言を貰うことになったリンは、悪戦苦闘しながらナイフとフォークの使い方を学んだ。やっぱり、銃を撃つより難しいかもしれない。しかし、シロは一体どこから冷凍食品を取り出したのか。


 その疑問は、服まで瞬時に切り替わるシロに今更な話だった。


 食後。ふたりは雑談に入り、ゆったりとした時間が流れる。


「なあシロ、いつから飲んでたんだよ。まさか、寝てないのか?」

「ハッハッハ! 寝てないって? そんな人間いないだろー」


 いつも通り。


 だからリンは追及しなかった。シロは自分の事を人間では無いと言っていたのだ。自分で少し考えれば分かる事だ。それに、シロにも話したくない事は山ほどある筈だ。楽しくない話など、わざわざする理由はないのだ。


 あの夜、自分はシロの話を聞くべきじゃ無かった。


「そっか。で、この後はどうする? また訓練か?」

「そんな訳にいくか! 酒を買いにいってからだ! もうここに酒は無いんだぞ!? おまえにはそれが、事の重大さが分からんのか! 訓練なんかいつでもできるんだぞ!」


 酒を飲むのもいつでもできる。という言葉は、リンの方で飲み込んでおいた。服を着替えたリンは、ランドリールームに行って防護服を取ってきた。恐らくまだ必要ないだろうと思って、畳んでアイテムバッグに入れておいた。


「よしリン! 出発だ!」

「なんでもいいけどよ。金がもう少ないってことは、考えておいてくれよ?」


 宿を出たシロは、リンの言葉を聞いていなかったらしい。


 どんどん減っていく金が、それを物語っていた。酒とは、そんなにいいものなのだろうか。飲めば頭がふわふわするとシロは言っていた。それのどこが、いいことなんだろうか。


 都市から出たところで、リンは疑問に思った。


「なあ。酒はアイテムバッグに入れておいても、腐ったりしないのか?」


 単純な疑問だった。シロはそんなリンの言葉にも、すぐに反応を返えしている。


「なあに、心配はいらないさ。そのアイテムバッグには保護の魔法が組み込まれてもいる。それめっちゃ雑だけどな! ハッハッハ……! まあ、それでも劣化しにくい酒はもちろん、食品も三日くらいはもつんじゃないか?」

「それでも雑な魔法が込められてるって言うのか? なんだかすごいんだな」


 なんでも入るだけじゃなく、保存までしてくれるというのか。魔法とは偉大なものだ。


「あたりまえだ。それめっちゃ安物だから。子供用だぞそれ。エリアでわざわざふたつ分確保したが、もう俺には必要無い」

「そうか。これが200万だなんて、今から考えるとちょっと信じられなかったんだが」


 リンは所持金が減ってきたことで、金の事ばかりだ。


「もー、金なんか気にするなよー。それに現代でも、そのアイテムバッグにはそんなに価値が無い。リン。試しに背負ってる銃を入れてみろ」


 リンは担いでいるAフロントソードを手に持った。今まで何も言われなかったが、これも訓練だと思って自発的にバッグに入れてはいなかったのだ。


「うおおっ? なんだこれ。入らないぞ?」

「あんまりやると壊れるぞ。安物だし、繊細なんだ」


 言われた通りに銃をバッグに入れようとするが、どうやっても入らない。何かが押し返してきているような、そんな感じだ。無理矢理押し込もうとしているリンをとめて、シロは説明する。


「まあ分かっただろー? バッグ以上の大きさの物はな、はいんねんだよ。それに、小物なら無限に入ると思ってるなら残念だが、それあんまり入らないだろうなー。まあ、探索を大きく助けてくれる存在には変わりないがな! おまえにはちょうど良いアイテムだ。自分で収納が使えるようになるまで、それ使ってろ」


 リンはムキムキのマッチョが、パンツ一丁で地面に穴をあけながら走り出す光景を想像した。しかもそいつは、どこからか取り出した銃を構えて、高笑いしながら乱射しているようだった。


