7話 誰だって同じ

『おおー、今もギルドというのは変わらないもんだな。活気があって大変よろしい!』


 シロは探索者ギルドに入ると、昔を懐かしむかのように呟いた。


『今もって? シロは俺と同じくらいに見えるけど、そんな前から探索者やってるのか?』


 そんなに年が違わないようには見えないが、と思った為に疑問を投げかけた。


『ああ。俺ははるか昔からギルドに所属していた。レベルはざっと1000だな』

『そうなんだ。じゃあ痕跡をどこに持っていけばいいか分かるか?』


 付き合うだけ無駄と判断して、話題を変えることにしたようだ。


 因みに探索者レベルとは、そのまま探索者の格を決めるものである。一般にはレベルが10を超えると、まともな探索者として扱われる。1000など規格外もいいところだ。


(こういうところさえ無ければ、素直に凄いと思えるんだけどな。実力は確かなんだろうけど……。意味が分からないし、なんだか怖いぞ俺は)


 そう考え事をしていると、頭の中に声が響く。


『もちろんだ! ていうか分からないのか? 入口から見えてただろ、正面のカウンターだ。……ふむ。作りまで同じみたいだな。本当に変わらないなーー』

『そうか、助かる』

『なに、これも協力だ。えんりょなどせず、じゃんじゃん言ってくれ!』


 無視してカウンターへと歩みを進める。だが頭ではある言葉を思い出し、考えを形にしていく。


(まてよ? 確かにシロは強い。だから俺は、それがシロの自信に繋がっていると思っていた。でもどうだ? シロは言っていた。強者は他人など気にしないって。つまりだ。なら俺もッ!!)


 いつの間にか顎に手を当てて、真剣な顔で、普段なら絶対にしない思考を巡らせていた。


 それはシロに当てられたからなのか、あるいは強くなろうと思う心が暴走しているのか。それとも、エリアから取ってきた痕跡が金に変わるのを想像したからか。はたまた、昨日エリアから脱出した時感じた達成感がまだ残っていて、それに釣られて精神が高揚してしまっているからなのか。


 自分でも気づかないうちにカウンターの前に立っていたリンは、その顔で満面の笑みを浮かべて宣った。


「俺はレベル1000の探索者だ!! 痕跡を買い取りに貰いに来た! さっさと金を出せ……ッ!!」


 場は一度しんと静まり返った。


 カウンター越しに対応するギルド職員も、一階にいる探索者達も、二階にいる一般人達でさえも固まってしまっている。


 とうとう堪え切れなかった者が盛大に笑い始めた。


『アーッハッハッハッハ……!! リン! 今のは最高だったぞ!? 見ろこの光景を! みながお前を刮目しているっ! これで、本当に俺と同じ異常者だ。――言い訳が楽しみだな?』


 心底楽し気な声が響き終わると、連鎖するように爆笑の渦に包まれた。


 ギルドカウンターの職員が、


「はーっはっは! おぉおい坊主! 俺は、今仕事中なんだ! あんまり笑かすなよぉ! ヒヒッ、ヒッヒ。腹が、いてぇぜおい」


 一階で集まっていた探索者達が、


「おいガキ! 今のはなかなか良かったぜ! 芸人で食っていけよ! ハッハッハ……!!」


 二階のカフェで寛いでいる者達が、


「おもしれーガキんちょだなぁおい! こっちこいよ! 奢ってやるぜ!? ヒハハハハハ!」


 これを普通の探索者に見える者が言っても、周囲は笑いの渦に包まれない。スラム街然とした恰好とまだ子供に見えるその体躯は、言葉とのギャップがありすぎたのだ。レベル1000などと、まるで意味不明な存在とは。


「おれが、やっちまったのか」


 唖然とした表情と一緒に漏れ出た声に、羞恥心が襲ってきた。


 なんでこんなことをしたんだろう。考えても答えはでない。だがやってしまった事は仕方ないと、冷静になる為に深呼吸を何度も繰り返す。こんな筈ではなかった、自分は目立ちたくなかった筈だと。答えの出ない思考は、最初に笑っていたシロに責任転嫁された。


 原因に顔を向けて、声に出さないよう気を付けながら怒鳴りだす。


『シロがあんなこと言わなければ! 大体レベル1000ってなんだよっ!!』

『リンよ、俺に言われても、だな、ぷっくく……、アーッハッハッハ……!!』


 既にひくついている顔で、言っている間に思い出し笑いをしてしまった。ついには腹を抱えて床に転がりだす。


『いやーリン! 退屈しないなほんと!』

『ああもう……! ずっとそうしてろ!』


 そんな事を知らないカウンターの職員は、そろそろ仕事をするかと思い話しかけた。


「それで? レベル1000の探索者様は、一体どんな探索者カードをお持ちなんですか? こんな支店の職員では力不足でしょうが、是非とも、このわたくしめに確認させて頂きたいですね」


