13話 命の価値

 リンとシロは宿に帰る前に、飲食店に寄っていく事にした。


「なあシロ。やっぱりお前、人間じゃねえ。だってそうだろ!? どうやったら一歩踏み出しただけでずっと前を走ってた俺を抜けるんだよ」


 リンがフィールドで仕掛けた勝負は、シロの勝ちで終わった。


「リン。言い訳をするな。今のおまえは力の使い方を知らないだけだ。それさえ知れば俺と同じ動きは簡単にできる。それが誓約した者同士の関係だ。それに、人間じゃないのはあたりまえだ。お前の知る限りで、蘇る人間なんて存在するのか?」


 シロはリンが都市に入る直前に、地面に穴ができる程の脚力で一気に抜き去ったのだ。


 横で歩いているシロは少し速足だ。理由は酒だ。


 出発前にあれだけ飲んだのに、まだ足りないみたいだ。酒を飲んだ人間は酔っ払うらしい。スラムでもよく見かける存在だ。だがシロはそんな者達とは少々勝手が違うみたいで、まるで酔った様子を見せない。実は、強くなるのと関係があるのだろうか。


 リンはそんな事を考えながら、シロが風切り音と共に自分を抜き去っていた事を思い出していた。


「俺でもって? 踏み込んだだけで地面にひびが入るように、俺もなるのか……? なんてこった」


 リンはムキムキのマッチョになった自分を想像した。そんな奴が地面に穴をあけながら高速で走っている。なんてこった。


「そうだ。俺にできる事は、お前もやれるようになる。今後の訓練では、その力の使い方を教えてやる。なんてこった、いくら使ってもだだあまりなお前の魂は、相当のことに耐えられるだろうよ」


 魂と何度言われても、リンには実感が湧かない。そんなものは見えもしなければ、感じ取る事もできないからだ。しかし、事実存在するのだろう。シロがそう言うのなら。そして、自分だけを這い上がらさせた理由と言うのなら。


「魂ねぇ……」


 リンが感慨深そうに呟いていると、シロが足を止めた。


「リン! ここがよさそうだぞ!?」


 シロが見上げている看板になんと文字が書いてあるのかは分からないが、その横には女性らしきシルエットがピンク色の電球で表現されていた。


「……………」


 絶句するリン。どれだけ大人だと自称しても子供にしか見えないシロだ。このまま店に入れば、間違いなく子供ふたりは追い出されるだろうと。


 看板を見上げたまま動かないリンの背中を叩いて肩を組んだシロは、高笑いしながら店に入っていった。リンは抵抗する事なく、一緒に笑いながら店へと入っていった。


(どうにでもなりやがれ)


 心ではもう諦めていた。シロに言う事を聞かせるなど、自分には不可能だ。これだけは分っている。


 店に入ったふたりは、普通に席に通された。


 その際、店員らしき人物から大した言葉は無かった。リンは動揺を顔に出してしまい、たどたどしい動きで周囲を見渡してしまっている。そこを押さえないシロではない。


「リーン? 何を期待していたのかなぁ? 俺に教えてみてくれよぉ。店に入るとき、なんだか楽しそうだったな? 今も、一体なにを見ようとしてるんだ?」

「だってあの看板見ただろ? 明らかにそういう店だった。でもどういうことだ? まともな店に見えるけど」


 リンの反応が見れて満足したシロは種明かしをする。


「この店は一階にただの飯屋があるだけだ。まあ? 二階にはリンお望みの展開もあるみたいだがな」


 勝手に望んでいた事にされ顔をしかめるが、なんと言っても飯だ。どうも最近はよく腹が減る。シロが言っていた、魂の治療とやらが効いてるのかもしれない。


 スラム育ちには贅沢な朝昼晩の食事。しかも腹いっぱいまで食える。シロには感謝しなくてはならない。考えてみれば、装備の代金だって宿代だって全部シロ持ちなのだ。自分が稼いだのは、精々がここの食事代になる程度だろうか。