「なんてこった」

「それ好きなの?」


 少し考えても分からなかったので、リンはシロから聞く事にした。


「なあシロ。それは体のどこがおかしくなったと思えばいいんだ?」

「知るかっ! 酒は買ったし、とっととフィールドの奥に行くぞ!」





 防護服に着替えたリンの訓練が続く。


 まずは射撃姿勢を意識する。ゆっくり呼吸を止めて、センターに入った標的に向けて引き金を引く。


「よし。いい具合じゃないか? もう100m先だってこんなもんだ」


 リンが少し大きい瓦礫に、連続で弾を当て続ける。


「ハッハッハ! 単発でじっくり狙ってそれ!? まあまあだな」


 よく分からない感想を零したシロが銃を片手で無造作に構えると、腕を伸ばした状態のままフルオートでリンと同じ標的に全弾命中させた。腕や体、銃までぶれる様子は、まるでなかった。


 リンには凄いとしか分からなかったが、弾は全弾同じ個所に命中しており、その誤差は僅かだ。瓦礫が悲鳴をあげて崩れ落ちる。シロは、あれ? まあ俺も久々だからなー。と、呟くように言っている。


 絶句するリン。そんなこと自分に出来るようになるのだろうか。


「できる! おまえにもな!」

「できねえよ! 意味わかんねえよ!」


 リンは高笑いするシロを置いて、訓練に励む。


「一応言っておくとだなリン。本当は、お前は今の俺と同じくらい強いんだぞ? いいから、何でも出来ると思え。思い込め。俺が言ってるんだ。大丈夫だよ」


 そうなのかもしれない。だが、自分はまだまだだ。


 答えを出すには、早すぎる。


「あたりまえだ! ゆっくりでもいい。ちょっとずつでもいい。時間は、まだまだあるだろ?」

「あれ? おれいま、何か喋ってたか?」

「さあなー」


 シロは後ろ手に頭を組んで離れていった。


 また暫く時間が経つ。


 的をじっくり狙い撃っていたリンに、シロがちょっかいを掛けていた。


「じゃあリン。そろそろ標的をかえるかー」

「いやあぶねえ! 引き金に指を掛けてる人間の頭を揺らすんじゃねえ!」


 シロは毛ほども気にした様子を見せず話を続ける。


「エリアに行くぞ。あそこなら的に困ることはないし、動かない物ばかり撃っててもつまらんだろう?」


 エリア。凶悪で危険なモンスターが蔓延る、死の危険がある場所だ。


 前の自分はそこに自殺しに行ったようなものだ。だが今なら違う。この銃で、あのモンスターだって倒せる筈だ。リンはそう思って、少し得意げに笑って同意する。更に引き金を引いて、もう崩れそうな的を粉砕させた。


「全くだ。そろそろ飽きてきてたと、自分でも思ってたんだ」


 リンの訓練が十分だという保証なんてものはない。どれだけ鍛えても、モンスターなどに人間が勝てるかどうかは運任せである。熟練の探索者がどれだけ装備を固め、事前にエリアの情報を収集して準備を万端にしても、死ぬ時は死ぬのだ。


 それは誤った判断を下した時、非常に大きく確率が上昇する。


 瞬時の判断が求められるエリアという環境で、正解の選択肢を探し出すのは困難だ。しかも自身が選んだ回答に、正解だと丸を付けてくれる者などいない。もしいたとしても、その者の採点を信じれるかどうかという判断をまた別に要求されるだけだ。


 そしてタイミングも重要だ。遅すぎても早すぎても駄目である。


 特に探索者とは、生死の境が曖昧になりやすい者達である。殺し殺し、時には殺される。


 死ぬのがパーティーメンバーだったり、もっと最悪なことに、自分だったりする。生きながら地獄を感じる職業だ。それでも、探索者になってしまったのなら仕方ない。もし生き延びたいのなら、恐怖を押し殺して立ち向かわなければならない。


