誘拐少女と探偵 - 13

 昼過ぎになると男が持ってきた湯を入れた桶とハンドタオルで体を拭いた。以前、月乃ちゃんの汚れや匂いを見かねて男に掛け合ってみたのだが、すんなりと許可が下りたのだ。タイミングは昼が多いが、日中に男が外出している日は夜に行われることもあった。


 しかしシャワーの利用は認められていない。ここでの生活は想像していたよりもずっと快適ではあるが、それでもこの部屋から出ることは絶対に禁じられていた。


 身体を拭くだけでは満足とはいかないが、それでも何もしないよりはずっとよかった。月乃ちゃんの身体もずいぶんきれいになってきている。遊ぶときに伸びた髪の毛を邪魔そうに払う姿をよく見るので、手元にあった輪ゴムで後ろ髪を括りポニーテールにしてあげた。無造作に下げられているときに比べ可愛さが何倍にも膨れ上がったように見える。


 身体を洗い終えると、月乃ちゃんは僕の太ももを枕代わりに昼寝をする。無防備なその様子は僕への信頼の証な気がして、こそばゆい気持ちになる。


 月乃ちゃんが寝ることでやることがなくなった僕は毛布の下から雑誌を取り出す。それは男のいない隙をついて何度か様子を見に来てくれた紅坂さんが、暇だろうからと持ってきてくれたもので、クロスワードがいくつも載っている。


 男は食料を持ってくるときと、身体を洗うための桶とタオルを持ってくるとき以外この部屋には入ってこない。荷物検査もないため、男の留守を狙ってやって来る紅坂さんの差し入れも、布団に隠せるものならばれることはなかった。


 クロスワードパズルを解いていると、自分の記憶の偏りがよくわかった。物の名称などの知識を必要とする問題はある程度わかるのだが、時事ネタがまるでわからない。ひとえに記憶喪失と言っても、自分が失ったのは過去の思い出だけらしい。


 一時間足らずで月乃ちゃんは目を覚ました。起きてすぐに月乃ちゃんは雑誌の表紙に印刷された豚のキャラクターを模写し始めたので、パズルを取り上げられた僕はそれを眺めていた。


 本当は紅坂さんにお願いしてクレヨンでも用意してあげたいところだったが、それはやめた。紅坂さん曰く、人間は手の変化に敏感で、クレヨンが指にでもついていれば、男に感づかれる可能性が大きいとのことだった。


 紅坂さんの存在に気づかれでもしたら大ごとだ。僕がある程度の心の平穏を保っていられるのは、いざとなれば紅坂さんに助けてもらえるという算段があるからこそだ。この生命線を失うリスクだけは避けなければいけなかった。


 日が落ちた夕方過ぎの時間帯、この部屋に向かってくる足音に気づいた僕は月乃ちゃんから鉛筆と紙を取り上げると慌てて布団の中に隠した。


 だいぶ乱暴に奪ってしまったので、月乃ちゃんがぐずり出すのではないかと不安になる。しかし彼女は僕の行動の意図を理解しているかのように平然とした顔でこちらも見つめていた。利口な子供だと感心する。


 ドアが開くと男が姿を現した。手にはコンビニ袋を下げている。夕食の時間になったようだ。渡された袋の中には種類のばらばらなおにぎりや菓子パンが入っていた。


 男は一言もくちにせず、無言で食料を僕に渡し部屋を後にした。僕としても男と会話をするときには、相手の機嫌を損ねないよう神経をすり減らすので有難い。


 食料は月乃ちゃんに先に選ばせるようにしている。しかし、任せると甘いパンしか食べようとしないため、他のものも食べるよう、僕が最終チェックを行うのが決まりとなっていた。


 彼女には甘いものを最後に食べるという習慣がないみたいで、菓子パンとおかかのおにぎりを交互に食べ出す。見ているこちらが気持ち悪くなる組み合わせだが、本人は幸せそうなので、止める気にはなれなかった。


 監禁されることになったとき、僕が最も恐れていたのは食料問題だ。初めてこの部屋にやってきたときは、おかしの袋ばかりがあちこちに散らばっていたため、まともな食事にはありつけないと覚悟していた。


 しかしそれは杞憂だったようで、今のところ十分な食料をもらえている。不満点を挙げるとすればコンビニ食ばかりということくらいだが、立場を考えればこの程度我慢の内にも入らなかった。


 男は僕たちに夕食を渡した後、どこかへ出かける。これは僕が監禁されてから毎日決まっての行動で、およそ二時間ほど経つと帰ってくる。家で食事を取っている様子がないので、外食に出ていることは予想できたが、それにしては少々時間が掛かり過ぎではという疑念があった。


 男が出ていく理由は行動を観察する中で何となく予想がついた。男の生活サイクルの中には入浴時間が無かった。おそらく外出時に食事だけでなく銭湯に寄っているのではないかと僕は考えた。それなら食事にしては長い外出時間にも説明がつく。


 脳内での紅坂さんへの報告を終え、部屋の中を見回す。月乃ちゃんの瞬きの回数が多い。あと一時間もすれば眠りにつくことだろう。


 月乃ちゃんが寝てしまうと僕に残される娯楽はクロスワードくらいしかないのだけれど、幼い子が眠っている中電気を点けているのも気が引ける。僕も月乃ちゃんに合わせて眠ったほうがよさそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る