11話 ふたりは最強

 夢を見ていた気がする。辺りは薄暗く、雨粒の音しか聞こえなかった。


 それでも何故か悲しい夢だったような、そんな雰囲気だった。





 目覚めたリンは寝起きの感覚から起き上がれずにいた。昨日はお風呂に入って、御馳走を食べて、柔らかいベッドで寝た筈だ。にも拘わらず頭はぼやけていて、体も少し重く感じる。


 理由は不明だが、顔が少し湿っている感じがした。


 恐らくは涎でも垂らしてしまったのだろう。いつまでもこうしてはいられないと思って、体を覆っていた毛布を掴み勢いよく剥がした。


「おはよう。いい夢見れた? ところで、寒いからまだ寝てようよ」


 そこには少女が体を覆うようにして抱き着いていた。


 胸の辺りに顔を乗せており、こちらに微笑みながら人を怠惰へと誘う存在は、まさしく悪魔そのものだ。通りで体が重い筈で、強引に上から退かすと、立ち上がって向き直る。


 退かす時の何やら可愛らしい、「あうっ」と言った声は聞こえない事にした。悪魔がそんな声を出す訳がない。いや、悪魔だからか。見ると悪魔も起き上がっていて、ベッドの上にぺたんと座っている。下着姿になっているのは見ないようにして、深呼吸を繰り返す。


 目覚めた時にシロが居るのは、これで三度目になる。


 少し速い心臓を抑えつけ、冷静を保つこともできる。寝起きの頭には直撃するが、どうってことは無い。そう言い聞かせると、聞かなければいけない事があった。


「なんでいっつもそうなんだ……!? このベッドは十分広いだろ!? もっと離れておいてくれよ!」

「なんでって。分からないのかリン?」


 シロは手に顎を乗せて、顔を真面目なものに変える。


「えっ? 何か理由があるのか? もしかして今までのも? そういえばこの前は、修行だとかなんとか言ってたような? 俺にはよく分からないけど……」


 リンの戸惑いに真剣な表情を浮かべると、大仰に頷いて足を組んで見せた。当然、笑いを堪える為である。


「まあおまえには、分からないかもな? いつか分かると良いが、そんな調子だと先は長そうだなぁー」


 ここで笑ってしまっては、台無しだ。


「悪い……。そうとは知らずに怒鳴ったりなんかして。そういえば、まだ言えてなかったな。おはよう、シロ」


 リンの表情は少し落ち込んだものになっていて、声も相応に暗くなっていた。


(こういうところだよな。次は何してやろうかな)


 シロはかわいいリンと一緒に寝たかった。理由など、それだけで十分すぎた。


 だが揶揄うのはそろそろいいだろうと思って、シロが宣言する。


「さあ、そろそろ起きよう。朝食を取って、着替えて、街へ繰り出すぞ! 買い物の予定は沢山あるんだ。今日は忙しくなるぞ? ちなみに、毎朝弟子のやる気を確認するのは、師匠の務めだということだ」

「ああ。なるほど分かった。それじゃあいこう!」


 リンは納得して意気を取り戻すと、笑顔で答えた。


 ふたりで昨日と同じパスタを食べてから、リンは脱衣所に行って顔を洗う。スラムで着ていた服はゴミ箱に捨てて、シロがエリアで調達していた服に着替える。


 今までの滲みが付いていて全体的に薄汚れてしまっていた服とは違い、初めての上等な服だ。薄茶色のズボンに白いシャツ。まるで生まれ変わった気分になった。そこに上着を羽織れば、鏡にスラム街の住人は映っていなかった。


 女物の服も一緒に用意されていたが、リンは気にしない事にしたようだ。


「よし! それじゃあ行くか」

「ふーん。残念だな、似合うと思ったのに。でも、それもかわいいぞ」


 不意に隣から声がして、近付いて来た存在に頭を撫でられていた。


 いつからそこに居たのか、全く気付かなかった。まさか、そこにしゃがみ込んでいたから気づかなかった訳ではないだろう。恐らく自分には姿を確認できなかったのだ。今まで突然消えたみたいに。