 仕方ないと前半は無視して、後半に言われた事に関して尋ねる。


「探索者カード? 俺そんなの持ってない、痕跡を売りに来ただけだからな」

「ガハハハハハ……! 坊主! カードがねえだあ!? 探索者でもねえのにそんな大口叩いたのかよ! よお全くイカれたガキだな!」

 

 もう手遅れの様子を見せるイカれたガキに、流石の職員も再度笑い出した。


 傍で転がって、ジタバタしているシロも同様である。


『おいリン、これ以上笑わせるな! ああそうだ、俺もそいつに同意しておくぞ? まさか探索者でもないのにエリアに足を踏み入れたとはな! どおりで、手ぶらでエリアに居るワケだ! まったくぶっ飛んだガキだな! ハッハッハ!!』


 もしシロが実体だったのなら、このギルド支店は崩壊していた。モンスターを素手でぶっ飛ばすのは、夢でも幻でも無いのだから。常人には見えずとも、見えないからこそ、化け物がそこに存在しているのだ。


『仕方ないだろ……。じゃあシロは俺にあのまま、あんな狭い路地に居ろって言うのか?』


 散々笑われたリンは不機嫌そうに言った。自分が悪かったとはいえ、どうせ何を言っても笑われるだけだと思ったのだ。


 だが続くシロの言葉は予想もしないものだった。


『いや? リン。普通はエリアなんて危険地帯に、人は踏み込めないもんだ。常に死の危険があり、一瞬でも油断すれば実際に死ぬ。それでも、リンは勇気を出してエリアに踏み入り、痕跡を見つけ出した。あの袋には入ってただろ? おまえの成果が。だからリン、俺は何度でも言ってやる。よく頑張ったな』


 リンの中に訳が分からない感触が走ったが、素直に嬉しいと思ったのだった。


『……うん。ありがとう』


 シロから頑張ったと褒められ、ようやく心が落ち着いたと思ったところに、笑い終えた職員からの檄が飛ぶ。


「坊主! 探索者カードがねえんじゃ、ここでお前の痕跡を買い取ることはできねえぞ。さっさと帰りやがれ」


 その言葉にリンが当惑してしまう。探索者カードと痕跡を買い取るということに関連性を見出せなかったのだ。


 職員はその子供の態度に分かってないのだと見て諭すように告げる。


「なあ坊主。探索者ってのは痕跡を金だけの為に売ってるんじゃねんだよ。それは探索者レベルを上げる為でもある。そもそもここは探索者ギルドってんだ。そうでもねえお前が使えるのは、精々が二階の喫茶店ぐれえなもんだ。いいな? 分かったらとっとと出て行って、もぐりの店でも探すんだな」

「ああ。そうか、どうも。ちなみに、探索者になるにはどうしたらいんだ?」


 リンはここで痕跡を売れない事に納得すると、今度は探索者になる為にはどうしたらいいか尋ねた。職員は、まあこれも仕事かと思い説明を始める。


「そら、なりたいと思うか。お前なら。聞いたら今度こそ行けよ? お前には笑わせて貰ったが、それまでだ。いいな? 探索者になるなら簡単だ。1万ロッドを払ってこの紙を買え。そしたら今週末の朝10時にまたここに来い」

「……1万ロッドか。分かった、いろいろありがとう。いい人なんだな」

「馬鹿言うな、仕事だからだ。…………痕跡を売るなら、買い叩かれないように注意しろよ……聞いたなら出てけ! いけいけ!」


 それだけ聞くと、リンは職員から背を向けてギルドを出ようと歩き出した。


 出入口まであと少し。そこで、後ろから声を掛けられた。





「っぷふ……。俺はレベル1000の探索者。だってさ、シオン」


 今日も二階のカフェに入り浸り、ギルドに訪れる者達を観察していたルビナは、イカれた子供の真似をしながらそう言った。


「お嬢様。趣味が悪いですわよ」


 ルビナのメイドであるシオンは、主人の品位を守る為にその言動を窘める。


「まあまあ、いいじゃあないの。ほら、私はもうお嬢様じゃないしー?」

「それでも、です。お嬢様。普段から心掛けていないと、重要な場面で隙を晒す事となります」

「分かっているわ。全く、こんな主想いの供がいるなんて、幸せ者ね私は。それで、シオンはどう考えるの?」


 仕事前の軽口は終わったと、ルビナはシオンに意見を求めた。


「そうですね。恰好からはスラム街の子供としか分かりませんが、背負っているのは恐らくアイテムバック、である可能性が高いですね。以前、エリアで発見された物と酷似しています。分からないのは、何故そんな不釣り合いな物を背負っているのかということですが、ただ幸運を掴んだ者か、あるいは、撒き餌の可能性も」

