8話 不公平

 リンがルビナの顔をじっと見つめていると、隣にいたシロから声を掛けられた。その影響でルビナ以外も映るようになり、リンの瞳が端から世界を取り戻していく。耳にはギルドの喧騒が戻って、少しうるさいくらいだった。


 見るとシロはテーブルに手をついて前屈みになっており、下から見上げるようにしていた。その顔は、少し怒っているように見えた。


『おいリン! おまえには俺というものがありながら! ッそんな小娘の方がいいのか……!?』


 それで、先程までの雰囲気は消え去っていく。リンが表情を元に戻すと、釣られてルビナも表情を緩めた。


『何言ってるんだ? 金は手に入ったんだし、さっさと宿を取ろう。聞かせてくれるんだろ? シロの話を』


 隣で訳の分からない声を上げたシロにそう言って席を立ち、ルビナに別れを告げる。


「俺はそろそろ行くよ。いい取引だった。じゃあ」


 早々に立ち去ろうとするリンを、ルビナが引き留める。元々取引の予定は無かった、本題はこれからなのだ。


「リンは探索者になるのよね? 探索者に装備は必需品だわ。どうやって痕跡を集めたのかは知らないけど、そのままの恰好でエリアに行ったら、今度は死ぬかもよ? わたし、銃も売ってるの。この後時間があるのなら相談に乗るわよ? 今度は奢りじゃあ無いけど、お金なら、もう持っているでしょう?」


 リンはその言葉にもう一度椅子に座り直し、笑顔で言った。


「頼む、いい取引が出来そうだ。って言いたいところなんだけど、今は少し、忙しくてな。悪い」

「いいのよ、これ渡しておくわ。私の名刺で、店の場所が書いてあるの。じゃあリン、またね?」

「……、ありがとう。じゃあまた」


 テーブルを滑ってきた名刺を受け取って、リンは席を立って一階への階段を目指そうとする。が、傍にシロが居ないことに気が付く。


『あれ、シロ? どこに行ったんだ?』


 辺りを見回しても発見できず、テレパシーで居場所を尋ねると、吹き抜け側から声がした。


『こっちだよ。おまえが余りに小娘とイチャ付いてたからな。その場に居辛かったんだ』


 シロは吹き抜けの手摺に足を組んで座っていた。その手摺は細く、座るにしても手を付いたままでないと一階へと落ちてしまいそうだったが、奇跡的なバランスを保ったままで、腕を頭の後ろで組んで体を空へと斜めに倒していた。


 おかしい、そこはさっき見た筈だ。リンはそう思ったが、突っ込まない事にした。


『何言ってんだ。さっさといくぞ』

『ああ、俺の話をたっぷり聞かせてやるぞ?』


 その時、仕切りに周囲を見渡した後、吹き抜けの虚空を見ているリンを不思議がったルビナから声が掛かる。


「ねえリン、何を見ているの?」

「うっぇ……? ああ、ここからなら、俺の姿がバッチリ映っただろうなって。そう思っただけだよ」


 突然の声に驚いて、少し変な声が出てしまったリンが誤魔化していると、いつの間にか傍に居たシロから楽し気な声がする。


『まだまだだな? これも修行だ! 変なヤツだと思われたくなければ、いちいち俺の方を見るな。まあ? もう遅いかもしれないけどな』


 そう言ってシロは笑い出した。


『全く、俺には理解できないよ』


 だが理解出来なくてもいい、リンはあの時シロに付いて行くと決めたのだ。その正体が何であろうとも。


 少し微妙な顔になっていたルビナが、苦笑しながら話し出す。


「そう。確かにあの時のリンは……。いけない、引き留めて悪かったわね。先約があるのなら、そちらを優先すべきよ」

「そうだな……。じゃあまた」

「ええ。次はお店で会いましょう」


 また会えばいい。気が付いてみれば、それだけの話だった。


 リンは途中でギルドカウンターに寄って、探索者になる為に必要だと言われた紙を買いにいくことにした。これからも痕跡を集め、不要分を売るのならば、必要だと思ったからだ。それに、方法は既に選んでいる。