 ――あー……。これは酷いねー。


「さっさと行こう」


 言って俯き、激しく頭痛を感じるこめかみに、手を当てて応えたのだった。





 ふたりは宿から出発すると、リンの肌着を買い込んだり、まだそのままの靴を新しい物に交換したり、シロの嗜好品を食料品店に買いに行ったり、文字を勉強する為の教科書やノート、筆記用具を調達したりと、いろいろ忙しくして宿に戻って来た。


 宿に戻ったのは、一度荷物を降ろしておきたかったからだ。


「こんなに沢山。しかしお店の人もよく売ってくれたもんだ。子供ふたりにさ」


 リンは液体が満載された買い物袋を降ろすと、宿にある冷蔵庫の中に詰め込みながら言い放った。それを聞いたシロが顔を得意げにさせる。


「俺は子供じゃあない、立派な大人だ。それに、酒に年齢制限などないじゃないか。金さえ払えばこの通りだ」

「確かにそうみたいだった。その為に大分金を使ったように見えたけどな」


 シロをジト目で見つめながら、ため息交じりにそう零した。


 すると何か思う所があったのか、シロはこちらに近付いて来た。そして酒瓶のひとつを自分の手から奪い取ると、栓がまるで自動的に開けられ、小気味の良い音を立ててそのままゴミ箱へと入っていった。呆気に取られていると、そのまま酒をあおりだして一瓶を飲み干してしまう。


「なあ、俺は詳しくは知らないんだけど。そんなに飲んでいいものなのか?」

「ぷはぁー。やっぱ酒はいいな。こうなんだろうな、頭がふわふわしてくるんだ。それがいい。まあ子供には分かるまいよ」


 そう言われても、一体それの何がいいのか。リンには理解できなかった。だが否定もできないだろうと、微妙な顔で肯定するしかなかった。


「そ、そうか……。なに、この金はシロが作ったもんで、文句はない。気が済むまで飲んでくれ」


 リンがシロを眺めていると、シロは途端に、顔を思案させたかのようにしてリンに尋ねた。


「少し飲むか? なに、ほんの景気付けだよ」

「ああ。ちょっと飲んでみようか?」


 シロがそう言うならと、興味があって少しだけ飲んでみる事にする。さっきと同じように栓が開けられた瓶を、少しずつ瓶を傾けて中身を口に含むと、強烈なアルコール臭に咽せ返る。


「こんなものよく飲めるな。全く理解できないよ」


 リンはそう言って酒瓶を突き返した。瓶を受け取ったシロは、平気な顔して中身を飲み干して、


「だから言ったんだ、子供には分からないと。もっともお前は、子供すぎたようだがな」

「ああ、そうみたいだ」


 酒瓶を冷蔵庫に詰め終わり、ちょっと休憩だと椅子に座った。


 だが、シロに休憩など必要ないだろう。全ての荷物をリンに投げ、自身は手ぶらであちこち連れ回していたのだから。


 疲れた顔が滲んでいるリンには、聞かなければならない事があった。朝、宿を出発した時からの疑問である。


「ところでシロ。今までは俺以外に見えないようにしてたじゃないか。どうして今日はそうじゃないんだ? ……いや、他人から姿が見えないって方がおかしいのはそうなんだけど。出会った時はちゃんといたし、今の方が普通なのはそうなんだろ?」