「まあそんなところでしょうねー、私の考えも大体同じよ。ただ、撒き餌の可能性は低いと私は考えているわ。あまりにも間抜けすぎるでしょ……? アレは」


 ふたりは撒き餌の可能性を考えた。アイテムバックという大きい餌で釣れる魚は同様に大きいか、小さいのでも大量だろう。のこのこと子供の後を付けていれば、自分が魚になっていることにも気づかぬままに、釣り上げられる事になる。


 だがルビナは、自身の持つ勘がそうではなさそうだと感じている。一目見た時から、あの少年には何かがあると感じたのだ。


(スラム街の子供、か)


 この勘に従って自分は今まで動いてきた。これからも悪い事にはならないだろうと考えて結論を出す。


「行くわよシオン。どうやら、あの子供は探索者カードすら持っていないらしいわ。益々有利になったわね。怖いくらい」

「お嬢様が決めた事でしたら」


 ギルドに入ってきた時から目を付けていた子供は、その恰好と言動で注目を集めていた。ただ餌の振りをするだけなら必要が無い行動もあり、職員ともまるで打ち解けたように話しをしていた。本当に痕跡を売りに来た者のように見える。だが絶対ではない。


 シオンは、自らの主に危険が及ばないようにと集中する。





「ねえ、ちょっといいかしら。レベル1000の、探索者さん?」


 後ろから話しかけられ、なんだと思って振り返るより先にシロの声が届く。


『おおー。二階に居た、主とメイドさんって感じだな。リン。惚れられたかもよ? なんたってそう、レベル1000の探索者に惚れないヤツはいないからな! ハッハッハ……!』


 苦笑しながら振り返ると、確かにふたり組が居た。なぜ自分に話し掛けるのかは分からないが、今はここで話しをしている余裕は無さそうだと思い、早々に切り上げる事にする。


 何でシロが二階の様子を知っていたのか、という疑問は抱かなかった。


「俺に何か用か? 悪いけど、もう行くんだ」

「貴方、痕跡を売りに行くのでしょう? 悪いけど、話は聞かせて貰ったわ」

「……。まあ、あれだけ大声で話してたんだ。もし悪いと思ってるなら、気にしないでくれ」

「あら、ありがとう。私の名前はルビナよ。私は貴方の名前を、聞かせて貰えるのかしら?」

「俺はリンだ」


 ルビナは容姿に自信を持っている。これも武器のひとつだと、そう思って今まで活用してきた。だが、この子供には通用して無さそうだと分かってしまう。会心の笑みで名前を尋ねた自分を平然と躱し、しっかりとこちらの目を見て名前を言ったのだ。


(普通は目くらい逸らしてもよさそうだけどね)


 互いに挨拶が終わり、危険は無さそうだとリンは感じた。ふたりは痕跡が欲しいのだろうと思って話しを続ける。


 リンとしても、金はすぐにでも欲しかった。


「それで、もしかして痕跡を買ってくれるのか?」

「貴方がいいのなら、すぐにでも」


 ルビナがそう言った時、リンの腹が鳴った。


 そういえば自分は、昨日から何も食べてなかったと思い出す。この時間、普段なら都市の配給を貰う予定である。だが痕跡を売る為に飛び出してきたおかげで、リンの空腹は限界だった。


「話しは何か食べてからの方が良さそうね? ここの二階は軽食が取れるようになっているの。そこでどう?」

「俺、金なんてもってない」

「何言ってるのよ、奢らせてもらうわ。いいと思ったのなら、付いてきなさい」


 ルビナと後ろに控えていた、メイドとシロに呼ばれた人は二階に上がる階段へと進んで行った。


『何を迷ってる? 奢って貰うだけだろ、さっさと付いて行ったらどうだ?』

『そうだな。じゃあ行くか』


 リンが迷っていたのは良い事が続いていたからだ。職員だという男には親切にされたり、今もこうして飯を奢って貰えるという話だ。こんなことは今まで自分には無かった。だから迷っていたのだ。こんなに良い事が続く訳がないと。