 自らの手で復讐を成す為に。


「よお坊主。痕跡は売れたか?」


 リンはバックの中に入っている札束から一枚を引き抜いて、カウンターの上にあった受け皿に置いた。


「っふ……。ほら、これ持ってけ。忘れるなよ? 今週末の朝10時だ。いいな?」

「分かった。その時にまた、ここに来るよ」


 真剣な顔で応えて、探索者ギルドを後にした。


 子供の探索者など、すぐに死ぬ。職員の男はそれを経験から知っている。前にここに来た子供は、チケットを買ったはいいが、肝心の講習には来ていなかった。講習を受けるのに必要なチケットは1万ロッドだが、あのようなスラム街の子供には大金で、短すぎる一生を懸けても、それでも集められない者もいるだろう。恐らくチケットを奪われて、最悪殺されたのだと思う。


 無事講習を経て探索者になった子供もいた。その子供は二度も痕跡を売りに来ていたが、三度目は無かった。エリアという魔境に、呑まれてしまったのだと思う。またその前の子供は……。と職員が思い出していく子供達は、一体どんな顔をしていたのか忘れてしまっていた。


 職員には理解できなかった。何故みな、死に急ぐのか。ギルドの職員などという安定した職に就いていれば、分からないのも無理はないと思ってしまうが。そもそも、産まれの環境が違うのだ。スラム街とは劣悪な環境で、抜け出すのすら難しい。


 それこそ、命を懸けても。


 職員はさっき子供が出て行った出入口を見つめては、独り言が零れてしまう。


「あいつなら……。なんたって、レベル1000の探索者だもんな」





「行ってしまいましたね。お嬢様」

「ええ、私達も負けていられないわね。最近は刺激が足りないと思っていたの、いい機会だったわ。やっぱりたまには外に出て営業しないとね? でもそろそろ本業に戻りましょうか。新規顧客もそれなりに獲得できた訳だし」


 ルビナは、銃砲店リトルコメットという店を経営している。最近は客足が落ち着いてきたこともあって、新規の顧客を獲得する為に、ここ探索者ギルドを毎日のように訪れては営業を掛けていた。


 その努力はどうやら実ったらしく、店はそれなりに儲かっている。だが流石にもういいだろうと思って、リンを最後に店に戻るつもりだった。どうせ趣味でやっている店というのもあって、これ以上の労力は本業に差し支えてしまうからだ。


 対モンスター向け銃砲店の店長。探索者など本当によく死ぬと実感できる職業だ。銃を探索者に売っては、それから顔を見せなくなる者も多い。どこかの店に変えたのか、それとも探索者など辞めたのか。もしくは、エリアにその命を捨ててきてしまったのか。


 ルビナには分からない。だが探索者というのは、いくらでも代わりが利く存在らしい。月々に減っていく来客数が、次の週にはまた戻っている。その理由は、このギルドに入り浸ってから一日もせずに分かった。毎日のように、志願者がチケットを購入していくからだ。


 これじゃあ減らない訳だと。


 若干目を細めたルビナが、吹き抜けから見えるギルドカウンターに視線を向ける。今もチケットを買いに来た志願者の姿が。


「あの子供は、来るのでしょうか」


 そんな時シオンから思いつめたような声を聞き、緩んでいた表情を引き締めた。


「来るわよ。……その時は沢山売りつけてやりましょう? 何たって、あの年で200万も稼ぐ探索者のようだしね」


 リンが取引を終えてから言った言葉には、強い意志を感じた。かつての自分と同じで、何か目的があって強くなろうとしているのだと思った。だからきっと力を求めてやって来る。逆境などものともしないだろうあの瞳で必ずやってくると、何となくそう思った。


「今回のご交渉お見事でした。お嬢様。私のお給料も弾んで貰えると嬉しいですわ」


 シオンはお道化たようにそう言うと椅子に座った。ルビナとテーブルを挟んで向かい合って座っている光景が、ふたりの関係性を物語っている。金で雇った者、雇われた者以上の関係が、そこにはあった。