「あーそれな、誓約の影響だよ」

「そう言われてもな。俺には誓約が何なのかも分かってないんだ」


 誓約とは一体何なのか、シロは自分に何をしたのか。まだまだ分からない事が多い。


「本来ならそれを昨日話す予定だったんだが……。いろいろ衝撃の展開だったな?」

「そうだな。シロの話はまだ分かってないところも多いけど、でもシロの目的は分った」

「うんうん。俺もリンの目的をもう知っている。ならばお互いに力を付けないとな? この後はあの小娘の店に行くか」


 シロは自分を最強だと言っていた。それは多くの国をひとりで滅ぼしたという言葉が本当だったのならの話だが。


 そんなシロが、これ以上何の力を付けるのだろうか。


「シロは最強なんだろ? なんでそれ以上の力を付けるんだ?」

「ばか。今の俺は弱い。だから誓約なんて必要になっちまったんだ」

「そうなのか。んで結局、誓約ってなんなんだ?」


 シロは顔を少し下げて、頬を赤らめる。


「リンはそんなことを、俺の口から言わせるのか……?」


 小声なのに何故かハッキリと聞こえた声に、リンが事の重大さを悟る。


「そうか。じゃあなんでルビナの店に行くんだ? シロは魔法使いで、俺も魔法使いの弟子って訳だ。でもルビナが売ってるのは銃だって話だったし、必要ないだろ」


 どこからか舌打ちが聞こえた気がするが、リンは気にしない事にした。考えても仕方のない事は、そのままでも大抵は問題ないからだ。


 都市が何の為にスラムの住人に配給を配って生き長らえさせるのか、都市がスラム街に水や電気を供給している建物を残していくのは何故なのか、スラムに出回っている安価な拳銃の出所は一体何なのか、そんな事を考えても仕方がないからだ。結局それを甘んじて受けるしかない。リンは経験からそれを知っている。


 照れ顔から一転、変わり身したかのように言葉を返す。


「魔法使いだって人間だ。撃たれりゃ死ぬよ。だから戦争は泥沼だったんだ。魔法如きじゃ、科学には勝てなかったって訳だな。あんだけ見下しておいて笑える話だよ。内戦に突入したのもそのせいだ。まともに勝てない相手より、勝てる相手を狙ったんだろうよ」


 確かにそうかもしれない。北の魔法側が強ければ、南の科学側などひとたまりもなかっただろう。しかしどうだ、今の世界では魔法という存在など話でしか聞かない。自分が実際に見たのは、エリアで魔法陣に転送させられた時だけだ。


 そうなると、当然別の疑問が湧いてくる。もしかして、致命的な問題かもしれない。


「じゃあなんだ? 魔法ってのは……そんなに強くない? でも、シロはモンスターを吹き飛ばしてたじゃないか」

「銃でだって同じ事くらいできるさ。それに、あの時モンスターを殺したのは魔法じゃない。言ったろ? 殴ったら吹っ飛んだって」


 あれが魔法ではないとしたら、一体どういう事なのか。これもシロなりの冗談なのだろうかと訝しみながら訪ねる。


「おいおいシロ。それが魔法じゃないってならあり得ないだろ。冗談は程々にしてくれ。俺だって真剣なんだ。それともシロは、義体者って奴なのか? そうには見えないけど……」


 自分が知らないだけで、人とは、人をここまで精巧に模倣できるものなのだろうか。


 リンの言葉にシロが表情を緩め、手でいろいろジェスチャーしながら、少し微笑んで楽し気に話しをする。


「俺は義体者じゃないよ。でだリン。おまえ想像する魔法使いってなんだ? たとえば手から火球を放ったり、どこからともなく氷のつぶてを発生させたり、土を変形させたり、雷を落としたり。まさか、そんな想像をしてないだろうな?」


 全くその通りだ。想像では、銃などより強そうに見える。


「……、そうだ。銃よりは強そうだけど?」


 リンは言った瞬間に後悔した。こんな事を言えばシロがどんな反応をするのか、そろそろ分かっている。結局顔に手を当て、嵐が収まるのを待つしかなかった。


「ハッハッハ!! リン。やっぱり面白いヤツだなおまえは! アーッハッハッハ! それが、銃より、強かったら誰も、苦労してないって、……クソッ! 最悪な顔を思い出した。不愉快だ」


 シロは一瞬凄い顔になったが、顔を叩いて無理矢理に笑顔を作った。リンにはそれが、少し恐ろしかった。


「んで、シロはそんなに強い銃を俺に教えてくれるって訳か? なんだか想像してたのと違うな」

「これから忙しくなるから。覚悟しておけよリン? きっと大変だぞ? 大丈夫? また抱き締めてあげよっか?」


 嫌な顔を思い出してしまったシロには、少しばかりの補給が必要だった。


「いい」

「いい? いいよってことか」


 自分に都合のいいように解釈すると、満面の笑みでリンに近づいて行った。


 なんでそうなる。大体なんでシロは、いつもこんな事を言ってくるのか、やってくるのか。こればっかりは、もっとよく考えなければならないだろう。リンはそう結論を出すと、いつの間にか隣に立っていたシロの大げさな抱擁を躱して、部屋の出入口へと駆けて行った。