「てんいんさーん! これ! ここからここまで、ぜーんぶちょうだい! あとー、おさけはここからここね! うへへッ。たのしみだねぇ」


 そんな事を考えていたリンだが、店員を呼んでいたシロの注文を聞いてしまった。さっきまでの考えは、取り消される事となった。


 店員は微妙な顔をしている。それは自分だってそうだ。


「なあシロ……。そんなに食べられるのか? 俺はちょっと、心配だな」

「だいじょうぶだよリンおにいちゃん! わたしがたべきれなくてもー、おにいちゃんがいるでしょ?」


 いつからシロのお兄ちゃんになったのか。


 状況は最悪だが、人生は長いと誰かに言われていた気がする。思い悩む時間など無限に存在する。その時まで、その時までだ。


 あまりの事に気が遠くなっていたのだろうか。気が付くと、店員が自分に顔を向けていた。


「注文は妹が言った通りで頼みます」


 満面の笑みで注文をしたリン。聞き届けた店員が仕事を全うするべく、厨房へと去って行く。別に子供に酒を出したり、たとえ食べきれずに残してしまっても、金さえ払ってくれるのなら問題はないからだ。


 リンはここで腕を巻くって、一芝居打つ事にした。


「じゃあお兄ちゃん。張り切っちゃおうかなー? でもシロ。お酒だけじゃなくて、ちゃんと食べないと成長できないぞー?」


 案外ノリがいいリンに、シロはどこまでも惚けていく。


「えへへ、でもおさけすきだからー」


 厨房へと帰って行く店員は、辻褄を合わせる為に考えだす。あの子供ふたりは、恐らく義体者である事。銃を背負っていたし、探索者なのだろう。であれば納得だ。女の子は凄く綺麗で、男の子も可愛かった。義体者は生まれ持った物に左右されない。


 つまり、あの顔は作り物だった訳だと。そして、そういうプレイが趣味らしい。探索者とは難儀な存在だ。都市から出て命の危険に晒されていれば、無理もない話なのだろうが。


 こうしてまたひとつ、探索者のイメージが世間一般とかけ離れていく。


 ふたりが料理を待っていると、サービスワゴンを転がしてきた店員が皿を並べていく。


 テーブルの上に大量に置かれたそれは、どの料理も盛大にもり付けられている。ここは探索者向けの酒場で、当然のことだった。だが恐らく、まだ注文の半分だ。


「安酒にしちゃあうまいじゃん? おおっ!? これもうまいなー……!! ああこっちも! ぜんぶうまい! さいこう!」


 シロは店員から酒瓶を受け取り、飲んでは顔を歪めていた。なんだか楽しそうだ。


「ああ。食べるさ」


 ひとりで宣言すると、皿と格闘していく。


 人間の胃袋とは凄い物で、リンは自身の体積の倍はあるのではないかという料理を平らげる。一体どこにこんな量の食事が入ったのか、自分の体ながら不思議でならないと言った具合だ。


 店員はテーブルが空くと分かると、残りの皿も配膳してくる。その様子を見たリンがコップの水を飲み干す。


「さあかかってこいやぁぁああ!! 第二ラウンドと行こうぜお前たち!」


 ナイフとフォークを持ったまま、天へと拳を掲げて自身を鼓舞していく。目の前の軍勢は強大だが、敵ではないと。


「なーリン。おまえたち、ってだあれ……?」


 流石のシロも酒を飲み過ぎたのか、いつもの元気が無さそうだ。テーブルに伏せていて、まるで酔っ払いのそれである。シロの周囲には酒瓶が手と足を合わせた指の数転がっている。通りで昼飲んだだけでは足りなかった訳だ。