 じっくりと機会を待てない者は恐怖に押し負け、更なる狂気に染まっていく。そうなっては、もう帰ってこれない。


 何事にも例外は存在するが。


「じゃじゃーん!」

「その恰好……、はいったい?」


 構えていた銃を担いだリンが振り向いて見ると、シロはいつもの不良少女から、どこどなくお姫様を思わせる恰好になっていた。


 真っ赤なヒールは美しく光っていて、艶が見てとれる。左ふともものベルトはなぜか変わっていなかった。白と薄桃色の生地からなるふんわりと開いたフリルは下に白色を、上に薄桃色と、交互に層となって構成されている。


 ドレスの胸元には赤色の宝石を埋め込んだ大きいブローチが飾られており、肩は大胆に開いていた。腕には肘まで伸びた真っ白な手袋が。頭にはちょこんと、コロネットが載っている。一体どうやって固定しているのか、まるで分からない。


「どおー? かわいくないっ? 的もこれで、寄りやすくなってくれるよね!」


 美しさというよりは、可愛らしさ。そんな雰囲気を纏ったシロが一回転すると、体をななめ前に倒して、両手でフリルを摘まんだポーズを取った。


 だがリンは、顎に手を当てて素っ気なく言い放った。


「そうなのか? モンスターって服で呼び寄せるものなんだ。なるほどな。ルビナの店で服を気にしてたのは、こういう訳だったんだ。納得だ」


 見当違いな上に他の女の名前まで出すとは、リンはとことんらしい。


「リンー? こういう時はな、まずは相手の服を褒めるべきなんだ。さあ、やってみろ」

「……? なん、――確かにその服は上等そうだ。そうだな。よく似合ってるんじゃないか? ……シロ! かわいいよッ……!?」

「だぁーろぅー? このドレスはお気に入りでな。良く似合ってるだろー。特にこのブローチ! リンも少しはオシャレしろよー」


 自分が何か喋る度に笑顔が陰っていくシロに、最後にはヤケクソになりながら叫んだ。こういう時は、なにも疑問を持たずに相手を褒めるべきだと、リンは学んだ。


 どうにも、笑顔というものには段階が存在するらしい。


 あともう少しで、危ないところだったのかもしれない。


「じゃあリン! エリアに向かってー! 出発だあああ!!」

「えいえい! おーー!」


 シロは声を張り上げて叫ぶ。リンもそれに乗って、勇気で恐怖を押し殺した。


 シロがなぜ目立つ格好をしたのか。今もこうして、エリアに行くと声を張り上げているのか。リンには知る由もなかった。





「おい、あいつらエリアに歩いて行くみたいだぞ? どうなってやがるんだ。自殺でもしにいくのか?」


 双眼鏡を覗いていた男が、怪訝な表情で仲間達を見渡す。


「俺が知るかよっ。お前さん等の話だと、噂では頭のイカれたガキだって話じゃねーか。そいつに付いてってる女も、相応なんだろうさっ。だがどこで捕まえたのか知らんが、いい女だ。ありゃ相当美人に育つぜ? 恋人に自慢したがる男に、稼ぎの良い男に集る女。まさにだなっ。ドレスなんか着てよぉ、観光気分でエリアとは。大物だっ」

「へっへっへ……。仕事がラクんなって助かるぜ。ここらはまだ都市にちけぇからなぁ? バレちまうかもしれねえしよぉお! その点だぁ、エリアにまで行ってくれるなんて、俺達もツイてるぜ全くよぉ!」

「更にツイてる事に、アイツらがモンスターに殺されてくれれば一番なんだがなあ」

「まあ女の方は分からねえが、ガキの腕はそこそこだった。ありゃ、レベル15はあるな。100m先の瓦礫に命中させてたぜ。おいお前等、油断してたら普通に殺されるぞ? 特にあの年だ。磨けば光る奴かもなぁ。噂通りで頭がおかしいってのも、良いポイントだ」