「いいわけねーだろ!」


 廊下に続く扉を開けると、まだ呆気に取られていたシロにアッカンベーして部屋を後にする。


「親子の会話ってこんなだったかな? 俺には記憶があまり無くてさ。ごめんなリン」


 その様子を見ていたシロは立ち尽くしている。まだまだ不完全な状態にある女は悲し気に、独り言となってしまった言葉を吐き出した。


「ていうか何さっきの。かわいすぎだよ。ああっ……! 待てリン!」


 軽く感傷に浸っていたシロがアイテムバッグを引っ掴むと、宿の出口にいるリンに追い付く為に部屋の窓から飛び出した。


 ここは3階だが、何ら問題無かった。


 突然飛び降りてきた少女に通りは騒然となるが、そこが探索者向け宿だと知ると、騒ぎはすぐに収まった。


「そこまでするか……?」


 宿から今まさに出ようとしていたリンは、外に見覚えのある姿を発見すると動揺を顔に出してしまう。


「リン。忘れ物だぞ? 今度はこれも持っていけ」

「ああ、さっきもこれがあればな」

「便利すぎるってのも、考えもんだ」


 複雑な表情のままバッグを受け取ると、ふたりでルビナの店へと向かった。





 銃砲店リトルコメット。


 ノライラ都市の下位区域、その商業区画にあるその店は、朝と夜に探索者が訪れては少し忙しくなる。


 朝は補給に寄る者が、夜には成果を自慢しに来る者がルビナを口説いては、その勢いで新しい銃や装備を買っていく。だが昼はそうでもない。こんな真昼間に対モンスター向け銃砲店に入店してくるのは駆け出しの探索者で、数も少ないからだ。


 いくら探索者のなり手が多いとは言っても、いきなり対モンスター向けの銃を買える者は少ない。彼らの殆どは、スラムで簡単に手に入る安価な拳銃を持ってエリアへと駆けて行く。それは手ぶら同然の装備だ。つまり、自殺志願者と言ったところである。


 殆どは都市へと帰らない。


 そのような拳銃ではエリアに出没するモンスターを殺す事などは勿論、傷を付けるのもやっとだからだ。


 それでも彼らはエリアに行く。


 他人から見れば無謀な行動でも、本人にとっては至って真剣だ。彼らは見ている。探索者として成り上がっていった者達の成功を。


 ――夢を見ている。


 彼らも、それが無謀だという事は薄っすらと感じている。だがやめられない。都市のスラムに襲撃するモンスターを、ボロボロの拳銃で倒してしまえるからだ。何度も襲撃を生き延びては自信が身に付き、モンスターという人類の脅威に対する認識を少しずつ、


 決定的に下げてしまう。


 そのうちに、探索者などという狂った存在へと自身を変貌させていく。狂気に取り憑かれた者達はエリアに突撃して、その命尽きるまで成功する。破滅へと歩む為に。


 今日は銃砲店に来るのには珍しい駆け出し探索者。いや、実際には探索者ですらない存在が入店する。


 とても銃など必要には見えない恰好であり、一見すると下位区域の住人に見える。


 奇妙なふたり組は男女で、どちらも子供に見えた。あちこち店の中を見て回っては展示されている銃を眺めていたり、カタログスペックが記載されているプレートを読んでいるみたいで、その様子はさながらデートだ。


 なぜこんな物騒な店を選んだのかは知らないが、少なくとも客にはならないだろう。


 ルビナがそう思っていると、片方の子供が知っている顔に見えた。その子供は確かに髪の色が赤かった。そこにいるのがリンで、200万も稼いだ子供だということ。それを確認すると商売用の愛想笑いではなく、軽く微笑んでから話し掛けた。


