6話 異常者

「よお、いい朝だぜ全く。そうは思わないか? まるで俺達を祝福してるかのようだ」


 男は両手を大仰に広げながら自らの相棒に言う。


「全くだぜ。今日はすっげー予感がすんだよな」


 それに応えるように相棒である男が言った。


「お前もか? やっぱり気が合うなー俺達はよ」


男は両手を広げたままに窓へと近づき、一気に部屋のカーテンを開ける。すると、自分達の勘は今日も冴え渡っていると感じ取った。


「やっぱりな。こんな日はガッポリと稼ぐに限るぜ。ととっ、いけね。そろそろ行かねえと姐さんに大目玉だ」

「ああ……。姐さんを怒らせたくねえ、遅れねえようにとっとと準備すんぞ」


 ある少女の事を思って、男ふたりの声が重なる。


「――痺れるのはもうごめんだぜ。全くよ」


 男達の朝は早かった。


 ふたりは探索者であり、今日はエリアに行くと、自分達が慕う存在である師匠が決めたからだ。天気は快晴。太陽は盛大に輝き、無限に広がる青いキャンパスに負けないだけの存在感を放っている。


 ふたりは窓から見える光景に、絶好調の気配を感じ取っていた。


 だがそれも、探索者の正装である防護服に身を包み、対モンスター銃を背負い宿から出て雑談しながら歩いていた、シクスとセセンがスラム街を通り、それを見るまでである。


 ふたりの前から、薄気味の悪い子供が歩いて来たのだ。


 その子供はぶつぶつと独り言を口にしているのかと思えば、次は壁に向けて話しだしていた。なんとも気味が悪い子供の恰好はスラム街の出身そのものだが、背負っているバックだけは高級そうに見えた。


 そのアンバランスさと精神がイカれた異常者のような行動、はたまた薬物中毒者然としたその様子は、ふたりを震え上がらせるのに十分な効果を持っていた。


 普通ならスラムでこんな子供を見ても、哀れだと思うか、そもそも気にも留めないか、異常者が持っている良さげなバックを奪うかだが、ふたりは違った。


 シクスとセセンも、探索者として活動する前まではスラム街の住人だった。ふたりで成り上がろうと、無謀にもエリアに挑んだ。すぐにモンスターの返り討ちに遭い死ぬ寸前だった。


 どれだけ走っても追いかけて迫るモンスターに泣き叫び、許しを請い、祈り続けた。


 それが功を奏したのか、ふたりは死ぬこと無く、謎の少女によってモンスターから助け出された。今では姐さんと慕っているその少女は、ふたりの師匠でもあった。


 あの時、助けが無ければ死んでいた。もし死んでいなくても、命からがらモンスターから逃げ延び、都市まで生還できたとして、それまでのように暮らせただろうか。そこまでを、ふたりは同時に考えた。すぐさま違うと、ふたりの勘がまた同時に告げる。


 死への恐怖は想像を絶するもので、とても受け入れられたものではなかった。


 シクスとセセンは、あったかもしれない自分の姿を、その子供を通して見てしまったのだ。ボロボロの服を着てスラムを徘徊し、目は虚ろで、ぶつぶつと独り言を口にしては、今度は壁に話しかけるという自分の姿を。


 それはあまりにリアルで、息を飲んでしまう光景だった。


 これから命懸けでエリアに行くというのに、こんなものを見てしまえば意気が落ちる。今日は探索を中止にしてもいいくらいだ。だが、そんな事は姐さんは許さないだろうと思うと、震える体を黙らせる為にシクスは口を開く。


「……嫌なものを見ちまったな。ああなっちまわないよう、気を付けようぜ、お互い」

「だな。……いけね!? マジに遅れちまうぜ! 走んぞ!」


 暫くの間、無意識のうちに足が止まっていることにようやく気が付いた。先程までの陰鬱とした空気を吹き飛ばすかのように、ふたりが勢い良く駆けだす。


 探索者として、成り上がる為に。





 リンはアイテムバックに入っている痕跡を売却する為に、狭い路地から抜け出した。


 スラム街とほぼ隣接した、下位商業区画の探索者ギルド支店に向かっているリンは、また姿が消え、頭に声を響かせてくるシロに話し掛ける。立ち止まって、視線や首を右往左往させながらである。