 ここの食事代は分からないが、これからはシロの酒代には気を張らねばならない。


 あれだけあった料理も今ではすっかり無くなって、どの皿も空になっている。ひとえにリンのおかげ、でもなく。シロがダウンしたリンの代わりに料理を平らげたのだ。


「まったくだらしないヤツだな。その調子じゃあ、いっぱしにはなれないー……、かもー?」

「よくあんなに飲んだ後に食えるなシロは……。うっ……! なんだか気持ち悪いぞ? 一体なにが起きてるんだ……」


 満腹を超えて食べるなど、スラム育ちにはあり得ない事だった。初めての感覚に押しつぶされていく。


「しゅぎょうがー、たりーーん! いいかリン! いきることは食うことだ! おまえはいきてるんだから、ちゃんとくえぇ……」

「いいや。今の俺は、このまま死んでもおかしくないさ。不思議じゃない。見えるんだ。何かが……」


 ひん死にも見えるリンの何やら危ない呟きに、シロが両手に顔を付けて叫ぶ。リンの様子など見えていないのか、正反対の反応だった。


「それはヤバイな! リン! それはヤバイかも! たべすぎでしぬなんて、おもしろいかもな!」


 リンは自分の腹が膨れ上がり、爆発したかのような錯覚に襲われていた。


 腹が白く輝いたと思ったら死んでいるのだ。そんな自分を想像する。それは酷く不名誉だろう。だがシロに掛かってしまえば、まるで笑い話だ。だから、本当に可笑しくて可笑しくて。そんな自分が可笑しくて。


 ふたりで馬鹿笑いしながらテーブルを叩く。


「最高だよシロっ! 食べすぎで死ぬ……!? なんだあそりゃ! ハッハッハ! それはヤバイ! 確かにヤバイ!」

「だぁぁああろぉぉおおお……!? ヤバイよな! ヤバイよなっ! ハッハッハ! そりゃヤバイって! マジで!」


 みんな。ありがとう。俺も精一杯、生きてみせる。だから任せてくれ。


 気付かないうちにそう思っていたリンだが、聞き届ける者はちゃんと存在した。呼応するかのように魂が音を立て、圧縮されたその一部が解放された。欠けていた空白の領域に入り込み、リン本来の色付きを取り戻す。


 しかしその魂は、黒く濁っている心と混ざり合い、たちまちに変色していった。


 自覚出来ない程に淡い思い、願いのままでは、迷いが消える事など無かった。





 店から出るとき、お札を凄い量持っていかれた気がする。


 どうでもいい。金など稼げばいいからだ。


「いや、どうでもいいわけないだろ。食い過ぎ! 飲み過ぎ! シロ、流石に酒は控えろ! 宿代すら無くなっちまう!」

「えー。おれから酒を取ったら、うーん? いったいなにが残るんだっ……!? リン! 俺そんなのヤだぞ!」


 聞き分けのないシロに、リンが精一杯に作った怒り顔をして詰めていく。そんな時だった。


「私から財布を盗もうだなんて、いい度胸してるね……ッ!! 今度は間違えない! ことよっ!」


 通りからうるさい声が響いてくると、次の瞬間に飛んできた物体とリンは衝突してしまう。それは、スリの現行犯だった。


「だいじょぶ?」


 流石の自分も酔っ払っている。だがこの程度問題は無いだろう。そう思って別段行動しなかったシロは、リンの様子にだんだんと血の気が引いて行く。酔いが醒め、火照っている筈の体に鳥肌が立つ。


「にんげん、こわい、空を舞って襲ってくるなんて、にんげんこわい…………」


 リンは地面に蹲って、壊れた機械のように同じ言葉を繰り返していた。


 その様子を見たシロが、言葉を聞いたシロが。これは一大事だと、すぐさまリンに覆いかぶさっている何かを吹き飛ばして、ぶっ壊れた頭を抱えて叫ぶ。


「リーーーーン!! 俺を見ろッ!! 大丈夫だ!! 怖くない怖くない! リン見ろ! 俺を! 俺を見てくれぇぇええ!! ああっ! おねがいだ……」

「…………。っは! 俺は一体……!?」


 暫くするとリンの目に光が宿り、そこから意志を感じたシロが安心して胸をなでおろす。一時的に酔いを忘れていた頭も、鳥肌が立っていた体も、元の状態に戻って行く。心地よい感覚に身を任せ、両手を掲げて声を出した。


「よかったなリン! おれもよかったぞー!」


 しかし、目覚めたリンがその声に気付くことは無かった。辺りを注意深く観察して目星を付ける。


「どこのどいつだ。――アイツだな。許せねえ」


 起き上がって、自分を空襲してきた人間に駆けて行く。側まで到着すると、もう気絶している人間に声を掛けた。当然言葉など返ってくる訳がないのだが、そのことで、問答無用とばかりに蹴り飛ばし始める。