 男ひとりは双眼鏡で直接。他4人は双眼鏡が映し出した光景を、立体映像で表示する子機を使って確認していた。映っていたのは子供ふたり。噂で聞く以上のイカレっぷりを見て、口々に感想を零していた。


 最後に喋っていた男が子機を操作して時間を戻し、イカれたガキの射撃を映し出す。


 玄人志向が強いこの男は、分析が趣味でもある。


「ほら、この銃撃だ。お手本のような構えで僅かでも体がぶれてねえ。おいお前等ちゃんと見てたか?」


 そんな男の態度を、怖がっているのだと判断して揶揄う者が出た。明らかに馬鹿にしたような顔で話しをする。


「へっへっへ。なんだお前、ビビってんのかよ? 確かに認めるぜ? あのガキは年の割りにはつええよ。だがこっちは5人。相手はふたり。しかもどっちもガキときてる! 冷静な分析なんかしてる場合かよ? 噂は広がってんだ。もうチャンスはねえかもしれないぜ? それとも、お前だけ今から帰ってもいいんだぜ? 分け前が増えらあぁ! へへっ!」

「ビビるだ? おいお前、冗談言うなよ。そういう奴から死ぬんだ。俺がビビってるかどうかの判断もできねえのならお前、もう長くねえな」

「なんだと……!? もっぺん言ってみやがれってんだよぉ!」


 双眼鏡を覗いていた男が、見てられないと喧嘩を止める。可愛い女を見た後にこれでは、自分は不幸だ。そういう苛立ちもあった。


「おい! 何してる、そろそろ俺達も動くぞ。どっちの言う事にも一理ある。今ここで決める事じゃねえよ。折角あいつらがエリアに行くってんだ。そこで機会を窺う。いいな?」

「あー全くだっ。なに、俺はお前さんに賛成だぞ? ガキふたりやるのなんざ、わけねえさ。ただ、エリアは俺達に優しくねえからさ。油断はできねえ。お前さんの言う通りだ」


 そう言って、ひとりは玄人志向の男に賛同を示した。


「ふんっ。お前は長生きしそうだな。こいつとは違って」


 最初に零した感想以外を喋らなかった男は、この仕事が終わったらパーティーを抜けようと考えていた。まるで馬鹿ばっかりだ。と、それが次第に強くなっていき、最後には他の連中を殺す算段を立てはじめていた。そうすれば分け前の話でも揉めずに済むじゃないかと、内心ほくそ笑む。


 男達の空気は弛緩しきっていた。


 それも無理ない話だ。噂に聞いたガキは頭がおかしいらしく、探索者ギルドで大見得を切ったらしい。なんでもレベル1000の探索者だとのたまったとか。事実、ガキを見て男達は理解した。


 ――あれはイカれてる。


 なんたってそのガキは、エリアに行って女とヤルつもりらしい。


 防護服も着てない存在は都市の外では異常だ。全く、どれだけの金で雇ったんだか。付いて行く女も女だ。イカれてる。それともイカれた者同士、何か通ずるところでもあるのか。そっちの方がよほど辻褄が合う。


 そして、命が惜しくないと見える。


 男達は無意識にそんな考えを抱いていた。それだけ、あの少女は戦いとは無縁に映ったのだ。銃を背負っているが、恐らくこけ脅しだろう。そう考えてしまう程に。


 実際その子供はどちらもイカれている。


 リンは自分の命など惜しくはないかのように、スラムで手に入る拳銃を片手に持ってエリアに突撃したこともある。普通の人間からすれば自殺と変わらない。イカれてると判断されるのが関の山だ。


 シロなど、なんとドレス姿でエリアに踏み入ろうとしているのだ。何をどう考えても異常者そのもので、見た者を全て唖然とさせるだろう。よっぽど頭がおかしくなってしまっているらしい。イカれてる。