「あら、なかなか格好いいじゃない。見違えたわね?」


 カウンターまで進んできたリンを見ながら、ルビナが本心で告げる。昨日までとは明らかに別人のように見えたのだ。痩せ細って見えた体や顔付きは一日経っただけなのに、まるで別人のようだった。


 そこには確かに、スラム街の住人はいなかった。


「ありがとうルビナ。……俺ってそんなに変わったのかな? 実は分からないんだ。鏡を見たのは今日が久しぶりで」

「少なくとも、昨日とは別人よ。まあ、今の方が状態良さげね? それで、そちらのお嬢さんを紹介してくれないの? もしかして、リンの彼女だったり?」


 ルビナがお嬢さんと呼んだ少女はリンにひっついた。それで、リンが抱いた疑問は横流しに吹き飛んだ。


「こうすればもっと分かりやすくなるかな? ほらぁ、どう見える?」


 確かにこんなに可愛い子がいつもこうしていたのなら、自分の顔にも動じない訳だとルビナは思う。若いとは、全く羨ましい限りである。それとも、リンが特別鈍いだけか。


「そうね? まるで……」


 だがルビナの勘は恋人同士ではないと告げている。だとしたら一体どういう関係なのか。そう、それはまるで。


「シロ、こんなところでやめろよ! 勘違いされたらお前だって困るだろ!?」


 その先の思考は、なんだか変な声で叫んだリンによって取り消された。


「何が困るんだ? 一緒に寝た仲じゃないかリン。そんな悲しい事言うなよ……。まさか、遊びだったの!? ひどすぎる!」

「それはシロが勝手に布団に入ってきたからだろ……!? 誤解されるような事も言うな! もう黙ってろ!」


 やっぱり。だがそんな事はあり得ない話だ。年だって大差無いように見える。ルビナは降って湧いた考えを否定すると、子供達の仲裁に入った。


「ほら、痴話喧嘩は他所でやりなさい。銃を買いに来た訳じゃなかったのかしら?」


 それを聞いたシロは緩んでいた顔を戻すと、リンを叩いて姿勢を正した。


「なんで俺は叩かれたんだ?」


 困惑しているリンを置いて、ルビナに注文する。


「おうおうそれだ。生身のリンでも使える手頃な銃を一丁、アサルトライフルで頼む。それと防護服だな、できるだけ頑丈な服と靴で頼む。それから、俺に服は必要ない。リンと同じ銃だけ欲しい。あーあと銃の整備ツール一式も……。あと何が要るんだ? あー、まあ、取り合えずそれで頼む」


 要領を得ない注文を聞き終えると、ふたりに少し待ってるよう伝えてから奥へと引っ込んでいった。暫くすると、ルビナが台車を転がしてやってくる。こういった迷惑なお客の要望に即座に応える様子からも、ルビナの商人としての地力がうかがえた。


 それに、別段珍しい事では無いのだ。探索者になって間もない者は、大体こういう注文を付けて来るのだから。


「服はリンだけでいいのよね? 子供用の防護服ってあまり無くてね。デザインに関しては諦めて頂戴」


 ルビナが持ってきたのは、いかにも防護服といった感じだ。緑を基調とした色合いに、左肩から前袖に黒のラインが二本入っている。別に服のデザインに文句があるリンではない。が、シロは顔を嫌そうにした。


「まあ仕方ないか」


 リンは何故自分で着る訳ではない服にため息を付くのか疑問だったが、ルビナの手に持ち上げられた銃を見るとそんな気持ちは吹き飛んだ。あれがこの先、自分の命を支えるのだと真剣な顔になる。


 そんなリンの心中にはある感情が渦巻いていた。


 これが、この銃で、他人の命を奪うのだ。生きる為に。強くなる為に。復讐の為に。


 ――なぜだ?