「なあシロ、見えないと話し掛け辛い。やっぱり姿は見せてくれないか?」

『なんだぁ? 寂しがりやなんだなリンは。それとも、俺の可愛い姿を見ないと気が済まないとか?』

「なんでそうなる? 大体お前は俺の妄想でしかないんだから、言う通りにしろよ」


 リンは自分の妄想にいつまでも侮られる訳にはいかないと言葉を強める。


 すると、なぜだか段々と気分が悪くなってきた。


 ――お前は俺の妄想だ。


 そう言われてしまえば、いくら最強の魔法使いであると自覚しているシロでも、莫大な情報量を持つ巨大な魂を持ちその一辺までをも輝かせるシロでも、


「うりゃぁああ! ――俺が貴様の妄想だと!? 全く舐めたガキだ! どうだその痛みが妄想かッ!? なんとか言ってみろ!」


 このガキにはお仕置きが必要だった。


 リンから少し離れた正面に実体化すると、シロは声を上げて急襲した。本来なら一瞬で詰めることが出来るが、手加減してリンの元まで走る。そして完璧なフォームで、拳を突き上げるようにしてボディーブローを放った。


 リンを殺してしまわないように直前で止まって助走の威力を乗せず、拳を当てた時も、寸止めして押し上げるに留めた。だが、それでもリンは素人だ。それもただの素人でなく、スラム街の孤児であり、まだ子供である。


 とくに栄養状態は悪く、未発達の体にはそれだけでもダメージとなった。


 突然の事態に理解が追いついていなかったリンは、何がなにやら分からないままに、視点がぐるりと回り飛んで地に伏せた。腹を殴られた事を理解すると同時に、鈍い痛みに襲われる。


「かはッ! うぅんッ! げほッ! クソッ……! 何しやがる……ッ!!」


 リンは突然のダメージにより、シロが本当に現実の存在であると分かった。もしこれまで自分の妄想ならば、他人から見た光景があまりに悲惨であると思ったからだ。


 突然自分の腹を殴り、後ろに一回転して地に伏せる者。それは異常者だ。だからシロを自分の妄想扱いしたのは不味かったと思って、少し申し訳ない気持ちになる。それと同時に、よかったと思った心は、痛みにかき消された。


 当然それとこれとは話が別だ。リンは起き上がり、シロへと向けて突撃する。


「やられっぱなしで終われるか! ボコボコにしてやる!!」


 起き上がったリンが生意気にもそう言うので、手加減しすぎたかと思った。よって今度は、少しばかり力を入れてみることにした。


「そうだ! 立ち上がって、お前も俺を殴って確認してみろ! これが! この痛みがお前の妄想か!?」


 突撃してきたリンの足を引っ掛けると、その上から背中に拳骨を落とした。体を地面に激突させたリンは、肺の中に溜めこんだ空気を吐き出させた。負けじと、不規則な呼吸で恨み言を口にする。


「――うへッ!! 俺が殴って……確認するんじゃ…………。なかったのかよ……」

「ふんっ、もう一度だ。おまえは頑固みたいだからな。――リン。俺は悲しいぞ」


 二度やられても生意気を言うリンに呆れた顔になる。ならば仕方ないと思い、うつ伏せになっているリンを飛び越えるように背中目掛けて座り込むと、そのまま足を組んだ。また空気が漏れたような声がしたが、気にする様子もなく話を続ける。


「何が悲しいか分かるか? あの時、俺達は全身全霊で誓約を交わした。その筈だったのは、まさか俺だけだったのか? 自分の妄想だったからと言って逃げるつもりか? それとも本当に、現実感が無かったから自分の妄想だったと言ったのか? 確かに、現代の人間には異常な光景だっただろう。それが妄想に置き換わるのも、無理なかったのかもしれない。さあリン、答えてみろ」

