ひつじぐものリリィ

立坂 雪花

***

 ――おねえちゃんの好きなところは永遠に語れる。


 まずは喜びの言葉を言う時、棒読みなところ。怒る時、心がこもっていなくて目が死んでいるところ。哀しくても、絶対に涙を見せないところ。あとは、楽しいシーンだろうと思われるのに、心から笑っていないくすんだ笑顔。それらは、私以外の誰かにおねえちゃんが出している喜怒哀楽。誰も違和感には気がついてはいない。

 

 私にだけ、本当の感情を見せてくれるの。そんなところが好き。感情込めて喜んでくれるし、怒る時の目が生きている。それに、涙を見せてくれるし、めちゃくちゃ可愛い表情でいっぱい笑ってくれる! 


 うん、まだまだ語れる! あとはね……。


***


 出会ってすぐに、二歳年上のおねえちゃんの事が好きになった。


 それは恋としてなのか。恋としてだとしても、少しも罪悪感とか、そんなものなんてなかった。ただ恋をした相手が、おねえちゃんだったってだけ。でも、もしかしたら姉妹として好きなのかもしれないし。どっちなのかは分からない。


 初めて会ったのは私が十歳の時。今から五年前。雪が降り始めた季節だった。私のお父さんと、おねえちゃんのお母さんが再婚して、おねえちゃんの住んでいる家に住むことになった。

 初対面のおねえちゃんが私の事を見る時、明らかに私の事を歓迎していない目をしていた。

 まるで「なんでこんな事になってるの? こんな子と姉妹になるの?」とでも言うように、こっちをじっと見ていた。そんな表情のまま二階にある、これから私の部屋になる場所を案内してくれた。おねえちゃんの部屋の隣。


 一緒に住んでからは優しくしてくれた。優しいふりだけど。おねえちゃんは誰に対しても仮面をはずすことはなかった。完璧で、何でもこなすし。美人だし、憧れた。ずっとおねえちゃんの事を見ていたかった。一番側にいることを感じていたかった。


 やがてずっと一緒に暮らしていると、おねえちゃんは私にだけ心を許すようになって、私にだけ教えてくれる秘密事も増えていった。どんな感情も、私にだけ仮面をつけずに見せてくれるようになった。


――私はおねえちゃんが側にいてくれればいい。


 そう思っていた。それなのに……。



***


 そろそろ雪が降り始めるかな?って季節の時。

 夜、部屋で宿題をしていると隣から笑い声が聞こえた。その声は毎日、決まった時間に聞こえるようになった。電話をしている。相手は、おねえちゃんの、恋人……。なんて楽しそうなの。


 ――私にだけ奏でてくれていた声なのに。


 イラッとした。壊してやりたいと思った。私以外の相手にその声を奏でているのが嫌で、私は隣と繋がっている壁をグーで思い切り殴った。私の手は痛かった。凄く大きな音が響いたのと共に、おねえちゃんのその声はすぐに止んだ。

 そして次の日の朝、おねえちゃんに

「電話の声、うるさい」

って氷みたいな声で言っちゃった。


 その日からおねえちゃんの帰りが遅くなった。多分彼と過ごしている。今どんな事を話しているのだろうかとか、恋人同士がするような事をやっているのかな?とか、ひとつひとつの事が気になった。

 おねえちゃんがいない隙を狙って、少し罪悪感があったけれど、おねえちゃんの部屋に入って、部屋をあさってしまった。

 机の引き出しをあけると、見た事のないアクセサリーや、恋人から貰ったっぽい手紙の束があった。


――私の知らない、おねえちゃんの世界。


 何ともいえない怒りの感情が溢れ出して、ひとつひとつ読んで、手紙をぐちゃぐちゃにした。アクセサリーを床に落として私は自分の部屋に戻った。最低なことをしてしまった。


 しばらくすると、おねえちゃんが帰ってきた音が聞こえた。部屋に入っていく音も。


 ――怒られるかな?


 怒られる事はなかった。いつも通りに話しかけてくれた。けれども、私に本当の感情を見せてくれる事はなくなり、ふたりの間は、ぎこちなくなった。


 きっと、おねえちゃんは恋人の事で頭いっぱいになって、私の事がおねえちゃんの頭の中から、消えてゆくんだね。そう考えると、怖くなった。全身がふらっとした。



***


 雪が降ってきた。おねえちゃんとは相変わらずだ。距離が開いたまま。いつものように夜、部屋で宿題をしているとトントンと、部屋のノック音がした。リズムで分かる。おねえちゃんだ。おねえちゃんから私に何かリアクションをしてくれる時はいつも心がはずんでいた。今も。


「はーい。どうぞ!」


 私は椅子に腰掛けたまま言った。


「ねぇ、雪降ってきたよ! ちょっとお外に出てみない?」


 白いコートをすでに着ていたおねえちゃんに誘われた。


「うん」


 私は迷わず、すぐに答えた。


 私も空色のコートを着て、外に出た。


 街灯に照らされながら降る雪は、ふわふわと輝いている。まだ気温が高めだから地面に落ちた雪はすぐにいなくなる。


 ふたりでしばらくそれを眺めていた。


「あのね、最近寂しいんだ」

 おねえちゃんが沈黙を破る。

「えっ?」

「大好きな子と、距離があってね…前みたいに戻りたい……」

 おねえちゃんがじっと目を合わせてきた。久しぶりにおねえちゃんと、きちんと目を合わす。


 ――あっ、私とおんなじ気持ちだ。


 おねえちゃんは、仮面をはずした表情で、今にも泣きそうな顔でこっちを見ていた。

 多分、私もおんなじ顔をしている。


「あの時は、おねえちゃんの部屋の、大切なもの、ぐちゃぐちゃにして……ごめんなさい! おねえちゃんの心が私から離れて、恋人の方に行ってしまうのが嫌で……」


「ううん。いいの。多分逆の立場でも似たような事、私がしていたかも」


 多分逆の立場になっても、おねえちゃんなら私がやったそんな最低な事はしないと思う。気を使って言ってくれた言葉。やっぱりおねえちゃんは完璧だ。憧れる。


「私達が出会った日も、ちょうどこんな雪が降っていた時だったよね」


 ――おねえちゃん、そんな事まで覚えていてくれたんだ。


「あ、あのね、彼とはね……ううん。何でもない。そろそろ家に入ろっか」


 おねえちゃんの言葉の続きが気になったけれど、聞けなかった。


 玄関に入るとコートの雪を払いながら私は言った。


「ねぇ、今日おねえちゃんと一緒に寝ていい?」


「いいよ!」


 ――きっとおねえちゃんの一番近くにいる人は私じゃないのだと思うけれど、しばらくこのままでいたい。


 けっして心はひとつになる事はないけれど、今だけは、ただ一番近くにいたい。


 お母さんの事を思い出して、寂しくなった時は、いつもおねえちゃんがその気持ちに気がついてくれて、一緒に寝ようって誘ってくれたっけ。


 家の中がさっきよりも暖かく感じた。

 

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