 そうおもうと、なんだか、どうしてだか、なぜだか、なんとなく、わからないが。


 リンの中で言語化できない感情と、それに伴って大量の言葉が頭の中を駆け巡った。


 ような気がした。少なくとも、それを自覚する事は無かった。


「それで、私のオススメはこれよ? 初心者でも安心安全。信頼性の高い銃。その名も、Aフロントソード! この銃はね? なんと! モンスター大戦が始まった当初に、モンスターを倒す為に設計、開発された傑作銃なのよ!? それまでの理念を捨てて新しい標的であるモンスターを打倒する為に当時の科学者は頭を悩ませたでしょうね。そんな中発表されたこの銃は実戦でも大活躍したそうよ! それでね? ………」


 ルビナが笑顔で饒舌に話を続けていく。


 黎明重工が開発、設計、製造したAフロントソードという銃は世界で人気があり、探索者が一度は使用する武器だと言われている。初心者でも扱い易く、信頼性に優れ、耐久性も抜群である。主にフィールドやエリアで運用するという性質上、砂埃や泥、ちょっとした破損はもろともせずに使い続ける事が可能なこの銃は、モンスター大戦でも大いに活躍した。


 恐らく、この世界で一番モンスターを屠った銃である。その圧倒的な歴史からなる無数の所有者達がいるからだ。何よりもその安さ。駆けだしの探索者が対モンスター向けの銃を求めるならば、これ程までに入手し易い銃は他に無いだろう。とにかく大量に製造されては、この世界に散らばっているからだ。


 その人気の高さから多くの企業が目を付け、改修に改修を続けられた結果、これ以上は無理だという言葉をどの研究者達からも飛び出させ、今の形に収まった。それ程までに完成度が極まった銃である。改修が終わると、今度は改造部品だ。


 見た目は同じAフロントソード。だが改造されたそれは20mはあるかという大型のモンスターを、まるで大量に射出された弾が一筋の光の如きになり、モンスターを焼き尽くしたという。


 危険すぎたし、一発限りの使い捨てにするには莫大な費用が掛かりお蔵入りとなった研究者のお遊びから、切実な改造まで。ありとあらゆる部品が出回っている。


 ルビナがこんな店を経営してわざわざ店番までしているのは、何を隠そう彼女がその手のマニアだという理由だ。本来ならルビナにこんな暇は無いのだ。だが、追い求めるばかりが人生では無い。暇を作っては店を開け、客に銃の歴史やら何やらを語っていく。それが息抜きになり、悪い話ばかりではないのだ。


 客からすれば堪ったものではないが。


 現にシロは呆れたような顔を通り越して、爆発寸前だった。


「それで? 売ってくれるのか? どうなんだ!」

「あれ? お気に召さなかったかしら。私が銃の話をすると、大体こうなるのよね。なんでかしら?」


 カウンターに両手を叩くシロ。手を頬に当てて首を傾げるルビナ。リンはそんなふたりを、微笑みながら眺めていた。


「リン? なにが可笑しいんだ。まさか! あまりの情報量に気でも狂ったのか!? ああ! リンがぁ! リンがあああ!」


 リンの様子に耐えきれなくなったシロは悲痛に顔を歪め、両手で顔を覆い隠してわなわなと震えだした。


 大げさな態度に一応と弁明しておく。


「ああ、違うよシロ。なんだか楽しくて。気が狂った訳じゃないと思いたいけど」


 さっきの違和感は一体なんだったのだろう。一瞬だけ頭痛のような、激痛が襲ったのだ。だが手を当てて確認してみても、嘘のように消えたそれは、もうどこにも残っていなかった。


「リンにはいい話だったかしら? 嬉しいわ」


 気が付くとルビナが、自分に顔を向けて微笑んでいた。さっきの話を、少しも聞いていなかった。だがこれも知恵だと、リンは普通に答える。シロがあんな様子だったのだ。あまりいい話じゃなかったのかな、とは思ったようだが。


「うん。いい話だった。でも、そろそろ売ってほしいんだけど。幾らになるんだ?」

「銃と弾薬、整備ツールに防護服。でも、まだまだ買う物はあるんじゃないかしら? 例えば、この索敵機や回復薬なんかはどう?」


 リンは見た目からは想像できないくらいに金持ちだ。こんな安い銃や弾を買ったくらいでは問題ないだろう。ルビナはそう思ってセールスを始めた。またそれは、これからも店に通い続けて欲しいからである。