 そんなシロはとっくの昔に、狂気を通り越してその先に踏み入れてしまっている。どころか、駆け抜けてしまっている。なのにもかかわらず、狂気の奥底から、なんの間違いか帰ってきてしまったのだ。


 まさか、一周して戻って来たとでもいうのだろうか。





 エリア、コロニケの外縁部にたどり着いたリンは、さっそく駄目だしを受けていた。


「ばっかもーん! 索敵もせずに侵入していくヤツがあるか! とっととその双眼鏡の使い方を覚えろ!」


 確かにそうだ。自分はもっと慎重にならなければならない。そう自省すると、双眼鏡を取り出して索敵を開始する。


「うーん。見た感じモンスターはいなさそうだけど、こりゃヤバイな……」


 エリアとは一筋縄でいく訳がない。外縁部は大体どこも大量の瓦礫が積み重なり、山となった立体的な地形の、どこにモンスターが潜んでいてもおかしくない。リンはスラムでゴミ山に登っていた事を思い出す。


 その経験が助けになっているのかは分からないが、見るべき場所は感覚的に分かった。だが警戒すべき場所が多すぎるのだ。大変な時間が掛かり、すでに数十分が経過していた。


「リン。ある程度見切りを付けるんだ。どこが危険か、そうじゃないか、感覚的に受け取るんだ。ようはー。カンだな?」

「そこにモンスターが潜んでたらどうすんだ?」


 シロの言いたいことも分かるが、実際動けない。怖いものは怖いのだ。


「そりゃあおまえ、奇襲されたからって絶対死ぬってわけじゃない。生き残れる、かも?」


 探索者は都市から出て、しかもエリアに出向くのだ。元々おかしい頭を、更におかしくする必要がある。


 モンスターに奇襲されたからなんだという精神力も必要だし、実際かなり重要な素養である。イカれていないと務まらない職業だからだ。リンは自称探索者に過ぎないが、イカれっぷりは並みじゃない。


「そうだな。ちまちましてても、らちが明かないか。行ってみよう」


 気軽に一歩踏み出すと、またシロから怒鳴られる。


「ばっかもーん! おまえ今まで何を見てたんだ!? 適切なルート取りってのがあるだろうが。本当にそっちでよかったのか? もっといい侵入経路があったんじゃないか? 少し考えてみろ」


 言われた通りに少し考えてみるが、どのルートでエリアに侵入すればいいのかまるで分からなかった。それはそうだ。そんな事を考えるのは熟練の探索者でも難しい。そこで、リンはシロから話を聞く事にした。


「なあシロ。考えても分からん。シロはどう思うんだ?」

「うん? それなら最初のルートでいいと思うよー」


 シロは表情を変えることも無く言い放った。眉を吊り上げたリンが、真意を確認する。


「じゃあ一体……、何の為に?」

「お前がいいと思ったなら、それでいいんだ。でも実際、最初に選んだルートは俺でもそうするって感じだ。よかったな?」

「それが間違ってたら?」


 偶然にも正解を掴み取っていたらしい。だが自分にも理解できない、勘で選び取ったものだ。合っている保障など、リンには無かった。


「間違ってても別にいいんだ。お前が少し大変になるだけだろ? それに流石に死ぬってなったら、俺を遠慮無く頼れ。どーんと構えてりゃいんだよお前はー。リンは子供で、俺は大人なんだ。任せておけって。なっ?」


 胸を叩いて笑うと、またどこからか取り出した酒を手に持っていた。それはどことなく、今まで飲んでいた酒とは違うように見えた。そもそも、そんな水筒などいつ買ったのだろうか。リンは首を傾げるが、今はいいと気を取り直す。