 だがシロの言葉に、大した事ではないという風なことを感じ取ったリンは、空腹にも押されてルビナの後を付いて行った。


 二階にあるカフェの一番奥に通される。この席は吹き抜けが隣にあり、一階全体が見えるようになっている。リンがそれを確認すると、なるほどここで見てたのかと気付く。


 テーブルは四人掛けで、椅子も合わせて四つ存在している。手前に自分と、含めてもいいか分からなかったが、シロも足を組んで座っていた。奥ではルビナだけが座っていて、メイドの人は立っていた。


 それを疑問に思い、リンが口を開く。


「そっちの人は座らないのか?」


 ルビナが少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに表情を戻して話す。


「あら? 紹介が遅れたみたいね。こっちはシオンよ。私のメイドさんなの」


 リンはメイドという言葉を聞いたことがなく、意味も理解できなかった。その為に顔を怪訝なものにさせるが、そこでシロから説明が入る。


『リン。メイドってのは主の世話をする人達の事だ。ここでの主は、おまえの正面に座っている小娘の事だな。メイドとは主に忠誠を誓っている存在だ。だから主の前で、座っているなどという事は許されないんだ。分かったか? それと俺が話してるからって、顔をこっちに向けなくていいぞ? 相手に不審がられるだろうが。それとも、リンは俺の顔を見たかったのか?』

『へーそうなんだ。そんな人もいるんだなぁ』


 シロに言われた通り、相手からは隣の席を凝視しているように見えたと思って、正面を向きながら言った。シロより年上に見えるルビナを小娘呼ばわりしたり、いつもの軽口は無視した。


 頭の中ではシロと、口では目の前の相手と、リンは結構、忙しかった。


「……。ああ、てことは。ルビナ、さん? は結構、お金持ちなんだな」


 隣の席に暫く顔を向けていたリンを、ルビナは少し不思議に思っていた。


(そこに何かあるのかしら? でもシオンからの合図はないし、考え事でもしていたのでしょうね)


 まさかリンの隣に見えない存在が座っているとは思いもせずに、大した事ではなかったと思って話しを続けるルビナ。


「まあ、それなりにはね? 私は商売をしていてね。ここに貴方を呼んだのも、その一環なのよ。それと、ルビナでいいわ。私はただのルビナだもの」

「そ、そうか。わかった、ルビナ。俺も、リンって呼んでくれ」

『いきなり名前呼びなんて大胆だなぁ。リン大丈夫? 赤くなっちゃわない?』


 口で喋ってる途中だというのに、リンの状態にもお構いなしで揶揄い掛けた。その事で、言いながらも表情を変えないように努めるしかなかった。


(頭がおかしくなりそうだ! もうちょっと、いい加減に静かにならないのか!?)


 まるで言葉のシャワーを浴びせ掛けられ、リンは頭を抱えそうになる。


「リン様。こちらをどうぞ」


 そんなリンはいつの間にか近付いていたシオンから声を掛けられ、メニュー表を渡されようとしていた。


 このままではメニュー表やシオンの手は、隣に座っているシロの体を貫通する事となる。だが次の瞬間には、シロがテーブルの上に腰掛けていた。


「どうも、ありがとう」


 突然の事態に動揺しながらもメニュー表を受け取り、複雑な顔でテーブルの上に置いた。


『リン。おまえ文字が読めないだろ、俺が変わりに注文してやる。そうだなぁ。この、毎日美味しい新鮮野菜サンドウィッチ。とやらがよさそうだ。それと飲み物は、まぁー適当に冷たい紅茶にしておけ』


 それだけ言うと、瞬きの間にさっきまでと変わらない様子で椅子に座っていた。だがまずは注文だ。リンが言われた通りに読み上げると、今度はテレパシーで意味が分からない行動に説明を求めた。


『なんでテーブルの上に? どうせシロには触れないんだろ?』


 シロは嫌そうに眉を寄せて、


『おまえ……。俺が誰かの体を貫通してても、気分が悪くなったりしないか? 想像してみろよ。もしおまえが気持ち悪くならなくても、俺が気持ち悪い。だからいちいち他人の体を避けるんだ。分かったか?』


 シロの頭からシオンの腕が貫通する寸前だった。それが起こっていたらと想像すると、少し気分が悪くなってきた。


『助かったよシロ。これから飯を食うってのに、そんなのはごめんだ』

『なぁーそうだろぉー? リンが分かってくれて、俺は凄く嬉しいよ』


 そんな事をテレパシーで話していると、注文したサンドウィッチと紅茶が届く。ルビナはコーヒーを頼んでいたようだ。


「さあ、私の奢りよ。腹が減ってはなんとやら、まずは空腹を満たしてちょうだい」

「ありがとう。貰うよ」


 まともな食事というものは、リンには存在しなかった。


 だからこの普通のサンドウィッチは御馳走と呼ぶべきものだった。飲み物の紅茶も、配給で配られる雨水同然の味ではなく、スッキリとしていくらでも飲めそうだった。大満足の食事に表情を一瞬だけ緩めると、自分は痕跡を売りに来たんだと思い出して顔を元に戻す。