「なに言ってんの、普段の交渉や面倒事に比べたら余裕よ。シオンだってそうでしょ? たかだか探索者未満の集いよ?」


 仕事を終え、ふたりは世間話に花を咲かせだす。


「そういえばさー。あの子、最近どうなのよ? また何かやらかしてないの? 私は心配で夜も眠れないわ」

「最近は真っ当に人間らしくしてるわ。まあ、まだまだ自発的にとはいかないけど。言えばお風呂にも入るし、食事だって取る。近頃は歯だって磨くわ。私の教育の賜物かしら」

「そう、いい傾向ね。研究に没頭しているだけじゃ、なんだか可哀想でね。拾ってきたからには、ちゃんと面倒を見る義務が私にはあるの」

「そうね……。じゃあルビナ、三人でご飯でも行く? 営業終了記念よ。どう? あの子には言っておくから」

「いいわね。リンとの取引で大分稼がせて貰ったし? 上位区域のレストランでも予約しようかしら」


 乙女達の会話は尽きず、夕方まで続いた。





 探索者ギルドから出て宿を探し求めて歩いているリンが、疑問に思った事をシロに投げかけた。


『なあシロはさ、頭の中に声を響かせるのと、本当にそこに居るみたいに喋りかけてくる時があるけど、どうやってるんだ?』


 リンの前を歩いているシロは人混みを避けるのが面倒になったのか、空中をリンの歩く速度に合わせて一定に保ちながら答えた。まるで空を飛んでいる。いや、実際に飛んでいるのだった。その姿は仰向けに寝転びながらだが。


「……」


 リンはそんな光景に目を奪われるが、気を取り直してしっかりと前を向き歩き出す。


『俺には簡単なことだ。他は知らないけどな? リン、試しにおまえもやってみろ。俺の更に上に自分が居て、そいつが声を出してるイメージだ』


 そんな無茶なと思うが、取り合えず試してみる事にする。


『…………! どうだ……? できてるか?』

『ダメだな! まるでダメだぞ!』

『そんな駄目駄目言わないでくれよ。にしても、俺には出来そうもない事が分かった。今まで通りでいくよ』

『まあ、リンにはそんな小手先の技術じゃない、もっと凄いの教えてやるよ。厳しい修行だが、完遂した暁にはおまえは最強になってるだろうな』

『最強って、もしかしてシロよりもか? 本当に俺に出来ると思うか?』

『安心しろ! 俺が付いてるんだぞ? いつかは、おまえ次第だな?』

『そういう事か。ならシロも安心してくれ、時間は掛けないつもりだ』

『まったくよく吠えるなーリンは。頼もしい限りだよ、誓約者として嬉しいねぇ』 


 シロは話し掛けてきたリンに、今度は自分の番だと喋りだす。


『ところでリン。おまえ教育を受けてないだろうに、なかなか言葉を知ってるじゃないか? どこで覚えたんだ?』

『えっ? うーん? さあどうだろ、分かんないや。誰かが話してるのを勝手に覚えたとか?』


 リンは質問に答えることが出来ずに頭を悩ませる。確かに意識したことはなかった。言葉など、勝手に覚えていたのだ。


『ふーん。そっか、頭いんだな。なに、その調子なら文字だってすぐ覚えるさ。俺が読み書きを教えてやるよ。おまえだってこのままじゃ店で注文だって出来ないし、よくないだろ?』


 そう言いながらも、シロの内ではある考えが巡っていた。


(んなワケあるかよ。それは正しく受信、送信する為に取り付けられたものだな? また世界に変な構造を組み込みやがって。まあそもそも彼奴の考えなど、俺に解るものか……。ああもうっ! クソッ俺も暗くなったな)


 世界の人々から言語の壁、言葉の壁を無くしたのなら、誰もが他人と意思疎通をすることが可能となる。そうなれば素晴らしい世界でも生まれると思ったのか。シロは少しだけ理解を示すが、結局そうはならなかったのだと、自分に言い聞かせる。