「無視とはいい度胸じゃねえか……ッ!! こんやろうっ!」


 リンが元気に走って行ったのを見たシロは、よかった、リンは正気に戻った。と、より一層気分を良くしていた。だがそういえば、リンは何に走って行ったのか。そういえば、自分はリンの頭を抱える前に何かしたような。そういえば、リンは一体何をしているのか。


 段々と状況を思い出してきたシロが千鳥足で、元気な様子を見せるリンに近付いて行く。そうだ、なんだか変なヤツもいたなと。


 ぼやけた視界で確認すると、かなりボロボロになっていた人間が現れた。空を飛べるのになんだか弱すぎないかと思ったが、それは間違いだろう。


 ただの人間だった。


 シロが倒れ伏している人間に近付き、自分も足でつんつんしてみる。反応が返って来たと思ったら、リンが蹴飛ばしている衝撃でびぐびくしているだけだった。しかし、リンは何を手加減しているのだろうか。ならば、ここは師匠としてお手本を見せてやるべきだろうか。


「んーいや、それも違うのかな……? ああそうだ。おいリン。こいつ、もう死んでもおかしくないぞ」


 そんなシロの言葉でようやく踏むのを止めたリンは少し考えて、思い付いたかのように言い放つ。


「なにっ? でも死んでも構わないだろ」

「アーッハッハッハ! 確かにな! だがお前が手を汚す価値など無いさ。もう行こう、なっ?」


 確かにそうかもしれない。リンは何で人間を蹴り始めたのか思い出せなかった為に、まいっか、とだけ思って蹴るのを止めた。


「それもそうか。シロは優しいな! ハッハッハ! 命拾いしたな人間!」

「そうそう! リンはやさしいな! ハッハッハ! 命拾いしたな人間!」


 飛んできた人間に、気絶させた人間に、ひん死にさせた人間に、ふたりで指を差して、笑って声を掛ける。


 異常者と化け物のコンビは、心底楽しそうに肩を組んで去って行った。


 辺りは一時騒然となり、また探索者のイメージが低下する。


 スリだと思わしき人物を投げ飛ばしたのも、その人物を突き飛ばしたのも、死にかけの人物に蹴りを入れたのも、探索者らしき存在だったからだ。3人とも幼く見えたが、見た目など関係が無いことは一連の流れでよく分かる。


 もう探索者彼らに下がるイメージなど無いのではないか。


 そう思ってしまうが、これでも彼らは人類の守り手である。多少の、多大な人格破綻者がいても、実力が確かであれば何ら問題は無いのだ。金で人脈で権力で。なにより圧倒的な武力で、探索者は自我を通す。通し続ける。


 そして、通せなくなった者から破滅するのだ。


 まあ彼らがいなければ、人類は都市という安全域を手にする事はできなかったのだから。


 モンスターに殺される数に比べれば、恐らく大したことは無い。また、その人物はスリだという話だ。しかも探索者を狙うような馬鹿丸出しのアホであり、誰も擁護などできなかった。死んでないだけ、まだ幸運。通りの騒ぎは自然と収まった。


 人々に間抜けだと判断されたスリは、ぎりぎり目が覚めるまで通りの端で横たわっていた。そして目覚めると、


 ――ほんのりと湯気の立つ、おでんが盛られた、謎の小皿が目の前に置かれていた。


 スリの男には、なんと最後まで、同じ人間からは助けが来なかったのだ。





 宿に帰ってきたリンはとっくに、蹴り飛ばしていた人間など忘れていた。いちいち細かい事に拘らないし、やるべき事はひとつ。


 さっそく風呂に入った。


「ふぅー。さいこー。やっぱり風呂に入らないと、もう俺の体はダメみたいだ。贅沢を覚えると、スラムの生活が遠くなるよ。それはいいことなんだろうが……」


 湯舟に浸かると、だらしない声をもらしてしまう。この前はシロに邪魔されてしまったが、今はベットで横になっている筈だ。ひとりゆっくり、この贅沢を堪能できる訳だ。


(にしてもシロの奴、風呂にも入らないでベットとは……。それはちょっとどうかと思うぞ?)