「ごちそうさま。サンドウィッチ旨かったよ。俺だけ、なんか悪いな」


 それはシロに向けた言葉でもあった。


『気にするな。うまかったならよかったよ』

「気にしないで。それじゃあ、取引に移りましょうか?」


 しかしルビナにそう言われても、リンには今持っている自分の痕跡がどの程度の価値で、どれだけの値段で売れるか見当もつかない。そこで、シロからアドバイスを受ける。


『おいリン。ポーション類は売るなよ? これからの訓練と実戦で必要になるからな。それと服だ、そいつも売るな。だから大体、200万ってところだな』

『200って……? しかも万? マジかよ』


 軽く言われると、リンは固まってしまった。


 スラム街でクズ鉄を集め回っての稼ぎが、何日分でどれくらい必要になるのか、それが200万などになるのだろうか。そう考えてしまったのだ。探索者とは、自分の常識が通用しないらしい。


『おいおい頼むぞー。これからおまえの装備を買うのに必要な金と、暫くの生活に必要な金だ。今持ってるだけの痕跡で稼がないとめんどくさいだろ?』

『ああ……。それで売れるんだな? 吹っ掛けたと思われないだろうな?』

『俺は優しいんだ。もう知ってると思ってたけど?』


 200万。必要だと言われた額を稼ぐ為にリンが考えを巡らせる。


 先程から黙ってしまっているリンに、ルビナが不敵な笑みを浮かべて声を掛ける。


「どうしたの? もしかして、怖気付いたとか?」

「少し考え事をしていたんだ。大事な交渉なんだ、当然だろ? でも、もう終わったよ」

「素晴らしいわね。是非とも披露して頂きたいわ」

「すこし、テーブルの上を散らかすぞ」


 リンがそう言うと、椅子の下に置いていたアイテムバックを取り出して、中の物を全てテーブルに広げた。


 その中から、色も形も同じバックが出てきた。


(アイテムバックがふたつもねぇ……。一体どんな危険を犯してきたのやら)


 ルビナが内心の動揺を一切隠して、普通の態度で尋ねる。


「それもアイテムバックなの? 随分と貯め込んでるのね」

「ああ。でも悪いけど、こっちは自分用だ。……ほら、このバックひとつ200万。中には痕跡もオマケしといてやる。それでどうだ?」


 リンは取り出したポーション類や服を自分用のバックに詰め込んで、残りの物は全て売りに出す方に詰めて答えた。


「随分と良心的なのね、お金が欲しくないの? それとも、曰くつきの品だったりとか?」

「そういうんじゃない……。これは、ちゃんとエリアで取ってきたもんだ。俺はただ、運が良かっただけだ」

「……、そう。異存ないわ。それで取引成立。いいかしら?」


 ルビナは立ち上がり、笑顔で手を差し出す。だが、リンは躊躇った。


「握手するのか? 俺なんかとするなよ。手、汚いぞ?」

「っふふ。関係ないわ、いい取引だったもの。さあ、手を出してさっさと繋ぐ」


 ルビナの言葉にリンも椅子から立ち上がり、握手をする為に手を伸ばした。


「じゃあ、――これで取引成立だな」

「ええ、取引成立ね。お金は……。現金でいいかしら?」


 その時、自分は相手の顔すら、今の今まで見ていなかったのだ。そう思ってしまう程に、ルビナの笑顔はよく映った。


 手を離して少し。また音も立てずに、シオンが隣に立っていた。


「リン様。こちらをご確認ください」


 紙幣、その数200枚。あまりのことに目を回してしまい、そのまま倒れてもおかしくはなかった。自分がどう受け取ってどうバックに仕舞ったのかも思い出せないままに、どっと椅子に座り込む。


「強烈だったようね? でもリン。そんな額で満足する貴方ではないと、私は思っているわ。これからの成長に、期待させてもらうわね?」

「そうだな。期待しててくれ、俺は必ず強くなる」

「……そうね。私の方にも期待しておいて貰えるかしら。お互い、頑張りましょう?」


 そう言ったときのルビナの顔は、まるで自分を見ているかのようだった。


 見つめているとリンの世界が端から消えていき、ルビナだけを映し出した。赤い瞳はまるで燃え上がるかのように鋭く光っており、表情は険しい。


 理由はなんだっていい。誰もが力を求める。ルビナは自分とは違い、商売人として成り上がるのだと思った。

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