 それは夢に等しく、何も知らない子供の願いに過ぎない。切り捨てるには、それだけの理由で十分だった。


 読み書きは確かに必要だと思っていた為に、リンの表情は明るくなる。


『ああ、それなら頼むよシロ。俺だって、いつまでもスラムの子供な訳にはいかないからな』


 リンの正面に移動してきたシロは、建物の看板に指を指しながら言った。


『じゃあこれが、宿だな』

『よし! じゃあ行くか』


 これから自分はシロの秘密を知る事になるだろう。そう思うと、自然と身も引き締まった。


 だが宿の中に入ったリンはその気持ちとは裏腹に、どうすればいいか立ち竦んでしまった。どこにも誰も居なかったからだ。そうしていると、シロに手を引っ張られる。


「こっちだリン。これが案内説明らしいな、その装置に希望の部屋と必要な額を入れるらしい。ほら、金を入れろ」


 なにやら機械を操作したシロが言うには、後は金を入れるだけらしい。また突然触れれるようになったシロに動揺しながらも、バックから札束を取り出して金を入れていく。すると三枚目を入れた直後に、機械から鍵が排出された。


 3万ロッド。リンからすれば大金である。


「……、なんだか嘘みたいだ。昨日まではただの路地裏で寝てたのに」


 だが手に持った札束は、使っても減る様子が見られない。リンはその事を、少しだけ受け入れられなかった。


「金は正しく使わないとな? あんな場所で寝てたら背中だって痛くなるし、食事だってまともじゃなかっただろ?」

「その通りだな。うん、やめた。金を使うのに俺は、いちいちビクビクしないぞ!」

「ならさっさと行くぞ」


 シロは先に歩き出して、目的の部屋を目指した。


 ここは探索者向けの宿で、シロが取った部屋はそれなりのグレードだった。部屋は広く、探索に必要な銃を仕舞う場所や整備に必要な作業台まであり、リビングのような空間と寝室にそれぞれ分かれている。


 テレビ、ラジオ、電子レンジ、冷蔵庫、空調が備え付けられており、朝と夜には冷凍庫に食品が自動で追加される。昼は一階の食堂で、何でも好きなメニューを注文することもできる。トイレとお風呂は別れており、いつでもお湯が使い放題だ。


 一泊の価格3万ロッド。その価値は十分にあった。特に、安全という部分ではスラム街の路地裏とは天と地の差である。誰にも殺されず、犯されず、盗られもしない、自分だけの空間である。


 リンがその事を嚙み締めていると、シロから声が掛かる。


「じゃあリン。おまえはまず、何をすべきだと思う?」

「……、分からないな。もしかして、俺は何か間違えたのか?」

「ばか! さっさと風呂に入ってこい! 話はそれからだ!」

「っああ風呂か! いいな!」


 自身の体がどんな状態かに気付くと、慌てて浴室へと続く脱衣所に駆け込んでいく。リンは今まで体を湯船に浸した事などなかった。雨が降れば拾ったバケツに水を溜めて、次の日に溜めた雨水を使って布で体を拭く事や、週に一度ある都市からの支援で冷たいシャワーを浴びたことくらいだった。


 脱衣所に駆け込んだリンを見て、シロが口角を上げ顔をニヤリとさせた。


「っふ。それじゃあ、可愛い弟子の発育でも見てやるかな」


 作戦通り。リンを風呂場へと誘導する事に成功すると、シロは次のステップに進んで行く。


「それで、わざわざ俺とリンを引き離してまで何の用だって? 手短にしてくれよ、今頃は風呂場で震えて待ってるからさ」


 まあ想定外が起こるのも人生だ。予想した通りに、作戦通りに事が運ぶなどつまらないものだと。


「ええぇー……。それ、本当に話さないと駄目なのか? 全然気が進まないけど。……はあっ? なんでそれで? まあ、うん、分かったから。じゃあリンにはそれで話しとくよ。まったく、どうなってんだか」


 しかし話を聞いたシロは、思いっ切り顔をしかめる。最終的には腕を組んでうつむき、部屋の虚空に向かってため息をつくばかりだった。突然の来訪者は、シロから了承の旨を貰うと完璧に消えた。






 勿論震えている訳もなく。


 脱衣所で普通に服を脱いで、扉を開けて浴室に入ったリンはまず浴槽にお湯を溜めることにする。


 たっぷりと熱い湯が蛇口から放出されたのを見て、その間に体を洗う事にした。温かいシャワーを全身に受けてから、備え付けのシャンプーを手に塗り広げて頭を洗い出す。だが、一度シャンプーを付けただけで髪は泡立たなかった。