 この宿に初めて来た時の事を思い出す。あれは自分の裸を見たいシロの作戦だったのだろうが、あれから一度も風呂に入っているのを見たことが無い。自分程では無いにしろ、体は汚れてしまっている筈だ。


(うん……? 本当にそうか? シロは俺と一緒にフィールドで横になったけど、その時の汚れは一体どこに付いたんだ? まるで見覚えがないぞ)


 訓練に集中していたリンは、その時に気付くことが出来なかったシロの姿を思い出す。いつものままで、服や髪、肌にも土埃や汚れが付いているとは確認できなかった。


(人間じゃない、か。俺が気にしてても仕方ないよな。大分浸かったし、もう上がろう)


 風呂を出たリンは脱衣所で備え付けのパジャマに着替える。


 一度部屋から出て、脱いでいた服は宿のランドリールームへと放り込んだ。流石は探索者向けの宿である。防護服も洗濯してくれるとは。この快適さからは逃れられない。そう思ってしまう。


 部屋に戻ったリンを待ち構えていたのは、にこりと笑ったシロだった。左手には銃を、右手の甲を腰に付け、手には教材が握られている。


「さあリン。お勉強のお時間ですわよ? ……あたま、いんだろ?」


 そういえばそんな事も言ったような気がする。どうして後先考えずに口走ってしまうのか。じゃなきゃ、あんな装備でエリアに行くなんて無謀な真似しないか。今日の訓練で、自分にはそれがよく分かった。


 リンは顔を少しだけ引きつる。自分の顔に気付かないまま、気丈なふりをしてシロに応えた。


「当たり前だろ? 俺には、簡単なことさ」

「うんうん! いーっぱい抱き締めてやるからな!」


 そうだ、それを忘れてた。





「……であるからしてー、ええっ? ちょっと待てよリン。今のを聞いて、どうやったらそうなったんだ」


 リンは備え付けの作業台に座って、シロから銃を分解する為の説明を聞いていた。だが口で言われても分からないものは分からないのだ。確認の為に絵と簡単な文字で記された説明書を見ているが、さっぱりだ。


「俺にも分からないさ、ネジを緩めるって言ってただろ? これのことじゃないのか」

「ばぁーか。それじゃねえよぉー。さっさと元にもどせや」


 リンは自分のミスに対して努力する。だが後ろから抱き着いてくるシロが邪魔で、上手くネジを締め直せない。おまけに顔が近くて酒臭い。こっちまで酔っ払いそうだった。


 なんとか復旧を終えると、説明がまた最初からになる。シロも酔っているのだろう。仕方ないことだ。


「あ、ここかぁ。なるほどな」


 構造を理解すれば結構単純で、解体自体はそれなりに早く終わった。あとはこれらを洗浄していくだけだ。


 リンは液を張ったバットに部品を浸していく。汚れなどは浮いてこない。買ったばかりの新品で、大した事はしていないからだ。規定の時間まで潜らせる間に、教材を持ったシロから単語の形や意味を教えられた。


 規定の時間が経ち、部品ひとつひとつを丁寧に磨いていく。当分はこの作業が週終わりに発生するのだ。銃は一丁だけだが、これから数が増えないとは限らない。効率化を図る為に、作業を頭に叩き込んでいく。


 リンはこんなことで一日が潰れるのは、まっぴらごめんだった。


「よぉーし。次は組み立てだ。解体より組み立ての方が難しいから、よく聞けよ。まあ聞かなくてもいい。俺はそっちの方がいい」


 この状態で銃を使えないのは、子供にでも分かる。きっちり元に戻せなければ、整備不良の銃で命懸けなエリアに出向くことになるのだ。そんなのはあり得ない。リンは真剣な態度で、表情にもそれが表れていた。


「始めてくれ」

「はいはい。じゃあまずはその部品からだ…………」


 リンが作業を進めていく。銃は組み上がったかのように見えた。


「おまえそんな銃でエリアに行くのか!? あんな拳銃じゃあ、お前の命はひりつかなかったってことか! ハッハッハ……! わざわざ撃ったら暴発するかもしれない銃で!? 満足できないかー!」