「……ごめん。あの時の事に、現実感が無かったんだ……。シロの姿も消えちゃって、なのに頭から声は響くし……。訳が分かんなくて………。でも、もう大丈夫。本当に居てくれたんだな。シロ、俺はあの時の事を、嘘にはしないよ。――俺は逃げもしない」


 リンは決意を新たに、シロと誓約を交わした時の事を思い出していく。あの時に誓ったことは嘘にはしない。そう心から強く思う。


「ならばいい。すまなかったなリンよ。ボコボコにして。なに不思議そうな顔をしてるんだ? 言っただろ、連れていくって」


 喧嘩は終わり。シロは立ち上がり、寝たままのリンに微笑み掛けてから手を差し伸べた。手を借りて立ち上がったリンは触れた手に気恥ずかしくなってしまい、それを振り払うかのように言い訳をする。


「でも仕方ないだろ? だってシロ、帰る場所が無いとか、今あるとしたらここだけだ。とかなんとか頭の中で言うもんだからさ」


 確かに誤解を招く発言だったのかもしれない。シロはそう思ったが、あの場では仕方が無かったということにする。


「ばか。俺にあんなところで話せって言うのか? その為に今日痕跡を売って、できた金で宿を取る、そういう話だったろ。そこで飽きるまで俺の話を聞かせてやる。全部、その時だ。いいな?」


 リンはそういう話をした覚えがなかったが、目的が追加されただけだと特には気にしなかった。


「分かった。その時に話を聞かせてもらうよ。今はとにかく買取所に行こう」

『じゃあ改めて、出発だ! いけ! リンよ!』


 今まで通り頭の中から声がするのは変わらないが、その姿は、リンのすぐ傍にあった。


『どうだ。これでご所望通りだろ? おまえは寂しがりやだからな。俺が傍にいないとダメらしい』

「うるせえ! 後で消えたり現れたりする事も、絶対教えてもらうからな!」

『全部話すって言っただろーー。それと、大切な事を言うからよく聞け! 今の俺はおまえにしか見えてないし、声も聞こえてないからな?』


 突拍子もない言葉によって、リンは理解不能に陥った。


「は、なに? どういうことだ?」

『つまりだ。お前は他人から見て、壁に向かって話しかけてるように見えてるってことだよ。どっから! どう見ても! 異常者だ! よかったな? 異常者同士、お仲間になれて』


 シロの目から見てもかなりの送受信帯や受容体、なんといっても魂を持つリンは異常の塊だった。リンが魔法を行使すれば、それら器官は更に成長する。普通では無いのなら、何か理由が存在する筈である。


 それはリンの才能によるものか、もしくは自分が知っている存在によるものか。


(こんなことをする奴はひとりしか思い浮かばん。やっぱりおかしいなとは思っていたが。だがどういうつもりだ? まあ今はいいか。贈り物、確かに受け取ったぞ。ならば必ず! お前にも死をくれてやる! ああ、つい癖で。ていうか、あいつってちゃんと死ぬの?)


 シロが何だかよく分からない誓を胸にしていると、傍ではリンが驚愕の表情で立ち尽くしていた。


 ようやく口から言葉がでたのか、声は裏返っていた。


「なんてこった。もしかして、今までもそうだったのか!?」

『今まで俺の姿が見えない時は、そうだったな。なんだ。リンはそういうの、気にしない奴だと思ってたぞ?』

「気にするに決まってる……! ああ! 今も俺は、他人から見たら壁に話しかけてるのか!」

『強者はいちいち他人など気にはしない! リン。おまえも強くなりたいなら、そういうとこから初めてみたら?』


 シロはかつてのライバル。いや、親友が言った言葉をそのまま送ると、あいつは今どうしてるのかなと想像した。間違い無く自分に次ぐ実力者である、あの魔法使いは今どこに転生して、また世界を駆け回っているのかと。


(あいつの性格だと敵になりかねないからな……。要警戒っと)


 シロにそう言われても、他人の目を引くのは嫌だった。だって、そいつが良い奴って保障はないから。リンがスラム街での経験から歪んだ判断を下すと、シロの言葉に反応しないように努めた。


(これじゃあ俺は言われ放題だ。でもどうすればいいんだ? 俺もシロの頭に声を響かせられれば……。まて、もしかしてこれが魔法なのか? シロは俺にも魔法が使えると言っていた。そう、覚醒者だ。なら俺も! シロ! 聞け! ――これでどうだ!!)