 その時、頭の中に電流が走ったような、喉に何かつっかえたような、妙な違和感を感じた。


「んっ……? あれなんだっけ、これじゃあ駄目なんだっけ。なんでだ? まいっか」


 よく分からないが仕方ないと、もう一度シャンプーを頭に付けまくる。


 するとようやく泡立って、やっと汚れが洗い落とされていく。流れていくお湯は、少し濁っていた。同様にボディーソープで体をくまなく洗う。流れるお湯が濁ってない事を確認してから、もう湯が溢れ出ている浴槽へと飛び込んだ。


 これから起こるであろう事態も知らずに、笑顔で顔を満たしながら。


「ふぅー気持ちー! 何だこれ最高だな」


 包み込む温かさが体を芯まで蕩けさせていく。リンは初めての感覚にどっぷりと浸かっており、完全な油断である。そのせいで脱衣所から忍び寄る恐ろしい影に気付くこともできずに、悪魔の侵入を許してしまう。


「よおリン、体洗ってやるよ! ああ、もう洗ったあとか」


 リンの目には裸になっていたシロが映っていた。その事に気が付くまで数秒を要したが、次の瞬間には驚きと共に裏返った声を出してシロを非難する。


「――っな!! 何してんだよ! うわっ……! こっち見てんな、今は俺が入ってるだろうが! さっさと出てけよ!」

「おまえ何言ってんだ? 同じ女じゃないか。そんなに驚く事かよ」


 シロにはリンの反応は少々過激に見えた。リンが男ならばこの反応も分かるが、女同士なのに何故なのか。しかし次の言葉に、シロは固まってしまう。


「……。俺は、男だ」


 一体どうしてなのだ。真顔になって、それから頭の中を空っぽにするしかなかった。


(っえ……。なに? まさか彼奴、そんな趣味が? 子供に何てことを、信じられん……。ああいやっ! まてまて、リンからも話を聞いてみないことには。そうだ、まずはそれだ)


 それは、シロにしては珍しい反応だった。混乱している頭で考えをようやく纏めたシロは、眉間にしわを寄せながら問いかける。


「なあリン。俺の勘違いじゃなければ、おまえさ、アレ付いてないだろ? ほら、男の。どうしてそれで女じゃなく、男なんだ?」


 一度言葉にしてしまえば、さっきまで話をしていた顔に不審を抱きながら、更に複雑な表情となる。 


 湯舟に浸かった顔からは信じられないまでに顔は暗くしたリンは声も無く呟く。


「俺の話なんて、どうでもいいだろ……」


 その顔を見てしまえば、シロには相手をひとりにする理由は無かった。一歩リンに足を踏み出して、強く言葉を掛ける。


「いいやリン。どうでもよくなどない」


 もう一歩、更に踏み出して続ける。


「俺はリンと一日しか過ごしてないが、お前をよく知っているつもりだ」


 もうすぐ傍まできているリンの頭に手を置くと、顔を近付けて微笑みながら話しかける。


「お前はそんな顔する奴じゃないだろ? 本当は優しくてさ、良い奴なんだよ……。じゃないと俺と誓約なんかできないって。な? それに、これから俺の話ばかりじゃ不公平だろ? リンの話も、聞かせてくれよ」


 不公平。そうだ、世界はいつだって不公平だった。


 映る光景にはいつだって不公平が存在していた。それでも良かった。スラムから見える、都市の奥にそびえ立つビル群はまるで天まで伸びているかのようで、決して手は届かないが、それでも良かった。都市からの配給を食っては不味いと思って顔を顰め、ビルに住んでいる人達は何を食べているんだろうと思った。それでも良かった。固い地面で寝ようと良かった。


 周りにも同じ存在が居たからだ。この不公平は自分だけではないのだ。そう思って、良かったと思った。仲間達と身を寄り添い合い、一緒に遊んでは笑って、悲しんで、時には喧嘩して、怒ったり。スラムの生活でも、楽しかったから良かった。けど、次の瞬間にはみんな死んでいた。それまでの友達とも言えるべき存在が、一緒に生きてきた仲間が、その思い出ごと、まるでゴミのように棄てられて死んでいた。


 だから、良くなかった。

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