 装備は万全に。余裕を持っておくのが一番だ。エリアに行くのなら、警戒しすぎるという事は無い。


 立ち直ったリンを見てほっと一息付いたシロは、まだまだ未熟な弟子の為に準備する物を増やす。


「まあそれも必要か。いい、買っていくぞ」

「毎度どうもありがとうございます。こちら合わせて60万ロッド。端数切捨てとなります。今後とも、どうぞご贔屓に」


 60万ロッド。信じられない額だ。探索者とは稼ぐ分だけ出費も多い。リンは探索者として、最低限の装備を一括で買った。宿で言った言葉はどこへやら、震える手で札束を取り出して金を支払った。100がふたつあった札束は、これでひとつ消えた。


 ルビナが暇だからと、店の奥でリンの体のサイズを測り、適した物を勧めて防護服に着替えさせる。それを、シロは勝手にしろと言った具合で送り出して店の外に消えて行った。


 買った物をアイテムバッグへと詰めているリンに、ルビナが声を掛ける。


「リン。余計なお世話かもしれないけど、十分に銃の性能を知って、訓練してからよ? 折角の常連候補だもの。死なれちゃ困るわよ? 生きて帰ってきなさい。いいわね」

「当たり前だ。俺は死ぬつもりなんかねえし、誰だってそうだろ?」

「……そうよね。頑張ってきなさい! あの子の為にもね?」


 リンは呆けたような顔をして、それから頷いて見せる。


「ああ、分かった」


 そこにはすでに探索者がいた。人類の生存域である都市から出て、命懸けの洗礼を受けた者が放つ雰囲気を、ルビナは僅かに感じ取ったのだ。そんなリンに比べ、シロと呼ばれた少女からは何も感じ取れなかった。


 自分の勘すら届かぬ存在に、ルビナは僅かに戸惑った。


「ほんと、キレイな子だったわね。でも、まさかね」


 店を後にした奇妙なふたり組に、心ここに在らずいった具合だ。


 ルビナからすれば、都市から出るという事すら自殺行為に思えた。ルビナはスラム街の出身ではない。それに、モンスターを打ち倒す為に人類が運用する兵器を知っている。


 モンスターとは人類がやっとの思いで、想像を超えた冗談のように馬鹿でかい程の銃で、撃ち出されれば辺り一帯を更地に変える、弾丸だかミサイルだか分からない手の平サイズの物体で、そこらのモンスターの背丈を超える人型兵器で対抗する存在なのだ。


 ルビナはそれを知っている。


 だがそれでも、彼らを引き留める訳にはいかない。悲しい話だが、彼らにはそれしかないのだ。





 銃砲店リトルコメットから出たリンとシロは、話しながらフィールドへと歩いて行った。


「リン。これでお前も最強だな?」


 シロの言葉を聞いていつもの冗談かと思ったリンだが、少し考えるような素振りを見せると、シロに顔を向けて確認するように尋ねる。


「シロ、いつもみたいな冗談じゃなさそうだ。俺にも分かるように話してみてくれないか?」

「当然だ。リン。お前が背負っているのは、人はもちろん、ある程度のモンスターにも対処できる銃だ。おまえはエリアで襲われていたが、あのモンスターにもそれがあったら勝ってたな。もっとも? おまえが弾をまともに当てられればの話だがな?」


 確かにそうだ。銃を買ったはいいが、当てられなければ宝の持ち腐れだ。でも問題ない筈だ。なんたって自分が教わる人物は最強の魔法使いで、レベル1000の探索者でもあるんだから。


「その為に修行を付けてくれるんだろ師匠。俺はそれに期待して、どっしり構えてさえいればいいって訳だ。なんたって同じ最強だろ?」

「……そうだな。まあすぐ泣き言に変わるだろうが! 期待しているぞリン! ハッハッハ!」


 楽しげな笑い声はフィールドに、すぐ近くのスラム街にまでも響き渡った。危険地帯から聞こえてくる笑い声に、スラムの住人は恐怖する。


 もう気が狂っている者を見るのは沢山だと。

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