 素人が口頭で説明を聞いて、簡単な説明書を見て、恐らくこうだとイメージで組んだ銃だ。動作しなければ運がいい方で、シロが言ったように暴発の危険すらある。


 どうにも、そんな状態の銃が姿を現したみたいだ。


「それとも何か!? 敵に銃を奪われた時の事でも考えてたってワケか! リン! あたまいんだな! おまえ! アーッハッハッハ……!」


 大丈夫。弾倉は抜いてあるんだ。銃がひとりでに爆発するなど、あり得ない。


 無言で銃をバラしていく。そして組み立て直す。部品が余ったり余らなかったり。余らなくても、正常に動作するかは別である。当然シロから指摘が入り、またバラす。


 無限とも思える時間が過ぎ、ようやくシロから指摘が無い、まともな銃が組み上がった。


「……、めちゃくちゃ疲れたな。撃ってるより疲れたぞ?」


 ほとんどくっ付いていたシロが、ようやくリンから離れていく。


「ほらっ。休憩だ」


 頬に突然の刺激が走った。よく見ると、ペットボトルを押し当てられていた。


「ありがとう」


 体に染み渡っていく冷たい水は、心まで潤した。余裕を取り戻したリンが、疑問に思っていた事をシロに聞く。


「なあ。シロの銃は整備しなくていいのか?」

「ん? ああ、別にしない。俺はこの銃が、たとえ整備不良で撃ってる途中に爆発しようが関係ないからだ。俺が銃を使っているのは、お前がイメージしやすいと思っただけだしな。それに、使うならもっといい銃を使うさ。リンも早く稼げるようになれよー?」


 あっけからんと言い放ったシロに、リンは呆れた顔になる。


「物は大切にしろよ」

「この銃は俺が大切にすべき存在じゃないからだ。よかったなリン? こーんなに可愛い子に大切にしてもらえるなんて。幸せ者だお前は」


 シロは自分の顔を指差しながら言った。そこには、


 ――誰かがいた気がした。





 草原に吹き抜けた柔らかい風が頬を撫でる。


 夜の闇を感じさせない世界。発光する草花が幻想的な光を放っていて、色とりどりの球体を空に向けて放っていた。空には星々が煌めき、まるで天に川があるかのようにどこまでも続いている。足元を見ると、一緒に小道が続いていた。


 天の川を見ながら土の小道を歩いていると、発光する球体が弾けて消えていく。


 星々が流転して、軌跡を残しながら太陽と入れ替わる。


 真っ白い光が闇を払う。小道の先には天まで成長している―――――。


 ――よお。いま来てもしょうがないだろ。てかよく来れたな。きみって、やっぱヤバイな? まあいいや。ここは危ないからさ、さっさと帰ってくれ。あんまり奥いくと死んじゃうんだよ?


 ――いつか、またな。





 後ろから聞こえた失礼な声に、頭痛がして顔をしかめると、世界が止まっていた。


「……」


 ぼんやりと眺めていたら、シロが手を降ろしていた。


「いやほんと、今日は疲れたよ」

「そうだな。今日はここまでにしようか」


 最近はおかしい事が続く。これもシロと関わったからなのか。訓練の疲れが今になって戻ってきたのかもしれない。自分の限界がきているのかもしれない。きっと疲れているのだ。


 早く眠りたい。


「もう流石に眠い。ベッドに入るぞ俺は」


 当然のように後を付けてくるのは昨日と同じだ。いや少し違った。シロはもう横になっていて、自分を手招きしている。一体どうやって寝室の扉を開けた自分よりも早く横になれたのだろうか。


 まあそんなのはどうでもいい。


「一緒には寝るんだろ? さっさと来い。その体で睡眠を取らないつもりか?」

「ああ分かった。お言葉に甘えさせていただきますよ」


 いつの間に服を脱いで下着になっていたのか。リンは考えるのをやめた。


 シロが胸を顔に押し付けてきたからだ。


「それはやめろよ……。眠ってる間に死にたくない」

「大丈夫だ。おまえが死んでも、俺がなんとかする」

「何とかって? どう、いう……」


 言い切る前に、睡魔に呑まれて意識を絶った。


「そりゃあ、なんとかだよ」


 言って、眠っているリンの頭を撫でて優し気に微笑んだ。リンは勘違いをしている。女は自分など大切にしてはいない。


 あのときから、これからも、ぶっ壊したままだ。

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