第8話


「なんで……此箕このみがここにいるの……?」


「……?なんでって、私の家、この近くだから。塾の帰りなんだけど、たまたま人影を見つけて、見覚えがあったから声かけてみたんだ。……って、どうしたのその手!?」


「えっ……ああ、これ?」


 私は石で打った左手をひらひらと振る。もう出血は止まっていたが、痛みは続いていた。けどこんなの、心の痛みに比べたらマシだ。


「ちょ、ちょっと見せて!」


「ええっ……」


「酷い傷……、もしかして骨も折れてるんじゃ……!何かっ、絆創膏とか……」


「触んないでよ」


 手を持つ彼女を、私は邪険に振り払った。その行動は予想がつかなかったのか、此箕このみは驚いた表情を浮かべる。


「な、なんで……あっ、もしかして触れると痛む?だったらごめん!でも、取り敢えず傷口を綺麗にしなきゃ……」


「そんなこといいから。私に触れないで」


「えっ……」


 今度こそ、彼女の動きが止まる。此箕このみの顔には、「?」そのもののように見えた。


「ごめん……。私、何かした?」


「何もしてない。だからこそ、私に関わってほしくない。……あんたみたいな人間」


「わたし、みたいな、にんげん……?」


 何を言われているのかさっぱり分からない。おそらくそう考えているだろう彼女に、私は同情する。


 そりゃあそうだ。人助けのつもりで声をかけたら、感謝どころか拒まれて、その上自身を貶されたのだから。


 つくづく、自分はなんだと思った。駄目な人間なんだ、と。だからといって、態度を改めようとは思わないけど。


「あんたはいいよね、頭良いし。きっとすごく愛されるでしょ?」


「な、何言ってるの……?」


「私なんてさ、努力してるつもりなのに全く結果が出せない……そういう人間だったんだろうね」


 こんなの、ただの八つ当たりだ。


「私が馬鹿だったんだけどさ。狭い世界しか見てなくて、自分が一番になった気になって。大きい世界に出たら、そんな考えが潰された」


「……」


「頑張ったけど、悪い成績しか返ってこなかった。だから、お母さんを怒らせて、自分も可笑しくなって」


「……」


「全部ぜーんぶ私が悪いんだ。私がこんな人間だからさ」


 自分に嫌気がさして、いつの間にか口元が歪んでいた。今、鏡を見れば、きっと私はひどく醜い表情をしているんだろうな。


「あんたはいいよね」


「えっ……」


 私は此箕このみを見つめた。彼女はとても困惑していた。自慢とか恥ずかしさとかの困り顔じゃなくて、本物の。


 彼女はきっと、腹黒さとか穢れた心とかが無いんだろうな。純粋に頭が良くて、純粋な感情を持つ、まさにだ。


「頭が良くて、なのに自慢とか人を不快にさせることはなくて。人間の模範だよ。私なんて、努力したって無駄なものがあったのに。あんたは恵まれてるんだなぁ」


 本心だった。本気で、彼女は生まれつきそういった人間に育ったんだと思っていた。


「ふざけないで」


 だから、その低く怒りがこもった声が聞こえた瞬間、身震いした。


「私が恵まれてる?馬鹿なこと言わないで」


 此箕このみは見たことないほどの怒りと闇を携えた表情で私を睨んでいた。眼鏡の奥の眼光は鋭く、私を突き刺してしまいそう。


 彼女が怒っているなんて、誰から見ても理解できる。


優梨すぐりちゃんはさ、私が特別だとでも思ってるの?」


「え、うん……。だって、そうじゃなきゃあんな点数……」


「勉強したからに決まってるでしょ。何もしなくても頭のいい人間なんていないんだから」


「けど、努力したって無理なものは無理じゃん。だから、そういうのは生まれつき何かあるのかなって……」


「だったら私はあの学校にいないから」


 此箕このみはハッキリとそう告げた。

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