第6話


 気がつけば、家の前にいた。


 学校が終わってから、どうやって帰ったのか、どの道を通ったのか、全く記憶にない。


「まぁ、どうでもいいや……」


 視界がぼんやりとしている。頭上に広がる茜も、紅に色づいた雲も、自分の家も、全てが歪んでいるように見えた。


 何も考えず、ただ歩く。扉に手を伸ばして、引いて、中に入って、靴を脱ぐ。手洗いもせず、リビングに直行した。


 荷物置いたら早速勉強しなきゃいけないなぁ。今日は何をしよう。


「ん、誰か来たのかしら?」


 ああ、宿題出されてるんだっけ。面倒くさいなぁ。


「あら、優梨すぐり、帰ってきてたの?だったらただいまぐらい言ってよ」


 本当のことを言うと、今は勉強する気分じゃない。けど、やらないと怒られるしなぁ、どうしよう。


「……ちょっと優梨すぐり、聞いてるの?」


 そもそも勉強なんてものがあるからいけないんだ。宿題なんて出すからダメなんだ。


優梨すぐり!あんた聞いてんの!?」


 面倒くさい面倒くさい。もう、何もかもにやる気が出ないや。


「返事しなさいってば!?」


 腕に強い痛みが走る。親に掴まれた、と気づくのに、そう時間は掛からなかった。が、私は反射的にその手を払う。


「痛っ!」


 お母さんが叫ぶのと、私の頬に平手打ちが飛んでくるのは同時だった。


「全く、お母さん何度あなたに声をかけたと思ってるの!?親に向かってその態度はなんなの!?」


「その態度って……?」


「ただいまも言わず、返事もせず、親の言うこと無視して!」


「はぁ?別に何だっていいじゃん」


 無意識にそう口にしてから、はっと我に帰る。恐る恐る顔を上げると、目の前のお母さんの顔が、わなわなと怒りに歪み始めていた。


 私は一体、何てことを言ってしまったんだろう。これじゃあ、ただの反抗期の悪い子だ。親に迷惑をかける、いけない子。


 やってしまったという後悔が込み上げてくる。


 しかし、だ。その裏腹に、なぜか心の底ではスッキリとしていた。詰まっていたものがするりと流れていったような感覚。


 後悔に支配されるよりも、その穏やかさに浸る方が遥かに早かったのは言うまでもない。


「ただいまを言わなきゃいけないなんていつ決めたの?返事しなきゃいけないなんて義務あるの?」


 もう、どうにでもなればいい。


「私を見てよ!そういう雰囲気じゃないって悟ってよ!」


「なっ、何言ってんのあんたは!?」


 まるでわたしが全て悪いように、お母さんはさらに顔を赤くした。

 

「あんたの気分なんて持ち込むんじゃないの!」


「なんで!?誰だって落ち込むことはあるじゃん!何もしたくないことだってあるじゃん!そんな気分を持ち込んだってしょうがないでしょ!?」


「ああもう!あんたはいつからそういう子になったの!?どうして親に楯突くようになったの!?」


「分かんないよ!」


 こんなにもお母さんと言い争ったのは初めてだった。だからこそ、お母さんは本気で頭を抱えた。


「ああなんで!?……そう、テストの結果が悪かったのね!?」


「……っ!!」


「ああほらやっぱり。だからよ!あんたがいい点数取れば、あんただってこんな風にならなかったのに!?お母さんもこんな思いしなくて済んだのに!?」


「そんなの……っ!」


 そんなの、わたしが一番よく理解してるよ。


 じわりと涙が滲んでくる。体の中心から氷が張っていくような感覚に襲われる。


 血走った瞳がわたしを睨みつける。もうそこには、お母さんと呼べる存在はいないに等しかった。


「あんたは、こんな子じゃなかった……。こんなあんたなら、もういらない!」


「……っ!こっちこそ、こんな親と一緒に居たくないよっ!」


 売り言葉に買い言葉というのは、まさにこういうことを言うんだろう。わたしは荷物を放り投げて家を飛び出した。

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