「そうだな。じゃあその時は頼んだ」

「ああ。任せておけ」


 リンはシロの笑顔を見て安心すると、今更だと思い、笑って足を踏み出した。シロがいなければ、自分などとうに死んでいたのだ。ならば、危ない時はまた頼らせてもらおうと。


 シロが取り出した白銀のスキットルに入っている酒は、もう現代では作れない代物であり、名高い酒だった。それも当然だろう。その国はいま無く、遥か昔に滅んだのだから。それでも、探せばどこかのエリアに精製されているかもしれない。オークションを粒さに観察していれば見つかるかもしれない。酒は、この世界でも人気の痕跡だからだ。


「ッは、最高だな」


 一口含むと、芳醇な味わいに舌鼓を打つ。


 勿体ないからとスキットルを仕舞い、味が分からなくなる程酔ってしまう前に、リンのアイテムバッグから買ったばかりの酒を拝借しておいた。後は安酒でもいいだろう。まだまだストックはあるのだが、気分の問題だ。


 酒をかっぱらって飲みまくるシロを見て、リンは不安になってしまった。本当に大丈夫なのかと。だが、ここで逆に考えてみよう。酒を飲んで酔っ払ってもいいほど、ここらは危険じゃないのだ。そう考えることで、不安を誤魔化した。


 慎重に一歩ずつ進んでいく。適当な壁に背を付けては、辺りを見渡して警戒する。索敵も含めて合計で1時間を使って、リンはエリアの内部に侵入していた。


 以前はここで犬みたいなモンスターに襲われたのだ。周囲を警戒しながら、リンはシロに質問した。


「なあシロ。あの時に俺を襲ってたモンスターの、例えば名前とかって、あるのか?」


 シロはリンの顔を覗き込んで、微笑んで見せた。


『リン。ここからはテレパシーでいくぞ。まさか、やり方を忘れてないだろうな?』

「あー。最近は使ってなかったからな。ちょっと自信がないけど、これでいいか?』


 シロの声が頭から聞こえると、リンは自分の耳も口もおかしくなっていた事を思い出した。


『うんうん。いいかんじー。それで? あのモンスターの名前か。なんーいったか……。確かスレイブウルフ? だいたいどのエリアにもいるんだよなー。番犬みたいな感じだから、そんな名前でよばれてるのかもな。しっかし設計者の怠慢だよなーリン? 同じモンスターばかりなんてのはさー。そうおもわねー? 俺ならもっと面白い感じで作るけどなー。そうだな! たとえばだ。俺が昔描いた……、あれ? なんだっけぇー。思い出せないぞ?』


 酔っ払いの勢いを無視して、聞きたいところを言ってもらうように話を戻す。


『番犬ってのは、そのスレイブに掛かっているのか? 意味はなんて?』

『かえったときの楽しみが増えたな? お勉強がんばろーー』


 これは甘えだった。


 リンはペットボトルの水を飲むと、気持ちを切り替えて索敵に集中した。幸いにも自分が見つけられてないだけかもしれないが、モンスターの姿は見えなかった。リンはどんどんエリアの奥へと進み、建物がしっかりしている辺りまできた。


 ここらは住宅街のようで、かつての一般的な家が立ち並んでいる。所々、穴が空いたかのように崩壊して、瓦礫を積み上がらせている箇所もあるが。


『よしリン。あの家なんかよさそうだぞ? 5階建てのあの家だ』


 それまで静かなもんだったシロが声を上げた。


 今まで自分の索敵に不備は無かったのだろうか。今はいいと、シロが指差している建物を見る。不思議なものだ。この家は一体、誰がどうやって建てているのか。そして、今度は屋内での索敵訓練でもするのだろうか。


 モンスターが見えないから、予定を変えたのかとリンは思った。


『ここで痕跡でも集めようって? それは賛成だけど、理由を聞かせてもらいたいな』

『お前でも見やすいだろ? 今から的が来る。覚悟するんだな』


 シロは笑っていたが、恐らく相当悪い時の笑みだった。

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