 聞こえてくる弟子の声に成長を嬉しく思ったが、何度も大声で叫ばれてはたまらないと、リンに止めるように言った。


『ああもう……! 聞こえてるよ! たくっ、すぐにコツを掴んだな。可愛げのない弟子だ』


 リンが何度もシロに頭の中で話しかけてみると、本当に反応が返ってきた。よくは分からないが、成功だと顔を綻ばせる。


『これが、魔法なのか? なんだか不思議な感じだな。口を動かしてないのにさ』

『ああ、これがテレパシーってやつだな。送受信帯を介して、音ではなく、心を通わせるんだ。今の俺はおまえと誓約関係にある。とうぜん、魂の結びつきは密接なものとなっている。だから簡単にテレパシーができるんだ』


 極稀にある珍しい、まともな解説を聞き流し、リンは別の事を考えていた。


『ふーん、よく分からないけど便利そうだ。これで変に目立たなくて済むし』


 他人と言葉ではなく、テレパシーなるものによって会話を成立させる。そんな者は異常者だ。ということは、リンの方で棚に上げておいた。なに、目立たなければいいのだと。


 適当そうに返事をされた為、リンを揶揄いにいく。


『残念だよリン。俺とお仲間はイヤなの?』

『あ、いやそういう訳じゃ、ないけど……。ああもう! 俺はシロといられて嬉しいよ! これでいいか!?』


 リンは自分を困らせてくるシロに、ヤケクソ気味に怒鳴り散らした。


『うん、俺もいいぞ。なに、誓約を交わした者同士だ。自然な感情だよ』

『そういうことなのか? まあいいや……。とにかく、無駄話はおしまいにしよう。だいぶ時間を使っちまった。余裕はあるだろうが、何があるか分からないからな』


 そう言ったリンに、シロが悲しそうな表情を向ける。


『リン。俺とおまえの時間に、無駄話など無い。そうじゃないのか? どうしてそう悲しい事を言うんだ……』

『これがそうだよ』


 それだけ言うとリンは駆けていく。久々の会話というのは新鮮で、楽しかった。しかも相手が、自分を認めてくれた者なのだ。それだけに、駆け出すのには勇気が必要だった。だがいつまでもこうしてはいられないと、止まっている足を動かした。





 ここはノライラ都市の探索者ギルド支店である。


 探索者ギルドは、運営当初の理念によって志願者の出自を選ばない。スラム街の住人であり、それがまだ子供でもだ。入会金の1万ロッドを支払い初回講習を受ければ、誰でも探索者を名乗ることが出来る。


 力を求める者達の味方であり、探索者とはこの世界での一般的な成り上がり方であった。


 スラム街の住人でも立ち入ることが出来るように、この支店は都市の下位商業区画に建てられている。そんな立地上、駆けだしの探索者や熟練者が区別も無く集まっている。


 カフェも併設されており、物珍しさに釣られた一般人が軽食を取るスペースも確保されている。もちろん探索者達も利用可能で、今日も大いに賑わっている。


 そんな中またひとり、新たな者がギルドに訪れる。ドアベルがカランと鳴り、子供が姿を現した。


 スラム街の住人かと思われるボロボロの服を着ているが、背負っているのは、見る者が見ればアイテムバックであると分かる。なぜそんな不釣り合いな恰好をしているのか分からないが、これは商機だと、二階の吹き抜けから見える一階の子供に目を付けた者がいた。


「あの子供は……。面白くなってくれるといいわね。できれば話しをしてみたいわ」

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